海との調和
世界でもっとも過酷なオーシャンカヌーレースのひとつといわれる「OC1 MOLOKAI SOLO WORLD CHAMPIONSHIPS」。そんなレースに出場する一方で、仲間とともにカヌーで海を渡り、伊豆諸島の島々へ。パドラー・金子ケニーの海とともにある毎日。
ハワイのモロカイ島とオアフ島の間を流れるカイウィ海峡。ハワイ語で「骨の溝」を意味し、モロカイ海峡とも呼ばれる52kmのチャネルには、行く手を遮るように常時10mを越える風が吹き、潮流が流れている。そんな過酷な舞台で行なわれるオーシャンカヌーレースのひとつが「OC1 MOLOKAI SOLO WORLD CHAMPIONSHIPS」。2023年5月、5年ぶりに開催されたこのレースに万感の思いをこめて参加したのが、金子ケニーだ。
「この大会に出場するのは2015年以来。海外でのカヌーのレースに参加するのもそれ以来なので、すごく楽しみにしていました」
SUP(スタンド・アップ・パドル)のトップアスリートとして知られたケニー。同様にカイウィ海峡で行なわれる「Molokai 2 Oahu」の2019年大会では3位に輝くなど、長年にわたり世界の頂点を目指して鎬を削っていた。
「当時は火、木、土曜にハードなインターバルトレーニングをこなし、それ以外の日もルーティンの練習を組み、その合間にジムワークやランニング。自分の存在意義はレースで結果を残すことでした」
生活のすべてを捧げる日々を支えたのは、世界一を掴むというモチベーション。ところが、キャリアハイともいえる成績を残した2019年に続く2020年、世界はコロナ禍に飲みこまれ大会はことごとく中止に。海外のレースを転戦する毎日から一転、家族と過ごすひとときを得られるようになった。
「意識や時間のすべてを注ぎ、勝利を追い求める。アスリートって自分本位な生き方を要求されるのですが、大会の見通しがないまま勝つことだけを目指すことに、迷いが生じたんです」
週に18時間の練習を続ける日々においては、体を休めることも重要だ。
「それゆえ、娘たちと遊ぼうにも、翌日のパフォーマンスを考えて躊躇してしまう。アスリートとしては正しい選択なんでしょうが……」
これまで持つことできなかった貴重な時間が心境の変化をもたらす。そうして2021年11月、SUP競技から一歩離れるという決断を下した。
「それでも、毎日海に出る生活には変わりないんです。ただ、それまでよりもバランスの取れた毎日を過ごすことで、もっと素直に海と向き合えると思いました」
神奈川県茅ヶ崎市で生まれ、南カリフォルニアで育ったケニーは、幼少の頃からサーフィンに親しんでいた。カヌーに出合ったのは帰国後の大学生の頃、きっかけは、父であり、オーシャンパドラーの金子デュークだった。
「父に誘われてふたり乗りのカヌーで1kmほど沖へ出たんです。そこからオンショアの風とうねりに乗って岸に戻ったのですが、前乗りされることなく無限に波に乗れることに感動しました」
それをきっかけにオーシャンカヌーにのめりこみ、やがて海外のレースにも出場するようになった。
「パドリングには瞑想に近い感覚があるんです」
当時を振り返り、そう話す。
海から陸、言い換えれば、日常を見ることで、気づかされることは多かった。そうして、自然と一体になることで得られる豊かな心持ちを、広く伝えたい——。
「それでも、何者でもないぼくに海の魅力を伝える力はない。そんな頃、SUP競技が世界的に盛りあがり、プロへの道が開けてきた。説得力をもって海の素晴らしさを伝えるためにも、まずはSUPで世界一になろうと思ったんです」
もちろん、SUPはそのための手段だけではない。初めての人や子どもにも漕ぎやすく、安全に波乗りを味わえるSUPは、海の魅力を知る入り口のツールとして理想的だった。
「今では海のない国でもSUPは広まっており、その爆発的な普及の様子をずっと学んでいました。これだけ海に出る人が増えたら、次はカヌーに乗ってみたいという人も増えていくと思うんです」
そこまでオーシャンカヌーに入れこむ理由はどこにあるのだろうか。
この5月、前述の「OC1 MOLOKAI SOLO WORLD CHAMPIONSHIPS」に出場した。仕事や後進選手のコーチング、家族との生活を楽しみながら、粛々と大会に備える。3カ月ほど前からレースと同じ52kmを漕ぐトレーニングを開始、同時に日常的に漕ぐ距離を増やしていった。レースはダウンウィンドかつサーフィンの連続なので、いかに波を乗り継ぐかが勝利への鍵となるが、その練習は国内ではなかなかできない。
「その代わりではないですが、どんなパドラーでも嫌がる、向かい風に逆らって漕ぐ練習に徹しました」
強い南風に向かって10km沖まで漕いで戻る。それを3回繰り返す練習で、漕力と波に乗る感覚を磨きあげた。
「もちろん時間は減ったけど、一回一回の練習を今まで以上に大切にできるようになったんです」
競技時代とは違い、時間をやりくりしながら練習を行なう。けれども、仕事と家庭、海のバランスが取れた日々は、練習漬けだった当時よりも、心と体が調和する感覚を得ることができた。こうして、リラックスした気持ちで大会を迎えた。
レース当日、行く手にはオアフ島のココヘッドが見えた。目の前の海峡には、いつものように背中の右斜め後ろから強い風が吹き、北から南に向けてから4knotの潮流が流れている。時速7.4kmの潮流は、まっすぐに岬を目指す選手たちを南に押し流してゆく。
「そうなると、ゴール直前で向かい風に逆らって北上することになる。感覚的には動く歩道を横切る感じです」
目の前の風と波に対応しながら俯瞰で潮流をイメージする。そして、北寄りのコースを取りながら、うねりをとらえて波に乗ることに集中する。
「SUP競技と違って容量の大きなオーシャンカヌーレースには、100kgを超える巨漢パドラーがそろっており、腕力ではとても敵わないんです」
しかし、「漕ぐ」というシンプルな動作をパーフェクトにこなせるようになったとしても、カヌーを意のままに操ることはできない。
「波や風を読んで、巧みにうねりをつなげないと、カヌーは走っていかないんです」
パドリングの奥深さがここにある。
「タヒチやハワイには、1000年以上前からカヌーに乗っている人がいます。一生をかけても海を知り、奥義を極めることはできない。だからこそ漕ぎ続けられるし、漕ぐほどに楽しみが深くなるのだと思います」
レースは順調に進んでいた。
それまで、モロカイのレースでは試合開始から2、3時間たつと嘔吐を繰り返していたが、今回はそんな兆候もなく、筋肉がつることもない。52kmを最後まで力強く漕ぎきり、4時間32秒、90人中25位でゴールした。ケニーがテープを切ったあとの1分間に3選手が続いたことが、レース最終版のデッドヒートを物語っている。
「順位は良くも悪くもないのですが、内容には満足しています」
調和のとれた準備期間を過ごし、全力を発揮してふたたびカイウィ海峡を渡りきったことに、SUP競技で優勝を飾ってきたほとんどの大会以上の満足感を得たという。
その理由はなにか。
「トップとぼくは21分3秒差なんですが、その間に23人もの選手がひしめいている。これは大会が5年間開催されなかったことにより、今回にかける選手の思いが強かったからだと思うんです」
嬉しそうに笑う。出場者のレベルが低ければより上位に食いこめる……そんなことは眼中にないのだろう。
「SUP競技者としては、現役中に時間を費やして自分のポテンシャルを出し切れたと思っています。ところがオーシャンカヌーでは、いまだ自分の潜在能力を把握しきれていない。それをしっかり理解し、余すことなく発揮できるようになれたらと思います」
もちろん、レースに出る以上、結果も大事ですときっぱり。
「それでも、完走することにプライドを持つというのかな。海を読む力をさらに磨いて能力を発揮し、再来年にはトップ10に入るのが目標です」
ハワイから戻った翌週、自身が主催者を務めるオーシャンカヌーレース「第1回Va’a Japan V1/OC1全日本選手権 in 南伊豆」を開催、日本全国はもちろん、ハワイやカリフォルニアからパドラーがやってきた。学生の頃からカヌーレースを開催し、主催者としてレースに出ることを大切にするケニーはV1で優勝、OC1ではハワイのトップ選手に敗れて2位に。その後も各地で講習を開催しながら、今日もケニーは6人乗りのカヌーを葉山の海に浮かべている。海外のレースに出ること、自らが大会を開くこと、そして仲間と地元の海を漕ぐことは、顔を洗うようにシンプルな日常なのだろう。
「ひとり乗りのOC1と違って、クルマ2台分の長さのカヌーをうねりのなかで操作するのは、すごく難しい。だからこそ、海を読む技術が必要なんです」
そうして6人がパドルを合わせることで、カヌーは走り出す。必要なのは漕力ではなく、仲間との、海との調和だ。
「そのせいか、OC1だけ漕いで速い人っていないんです。個人競技だけをやっていると、そこに気づきにくいんじゃないかな」
パドラーは調和することの意味を海から学んでゆく。
「そこがオーシャンカヌーのいいところ。ぼくらはよく、“ohana ka wa’a”と言うんです」
ハワイの言葉で「ohana」は家族であり、「wa’a」はカヌーだという。
父が代表を務めるオーシャンカヌークラブ「Ocean Va’a」の仲間とは、2年前、10年越しの目標であった、葉山と八丈島を結ぶカヌーの旅を成功させている。そしてこの夏も三宅島、式根島へと渡る275kmの航海に出ている。クルーには中学生や女性も含まれており、黒潮の海を渡るのは特別な遠征ではなく、彼らの日常だ。
血はつながらなくとも力を合わせ、他者を念頭に行動するというのは、カヌーが生まれたポリネシア、そしてハワイでの暮らしの根底をなす行動様式だった。いや、ほんの100年ほど前まで、世界中の人は地域に根ざし、手を取り合って暮らしていたのだろう。
「カヌーは自然と調和して暮らしてきた文化の象徴だと思っています」
海に出る楽しさを知り、その美しさを味わうと、人はやがて暮らしの根を見つめるようになる。科学や文明は日常と自然を切り離すがごとく進化してきたが、どんなに技術が進歩しようとも、人は自然に生かされてしか暮らしていくことができない——。
そうした言葉に、アスリートとして知られたパドラーの素顔が垣間見える。
「いつか、仲間と一緒に800km先の小笠原まで航海したいと思っています。そして、教え子や後輩たちと一緒にカイウィ海峡をはじめとしたさまざまなレースに出場したい。それが今のぼくの夢です」
そう笑うと、漕ぐ表現者はゆっくりとうなずいた。