任務が同調になるとき
ツンドラ全体に響き渡る音――1発の弾丸ですべてが終わり、カリブーは倒れた。ある晩夏の涼しい朝、ニーツアイ・グウィッチンの先祖の土地で、私は友人で伝統的なハンターのグレゴリー・ギルバートのカリブーの狩猟に同行した(グレゴリーはその後、逝去)。私たちが動物に近寄ると、グレゴリーはグウィッチンの言葉で祈りを捧げた。「Mahsi’ k’eegwaadhat gwinzii neechy’aareehee’aa(神よ、ありがとう。おかげで僕らは良い食事ができる)」 私は柔らかなツンドラに跪き、グレゴリーがその場でカリブーを優雅にさばくのを見た。この象徴的な関係を自分の目で捉えるために、カメラは伏せて。この瞬間が私の任務よりも偉大なものであることは分かった。私はグウィッチンにとって何が脅かされているのかを肌で感じた。
2018年の夏、私はグウィッチン主導による9,000人のグウィッチン族の声をまとめる組織〈グウィッチン・ステアリング・コミッティー〉と共同でおこなう写真のプロジェクトに招待された。この組織はポーキュパイン・カリブー群、食料安全保障、グウィッチンの神聖な土地のために声高に提唱する団体だ。グウィッチン族はポーキュパイン・カリブー群の移動ルートに沿ってつくられた北極圏中の15の村に住む。
グウィッチン族は、彼らにとって「Iizhik Gwats’an Gwandaii Goodlit(生命がはじまる神聖な場所)」として知られる北極圏国立野生生物保護区の海岸平野を守るため、何十年も闘ってきた。旧トランプ政権はこの場所における石油とガス掘削リースの売却と開発を早期認可するための積極的な手段を講じてきた。神聖な土地における資源採掘は取りかえしのつかないことであり、主権国家の許可なしにそれをすることは人権の侵害である。土地への危害はグウィッチンへ族への危害だ。自然は彼らの食料品店であり、薬箱であり、師、そして癒しでもある。カリブー、ムース、魚、ベリーのような伝統的な食物は、冷凍野菜が20ドルもする地方においては不可欠な食料源だ。ギルバートがカリブーを準備するのを目にしたことで、グウィッチンの土地や動物との神聖なつながりを垣間見ることができ、すべての生命がそれに値する尊敬と尊厳をもって扱われるために闘うことへの、純粋な同調者となった。
〈グウィッチン・ステアリング・コミッティー〉の事務局長バーナデット・デミエンティフが、グウィッチンであることの意味についての彼女の考えと、どうすれば同調者になれるのかについての助言をくれた。
「これまで多くの写真家やジャーナリスト、支援者たちが、私たちのストーリーを伝える手助けをしようとやって来ました。彼らはここに来て、必要なものを持ち帰ったあとは、2度と連絡をしてきません。真の同調者なら、広い心と学ぶ志をもって私たちの故郷を訪れるべきです。私たちとつながりをもつための十分な時間を取り、カリブーだけでなく、土地や動物に対する私たちの精神的かつ文化的な関連性を真に理解する。この土地で私たちの家族と過ごし、生活様式を学ぶために十分な時間を取るべきです。声を奪われ、忘れ去られた人びとのストーリーを語るために、創造主が与えてくれた才能を利用してください。そして何度もここへ戻って来てください」
これらの写真が撮影されたのは、ニーツァイ・グウィッチン・グウィッチャア・グウィッチンとアラスカのローワー・タナナ・デネ・ピープルの略奪されなかった土地。
グウィッチンの土地擁護者であるジョディ・ポッツは、食料安全保障と神聖な土地を守ることの重要性を示す彼らの努力について、なぜよそ者の私を同調者として受け入れたのかを説明してくれた。私は彼女の許可のもと、彼女の考えを記す。このプロジェクトを正当化するためにではなく、よそ者としての意図、尊敬、協働の重要性を示すためだ。
「私の人生において数々のジャーナリスト、撮影クルー、組織、そして『同調者』たちと取り組んできましたが、あなたが私の子供と私をカリブーの狩猟で追ったときほど肯定的な経験はありませんでした」と彼女は言う。「あなたは鋭い観察力、いたわりと尊敬、そして尊厳を抱きながら耳を貸し、私たちを追ったからです。すべてがおしつけがましくなく、一部だけを抽出することなく」
デミエンティエフとポッツはジャーナリストと地元地域の信頼関係を築くことの重要性にも言及した。先住民の土地で仕事をする写真家は、先住民の声と経験を拡声する必要がある。そのような人は自身や出版社の意図ではなく、地元地域にまつわる仕事だけをすべきだ。先住民族の写真を撮る前に、そしてその写真が出版される前に、つねに許可を乞うべきである。もし地元地域と対話せず、仕事がその地域の助言によってなされたものでなければ、同調者とは呼べない。
グレゴリー・ギルバートとの狩猟場所までの晩夏の2時間のドライブは、軽い雨とグレゴリーとレイモンド・トリットのグウィッチン語の会話のなか、素早く過ぎていった。私は彼らの後ろに座り、複雑ながらも美しいグウィッチン語を聞きながら、この険しい景観が生み出す力に驚嘆し、そこにいられることの特権を深く感じた。
カナダのノースウエスト準州にある冬の出産地への1,800キロの移動ルートのどこでカリブーと交差できるか、グレゴリーは正確に知っていた。彼はこの土地で、力強い伝統的なグウィッチンの家族とともに成長し、自分の子供と孫も同じように育ててきた。その日の狩猟場に到達すると、グレゴリーは銃弾を詰めながら双眼鏡を手渡し、山を指差した。最初、私には紅葉のなかにある静けさだけしか目に入らなかった。それから、土地が動いているのに気づいた。何百頭ものポーキュパイン・カリブーが私たちに向かって移動していた。
その夜私たちが3頭のカリブーを持って村に戻ると、グレゴリーの娘のジュウェルス・ギルバート、パートナーのブレナン・ファース、そして地元のその他のメンバーがムース狩りからの獲物を持って戻っていた。翌日、先住民族のメンバーたちはカリブーとムースを解体した。長老たちは若い世代に異なる部位の適切な切り方と、貯蔵準備をするための知識を伝授した。誰もが高揚し、物語を分かち合い、笑い、火を囲んで調理された新鮮なカリブーとムースのスープを食した。
私は毎年数回、グウィッチンの人びとに会いつづけている。議会指導者のオフィスでのロビー活動やテキサスの〈SAExploration〉本部に10万件のコメントを届け、北極圏で掘削する計画を諦めるよう促すため、またはたんにイベントや結婚式に参加し、釣りキャンプを訪れるために。先住民族はまるで私の家族のようで、彼らはよく、いつアラスカに引っ越して来るのかと尋ねる。私は「保温性のビーチサンダルが発明されたら。年中それを履けるようになったらね」とジョークを飛ばす。
この経験は私を変えただけでなく、私の仕事のやり方をも変えた。私はカリフォルニアで地元の先住民の女性グループを探し、月々のトーキング・サークルに聴衆として参加し、必要とされるときは手を差し伸べる。私はコミュニティの必要性に動かされ、人びとに恩恵をもたらす協働の方法で仕事に取り組む。暴力的な植民地時代の歴史と、いまも彼らの土地全体で継続する先住民族への不正義、暴力、人種差別を理解するために、私は先住民の真の歴史について自分を教育しつづける。そして私はもはやカメラを置くことを恐れない――まず人間であるために。