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新生の海

ローレン・L・ヒル  /  読み終えるまで13分  /  サーフィン

母性と意味のある遊びの探求

著者ローレンL.ヒルと成長中の息子ミノウは、かけがえのない瞬間を楽しむ。写真:Ted Grambeau

6ヶ月ぶりに波をとらえた。幼少期以来、これほど長く海に入らなかったのは初めてのことだった。息子を出産して2ヶ月が経過し、晴れた春の日だった。地元ビーチのポイントブレイクで小さな波が砕け、私はやっと運動が出来るようになった。パドルアウトすると、体重が増えたせいか、よく知っているはずの自分の身体が知らない沈み方をする。サーフィン歴20年にして、私は浸けては引くパドリングの漕ぎ方を両腕に思い出させながら、バランスの確認とブレを修正をする状態に戻った。

うれしくてたまらないと同時に、自分が歯がゆく、そしてなぜ多くの人は出産後にサーフィンを止めてしまうのか、その理由を思い知らされた。今の私はパドリングに無駄があるし、こわばったハムストリングスのせいで、ポップアップが難しい。かつてこの辺りでは強く、腕が良いと自負していたことを嘆いた。これではまるで牧場にいる牛のようだ。

それでも柔らかい波を肌に感じ、太陽と水の相互作用に、私は涙を流している。次の波を待ちながら、息切れと高揚というサーフィンの美しいパラドックスで満たされる。深く息を吸い込むと、胸がいっぱいになり、やがて母乳が滴り落ちる。それは体内の疼きであり、未熟児だった息子をまるまるとした赤ん坊に変えた魔法の煎じ薬である。息子が生まれた瞬間から、私は四六時中、乳飲み子とのこうした無言のコミュニケーションに支配されている。もうあの子のところへ戻らなければ。

新生の海

至福に浸りトリムする。写真:Beatriz Ryder

自分が子育てに向いているのかどうか、確信は持てなかった。むしろ、向いていないという確信の方が強かったと思う。妊娠するまでは20代にありがちな、自己中心的に生きていたし、職業欄に「サーフィン狂」と書かれていれば、なおさらだ。

私は片親のひとりっ子だ。静けさを愛し、スケジュールを嫌い、毎日何時間も海にいることを好んだ。そして、親になることが当然の選択とは考えていなかった。ただでさえ人口は増えすぎている。食べ物を与え、服を着せ、養う人間をわざわざ増やし、地球をさらに圧迫しようとは、とんでもなく偽善的な環境主義者ではないか、と自問していた。

「出産は病院でするもの」というアメリカ式教育に刷り込まれたイメージから脱するには時間が必要だった。アメリカは先進国の中で妊産婦死亡率が最も高い国だ。妊娠関連の原因によって死亡するリスクは、肌の色が黒または褐色の人々では2~3倍高い。私は妊娠した時、妊娠・出産を身体の自然なプロセスとして捉えなおす努力が必要だった。そんな折、とても参考になったのが、アイナ・メイ・ガスキン著『Spiritual Midwifery』(スピリチュアル助産術)、映画『ビーイング・ボーン 驚異のアメリカ出産ビジネス』、ナオミ・ウルフ著『Misconceptions』(誤解)だ。

それでも、不安は多かったし、たくさんの疑問もあった。ランダムに挙げると「母親業とプロサーファー兼ライターとしての人生は両立するのか」「スポンサーを失わないか」「クリエイティブな活動の時間はあるだろうか」「出産の強烈な痛さで死んだり、いや死にたくなったりしないか」さらには「子供を産み育てることを、もしくは生まなかったことを、かえって後悔することにならないか」等々。

すでにお分かりだと思うが、当時の私の感覚では「母親になる」ということは、喪失と犠牲が前提にあり、自由と冒険の鍵を手放すことだった。私の考える母性とは殉教を意味した。何をあきらめるかは想像できても、親になるという未完成の贈り物の大きさを理解する想像力は欠けていた。

新生の海

ローレンとパートナーのデイヴ・ラストヴィッチ、そして息子のミノウは、砂浜での暇つぶしにおもしろそうな裂け目はないかと岩場に目を凝らす。写真:Ted Grambeau

20代も終わりに近づくにつれて、私の頑固な「○○主義」はボヤけてきた。今の私の視力みたい。ひしひしと迫る環境上の課題やそのシステムが果たす根本的な役割について、より多面的な理解を育むようになっていた。例えば、環境危機を人口増加のせいだけにしていては、社会の構造的な不平等や、私達のような特権市民の存在によって増幅する資源の不均等な配分や誤用を見過ごすことになる。

強くて頼りがいのある愛すべきパートナー(彼は献身的な真の平等主義者であり、オムツの交換や深夜の子守も分担してくれる)がそばにいることで、私は自分のバイオリズムのペースが次第に変わるのを感じた。あまり旅行に行きたいと思わなくなり、もっとガーデニングをしたい、引っ越したオーストラリアのニューサウスウェールズ州北部の波や地域社会と、もっと関係を育みたいと思うようになった。

約8ヶ月後、私は妊娠した。それは生涯で一番暑いオーストラリアの夏だった。船酔いはするし、汗っかきになったが、でもワクワクしていた。妊娠初期には、一日中吐き気があったが、少しサーフィンをした。セレーナ・ウィリアムスが妊娠初期にグランドスラムを制覇したのなら、私だって無事に切り抜けられるはず。そうじゃない?睡眠出産の講習会に参加し、気分が上がるひまわりの香りに包まれて自宅出産をするために準備を整えた。「私達の身体は、人間を創造し、出産するこのミステリアスな奇跡を起こすようにできているのです」なるほど納得。

でも、私はそんなふうに創られていなかった。

前置胎盤という胎盤が産道を塞ぐめずらしい状態にあり、このままだと帝王切開で出産するしかない。普通なら前置胎盤は自然になおることが多いが、私の場合はそうではなかった。だから、出産予定日を迎えるまで、あるいは胎児が出血で不安定にでもならないかぎり、数ヶ月間ベッドで安静にしていなければならなかった。

妊娠の残り4ヶ月間は、ひたすら心と体の平穏、まるで禅の瞑想だった。ドライブも、大笑いも、陣痛を誘発する恐れがあった。分裂を繰り返す細胞の奇跡を前にして、私という人間の弱い心は何の役にも立たないという事実と対峙しながら、ずるずると時間が過ぎていった。どうすることもできない。私はただ体内に存在する不快・痛み・不安にどう対処するかを選ぶだけだった。

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オーストラリアのキング島で、母と息子だけの1日キャンプ。写真:Ted Grambeau

私には人生で培ってきた身体的な対処法があったが、鍛錬を重ねたそれらの手段を奪われた。サーフィン、スイミング、ヨガはもちろん、今回は自宅の敷地を越えるウォーキングすら許されない。睡眠、痛み、不快、不屈の精神などさまざまな面で、私はこれまでの許容範囲を広げなければならなかった。

妊娠がもたらす多くの不安と真っ向から対峙することになった。原因不明の出血、胎児心拍数モニターの血圧急上昇のアラームを聞きながら病院で過ごす長い夜、ついには緊急の帝王切開。そして未熟児の息子が標準サイズに成長するまでいっしょに閉じ込められた特別治療室での3週間。

もし人類史の別の時代に妊娠していたら、あるいは現代であっても、先進国以外の世界のどこかで出産していたら、私たちが生きのびられたかどうか分からない。オーストラリアでは質の高い医療を無償で受けられる。そのような特権のおかげで、はじめて親になったうえに借金の負担まで課せられるということはなかった。一時は恐れ、忌み嫌った外科的出産が自分に必要であることが分かるまでに、さすがの私も不安の種が出尽くしてしまい、ただただ自分の健康と息子の健康に深く感謝するだけだった。

赤ん坊と自分の命を守るという、たった1つの目標に比べたら、体や仕事の変化に関するかつての薄っぺらな不安など大したことではなかった。心身が安定し無事に帰宅した時、日用品を買いそろえる、ただそれだけのことで、かつて遠い波をつかまえていた時のように、私は満ち足りていた。

座って横になり、赤ん坊を見つめて、授乳して、数か月が過ぎていった。(ちなみに1年間授乳すると、母親は約1,800時間を費やした計算になる。これに対し、週40時間労働で有給がある常勤社員の労働時間は年間約1,960時間。)私は太ったし、ほかの意味でも、うまく言えないが、自分が大きくなったように感じた。

私たちの家族は、運と特権の両方に恵まれていた。しかるべき時まで仕事に復帰しなくてすむように私たちは準備をしていた。授乳が2年目に突入し、ほぼ定期的に仕事を再開しはじめた頃、再び別物のような自分の身体に遭遇するようになった。最初は、睡眠不足からくる異次元の疲労、もやもや感、激怒、狂喜に引き込まれた。睡眠が徐々に規則性を取り戻すにつれて、妊娠や母性によって自分がどう変わっていくかを喜べるようになった。

確かに、私はスポンサーを失った。それにもう決して以前の身体には戻れない。私の何をもってしてもそれは不可能だ。化学的にも生理的にも別人になったから、物事の感じ方も以前とは違う。そして意外にもその人は、安定感と集中力の強化された別バージョンの私だった。

新生の海

青く澄みわたる春の朝に満面の笑み。オーストラリア。写真:Nathan Oldfield

新旧の科学的研究によると、母になるこのプロセスは「マトレセンス」と呼ばれ、成長過程における思春期に似ているらしい。妊娠がもたらす驚くべき変化の1つが、脳構造の重要な変化で、それは人との関わり方や、「他者の心の中で起きていること」のとらえ方に影響を及ぼすと科学誌『Scientific American』は報告している。多くの女性にとって、母親になると、一人称単数形の「私」から、一人称複数形の「私たち」への変化であり、その思いは家族だけでなく、地球全体をも包み込む。

友人のサーファー、ベリンダ・バグズにこの考えについてインタビューをした。彼女は母親になったことで、環境活動に参加するようになったと言う。「私はね、母親になって、生きとし生けるものに対して、深いレベルでの共感や意識が芽生えたの。息子によって、私は自分が死んだ後の地球の健康について考える力が開眼したの。今日の私たちの行動が、結果的に地球の土、空気、水、あらゆる生命に影響を与える。母親として、自分の息子が安全で幸せで健康であることを保証する以上に重要な仕事はないと分かったの」

先ほど私は母親になることを殉教だと言ったが、実際に経験してみると、それは異なる物だった。自分自身のためのクリエイティブな活動や遊びの時間(たとえそれがトイレというプライベートな時間であったとしても)を確保することは、家族により多くの物を与えることを意味する。このような時間を作ることができるのは、私の特権であることはいうまでもない。私はシングルマザーのもとで育ち、母は生計を立てるために複数の仕事を掛け持ちしていた。今になってやっと、そのことが彼女の幸せのために何を意味していたのか、より深く理解できる。育児は、決して1人でするものではなく、協働の芸術である。親が子を育て、そして自らも育つためには、親へのケアも必要だ。そのためには、地域コミュニティのあらゆる手と心を動員する必要がある。

支えてもらうことで、私は自分で決めた限界ラインを押し広げたいと思うようになった。海に行った時、母としての経験が、私に自分の限界についての疑問を抱かせた。制約を省いてよりクリエイティブにラインを描き直したくなったのだ。もっと深くテイクオフし、乗る波を増やし、より迅速に動く。これまでいつも自分はロングボードに向いていると思っていたが、リスク回避型のサーフィンライフに閉じこもっていたのではないかと、ふと思った。私は落下しないためのサーフィンをしていた。これからは、それじゃダメだ。そこでミッドレングスのボードを試しはじめたところ、そのスピード感や鋭敏さはゆっくりとした動きよりも魅力的で、丸太に乗るみたいに繊細であると分かった。気が付けば、以前は乗ることをためらうような波を探していた。私は自分をごまかさない。ここはハワイのペアヒではない。私の乳房は決してペイジ・アームズのそれではない。けれど、私個人の限界は間違いなく超えたのだ。

色々あった妊娠期間中、自分の内なる海に平穏の空間を作らなければならなかった。大きなうねりに飛び込んで、砂の中に指をうずめ、泡立つ激流の下で、影響を受けない一筋の水面の下にホッと身を任せるみたいに。

そこで見えてきたのは、不安が募る中でも自身の内なる海を鎮める能力、つまり必然性だった。不安と向き合うことで、その正しい場所への収め方が(少なくとも多少は)分かり、リスクを取ることが、それほど嫌でもない、むしろより楽しいものになった。

やがて、以前よりも身体的に安定し、より丈夫になり、回復力も増したようだった(むろん最初はそうではなく、努力が必要だったが)。そんなふうに身体を強くし、尖った刃や弾丸を避けることで反射神経を磨くことはすべて、一種の筋力トレーニングである。実際の筋トレも、実はそれまでやったことがなかったが効果的だった。確かに私の体は変わった。でもたぶん、それは進化だ。そう思える方が、人はもっと多くのことができる。

最初の1年が過ぎようとする頃から、赤ちゃん騒動ですっかりご無沙汰していた地元コミュニティに復活し、貢献したいと強く思うようになった。スポンサーのいない(フリーランスの)ライター兼サーファーという新たな立場にあまり自信が持てない以上、クリエイティブな活躍の場を広げたかった。そうした願いは必ずしも新しいものではなかったが、目的や途中経過は間違いなく新しかった。子育てによって私の時間管理術はチェスの名人並みになり、ついに長いこと構想していたポッドキャストの開設や本の執筆に取り掛かった。どちらもお昼寝の時間に温めたものだ。

何より、海との関係に新たな感謝の念を抱いた。新しい深い愛情が人生を照らすようになり、海や生命の世界が、陸では十分に満たされなかった私の多くの欲求を、長い間どんなふうに満たしてきたかが、よりはっきりと見えるようになった。海は、ずっと私の母親だったのだ。

新生の海

「息子が生まれた瞬間から、私は四六時中、乳飲み子とのこうした無言のコミュニケーションに支配されている。もうあの子のところへ戻らなければ。」写真:Ted Grambeau

戻って波を待っていると、プレッシャーが増してくる。もう乗るべきだとは分かっている。でもまだその時じゃない。もう1つだけ見送ろう(あるいはその次か、もう1つ次)。私は波を待っているほかの2人のサーファーを横目でこっそりうかがった。セットの波が来て、ふたりとも沖へ向けて滑べりだす。私は即座にウェットスーツを引きずり下ろし、前かがみになって、自家製ミルクを海面に放出し、少しプレッシャーから解放された。自分の体から、その奇妙で不思議な水鉄砲の水流が噴出し、海水に混じるのを見つめた。さあこれで(楽になったし)もう1セットか、2セットはいける。

我ながら笑ってしまうが、ふと、子育てがいかに複雑なものなのか、はっきりと垣間見ることができた。出産は、あらゆる方向に柔軟性を高めるためのウォーミングアップにすぎない。親になると、想像もしなかったようなことをやるようになる。時には、人前で恥をかくようなことを、私たちは喜んで幸せそうにやってしまう。例えば、波をもう1つ見送って、リスクを冒して搾乳を決断するように。

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