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記憶が導いた未来

岩井 光子  /  読み終えるまで11分  /  Worn Wear

はじける笑顔が今の満ち足りた田舎暮らしを物語る。エメラルドグリーンの海を求めて大阪から徳島の南端・海陽町に単身移住し、現在は農業を軸に家族5人で暮らす田中 美子(よしこ)さん。より自分にしっくりきたのはアパレル企業の店員よりも体を動かし、汗を流すスポーツや畑仕事だった。流行に翻弄されない確かな暮らしをつかんだ美子さんは、服もキズこそオリジナルの証だと思っていた自分の感性に自信を持つようになる。少女時代の記憶に導かれるように、しなやかに自分らしさを貫いてきた。

挫折を救ってくれた海

海陽町日比原地区。自宅前に清らかな宍喰川が流れ、美しい海も山も車で数分の距離にある。「今日は海行こっか」、友人家族と公園感覚で海に繰り出すこともあれば、川で遊ぶことも。トレイルランニングを愛する美子さんは、中学生の長男と連れ立って山に走りに行くこともある。
「大阪におる時は、今日は雨だとか、月がきれいとか、そんなことあんまり思わなかったけど、こっちではそろそろ大潮やな、月がきれい、朝日がきれいとか、毎日感じることがいっぱいあります」

記憶が導いた未来

「さぁ、海行く?山行く?」

大阪から海陽町に移り住んで21年。大自然の中で米とハーブを育て、大好きな海と山でスポーツも楽しむ。テンポの良い大阪弁でチャーミングな笑顔を振りまき、自らも太陽のように明るい美子さん。自分の感性に素直に、いつも真摯に生きてきた。

時には失敗もあった。短大卒業後、憧れていたアパレル企業で働き始めたが、ここで美子さんは初めて人が怖くなってしまう体験をする。ファッション業界は基本、春夏・秋冬と年2回新作が入り、社員はシーズンごとのトレンドを売り込まなければならないのだが、美子さんはこの商習慣にどうしてもなじめなかった。
「新しいのを先々買わないといけない。なんでこんなに買わなあかんのやろ。私の立場では思ってはいけないことだったのかもしれないけれど」
わだかまりが大きくなるにつれ、しんどさは増していった。接客もうまくこなせなくなってしまい、美子さんは自分がアパレル店員に向いていないことに気づく。仕事を辞め、人と対面せずに済むテレフォンアポインターになった。

自信を失いかけていた当時の美子さんを救ったのは、意外にもスポーツだった。職場のあるビルの上階に併設されていたジムで、トレーナーに声をかけられた。「君、ちょっと走ってみぃへんか?」。赤穂市で開かれるショートトライアスロンに出てみないかという誘いだった。走ることは好きだったが、学生時代のテニス部も補欠だったし、特にスポーツが得意という意識もなかった。しかも、美子さんは泳げなかった。
「『はい』って答えた以上、とにかく泳ぎを一から教えてもらって、水泳中心のプログラムでトレーニングを始めました。約3カ月間、練習に没頭して、ペース配分とかも全然わかんないまんま、とにかくがむしゃらにがんばってみようと思って大会に出ました。結果はなんと2位。すご!と思って(笑)。なんでもトライしてみることが大事やなって」
結果も出せたが、練習で汗を流すと、疲労より爽快感が勝った。「自分はもしかしたらスポーツが合ってるんやないか?」。流した汗は生きる活力につながっていった。

その後、テレアポの仕事に区切りをつけ、スポーツクラブに転職した。今度は同僚たちとバーベキューがてら出かけた伊勢の海との出合いが、美子さんに衝撃を与える。サーファーだった同僚に勧められるがままボディボードに乗ってみると、瞬時に海の虜になってしまった。
「ふわふわ、ぷかぷか海に漂う感覚がもうすっごい気持ち良いし、水面も砂もキラキラして見えて、なんかすべてに感動しました。これやぁ!って」
感動が収まらないうちに中古車を買い、一人で海に行ける準備を万端にした。休日は決まって海で過ごす日々が始まった。伊勢の他に、四国や日本海側へも足を延ばした。週末に海で心をリセットする習慣がついた美子さんは、前向きな自分を取り戻していく。海に触れると、週明けから仕事に立ち向かう気力が充填された。

記憶が導いた未来

海をバックに。家族5人で

そんな時、勤めていたスポーツクラブが閉鎖することになり、美子さんはもっと海のそばにいたいという思いを抑えられなくなる。候補はエメラルドグリーンの水面に魅せられた四国。四万十町か海陽町かで悩み、実家のある大阪に近い海陽町を選んだ。

目をかけ、愛情を注ぐ

移住先でパタゴニアのサーフィン・アンバサダーを務める田中 宗豊さんとの出会いがあり、結婚。利宗くん、孝宗くん、美舟ちゃんと3人の子どもが生まれた。宗豊さんもサーファー兼お百姓さんを名乗るようになり、農業を軸とする家族の暮らしは、自然と共にある。いや、「自然に生かされている」。美子さんはそう表現する。

宍喰地区では地域の人たちが朝、上ってくる太陽に手を合わせる姿をよく見かけるという。「その気持ちを忘れたらあかんな」、美子さんはこの習慣に心を打たれ、早朝裏山を走りに行く時は真似するようになった。
「朝ランが一番好きなんですよ。すっごく気持ち良くて。今日一日始まるぞーって、太陽に手を合わせて『今日もよろしくお願いします。ありがとう!』と感謝します。太陽があるから元気にいられて、植物も育って、それはもう毎日思います」

最近では長男の利宗くんと一緒に山を走るようになった。登山者とすれ違う時は必ずスピードダウンして歩いて、あいさつして、その人たちが通り過ぎたら、また走り出す。山道に枝が落ちていて人の足にかかりそうだったら横によけてあげる。山に入った時のマナーを利宗くんに伝える機会にもなっている。

記憶が導いた未来

裏山を走りに。

美子さんは、この裏山は土の感触が違うと話す。
「道路を走ると足にガッと負担がくるねんけど、この山は土がふかふかなんです。うわ、これなんやって。トレイルにハマる人の気持ちがわかるなと思いました。やっぱり針葉樹の山に入ると、砂がさらっさらなんですよ。もう滑って滑って。広葉樹の山やったら土が雨水を吸収してスポンジの役割も果たすけど、日本の山は針葉樹が多すぎる。サラサラの砂が鉄砲水と一緒に川に流れ込むから、今、ユンボで川の砂を除去する工事をあちこちでやっています。山が元気にならんと、怖いことが起きるんちゃうかなぁ。山に入って感じることは多いですね。トレイルと自然も密接な関係があるんやなと気づきました」

畑で植物の強さを感じたこともある。セイタカアワダチソウが一面に生えていた耕作放棄地をまかされて宗豊さんと開墾し、ホーリーバジルの苗を植えた。ミントに似たスーッとした清涼感があり、タイ料理のガパオライスなどに使われるハーブだ。初収穫となる2014年、収穫間近の8月2日に徳島県南部を襲った歴史的な集中豪雨の洪水により、宍喰地区も床上浸水となる被害に見舞われた。
「紫のかわいい花が咲いて、きれいやなぁと思っていたら急に大雨が降り出して、洪水が起こり、全滅やと思ったんですけど、ホーリーバジルは水に浸かると種にイクラみたいなゲル状の膜を張る性質があるんです。その生命力の強さを見て『うわぁ、この植物すごいなあ』と思って、作り続けることに決めました。香りも良いし、触っていてすごく心も癒される」

家族のお米も、手間はかかるが除草剤を使わずに作っている。野菜も無農薬だ。乳児の頃の利宗くんに食物アレルギーが発覚したことがきっかけだった。自然農やパーマカルチャー、本を読んでは気になった方法を片っ端から試してみたこともあったが、今は美子さん曰く、“美子ちゃん流”に落ち着いている。
「最終的にはあんまり神経質になったらあかんと(笑)。虫が食べたいくらいおいしいんやなぁと。別に家族で食べるんやったら、ちょっとくらいかじられてようが、ブサイクな形でもいいやって。今は土を作るくらいです。腐葉土入れたり、米ぬかやEM菌入れたぼかし肥料を使っていたら土質が変わってきて、始めは石ころが多かったんですが、ふかふかになりましたね」

記憶が導いた未来

「子どもが『あ、おいしそう』と思っても農薬かかってたら、それは洗わなあかんよとなるけど、そのままヒュッて摘んで食べられるようにしたいなぁと思って。それが実現した畑になってる感じですね」

知識や技術よりも、毎日目をかけ、愛情を注ぐことの方が大切な気もしている。それは、農業に限らず、子育てもそうなのかもしれない。
「稲も野菜も子どものように思うんですよね、毎日見ていると。子どもみたいにかわいく思えてくる。雨が強まったら大丈夫かなって様子見に行きますし、台風はドキドキしますが、去ったら一番に畑を見に行きます。子どもたちもおんなじで、忙しくてかまってられへんこともあるけど、いつもどれだけ気持ちが向いているかとか、見守っているかとか、そういうのが大切やなぁって思うんです」

そんな美子さんは、服もおんなじ目線で見ている。多くの人が“なんとなく”買っていくトレンドの服になぜ違和感を感じたのか、衣食住すべてがつながった今ならよくわかる。
「私、服を買う時はすっごくよく考えるんです。機能性とか、長く着られるかとか、めっちゃ考えて、家の引き出しの中とかも思い浮かべて、あれに合うかなとか。それで、ブレない気持ちを確かめてから買ったら、10年以上は絶対着ます。ちょっとボロボロになってきても修理しながら大事に着ます」

例えば、赤いエンデュランスパックと緑のレインシャドー・ジャケットは、宗豊さんがプロサーファーとして世界を飛び回っていた頃、冬はハワイのノースショアにいる宗豊さんに会いがてら、ホノルルマラソンに初出場した時に買った記念の品だ。
「買って15年くらい経つかな。自転車に乗る時にも良いと思ったし、あと色が好き。家族で共有していて、使いたい人が使ってます。むーさん(宗豊さん)が使う時もあれば、私が使うこともある。これ背負ってよくサイクリングに行きました。ヨセミテ(国立公園)にむーさんが担いでいった時に破れたところは、パタゴニアの修理サービスで直してもらいました。家族それぞれこのリュックには思い出がある。レインジャケットの方はちょっとくたびれてきたので、今は作業着にしています。まだまだ着ますよ!」

記憶が導いた未来

20年前に買ったシンチラベストも家族で着回している。「自分にはおっきめやったんですけど、パッとお店で見た時にこの色にビビビと来て、購入しました。私が長く着てたんですけど、ふと旦那にも似合うかなと思って貸したら着るようになって、今は長男が着ています(写真左端)。おそらく次は次男へ。これは何も修繕したところがないくらい良い状態。大切に着てました!」。

聞けば、美子さんの母親は「お直しのプロ」だった。百貨店内で洋服のお直しやリフォームを専門とする店で働いていたという。

「お母さんは服のほころびや穴をいつもきれいに直してくれたし、手作りの服も縫ってくれました。だから、私は子どもの頃からどこにも売ってないオリジナルの服を着ることができていました」

じゃあ、美子さんも??

「なんと私は苦手なんですよ(笑)。不器用だから自分で作ったものを着ることができない。だから、修理がオリジナルだと思っているんです。例えば、このベストもきっと同じものがたくさん作られていて、世界中いろんな人が着ていますよね。その中で自分らしさを出せるのはキズとかそういうところ。それがカッコいいんだって、ずっと前から思っていました」

記憶が導いた未来

「次男は特にズボンをよく破ってくるんですが、これはその穴に黒のダクトテープを貼ったもの。さすがにダクトテープは…て思ったんやけど、次男は『俺が気に入ってんやから。なんで悪いん?』。その時ハッと気づかされて。自分も直しがオリジナルやとか言ってんのに、子どもの気持ちも尊重せなあかんと思いました(笑)」

記憶が未来へ導いてくれる

アパレル企業を辞めてから海陽町に移住、農家になるまで、紆余曲折あり、濃密だった美子さんの半生。
「でも、今回これまでのいろんなこと振り返ってみて、子どもの頃の記憶で今の私が作られていることはすごく実感しました」

木が年輪をまとうように歳を重ねてきて、自分の芯にブレが生じることはなかった。子どもの頃の記憶を頼りに衣食住の本質を探し求めてきた半生だったのかもしれない。
「自分がこうありたい、こうしたいと願っていたことが今の暮らしで叶っている。自分でその道に寄っていってると思うんです」

記憶が導いた未来

家族でシールを貼ってジャケットを修理中。

子どもたちはいずれ海陽町を離れ、都会へと旅立っていくかもしれない。
「きっとお米の味も、大自然の中で自分らが植えたのと、都会のとではだいぶ違うと思うんです。将来どういう影響があるかわからへんけど、この子ら3人が大人になった時、今の記憶がプラスに働くことがあるかもしれない。だから、いろいろ経験させてあげたい。良いものも、そうでないものも、いろいろ知ってもらっといてほしいと思いますね」

子どものうちに魂に触れるような経験を一つでも多くさせてあげたい。もちろん、子どもたちが生きる力をつけたら、未来は自らの意志で選びとっていくもの。感性に忠実に、しなやかに自分らしさを貫いてきた美子さんから子どもたちへ贈る体験の記憶、きっとそれは最高のプレゼントになる。

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