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ランニングクラブ

アンナ・カラハン  /  2022年2月8日  /  読み終えるまで11分  /  トレイルランニング

コミュニティがあるから100mile走れる。

コロラド州ボルダーの主要なトレイルをすべて結び、年に1回開催される「ボルダー・バッドアス100」。そのコースに現れたエイド・ステーション。Brendan Davis

すべての写真:Brendan Davis

10月下旬の深夜0時、コロラド州ボルダー郊外。ほとんど知られていない100mile(160km)レースを6人が走り始めて26時間。ゴールはまだまだ遠い。凍てつくような寒さと暗闇。世界はヘッドランプが照らす小さな円い空間だけが存在するかのようだ。標高910mの尾根から遠くに望む街の明かりは美しい。標高2,400mの山頂のようなありえない場所で眠気に襲われる。ここを走らなければならない理由はない。でも走る。

このボルダー・バッドアス100はレースではない。走るのはロッキー・マウンテン・ランナーズ(RMR)のメンバーだ。RMRは、ケリーグリーンのTシャツを着て毎週のミーティングを行い、人間の可能性と大自然に囲まれたトレイルを愛する感覚を大切にするランニングクラブだ。約200人が所属している。さらには、こんがり焼いたチーズサンドイッチに肉を挟んだ豪快なバーガーへの執念が自慢でもある。

普段はボルダー周辺のトレイルを会話しながら走るグループだが、そのメンバーは世界有数の過酷なウルトラマラソンで入賞する強者揃いだ。レッドビル100の複数の入賞者に加え、ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB)のトップ10、有名ルート(48mile・ザイオン・トラバース、37mile・ジョシュア・ツリー・トラバースなど)のFKT保持者もいる。米国における100mileレースの平均完走率は約70%にもかかわらず、RMRのメンバーは97%にのぼる。

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左:娘のイズラと一緒にチャップマン・ドライブを走るロッキー・マウンテン・ランナーズ(RMR)の共同創設者、ライアン・スミス。

右:ボルダーを走るRMR共同創設者のジルケ・ケスター。

国内に何百もあるランニングクラブの多くは基本的にRMRと同じ、つまり走ると言う共通の関心を通じて人とつながり、交流を深める場だ。多くの参加者にとってランニングクラブの目的は走ることよりも、コミュニティを重視している。しかし、RMRには何か異なる魅力がある。それは、ステロイドのようなものなのかもしれない(もちろん文字通りではなく)。

ライアン・スミスとジルケ・ケスターが1年の休暇を取って旅行し、2012年にボルダーに引っ越したとき、自分たちがニューヨークで所属していた「レザボア・ドッグズ」のようなランニングクラブを求めていた。レザボア・ドッグズのメンバーは走ることだけでなく、走った後の遊びや、交流も好きだった。スミスとケスターはクラブで仲間と出会い、お互いに出会った。出会い、恋愛、結婚。しかし、ランニングで有名なボルダーには、そのようなクラブはなかった。

「ニューヨークのようにボランティアで運営される自由なクラブはなかったよ」と、英国出身のソフトウェアエンジニアであるスミスは語る。エリート組織やプロのコーチには事欠かなかったが、2人が望んでいたのはもう少し楽しい雰囲気。「たくさんの人たちと一緒に走り、気楽に走りたいと思っていたね」

レザボア・ドッグズでの経験から、2人は一貫性が成功の鍵であることを知っていたし、毎週の定期的なランニングも必要だった。そこで2013年、2人はメインとなる活動を開始する。月曜の夜、グリーン・マウンテン(約10km、高低差850m)の頂上までジョギングし、近くのサザン・サン・ブルワリーでビールを飲むこと。月曜を選んだのは、関心のある人にとって他の趣味や仕事と重複する可能性が低そうだと考えたからだ。

現在、13歳から65歳まで数百人にのぼる熱心なランナーが集まっているが、最初の月曜日に集まったのは、ケスター、スミスと、2人が連絡を取った数人だけだった。本当に人が集まり始めたのは数年後。「走るのはたいてい私とジルケ、ひょっとするともう1人。気まずいぐらいだったね」とスミス。それでもひたむきに活動を続けた。

そして、スミスが大切だと感じていたグループTシャツを製作した。彼が育った英国では、ランナーは年齢やスキルを問わず全員がクラブに所属し、レースの日にはクラブの「色」を身に着ける。RMRの場合、色は緑で即決だった。森の中のトレイルランニングで緑のTシャツをあまり見かけなかったからだ。

「人はチームに所属したいという欲望がある。帰属意識だ」と、スミスは語る。彼は2015年にUTMBのトップ10に入ったときも、2019年のリードビル・トレイル100で優勝したときも、2021年ハードロック100で3位に入り、コース記録を破ったときも、緑のRMRシャツを着た。もっと多くの人にクラブカラーを身にまといレースやトレイルで走って欲しい、表彰台の上でスポンサーユニフォームを着た人の隣に立って欲しいと考えている。「Tシャツを着ることで誇りを感じるよね」

2014年にはグループの人数が増え、月曜のランニングや毎回走った後は食事で交流を深めるようになった。もう新しいメンバーを苦労して募る必要は(まったくと言っていいほど)ない。地元のトレイルやレースで緑のシャツを見かけたランナーたちが好奇心を抱いたからだ。噂はすぐに広がり、たくさんの人が仲間入りして友達も巻き込んだ。

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トレードマークの緑のRMRシャツを着てダウンヒルを走るショーン・フィリップス。

同じ年、メンバーのグレッグが親友を癌で失った。診断を受けてからほんの数週間の出来事。悲しみを癒し、彼女のスポーツへの愛を偲ぶため、グレッグはその年、毎月100mileレースを走ると決意。ところが12月に開催されるレースがないことに気がついた。

「だから『ここで100mileレースを開いたらどう?みんな一緒に走るから』と言って、走ることにしたの」と、ケスター。これが第1回ボルダー・バッドアスだった。グループ全員が参加し、ゴールまでグレッグをサポートする。これは今でもバッドアスの精神であり続けている。大切なのは特定の誰か、それは一度も100mileを走ったことのない人をゴール(たいていは誰かの家)まで連れて行くこと。ベルトバックルの賞もなければ自慢にもならない(知っている人はほとんどいない)。走りたいという気持ちは、RMRに関わる全員のエネルギーに支えられた経験の中から生まれるものでなければいけない。

バッドアスのルールはクレイジーかつシンプル。スミスが走るメンバーを決め、全員で完走すること。金曜日は普通に仕事をする(スミスいわく「この日に休むのはひんしゅくもの」)。最悪なのは寝る準備をしているときなので、スタートは夜10時。名物のボルダー・スカイライン・トラバースの5つのピークを越えるのは大変だが、次のピークに着く前に尾根から離れ下らなければならないのは、もっと残酷だ。毎年ボルダーでは10月になると6~8人のランナーグループが街の近くの山をのろのろと走り始め、その5倍もの人々が軽食を用意し、応援する姿が見られる。

「確かに奇妙でバカなことだけど、達成感はかなりある」とスミス。バッドアスの完走率は50%。「かなりの難関。大切なのはみんなでやること」

ケスターはバッドアスについて「いつもコースの3分の2のところで泣き出してしまう。辛くて辛くて心が折れる」と、語っている(彼女は1度失敗し、2回目で完走)。「ある意味、仲間がゴールに運んでくれるようなもの。ボルダー・バッドアスで味わった感情は独特なんだ」ただの持久走に見えて、実は深い力を秘めた体験。そこがポイントだ。その深みに達するには走るしかない。RMRを理解することはバッドアスを理解することでもある。うれしいときも悲しいときも、手厳しい家族のように、独特のやり方で応援する仲間たち。バカバカしく難しい長距離のトレイルランニングに、月曜の夜にパブで飲みながら決めたルールを加えるのだから。

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山脈の全体像を見るには2枚の地図が必要。コロラド州フェアプレイの山中で1日を過ごす計画を立てるレン・ストルナドとダン・ハリス。

RMRはエリート集団で優秀なランナーが集まっているように見えるが、真実は後半だけ。

「最終的に人生経験のまったく異なる、とんでもない人たちの集団になった」と、スミス。バリスタや小売り店の店員、量子光学の博士号を持つ人までいる。

昨年8月にRMRに加わったメーガン・エッツェルは語る。「みんな強烈。でもとてもいい意味でね」ロードランニングを生涯の友とする彼女は2年前にボルダーに引っ越し、トレイルに転向した。月曜のランニングに初めて参加し、中心街のすぐ近くのグリーン・マウンテン(2,482m)に登ったときは圧倒された。長年走っているにもかかわらず、走り終わったときはくたくた。「いったいどんな人たちなの?」と思った。

1年もしないうちにエッツェルはRMRのお決まりの道をたどる。クラブに参加し、走りたくもないのにウルトラマラソンを走った。秋にはグランドキャニオンで非公式の50km、2月には55kmのレースに出場。彼女は言う。「『ふーん、不可能じゃないな』と突然思ったのよ。とんとん拍子に話が進んで、6か月後にはウルトラマラソンに申し込んでいたわ」彼女いわく、RMRのメンバーは非現実的な挑戦をするのだが、なぜか一緒にやりたくなってしまうの。そして私が挑戦するときにみんなが助けてくれるという信頼感がありがたく思うわ。

スミスとケスターは、RMRに参加する人のほとんどはすでにマラソンを走り、過半数はウルトラマラソンも経験していると推測する。参加してすぐに初めての50mile、100mileに挑戦する人も珍しくない(そして参加者は着実に増え、月曜日になると毎週のように新しいメンバーが来る)。

スミスは「可能性を感じ、『自分にもできるかも』と思う雰囲気と仲間を作ることが重要」と考えている。RMRメンバーの特徴は完走する率が高いことだ。一度、100mileレースのことを考え始めたら、たぶん実行する。そしてすぐにまた、とんでもなく長いランに挑戦したくなる。

集団としての強さは全員に体験があることだ。新しいランナーはグループ内の誰からでも疑問への回答を得られ、間違いを犯す間もなく間違いを学ぶ(他のことも同じ。ケスターの意見ではグループは最高の知恵袋である。家のリフォームからダイニングチェアの積み下ろしまで、何でも「誰かが答えを知っている」)。RMRのメンバーは互いのトレーニング目標の設定を手伝い、たいていはチームメイトがゴールするまで判走やペースメーカーとして参加する。

「グループの完走率は驚異的。みんな応援してくれて、月曜日にはレースの苦労話を聞きたがる。それが本当に励みになるんだ」と、スミス。

レースの途中で気分が悪くなり、緑のシャツのチームメイトが突然立ち止まって励ましてくれた、という体験をほとんどのメンバーが持つとケスターは言う。「自分が草むらで吐いているときに、どれだけのランナーが通り過ぎていく?たくさんだよね。でも誰も他人を気にかけてはくれないさ」

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ベア・ピークのトレイルを整備するRMRメンバー。この後で作った階段を走って降りた。

RMRの理念はシャツに書いてある。「This isn’t training. This is living.(トレーニングではない。人生だ)」みんな新しい仲間とトレイルを走ることを楽しみ、幸せだと感じる。重要なのはスピードでも100mileを走ることでもなく、仲間を作り、一緒に過ごすこと。「冗談抜きにRMRは私の家族。ランニングのメリットは二の次さ」と、58歳の年配メンバー、ポール・フージは言う。彼はまだメンバーの少なかった2013年に参加した。「グループのおかげで人間的に成長し、それまで自分にできるとは思っていなかった積極的な人との交流ができるようになった」

フージはこのほどグランドキャニオンの端から端を往復する「Rim-to-Rim-to-Rim」を5年連続で完走した。史上初の偉業だ。累積の距離にして363km、獲得標高17,678mのコースを4日と17時間かけて走ったことになる。緑のRMRシャツを着ている彼に、近くのファントム・ランチの女性が尋ねた。「近くを走り回っている緑のシャツの人たちは誰?」ええ、もちろん幻(ファントム)だとも。

「もともと社交的な人間ではなかったが、RMRの雰囲気が私を変えた。自分が人に教える立場だと思っていたけど、逆に20代、30代の若者に人生についてどれだけ教えてもらったことか」

スミスとケスターによれば、RMRのすばらしい思い出は多くのメンバーが共有する。1人がレースに申し込むと、数時間で十数人が申し込むことも少なくない。みんなで民宿に泊まり、荒野の真っ只中で60代も20代も一緒に雑魚寝。

スミスは言う。「こんな体験ができる機会は他にはない。レースなんてどうでもいい。優勝してもビリでゴールしても関係ない。でも誰かが長年の目標を追いかけようとするとみんな大喜びさ」

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コロラドの山の上で。

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