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沈みゆく太陽の子

ミッチェル・スコット  /  2022年1月12日  /  読み終えるまで14分  /  スノー

奪われた未来の美しいかけらを救うため、あらゆる困難を覆したある女性の旅。

ワシントン州の奥地、ノース・カスケード山脈のセッティング・サン・マウンテンの頂上に掲げられた祈祷旗。イアン・フェアが最後のときを過ごした場所と、彼が想像だにしなかった忘れ形見の誕生を記念している。ノース・カスケードは先住民の多様な部族の故郷であり、訪問者である私たちはその土地への多大な感謝と称賛を表します。

すべての写真:Paris Gore

幼いロビーにはじめて会う。リビングルームに散らばる色とりどりのブランケットとおもちゃに囲まれて腹ばいになっている。私を見るとにっこり笑い、よだれまみれのゲンコツを口に入れる。ワシントン州ウィンスロップの外れにあるストローベイルハウスの窓からは雪に覆われた丘が遠くまで、幾重にもつづくのが見える。生後6か月のロビーは体をくねらせてハイハイしようとするが、それにはまだちょっと早い。飼い犬のリディックとオビーはクンクン匂いを嗅いでペロペロと舐め、そのたびに声を立てて笑うロビーの口からは絶え間なくよだれが垂れて、犬の毛がくっつく。ロビーは素朴な田舎の一軒家に住む、健康な男の子だ。

2月の土曜日の朝、ノース・カスケード山脈の東の麓に太陽が完全に顔を出す前にもかかわらず、ロビーのママであるステフ・ベネットは準備に忙しい。39歳のステフは、平日の日中は〈REI〉のシニア・プラニング・アナリストとして働き、夜は〈ノース・カスケーズ・マウンテン・ガイズ〉のオペレーション・マネージャーとして働く。予定はびっしり詰まっているが、ステフは自分たちが暮らす小さな地域の積極的なメンバーで、ボランティア活動にも好んで参加する。今朝はクロスカントリースキー大会の手伝いだ。トゥイスプ、ウィンスロップ、マザマの町のあるメソウ・バレーといえばノルディックスキーだ。広々とした土地に数百キロメートルものトラックがつづくのだから、当然といえば当然だ。ステフはコーヒーを片手に、床で遊んでいるロビーに目を配りながら、数時間ロビーをベビーシッターに預ける準備をこともなげに、でも急いで進める。ステフは茶色の長い髪と澄んだ緑色の目をした、元気のいい長身の女性である。幼い息子を見つめる彼女の笑顔はドアの外に広がる風景ほどに大らかで野生的だが、そこには悲しみがある。その表情のすぐ下に見える深い悲しみと、そこから立ち上がった固い決意。

沈みゆく太陽の子

父の死から15か月後に生まれた小さなロビー・ベネット。母ステフ・ベネットの腕に抱かれ、明るい未来を見つめる。

2018年3月4日、ステフは3人の連れ——以前〈K2スポーツ〉に勤務していたときに知り合ったフリーランス写真家のパリス・ゴア、パリスの友人で2日前に出会ったばかりのスティーブン・エッティンガー、そしてステフの最愛の人、イアン・フェア——とともにスキーツアリングをしていた。薄曇りの冬日で気温はマイナス7度前後。雪質は良く、日ごろからスキーエリアとして使われ「セッティング・サン・マウンテン(沈みゆく太陽の山)」として知られる尾根にいた。4人とも滑ったことのないはじめての場所だった。ステフが「パウダー狂ヒッピー」と呼ぶ凄腕のイアンは、マザマから約11キロ、カラスならブラック・パイン・ベイスンを越えてひとっ飛びのところにある、この新たなエリアの探索に乗り気だった。イアンはセッティング・サン・マウンテンの北西面のツリーランに狙いを定めていた。

前日も同じメンバーでスキーツアリングをしていて、ステフはこの日は長めのランニングに出かけたかった。だがイアンの決意は固く、反対しづらかった。「イアンはいつでも人の少ない穴場に行くのが好きなタイプだったわ。仕事でもプライベートでも人とは違うやり方を選んだの」とステフは言う。長身で活動的で何ごとにも熱心な冒険家のイアンは、マザマの学校で環境教育者として働いていた。ステフとイアンは一緒に家を買ったばかりで、その夏に結婚して落ち着き、人生をともに歩む話をしていた。2人が心に描いたのは野外で多くの時間を過ごし、ゆくゆくはそれを子どもと共有する家庭だった。

スノーモービルで20分ほど行ったところで、4人はセッティング・サンの頂上まで3時間の尾根の登りを開始した。ステフは新雪や、本領を発揮する恋人や、周囲の広大な原生地域に魅了され、いつものリズムに乗りはじめた。ステフとイアンは登りながらアファメーションの言葉を送りあった。それは前の年に彼らが日課として築いた習慣だった。「私が、イアンが私のパートナーでいてくれて、私の戯言を我慢して聞いてくれることに感謝していると言うと、イアンは、私がいつも先を登ることと、ピーナツバターとジャムを塗るのに私がパンをトーストしてあげることに感謝していると言ったわ」と、ステフは冗談めかして言う。2人はシール登高をつづけ、フクロウに殺されたウサギらしきものの横を通り過ぎ、雪に穴を掘るライチョウという、それまで見たことのない光景も目にした。その場面はいまではステフの脳裏に焼き付けられている。

その前の数週間は乾燥していて気温が低く、積雪はやや不安定だった。4人は経験豊富なバックカントリースキーヤーとスノーボーダーで、地元の積雪状況や地形を熟知していた。その週末もピットチェックを繰りかえしたり雪庇を崩したりして積雪の安定性を調べたが、太平洋岸北西部のところどころに潜んでいるとされる、埋もれた弱層の兆候はまったくなかった。4人が滑降開始地点に立ち、パリスが最初に滑ることにした。パリスは雪崩が起きそうな斜面を斜滑降で注意深くスキーカットし、100メートル弱を滑降して、木々が密集している場所で止まった。そして仲間に無線で連絡し、斜面はいい感じだと伝えた。イアンはステフに行くかと聞いたが、彼女は前の日にイアンより先に滑ったので順番を譲った。イアンが滑りはじめて4つ目のターンを刻むと、斜面全体が崩れ落ちた。「すべてが音でわかった。破断面もはっきりと見えた。時計を見て『大丈夫、15分でイアンを見つける』と思ったのを覚えてる。頭はとても冴えていて、叫んだり泣いたりした覚えはない。完全にアドレナリンが出まくっていたのね。そのとき木々が折れていく音が聞こえた。大木が小枝のように折れる音が。イアンがまだ死んでいなくても、彼は間違いなく死ぬだろうと思ったのはそのときだった。すぐにそう思ったわ」

〈ノースウエスト・アバランチ・センター〉の事故報告記録によると、その雪崩の破断面は厚さ30〜140センチメートル(平均71センチ)、幅70メートルだった。雪崩はイアンを狭いシュートに引きずり込み、直径15センチの木々をなぎ倒しながら、240メートル近く滑り落ちた。雪崩の最下部付近の雪の上で、パリスがイアンを見つけた。「体の位置を見た時点でわかったの」と説明するステフの声が震える。「イアンの体がどれほどの破壊力を受けたか。体を仰向けにすると、彼は衝撃で死んだのが明らかだった」

携帯電話は圏外でつながらず、衛星電話も持っていなかった。時刻は午後1時15分を回ったところだった。スティーブンは心肺蘇生法を約15分間つづけた。午後1時44分、なんとか911番につながった(アメリカでは電波塔が緊急通報を受信した場合、それが契約者の通信網でなくても中継するよう法律で義務づけられている)。それから3人はイアンの体を運ぶ方法を考えたが、すぐにそれは自分たちがさらに大きな危険にさらされることだと気づいた。ショックで気は動転していたが、それでも動かなければならないとわかっていた。彼らは断腸の思いで、イアンの体を残していくことを決断した。雪が降った場合を想定してGPS座標を記録すると、イアンの黄色い帽子を近くの木の上に掛け、救助を求めて歩きはじめた。

イアンを残していく決断を下す前には、しかしながら、一般的とはいえないやりとりがあった。まったく思いも寄らないようなことだ。事故の10分後、ステフは動かないイアンの手を握り、数か月後に医学部に進学することになっていたスティーブンに向かって尋ねた。「イアンの精子を回収できると思う?」と。「頭が混乱して、何て言ったらいいのかわからなかった」とスティーブンは振りかえる。「すぐにその場から離れなければならなかったのに、ステフの言葉に強烈な印象を受けた。あのときのステフにとって、大切なものすべてが詰めこまれた言葉だった。イアンを失うことは、自分たちが描いた未来を失うことだったんだから」そしてステフにとっては、そのとき将来別の誰かと一緒になることなど考えられず、イアンの死はつまり、自分が母親になる可能性を失うことを意味した。

沈みゆく太陽の子

自分らしさを披露する「パウダー狂ヒッピー」。とことん自由な精神の持ち主だったイアン・フェアが、亡くなる前日に自分の裏庭ノース・カスケードで何よりも好きだったパウダーの斜面を舞い降りる姿。

死後の精子の回収(PSR)は、まだ新しく論議も多い。これは死亡した男性から精子を抽出する処置で、研究室で女性の卵子を精子と受精させ、子宮内に戻す体外受精(IVF)に使うためにしばしば行われる。この死後受精の処置はフランスやドイツなどの国では禁止され、イギリスでは生前に書面による同意が必要だ。アメリカではPSRに関する具体的な連邦規制がないため、その実施は上昇傾向にある。同国内のPSR処置は、1980年代は3件だったが1990年代に15件に増え、2010年から2014年にかけては130件を超えた。これは時間的制約のある処置で、死体から健康な精子を回収する時間枠は死後約36時間とされる。そして倫理的に曖昧な領域であることから、処置を拒む医師が少なくない。

ステフとパリスとスティーブンはまだショック状態にあったが、帰るルートも複雑な雪崩地形を進むため、集中力を保ちつづけなければならなかった。やがて、スノーモービルで下る途中で捜索救助隊に会ったが、イアンの遺体を無事に回収するには安全な状況ではないと判断した。「通常、雪崩が発生したら、雪の下で生きているかもしれないので、とにかく体を探します」と語るのは、郡の検死官であり捜索救助隊員でもあるデイヴィッド・ロドリゲス。「しかし周囲の斜面は不安定で、雪は激しく降っており、あたりは暗くなっていました。ステフは私たちをさらなる悲劇の危険にさらしたくないと言い、イアンがすでに亡くなっていたことはわかっていたので、彼の遺体は翌日に回収することにしました」3人はスノーモービルでトラックのところまで戻ると、ギアを積んでステフとイアンの家に戻った。そこにはすでに友人や家族が集まっていた。

北西部中のIVFクリニックに電話をかけはじめた。イアンの遺体が雪ですばやく冷やされたのは幸いだった。その日の午後、ヘリコプターから吊るした担架で収容されたイアンの遺体は、検死官の遺体安置所で冷蔵保管された。ステフと仲間はイアンの精巣を取り出して精子を回収し、ステフに体外受精してくれるクリニックを探した。

彼女たちは全米の60以上のクリニックに電話をしたが、処置を施してくれるクリニックは1軒も見つからなかった。そしてイアンの死後3日目の朝、ステフはシアトルの北東、ワシントン州カークランドにあるPOMA不妊治療クリニックのクラウス・ウィーマー医師にめぐり会った。ウィーマー医師自身もバックカントリースキーヤーで、ステフは彼が「スキーの仲間は互いに助け合うもの」と言ったのを覚えている。医師はイアンにPSR処置を施し、成功すればステフに体外受精を行うことに同意した。しかし時間は迫っていた。このパズルを完成させる最後のピースは、離婚して長いこと経ったイアンの両親のボブとスーザンが署名した宣誓供述書だった。イアンとステフが子どもを欲しがっていたことを知っていた彼らは、イアンの精子を贈り物として正式に提供することにすばやく承諾してくれた。

すでにイアンの死から72時間が経過し、36時間という定められた時間枠を大幅に超えていた。イアンの精巣を取り出して梱包し輸送するという作業を、即刻行わなければならなかった。

ステフと検死官は処置を施す医師(現在も匿名を希望)を手配した。しかしステフによると、その医師は「処置の仕方についてまったく知識がなかった」そうだ。「POMAに電話をして男性生殖器専門科医と連絡を取ろうとしたけれど、彼は電話に出なかった」とステフはつづける。「それで『緊急』のフラグを付けてeメールを送ると、幸い昼食から戻ってきた直後にそのメールを見て、すぐに電話をくれて。そして彼は検死官と担当医師に電話で手順を説明しながら処置を進めたの」

ウィンスロップからシアトルまでの直行ルートのハイウェイ20号線は冬場は道路が閉鎖される。ノース・カスケード山脈を越えて「イアンの小包」(と、ステフは呼んでいる)をできるだけ速く運ぶために、友人の友人であるクレイグ・ハワードがシングルエンジンの飛行機で飛んでくれることになった。冷やされたイアンの「子宝を授ける可能性」が入った赤と黒の小さな医療用クーラーボックスは、まるで移植を待って鼓動する心臓を思わせた。クレイグは悪天候の予報が出ていたシアトルを避け、ワシントン州クレエラムに着陸する手配をした。急場しのぎの管制塔となった、ステフから要請を受けた別の友人がそこでクーラーボックスを受け取り、大急ぎでカークランドへと運んだ。ついにイアンの小包がクリニックに届き、精子が抽出されて冷凍されたのはイアンの死から約96時間後のことだった。それでもイアンの社交的な心は健在で、「このすべてのいきさつで笑いをこらえるのに苦労したよ」とパリスは言う。「イアンも大笑いしただろうな、絶対に」

PSRを利用した出産には数々の倫理的および法的疑問が浮上し得る。提供者は本当に同意したといえるのか。人は他人の体に対する権利をもつのか。子と母親にはどのような法的権利があるのか。その子には亡くなった父親の財産を相続する権利があるのか。父親をもたない子は不利か。受精方法のせいでその子が社会的汚名に苦しむのではないか。悲しみに暮れる母親にこの決断を下すことはできるのか。PSRおよび不妊治療の経済的な支障は考慮されるべきか——。

でもステフは何の疑問も抱かなかった。POMA不妊治療クリニックの医師は、イアンの精子の状態を考慮すると妊娠の可能性はかなり低いことをステフに告げたが、それでも生存能力のあるいくつかの精子を抽出した。難しくて高額な体外受精に2度失敗しても、ステフはあきらめなかった。そしてイアンを失って胸が張り裂けそうな悲しみに対処し、妊娠しようというストレスを解き放ち、これが最後と決めた3度目の体外受精で、ステフは身ごもった。あらゆる不可能を乗り越えた妊娠12週目の超音波検査で、いつもの担当者ではない助産婦に「精子の状態を考えると赤ちゃんの鼓動を聞くのはこれが最後になるかもしれないから、録音しておきますか」と聞かれたときも、ステフは前向きだった。そして2019年7月26日午前12時32分、3,232グラムのロバート・スティーブン・ベネットが誕生した。1年半前に亡くなった実の父親から、10本の手の指と10本の足の指を受け継いで。

沈みゆく太陽の子

ステフはワシントン州ウィンスロップの外れにある家で、喜びの結晶である小さなロビーと暮らす。2018年3月の運命の日にパートナーは失ったかもしれないが、みずからの強い意志、結束の固い仲間たちの支援、そして現代科学のおかげで、彼女はひとりではない。

イアンはワシントン州西部でわずか1週間で発生した(州史上最悪ともいえる)雪崩の6人目の犠牲者だった。36歳だった。

ステフのガレージには看板がある。毎年イアンを偲んで開くパーティの看板だ。はじめてステフに会ったころ、「イアンは人のために何でもするタイプだった」と彼女が言ったのを覚えている。「それが彼自身の喜びでもあったの」いまこのとき、その人がいないという虚しさを感じずにはいられない。家のなかには、大きな青い瞳を輝かせてパウダーを蹴散らしたり、フライフィッシングをしているイアンの写真がある。ここではまだイアンの存在を感じることができる。ロビーもいつか同じように感じるのだろうか。

とてつもない悲しみに包まれていたステフとイアンの親友や家族の多くは、最終的にこの話に励まされたと感じた。ステフがこのことを話そうと決心したのは、他の人にも希望を与えたかったからだ。「PSRがあらゆる人の悲しみを和らげる打開策になるわけではないけれど、仲間たちの理解と愛と強い意志は、絶望の淵にあるときもたくさんの光をもたらしてくれる」と彼女は言う。

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