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失われた友と海洋の危機管理

モーガン・ウィリアムソン  /  読み終えるまで10分  /  サーフィン

リーフの上で炸裂するパイプラインの腹のなか、いつもどおりで佇むコール・クリステンセン。オアフ島ノースショア Photo:Ryan “Chachi” Craig

「それは何かに火を付けた」と、ビッグウェーブ・アセスメント・グループ(BWRAG)の共同創設者コール・クリステンセンは、友人のサイオン・ミロスキーが亡くなった2011年3月16日のマーベリックスでの事故について語る。「僕たちは、なんてことだ、と思った。このスポーツの限界に、最もハードに挑むサーファーのひとりが、僕たちの目前で死んでしまった」

事故が起きたカリフォルニア州ハーフムーン・ベイからクリステンセンの良き友であり、BWRAGの共同創設者であるダニーロ・コウトがハワイへ戻ったとき、何かがなされるべきだということは明らかだった。ビッグウェーブのコミュニティにおいて、この死は、最初でも最後でもない。コウトとクリステンセンにとっても、超巨大波に立ち向かって命を落とした友人は、彼がはじめてではない。「以前にも死んでしまった友だちはいた」とコールは言う。「でも、彼らが死んでしまったあとも、残念ながら安全に関しては何も変わらなかった。ダニーロがあのセッションから帰ってきて、僕たちは一緒にBWRAGをはじめた。この運動に火を付けたのはあの事故だった」

ミロスキーの死に至るまでの数年間、ビッグウェーブ界は沸点に到達しようとしていた。2009年、ASPビッグウェーブ・ツアー(現在のワールド・サーフ・リーグ)がはじまろうとしていた。巨大ウェーブのイベントが多々あり、そのコンペの数も増えつつあるなか、サーファーたちが挑戦する波の大きさのハードルも上がっていった。ビッグウェーブのコミュニティは、ジェットスキーで波を捕らえるトウインとパドルインに分断され、集団的な意識も、真のビッグウェーブサーファーなら可能なかぎりパドルする方向へと変わっていた。

「その当時、サーフィンは安全基準よりも進歩してしまっていた」とクリステンセンは話す。「みんな全身全霊で可能性を広げようとしていた。インフレーションベストなんて、誰も着ていなかった。事故が起きるかもしれないという予感はあったが、しばらくのあいだはそういう状態だった」

そして2011年、クリステンセンがノースショアに所有するオフグリッド農場に仲間たちが集まり、CPR(心肺蘇生法)の講習を開いた。「近所に住んでいる救急医が、AEDインスティチュートの代表パム・フォスターを知っていた。彼女は僕の農場まで出向き、最高のCPR講習を開いてくれた。それがことのはじまりだった。僕たちのあいだで『来年は大規模な会を開こう』という話になり、BWRAG共同創始者のリアム・ウィルモットが当時働いていたタートル・ベイのホテルのコネを利用し、そこから動きはじめた」
それが初の非公式のBWRAG会議となった。その後10年間でBWRAGは世界的な教育コースへと成長し、緊急時対応訓練を受けた世界最高レベルのビッグウェーブサーファーたちが、オーストラリア、ハワイ、カリフォルニア、ポルトガル、チリ、カナダのブリティッシュ・コロンビアなどで14回にわたって講習会を開いた。2日間で海洋の安全性をわかりやすく教えるコースだ。

「僕らはさまざまな年齢層の人たちに参加してもらうように働きかけている。このコースは必ずしも上級者やビッグウェーブサーファーのものではないことを理解してもらいたいんだ。子供たちやビーチで過ごす親たち、みんなのためのものなんだ」とクリステンセンは言う。

失われた友と海洋の危機管理

タートル・ベイで開催されたBWRAGの講習会でデモンストレーションを行うコール・クリステンセン。オアフ島ノースショア Photo : Ryan Foley

講習会はハワイで著名で、かつ尊敬されるライフガードのブライアン・ケアウラナによって運営される。彼はハワイの伝説的サーファー、バッファロー・ケアウラナの息子で、ハワイでの撮影に訪れるハリウッド映画関係者が海洋安全の専門家として頼りにするウォーターマンだ。BWRAGの主任マスター・インストラクターの彼は、軍隊の危機管理プログラムを海洋安全に適用した。

「過去10年間、彼に指導を受けられたことを光栄に思っている。海洋での危機管理がこの講習会の基盤だ。受講者にサーフスポットやビーチに潜む危険性を見つけることを教え、そこからシナリオを想定する。たとえば、君がこのサーフポイントにいたとしよう。サリーとジョーがサーフィンに行き、けがをする。サリーには意識がなく、ジョーは腕を骨折した。さて、君はどうする?」

BWRAGに参加したサーファーの多くは、海で間一髪の体験をしている。グレッグ・ロングはコルテスバンクで溺れかけ、アーロン・ゴールドはクラウドブレイクで溺水し(グレッグに助けられた)、クリステンセンも2019年にパイプラインで頭部にけがをしている。これらはそのわずか数例であり、彼らが仲間を危機的状況から助けてきた例も数え切れない。つまり危険はビッグウェーブにはつきものだ。

「受講者の多くが、どれだけ長く息を止められるようになるのか、と興奮してやって来るんだ」と、クリステンセンは参加者がBWRAGに抱く期待とその現実の違いについて語る。「僕たちは呼吸法を細かには述べない。グレッグ(ロング)がマインドフルネス呼吸法を教えるクラスはある。人は長く息を止められればより大きな波に対応できると思いがちだが、多くの参加者は受講前に想像したものとはまったく違うスキルを学んで帰っていく」

「僕たちのCPRの教え方は、簡単に理解できて楽しいんだ」とクリステンセンはつづける。「多くの受講者はジェットスキー救助についても学びたいと思っているので、意識のある場合とない場合の救助の仕方を実演し、ジェットスキーによる救助のされ方も教えている。サーフボードありとなしの両方のシナリオで。ジェットスキー救助をもっと学びたい人のための上級コースもあるけど、通常のコースでは参加者全員がジェットスキーに乗れる時間はないのが現状」

クリステンセンによれば、ライフガードのプログラム以外で、海洋安全と危機管理に重点を置いたBWRAGのような研修は他にはあまりない。それに比べて山での安全管理はすでに確立されていて、興味のある人は誰しも簡単にコースを受講できる。「ほとんどの人がライフガードの経験なんてないし、ジュニア・ガードになる機会に恵まれることもない」と彼はつづける。「僕は雪崩のコースをいくつか受けたことがある。サーフィンよりも雪崩による死者の方が多いから、山での安全対策や訓練の方が進んでるんだ」
過去10年間、リゾートを訪れるスキーヤーやスノーボーダーにとって安全対策は最重要課題となった。10年前にはヘルメットを見かけることは少なく、ちょっとダサいとみなされていたが、いまは安全装備なしに山を滑る人を目にすることの方が珍しくなっている。

サーフィンの世界は多くの理由で順応するのが遅い。第一はエゴだ。「僕がはじめて誰かがフローテーションベストを着用しているのを見たのは、オアフのアウターリーフだった。僕らは笑ったよ」と言うクリステンセン。「だって筋肉ムキムキのスーツみたいに見えたから。『おい見てみろよ、あいつはここでサーフィンするのにこんなのを着なきゃいけないのか?』ってね。でもリーシュが世に出まわりはじめたときも、同じ反応だった。いまではリーシュをつけないサーファーはいない」

失われた友と海洋の危機管理

オアフ島でシナリオ・トレーニングを行うマスター・インストラクターのグレッグ・ロングとパタゴニアのウェットスーツ開発担当のアンドリュー・レインハート。Photo: Tony Dooley

今日、認識は変化してきている。ビッグウェーブや危険をともなうサーフィン界では、ヘルメットの着用はより一般化し、同様にフローテーションベストも標準的な装備になってきている。過去20年間以上にわたって最もヘビーな波に乗ってきたクリステンセンは、昨年パイプラインでリーフに頭を強打し、意識を失った。

「僕がまだここにいられる唯一の理由は、救助してもらえたからだ。あれは酷かった」と彼は言う。「前日にかなりの波を何本か見逃していて、僕は飢えていた。デカくて、きっちりとしたパイプの波だった。大きめのセットが入りはじめて、ウォームアップのつもりでいった。別に特別な波じゃなかった。プルインしたんだけど、波に逃げられたから、チューブのなかで死ぬしかないかと覚悟した。もちろん本気で死ぬつもりじゃなかったけど」と自虐的に笑いながらクリステンセンは話す。「そしたらバーン!そのままリーフに叩きつけられた。次に覚えているのはレスキューボードの上で酸素吸入されながら、ライフガードを見上げてる自分さ」

クリステンセンが負傷したとき、付近には4台のジェットスキーがいた。彼は救命訓練(BWRAGのコースで教えられているような多くの救命スキル)を受けたサーフィン仲間やライフガードたち、そして彼が装着していたパタゴニアのフローテーションベストによって救われた。「あの海域に4台もジェットスキーがいることなんてない。僕はパイプラインにいた方が良さそうだという直感だけでワイメアから来ていたアンドリュー・ログレコ(ノースショアのライフガード)に拾われた。彼が顔を下にして浮いていた僕をひっくり返すと、僕は大きく息継ぎをしたらしい。それから(ノースショアのサーファーでパイプラインの常連の)カイ・ボーグがたまたまジミー・スチュワートとその場に居合わせて、一緒に救助を手伝ってくれた。みんな救助の訓練を受けていた連中だ。カイはアンドリューと一緒に僕を掴み、岸まで引き揚げてくれた。ライフガードが応急処置を施したあと、クイーンズ病院に直行した」とクリステンセンは言う。頭蓋骨にヒビが入っていたクリステンセンは、即座に手術を受けることになった。「まったく違う結果でもおかしくない状況だった。本当にラッキーだった」

クリステンセンは完治し、昨年4月に海へ戻ることができた。アウターリーフで大きいうねりを捕まえてはいるが、まだパイプラインには復帰していない。「おかしなことだけど、頭を打ったのは僕にとって最高のことだった。大切なものをきちんと見極める機会になったよ。いま妻と2人の幼い娘たちと毎日の生活を楽しんでいる」と彼は言う。

ノースショアに冬が近きはじめ、クリステンセンはパイプラインへの復帰と向き合っている。「もう20年以上もパイプラインと付き合ってきた。そこで失った友人もいるし、けがを負った友人も少なくない。事故から時間が経つにつれて、海にいるのがより気楽になってきた。だが妻と娘たちに、もうあんな経験をさせたくない。簡単なことはパイプでサーフィンしないことだけど、パイプなしの人生なんて考えられない。最近はパイプに戻れる気がしてる。ヘルメットとインパクトベストを着用してね。またパイプで大きなバレルに乗りたい。そのためにできるのは、ある程度状況をコントロールすること。海はダイナミックだ。海で起きることすべてをコントロールできるわけではないけど、危険を最小限に抑えることはできるはず」

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