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イヴォンの手紙を読む

マウンテニアリングスノーボードの深淵  大源太山東面・四ルンゼ

島田 和彦  /  2019年1月11日  /  スノー, クライミング, スポーツ

大源太山東面への歩み

スノーボードを始めたころ、ひっそりと近所の山に入り、地図を見ながら、少しずつ範囲を広げていったのを思い出す。そして、いまも同じことをして、興奮している。僕は引きかえすことのできない扉を開けて、いつのまに禁断の場所に入ってしまったんだろう。

毎年冬が終わり、スノーボードを丁寧にしまう。それは来シーズンの課題を探すときがやってきた合図だ。日本中の山から「宝の場所」を探すのはとてもむずかしく、そしてとても楽しいひとときでもある。ビールを飲みながら、家族が寝静まってから、あるいは仲間で集まって地図を広げるのは、もしかするといちばんワクワクする時間かもしれない。条件は未滑走ライン、アプローチが適度に長い場所、滑り落ちるだけではなく、ターンを綺麗に残せそうな傾斜であることなど。手が届きやすい、簡単にできそうなものも省いている。その宝の場所を見つけることこそが滑り手のセンスであり、必要で、難解な能力だと思っている。スタイルの違いが出る重要なパートだ。リストアップしたものはノートにまとめている。

ここ最近ターゲットにしていたのは大源太山。越後大源太山は、谷川連峰の北端にある七ツ小屋山から上越国境稜線から分岐して、北上する支尾根に位置する。この尾根上の最高峰であり、標高1598メートルの山で、南北の方角から眺めると鋭い矛を立て、上越のマッターホルンの異名をもつ。東面のルンゼ群は高度差300メートル前後の大きさで上部に広がり、左から一、二、三、α、β、γ、中央稜、四、コブ岩尾根と、多くのクライミングルートを有している。季節風とともに大量の水蒸気を含んだ雲が山にぶつかることで新潟特有の重たい雪が降り、日射の影響を受けるとすぐに雪が悪くなる。

2017年に越後大源太山西面サギノ首沢の初滑走を終えたとき、「次は東面だな」と考えていた。過去の滑走記録は丸の沢右俣や一ルンゼに見られるだけで、それ以外の記録はほとんど見当たらない。その中にある僕の宝の場所は、コブ岩尾根と中央稜のあいだに一直線に食い込む顕著なルンゼ、「四ルンゼ」だ。見栄えが良く、一本選ぶならまずここで間違いない。

次にカメラ位置の検証に入る。同じ沢中に入ってしまうと、傾斜は緩くしか見えない。これは正解ではない。リアルな傾斜をファインダーに収めるため、この地形で対斜となれば謙信尾根しかない。「果たして距離的に届くのか?どのくらいのレンズが必要なのだろう」妄想に耽る日々がつづいていた。

ところがだ。妄想が現実に近づきつつあった12月。読むのを楽しみにしていた「DIGGIN’MAGAZINE ISSUE10」を開くと、あるページが目に飛び込んできた。「え?大源太山東壁!」ビビリながら、長澤探検隊のその記事をよく読んでみる。すると彼らが滑った場所は写真の大源太山東面ではないことがわかった。だが、ここまで全貌がバッチリと載ってしまうと、「あの場所が気づかれてしまう!」のではないか。あるいは僕だけが内心ビビっていたのか?結果的には、カメラ位置もまさに「そこだ!」と言うくらい理想の画に近いし、時期的状況や雪の腐る時間なども再確認できたので、その記事はかなり参考になった。四ルンゼの作戦はほぼ固まってきていたが、念には念を。編集長に連絡先を教えてもらい、塩沢ローカルのスノーボーダー石坂亮くんに電話で確認することにした。そして、あの写真のカメラ位置はやはり「謙信尾根上」であることが分かった。間違いなくそこが四ルンゼを狙うためのベストポジションだ。戦国大名の上杉謙信が関東への軍行の際に使用したのが名の由来と言われている。僕はカメラ位置としてその場を使うことに決めた。すると石坂くんが、「まさか、あのくの字のラインを、直登で行くんですか?」と質問してきた。「そう。その予定で、清水からスプリットボードで挑むつもりだよ」と僕は答えた。その後も彼と何度か連絡を取り、天候や澄川の雪付き状況などを教えてもらった。彼はモービルでアプローチして、生まれ育ったこの地で新たな探検と自分たちのスノーボードを追求している。そして彼のこだわりはソリッドボードでそれをやることであり、僕は動力を使わずに割れた板にこだわる。スタイルは違っても、山とスノーボードが好きという共通項があればすぐに分かり合えることをあらためて実感。長年スノーボードガラパゴス化している僕は刺激を受けた。

2万5千の地形図で見るかぎりではかなり遠く感じ、ワンデイでは無理だと予測していた。1回目の偵察を実施したのは2018年1月22日。このときはアプローチのチェックを行ない、澄川の川原歩きは案外手こずりそうなことがわかった。まあ、フルラッセルならかなり無理があるが、この雪の深さ、硬さならばピッチは落ちることなく歩きつづけられるだろうと判断し、この日は引き返した。2月はメンバーの都合でまったく動くことが出来なかった。そのあいだ、誰かが先に四ルンゼをやらないかと不安な日々を過ごした。

そして3月4日、いよいよ東面四ルンゼを西面と同じく近藤達也と松岡祥子の2人のスキーヤーとトライする。2日間確保した日程中、天気を見るかぎりチャンスは1日目のみという残念な予報。しかも気温はぐっと高くなり、次の日は1日中雨。なるべく早い時間に終わらせるしか方法はない。1日目にハイキャンプを上げて、2日間でトライという作戦は、選択肢から消えかけている。ワンデイでやるしかないが、時間的に到達できるかは、未だわからない。一応すべての装備を用意し、山へ向かう車のなかで決めることにした。出発した車内はお互いの顔が見えないほどのギアであふれかえった。まもなく到着という、関越自動車道の塩沢石打を降りて28号線に曲がったころ、「天気のもつ1日目の午前中で終わらせる」ことでようやく気持ちが固まった。そして清水集落のドンつきに1時30分到着。一睡もせず荷物をまとめ、はやる気持ちを抑えながら2時10分に出発。残念ながら引き締まるような冷気は感じられない。夜空は濃紺で、ガラス細工のような星空がキラキラと瞬いている。偵察のおかげで、澄川の川原を迷わずに、予定通りのルートを順調にシールで進むことができた。丸の沢との出合に4時ごろ着いて一息ついたが、沢の上部から吹き込む強い風に気付いたときには、すでに体温を奪われていた。ここから先の大畠ノ沢は予想以上に側壁が切り立ち、人を寄せつけない雰囲気が漂っている。沢登りに来たことがあるという松岡が地形を読み、即座に指示してくれる。気持ち悪いほど細く深いノドを通過。足元の雪質はカチカチの氷に近く、シールにしっかり乗るために意識を集中する。ようやく稜線に乗ることができたときには、フルスピードで登行したために皆の息が上がっていた。前方の景色が開ける。顔を上げると、目前に城のように鎮座する大源太山東面が現れた。そして、周囲はピンク色に染まり、四ルンゼが理解不能の傾斜角度で僕らを黙らせた。

計画のひとつだった左俣からの稜線ルートで登行すれば、このままでは到着にあと何時間かかるかわからない。4時間と見積もっても、滑走するタイミングとしては悪い時間帯になりそうだ。双眼鏡でじっくりと四ルンゼの雪質をチェックし、滑走可能かを3人で話し合うも、意見は一致しない。とにかく雪質を見定めるのと、到着時間を優先するために、右俣からコブ岩尾根に取り付くことに決めた。即座にシールからアイゼンに、ポールからアックスにと、登攀の準備を整える。あらためて見上げると上部の傾斜も緩んで見え、十分に滑走可能だという自信がみなぎってきた。コブ岩尾根を駆け上るも、途中のクラックに3度も落ちる。気持ちが折れそうになりながらも、どうにか先に進むが、松岡は身の安全も考え「私はここで待機するわ。君たちのスキルは信じてるけど、くれぐれも無茶はしないでね」と後ろから伝えてきた。「大丈夫、無茶はしないから」と僕は答え、傾斜の増した雪壁に向かった。近藤が「登攀意欲がふつふつと湧いてきました。こんな感覚は久しぶりです」とボソっとつぶやいた。「お、スイッチ入ったな!」集中力の増した近藤がリードに代わり、フルスピードで休むことなく的確なラインどりで障害をクリアしていく。セカンドの僕は上部からの落雪や足下の雪質の確認に注意を払うことを忘れてはならない。そして、滑走するイメージを頭の中で何度も反復する。ペースの落ちた近藤とリードを交代したころには、雪面が胸部すれすれまで迫り、ダブルアックスを振り、アイゼンは爪先だけで乗っていた。上部は目前だ、振りかえると僕たちが登ってきたその下はまったく見えなかった。

8時35分、無事に登りきる。最上部にはいつ切れてもおかしくないクラックが入っていた。明日降るであろう多量の雨では、ここはもう落ちるかもしれない。1日遅れたら、僕たちは今年中に滑ることはできなかっただろう。滑走の準備は整った。日射は強くなっていたが、雪が動く前にどうやら間に合いそうだ。ドロップポイントで近藤のコールがはじまる。「10、9、8、7、6、5、4」そのあいだ、僕は己のスイッチをオンにするために、ヘルメットのストラップをいつもの様にキツク締め、視線を一点に集めて、深く集中する。ライダーズレフトの日向は日射で緩んできたが、ライト側の日陰部分は相変わらず固いだろうから、踏み入れてはいけない。下部には一面ビッシリの険悪なジャガイモ畑とクラックが数か所待ち構えている。どう乗り切るのか?「3、2、1」ヒールサイドで日向に向けてトラバースし、雪の感触をチェックした。エッジはしっかりと雪面を捉えている。「そうこなっくっちゃ」パタリとトウサイドに切り返す。荷物の重さのためターンが遅れ気味になった。上部は大胆に攻めず、弧を最小限に抑えて、慎重にターンを繰りかえしたい。「やば、予想以上に急だ!」トウからヒールサイドに戻したいが、「荷物、オモ!」邪魔だ。ターンのきっかけを与えてくれず、予想以上に下へ落とされている。「ターン!ターンだ!」心のなかで叫ぶ。「このまま終われない、勝負するしかない」細くなったノドを抜け出したとき、ノーズをフォールラインに向けた。一気に加速し、風を切る音がヘルメットに振動を与える。そのまま狙っていたライダーズレフトの壁に乗り上げ、ドリフトターンをお見舞いすると、すでに登りで使い過ぎた両足の筋肉が予想以上の荷重に耐えきれずに攣った。だがもう止められないし、止まれない。スピードに乗りながら、チョッカって板の面に乗り、一度足の力を抜いて血液を流す。「よし、少し戻った。まだ踏めるか」クラックもジャガイモ畑も越えて、中腹まで粘りのカービングをつづけた。するとスピードが緩んできたころにまた右足が攣り、とうとう尻餅をついた。「ハァハァ。もう十分だろここで、十分だ」パンパンになった両足に、痛めつけられた身体に、充足を感じた。息切れしながら無線を飛ばし、無事に滑り終えたことを伝える。それから近藤と松岡は苦戦しながらも安全に降りきり、リグルーピングポイントで無事に合流。お互いの健闘を讃えあうと、充実感に浸りながら丸の沢までシュプールを伸ばしていった。あとはあの長い川原歩きをするだけ。それは足を前に出しつづければ、時間が解決してくれるだろう。

 

山と自然とのセッションに導かれた居場所

20歳を過ぎたころ、巷で流行っていたスノーボードに軽い気持ちで手を出した。スキーの感覚でサクっと滑れると思ってナメていたが、クソむずかしくて全然上手く滑れなかったのを思い出す。リフト上から浴びせられる視線ビームにプライドをズタズタにされそうな時は、「オレ、スキーヤーだから」と、心の中で逃げた。それから、乗っていたバイクと黒の革ジャンを売り飛ばし、代わりに新しいパウダーボードとマンゴーカラーのパタゴニア・トーレジャケットを手に入れた。少し上達してからはデイナデザインのザックを背負って、アトラスのスノーシューを履いて、地図を見ながら徐々に山に入りはじめた。誰とも関わりを持たず、目標もなく生きていた。だから人からなにかを教わりたいという向上心もまったくなく、僕はスノーボードガラパゴス化していった。

だが、27歳のときに転職先の同期入社で、同い歳のスキーヤー新井場隆雄と出会い、錆び付いていた歯車が動きはじめた。新井場と毎日のようにススキノで遊び、悪ふざけに飽きたら、山へ遊びに行った。そしてそのうちに、新井場が長年居候していたニセコモイワのウッドペッカーズに入り浸るようになった。ニセコ雪崩調査所所長の新谷さんが営むロッジだ。ある日、暇を持て余した新井場と僕は、札幌郊外にある定山渓天狗岳ニセワラジルンゼに行ってみることにした。前日の天気が良くなかったので、出発前に新井場と「今日は偵察だな」と言ってた。なのに、アイゼンとアックスでルンゼ内山頂直下の雪壁まで来てしまっていた。リードの新井場が一歩足を前に出したそのとき、右側岩稜壁基部あたりの雪面から横に亀裂が走り、僕は「ヤバイ!」と叫んだ。新井場は雪壁からはがされ、倒れていった。新井場を包み込んだ雪煙が狭いルンゼ内を覆い隠し、視界は見る間になくなった。ダメかと思った新井場は、お尻を血だらけにして、足首を粉砕骨折していたが、生きていた。新谷さんは、言う。「経験は必要だが、過信してはならない。状況はつねに新しい。今までの経験が役に立たないことも多い」そして、「大きなクマはとても臆病であり、人を恐れるからこそ生き抜ける」熊のほとんどが大きくなる前のやんちゃな年ごろに命を落とすことが多いのだ、と教えてくれた。要するに、人間もそうなんだ。それから数年間、冬はニセコで、夏は知床で、多くの人から自然に対する謙虚な姿勢を学んだ。

そして北海道をはなれ、月日が経ち、幸福と責任が増えた。やりたいことはたくさんあるが、あと何回自分の夢中になることにトライできるのか。本物のスノーボーダーがライディングにすべての時間と情熱を費やしてきたように、僕は山や自然に向かってその時間をかけてきた。まあ、そういう気持ちは少なからずあった。だが飽きっぽく、できるようになったらすぐに違うことをしたがる自分がいた。そして、どんないいパウダーを滑っても満足できず、マンネリや空虚感でスノーボードをつづける情熱も失いかけていた。もっと違うことがしたい。簡単に手に入るものではなく、むずかしく厳しいことを。そう、新谷さんが言う、「やるに値する」ことを見つけたい。今までやってきたことはすべて、誰かのトレースを追っていたに過ぎない。これからは自分で自由に新しいラインを描いていきたい――誰も滑ったことのない、山の斜面に。ある意味、僕にはその方向でしかスノーボードをつづけていく理由は残されていなかったのかもしれない。しかし、そのような未滑走ルートに行くにはクライミング技術が必要になる。僕にはその技術は無かった。それからの10年間を、アルパインクライミングを学ぶために費やした。そうやって、僕はようやく自分の居場所を見つけた。マウンテニアリングスノーボードという、動力も観衆の声援も必要のない自分の居場所を。

アメリカ人の心理学者ミハイ・チクセントミハイは「人は同じことを同じ水準で長期間行う事を楽しむ事は出来ない。我々は退屈か不満かを募らせ、再び楽しもうとする欲求が能力を進展させるか、その能力を用いる新たな挑戦を見出すよう自分を駆り立てる」その成長と発展へと導くことを「フロー活動」と言っている。

僕自身に置き換えると、山と自然とのセッションが僕の修行であり鍛錬。その積み重ねが、自分のライディング、クライミング、リスクマネージメントなど、色々な能力や思考を高めてくれる。これからも、さらに新たな厳しく挑戦すべき山が現れ、僕に情熱とワクワクするような新しい体験を与えつづけてくれることだろう。

本記事はDIGGIN’MAGAZINE ISSUE12 THE SESSION」からの転載です。

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