クライミングが易しい近頃:コリン・ヘイリーとディラン・ジョンソンによるスレス山の「ハート・オブ・ダークネス」初登レポート
物事は変わった。1983年式のドッジ・プロスペクターのバン(サイエンスフィクションの飾りのついたダッシュボードとベルベットの内装)に乗って砂漠と山をさまよい、「シンプルに暮らす」という僕とジェナの古い精神は、ちょっとした過去の人生のように感じられる。近頃の登攀といえば、空港、コンピュータ、電話会議、ミーティングという長時間の建築業を経営する生活に挟まれている。家での時間は(新生児の)オリビアを夜中にあやしたり、(2歳児の)エマがはじめて自転車で学校へ行く横をジョギングしたり、妻と二人っきりで過ごす大切な数時間だけの「デートナイト」のディナーを何週間も前から計画したり、などに費やされる。そのうえジェナは僕よりも仕事で忙しい。
しかしながら毎年この時期になると、高校生がスナップチャットのフィードをチェックするように、僕はNOAA(米国海洋大気庁)の天気予報アプリをひっきりなしに調べる。マウント・ベーカーのすぐ東にある北緯49度線の予報を保存しているのだ。NOAAはカナダにはないが、カスケード山脈北部のチリワック山系の南端にあるこの稜線は十分近い。
北西部の山々で育ったクライマーの僕にとって、スレスはいつも殊に特別な山だ。先住民のサリシュの言葉では「スレス」は「牙」という意味だ。僕らがつけたニックネームは「カスケードのセロ・トーレ」。そのゴシック調の構造と黒い岩は夏でも威圧感があるが、氷と溶けて凍った雪溝がついた冬は本当に視覚的に惹きつけるものがあり、とにかく抗うことができない。僕はジョン・スカーロックが撮った
僕は巨大なダッフルバッグ2個を素早く取り出し、1つはアイスツール、ピトン、クランポントジャケット、もう1つはおむつ、赤ん坊の衣類、子供のスナックで一杯にした。僕らはシアトルまで急ぎ、姉の家の地下で数時間仮眠したあと、僕はコリンと合流するためにカナダ国境へと向かった。僕らはハイクし、数多くの物語で名高い北東バットレスの基部でビバークした。ほぼ満月、お気に入りの山は「うんち」のコンディション、良い友達…。最近、山での時間がとても限られている僕は、以前に比べてその時間をより楽しんでいることに気づく。アプローチに汗をかき、ビバークで凍えるときも、これまでになかった新しい喜びの要素がある。
夜明け前にセットした目覚ましが鳴らず、僕らは寝坊をしてしまった。ここ何か月かで最も長く寝た夜だった。コリンは「眠りを取り戻すためにはアルパインクライミングに行かなきゃならないってことだよ」と冗談を言った。それは冗談というよりは皮肉な真実だった。
僕らは素早く朝食を済ませると、壮大な壁へと向かった。登攀は何年も期待していたとおり素晴らしかった。以前に遭遇したヤバいピッチは表面が良い感じの氷で覆われていた。コリンが核心のエイドのピッチを素早く片付けると、僕らは過去の最高地点を超えた。HODのクーロアールを出ると、肌寒い日光の下、上部のノース・リブをモノポイントのクランポンと素手で登る楽しいロックライミングをした。僕らはシュルントを超えた9時間後に山頂に立った。
夜通しのドライブのあと、僕は月曜の朝のミーティングにわずか2時間遅れで到達した。幸いなことに僕は素晴らしい、理解のあるクライアントに恵まれている。