パタゴニアのクライミング・シーズン:僕らは何を持っていったか
ブリッタニーがいったいどうやっているのか、あるいは彼女が正直じゃないのか——そんなことはないとは思うが——分からない。エル・チャルテンの小屋のちらかったガラクタの山を見ては、彼女の投稿についてまた考える。どうも怪しい。気まぐれなジプシー女には気をつけなきゃな。
僕はパッキングが大嫌いだ。ストレスがたまる。よくよく考えて、書き留めて、考え直す。このシャツ対あのシャツ。この山対あの山。コンディションと野心、どの山を登るか、そして登らないかの予測。僕はアルゼンチン領パタゴニアへのこの遠征について、目標をもっていた。それは事前に準備をしておくことだった。つまり余裕で、ストレスがなく、特別な女性の友達(スペシャル・レディー・フレンド=SLF)と過ごす時間が作れるような準備。そして出発前の1週間を楽しむのだ。
毎年パタゴニアのアンバサダー仲間、そして世界中のクライマーがアルゼンチンにある小さな町、エル・チャルテンを訪れる。彼らのゴールはパタゴニア地方の巨大な花崗岩——そのいくつかは世界でもっとも困難な山——を登ることだ。アンバサダーと仲間たちによる最新情報は、パタゴニアの各チャンネルとツイッター#vidapatagoniaでどうぞ:
クライミングギアのパッキングにはちょっとした、だが重要な調整が必要だ。必須のギアを忘れたおかげで、登れなかったりすることにもなりかねないのだから。でも同じように重要なのは、人生においてクライミング以外のことも楽しむこと。登攀の精神面において、それは不可欠なことだ。心構えがなければルートも登攀もないのだから。
だからこう考えたことを覚えている。数週間前のことだ。本は4冊か5冊? 『Child of God』だったら『日はまた昇る』? グラムはオンスに、そしてポンドになる。バッグは50ポンドしか入らない。僕のSLFが最近すごい本をくれた。それはティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』で、最初のページ半分を読んで、はまった。荷物に入れるとき以外は読むのを止められなかった(そして走る、スキーする、登攀するとき以外も。そう、海外旅行で飛行機に乗るときは疲れていなければならない。そうしないと座りっぱなしで不機嫌になるからね)。だから僕はそれを持っていくことにした。
さてTwizzlersはどうだろう? 過去12年間にやったすべての旅にTwizzlersを持っていった。これはマルガリータ(ここにはないが、これ以上言うとそれに気付かないふりができなくなってしまうので、あえて触れない)とともに、僕が家にいるときの弱みだ。50ポンドのバッグ2個という容赦のない制限で、パタゴニアの信じられないような多岐にわたるコンディションに備えなければならないから(航空会社は僕が2か月も登るのを知らないのか!?!)、何かをあきらめるしかない。そこでTwizzlersを犠牲にした。でもきっと大丈夫。安くておいしいアルゼンチンの赤ワインはTwizzlersにちょっと似ているから、と自分に言い聞かせた。赤。ワイン。Twizzlers…。
クライミングについてはトーレではなく(トーレはすでに登っているのだから、そこでは失敗しない、というもう1つの目標を思い出す)、フィッツ・ロイに焦点を定めている。となると化繊かダウンか? こんな小さな山脈なのに天候は異常なまでに変化する。でもトーレは氷冠からやって来る、濡れた嵐をモロに受ける。だからそこでは(万一自分のゴールを外れてしまった場合)化繊が必要。じゃあ、ナノだな。それともDASかマイクロ・パフか? いや、その期間は十分温かいはずだからナノ・フーディ。でもフィッツ・ロイが僕の大きな目標だから、より軽くて温かいダウンと、それに最高のダウン・セーターの試作品を持っているから、それも詰めよう。そして突然思い付く。これだけたくさんの試作品を詰めたら、それらが機能しないときはヤバイ……と。だが考えるのをやめて詰め込む。
そしてまた考える。僕はロッククライミングをおもにやるつもりだから、アイスギアはアプローチと山頂付近だけのためにちょっとだけあれば十分だ。ゴアテックス・ミッドトップのシューズとアルミのクランポン。いいぞ。これで軽くなった。Twizzlersを入れよう。
あぁぁぁ、でもエグゾセがいいコンディションで、僕のだいこん足がそこまでハイクするのに耐えられたとしたら? そのチャンスを逃すのはイヤだな。だったらスチール製のクランポンを入れた方がいい。万一に備えて。ということはちゃんとした氷用のブーツが要るな。なんてこった。すべての可能性に備えてパッキングするとイメルダ・マルコス以上になってしまう。ちゃんとしたブーツとクランポンを入れる。そうするとアイスツールが1本ではなく2本。でコブラを2本。そしてこれらはアイススクリューがなければ意味がないから、スクリューも入れる。おお、パックが重くなったぞ。ヤバイ。ということで余分のカムを取り出す。自分のリビングルームにいればこその理性的かつ大胆な考えが出る。それは「どんなルートにも、2セット以上のカムは必要ない」だ。でももっとバランスのとれた立場は、「カム2セットで登れなければ、おそらく登る資格がない」のだ。
Twizzlersをじっと見つめて、ハカリを掴む。
数週間分を早送りして僕がやっぱり気付いたのは、「あるもので何とかなるのだ」ということ。なぜなら、フィッツ・ロイを登って、いまでも精神的かつ肉体的にヘトヘトになってここに座っていてもなお、ギアはまだ手元に十分にあるのだから(クランポン・クレイグと僕は1,500メートルの岩稜、アファナシエフ・リッジを登り、ちょっとした災難に見舞われた。だがそれはまたのお話)。
僕の目は小屋の床にちらかったギアとウェアを見渡し、それから本の山に移る。5冊持ってきてよかった(そうそう、『日はまた昇るも』も)。でもTwizzlersを入れれば良かった。まあ、赤ワインでなんとかするけど。
一生フルタイムの仕事をしないことを誓うケリーは、マルガリータを作ること、外でなるべく多くの時間を過ごすこと、そしてアルパインスタイルのルートを登ることが得意。ケリーはザ・クリーネスト・ラインと彼の生のブログの定期的投稿者である。
パタゴニアのアンバサダーからの他のニュースをご紹介:以下はPATAclimb.comよりロランド・ガリボッティからのレポートです。
コリン・ヘイリーとチャッド・ケロッグがコンプレッサー・ルートのボルトを一切使わずに、コークスクリュー・リンクアップを登った。このスタイルによるこのルートの登攀は初めてである(追記:このルートは2008年12月に初登され、これが第2登となる)。2007年のティエンポ・ペルディドス、2008年のトーレ・トラバースにつづいて、このコークスクリューはコリンにとって3度目のセロ・トーレにおけるリンクアップ。また今シーズン、彼がセロ・トーレの山頂に立ったのはこれで3度目。モチベーションとはまさにこのこと!
セロ・トーレではまた、直前のフィッツ・ロイの新ルート開拓でおそらくまだ疲れていただろうスロベニアのルカ・クランチとタデイ・クリセリが、フィロ・スレステ(南東稜)の公平な手段による第3登を達成。ヘイデン・ケネディとジェイソン・クルックのラインをたどり、最後の2ピッチは右にあるデビッド・ラマとピーター・オルトナーのバリエーションを登った。
この他にこの山群では日本人のクライミング・アンバサダー横山ジャンボとパートナーの増本亮がアグハ・ポインセノット南西壁のジャッジメント・デイのフリー化を達成。ジャンボはこの下部の核心部(6c/A0とされていた)をパタゴニアで登った最高のピッチの1つと呼び、7a+か7bとした。上部の核心(6c/C1)は7a。彼らが言うにはジャッジメント・デイは最高のクオリティーで、とくに6, 7, 9, 10, 13ピッチは素晴らしいとのこと。
少し前にジョシュ・ハッカビーとマイキー・シェイファーがアグハ・デ・ラ・エスの南壁に新しいルートを開拓。彼らのルート「カルネ・イ・パパス」はジェントルメンズ・クラブとワームホール・セオリーのあいだの顕著なクラックシステムを登る。シェイファーはリッジの2ピッチ下までをフリーで登り、グレードは7a+とA0とする。このルート名は何かの根本的な要因を表すアメリカの言いまわしで、「肉とじゃがいも」に由来し、この場合花崗岩のクラックと凹角を意味する。
アップデートしてくれたロランドに感謝。パタゴニア地方からのニュース、天気、ルート情報などはPATAclimb.comをご覧ください。