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突き動かされる衝動

加藤 直之  /  2023年12月13日  /  読み終えるまで9分  /  スノー

加藤直之を山へ導く情熱とその本質。

Peak Pietro Seganitini (4,920m) 付近から滑降する。キルギス共和国、中央天山中部クイル―山脈。 写真:中田 寛也

幼い頃からずっとずっと、「突き動かされる」という感覚を大切にしてきた。疼きに似た恍惚にあふれた気持ちの昂ぶりの中で岩や雪、氷を纏う壁や谷で遊ばせてもらってきた。だから、「なぜ、山へ行くのか?」という問いに対して優等生的な答えは永久に出ることなく、「衝動」という以外に理由はない。その昔、「血が沸き、肉が躍る」からと表現した岳人もいたが、強いて付け足すならば、「生きている」からと答える。

東京のど真ん中で過ごした小学校時代、カブスカウトで行ったキャンプ(といってもワイルドな野宿)や徹夜で山手線全駅一周を踏破するといった日常からの逸脱を体験することが出来る行事は、コンクリートジャングルのちっぽけな少年に真新しい色を見せてくれた。そんな小学校時代から、朧げに頭の片隅にシコリのように残っていたワードがある。それは「アラスカ」だ。父親の書棚にあった植村直己や新田次郎の本に影響されたのだろうか。

まだ見ぬ未知のアラスカに憧憬を抱き、どうせアラスカに行くなら長期滞在したいと考えアラスカ大学フェアバンクス校自然環境マネジメント学部へ入学し、それ以来、見るものすべての色がガラリと変わった。

極北のアラスカでは毎日が必死。これまでの人生史上いちばん頑張ったと自負できる日々を送り、5年間を過ごした。生活に勉学に山に、身体のみならず脳みそをすべてフル回転させ何とか生き延びたと言っても過言ではない。当然、時には20代の若造に辛く淋しい日々もあり、毎晩遅くマウンテンバイクで家路を目指す時も自然と涙が溢れ嗚咽した。そんな時、ふと空を見上げるとオーロラが燦々と輝いていることもしばしばあった。

突き動かされる衝動

アラスカの氷河で何度も洗礼を受ける。写真:加藤 直之

極北の地で必死に生き延びる毎日を過ごす中で「生きる」ことと「生かされている」ことの認識の違いを理解した。この認識の理解は、その後の人生の倫理観や行動に多大な影響を与え、現在も私の羅針盤の一つとなっている。

生きるということは「主体的」に存在するということだ。しかしながら、この現代、主体的でいることは簡単な事ではない。世の中には偏った情報が錯乱しており、それらに流されず自身で考え、全体像を理解した上で、敢えてそれに抗うという作業は疲弊を伴うもので、真実を見極め主体性を持って生き抜けることが出来る強い人はどのくらいいるだろうか。太古の昔は人間ももちろん「いきもの」として強かった。変化を受け入れかつ、取捨選択できること。そういった強さは現代のアラスカや北海道の田舎で暮らす人々からも痛烈に感じる。野生の生命力とは強さであり、それは潜在的に人間が求める究極の憧れなのだと思う。それを追求するために私は山に向かっているのだと大人になって朧げに認識してきた。

アラスカから帰国後の晩春には北米大陸の分水嶺をマウンテンバイクで走破する旅に3ヶ月という月日を費やした。卒業旅行のつもりで、アラスカ時代に相棒だったマウンテンバイクで北米大陸を縦断してみたかっただけ。まさに衝動だ。ろくな情報もないまま、カナダ国境から大陸分水嶺をひたすら南下してメキシコ国境を目指すというもの。自らに課した課題はオールダートで走破すること。4,000m超の峠を何度も超え、90日かけてゴールした瞬間は終わってしまった淋しさで一杯になったことを覚えている。

生命力に話をもどすと、「強さ」とは何だろうか。山に行く、登る、滑るなどという行為全般の魅力の根源が強さにある。山におけるすべてのアクティビティは陸上競技とは異なり、冒険であるが故にフィジカルだけではなく、完全に思考が支配する。大衆化されていない冒険には主体性が欠かせない。主体的に物事を進めていく過程こそが山の魅力で、現在生業としているガイドの魅力も同様だ。そこをバックアップできる唯一のものは、これまで原動力となってきた「衝動」に他ならない。

突き動かされる衝動

マウンテンバイクで北米大陸分水嶺を行く。アメリカ、コロラド州。写真:加藤 直之

当然の成り行きで、北米より大きいヒマラヤにも憧れて6,000m峰からはじまり、7,000m峰、そして8,000m峰にも足を延ばした。これらの山旅で特に印象に残っているのは、自身の登攀や滑降の成否ではなく、そこに至るまでの自身の道のりと、現地で見上げた巨大な山々、そこで触れ合った人びと、幼いポーター、キッチンボーイ、そして周りにいた屈強なシェルパなど。多大な洗礼を受け、そして人生観に新しい色を付け加えてもらった。

その後、ふたたび北米の修行僧のような山旅に原点回帰して、10年ほど前に2年続けて遠征したカナダのマウント・クレマンソー北壁への山行は超リモートで愚直なまでにフェアなやり方を貫き、泥臭い山旅の極限だった。初年度は壁を一瞥しただけの苦行の一ヶ月。グリズリーの恐怖に怯え、氷河湖に薄氷を踏み抜いて落ちたり、超ド級のアバランチパスで死にかけた。2年目は違う方角からカヤックでのアプローチを試みるも、カヤック経験などない自分にとって当然苦行。それでも3人で力を合わせ、北壁の上部まで達して60度を超す斜面を滑り降りて生還したことはプライスレスな経験だったし、控えめに言ってもボリューム満点だ。

近年は晩秋になると、アメリカ・ユタ州のだれもいない砂漠での開拓クライミングに没頭している。パタゴニア・アンバサダー仲間の横山ジャンボ勝丘とかれこれ4年も通っているがまったく情熱が尽きることは無い。それはこの手のクライミングをスノーボード同様、単なるスポーツやゲームとして捉えておらず、未知への冒険と感じているからだ。同じ感性を共感できる仲間とのひと時ほど楽しく贅沢な時間はない。

思えば、幼少期に非日常だった色の数々は今や日常になったが、ワクワク感はいまだ継続している。そういうと突き抜けたロマンチストのようなイメージかもしれないが、現実は好きな事をやっているだけの自由人だ。

突き動かされる衝動

アメリカ・ユタ州での開拓初登する。Scorpion Death Rock 35m 11+ 写真:佐藤 正純

新型コロナウイルス感染症が拡大する前、中央アジアというワードに惹かれて訪れたキルギス共和国はほぼ未開の宝石箱で、パンドラの箱を開けてしまったようだった。点在する大きな街は都会だが、その山並みはすばらしく広大でリモート。情報もほぼなく文明からかけ離れた静かな山旅が楽しめる桃源郷だった。今春にも再訪し、情報の非常に乏しい中、オンサイトで五感をフル活用させて前進するような感覚を思い起こさせてくれるキルギスには、しばらく通うことになりそうだ。

冬の棲み処である北海道の山奥もしかり、どうも極北に対する憧れは一生やまないのだろう。今年の春に訪れたノルウェーの離島スバルバード諸島では、極地ならではのヒトと野生生物の共存と自然資源の利用を考えさせられた。ホッキョクグマの生態系を学び、ライフルを担ぎ氷河へ上がり、複雑な気持ちで板を走らせたものだ。

突き動かされる衝動

キルギス共和国・クイル―山脈ABC付近(4,500m)を滑る。 写真:中田 寛也

日本国内においても飽くなき情熱はあり続けている。現在、無雪期の棲み処である山梨県北杜市では、昨年春に長年見つめていた甲斐駒ケ岳黄連谷右俣を「衝動」に駆られて滑り降りた。タイミングと衝動が合致したときがやり時だ。厳冬期には近くて遠い裏庭の急なシュートを初滑降したり、初秋には道北の未踏の大滝を遡行しようと試みたり、脳内TO DO LISTには多くの課題が「ささやかな夢」として記されている。そのどれもが伝達への希求という要素は薄く、他者と共有したいという強い気持ちはない。体験が特殊で感動が大きく質の高い場合は、心の部屋に隠しておくことが難しいから岳人は文章を書くと言った人もいるが、かつては死病の床で自らの手によって自身の山行記録を記したノートを焼き捨て、記録をあまねく抹消したクライマーもいる。さすがにそこまでの必要はないと思うが、湧き出る「衝動」に突き動かされた山行は、人から注目を浴びたいとか、優越したいといった他人指向型の発想でなく、未知への冒険と人間の限界に挑みたいというもっと内面的なものだ。アルピニズムに置き換えれば、もともと行為の無償性こそが美徳なのだと思っている。

突き動かされる衝動

果たして労力対効果は如何に? 写真:中田 寛也

自分にとって大切なことは、いままでもこれからも、「何をした」のではなく、「どのようにしたのか」ということだ。「何」とは結果でしかなく、「どのように」とは中身やプロセスに重きがおかれる。最良の結果に最短距離で辿り着くために何をしても許されるということはない。山という舞台において、自身でルールを決め、自身とフェアに向き合っていくことがプライドとなる。それは、これまでのすべての山旅を通して学び、染められ、調和されていく中で完成した思考だ。点がすべて繋がって線となり複雑な色を醸し出して現在に至る。そして、これからもマイナーチェンジを繰り返し継続していくものなのだ。

衝動に嘘や邪念はない。自身の胸の奥のマグマから生み出されるそれは強いモチベーションであり情熱だ。それこそが真実であり、本質だと考えている。いや、むしろそこにしか真実はないのかもしれない。夢か現かまだ見ぬ色を探して旅は続く。

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とある北大雪の裏庭にて。 写真:中田 寛也

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