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誉れ高きヘニョ

アーチャナ・ラム  /  読み終えるまで10分  /  サーフィン

海藻の根元を縫い進みながら サザエを見つける方法を、キミに正確に教えるヘニョ。Photo:Nicole Gormley

キミ・ワーナーが懸念するのももっともだ。15年以上にわたり目覚ましい経歴を積んできたマウイ育ちのフリーダイバーは、あらゆる大陸と海洋へスピアフィッシングに出かけ、パタゴニアを含む十数のスポンサーを獲得しながら、ナショナル・スピアフィッシング・チャンピオンシップで優勝も果たした。職場は海で、仕事の道具は自分の体とスピア、そして何よりもリスクを受け入れる覚悟が必須条件だ。しかし昨年39歳で妊娠したとき、家庭と仕事を両立させながらキャリアを積んでいくことへの不安は、ほかのワーキングマザーとまったく同じだった。そしてキミにとって、フリーダイビングは決して譲れないものだった。

「ダイビングは私そのもの」とキミは言う。
「海にいるときがいちばん落ち着くし、息をするために、つまり生きるためにフリーダイビングが必要なんです。でもお腹に子どもが宿って周囲を見わたすと、フリーダイビングをしている妊婦はいない。ひょっとして自分の行動は正しくないのではないか、という疑問を抱きました」

現在オアフ島に住むキミは医者に話を聞き、数々の関連記事も読んだが、妊娠中のダイビングが安全かどうかを実体験で語ることができる女性は見つからなかった。人の意見も助言とはならなかった。
「ダイビングが胎児から酸素を奪っていると言われたけれど、私は水のなかにいるときこそ自分の体と赤ちゃんに最も強いつながりを感じるし、息を止めると胸いっぱいの酸素を感じます。私は自分を信じているし、水からあがるといつも、より幸せになり、より健康になったと実感します」

しかし母親であるということは何かにつけて心配するということだ、ともキミは言う。「ヘニョ」のことが頭に浮かんだのはそのときだった。韓国のチェジュ島(済州島)のヘニョ(海女)は、数世紀にわたって素潜りでアワビやウニやタコなどの魚介類を採取しては、家族や村人を養ってきた。キミがヘニョのことをはじめて耳にしたのは15年前、自宅で催した資金集めの夕食会で、ゲストのひとりだった韓国人の詩人イシュリー・イ・パークが詩を朗読したときだった。それは極めて個人的な内容の詩だった。イシュリーはかつては魚の臭いがする家族を恥ずかしく思っていたが、チェジュ島のヘニョのことを知ると、詩人である彼女のなかで何かが変わった。彼女は自分の生い立ちに、そして魚の臭いがする家庭に誇りをもつようになった。

「私のような女性フリーダイバーが世界のどこかにもいるとは知りませんでした」と、キミは説明する。「ダイビングで食料を得て家族を養う海女に敬意を払うこの詩を聞いて、彼女たちのことをもっと知りたくなったのです」

「海の女」を意味するヘニョの歴史は少なくとも1629年に遡る。しかし素潜りというこの過酷な職業を、400年前にどのように女性が引き継いだかは明らかでない。17世紀に戦争に出兵する夫に代わり、妻たちが乗り出さざるを得なかったという説もあれば、大日本帝国による韓国併合で男性に課される税金を避けるためだった、という話もキミは聞いた。また女性の方が冷水に強いという必然性を理由に挙げる人もいる。

誉れ高きヘニョ

キミを姉妹のように温かく受け入れる「海の女」たち。彼女たちのあいだでは、ダイビングと妊娠の両立はめずらしいものではない(大変なのはフィンを付けることだけ)。Photo:Nicole Gormley

韓国社会は往々にしてヘニョを二流階級と見なしたが、今日では、彼女たちを自給自足の女性団体と認識することは難しくない。ヘニョが素潜りをつづける年齢は現在では70代、なかには80代にまで達し、数年前には最年長者が92歳だったという研究者の報告もあった。

キミは仕事で北極圏、ギリシャ、ニュージーランドなど、さまざまな場所に行き、ヘニョと一緒にダイビングするためのコネを見つけるのは難しくはなかった。しかしそれは実現せず、またキミもそれ以上追求しなかった──妊娠するまでは。

ヘニョは基本的に、キミの疑問に対して体験にもとづいて答えられる唯一の女性たちだ、と彼女は感じた。複雑な理由から船の上、さらには水中で陣痛がはじまったヘニョの話をキミは読んでいた。つまりヘニョは妊娠中も素潜りをしていたということだ。「でもどの記事も詳細に欠けていたり、取材した記者が素潜りを理解していなかったり。私はもっと本質的に知りたかったのです」と彼女は言う。

そして昨年10月、その機会が訪れた。友人であり、映像作家であり、過去に彼女と共同制作をしたニコル・ゴームリーが、チェジュ島を訪れることについての話を再開してくれたのだ。

「人生ではじめて家にいることに満足し、昨年はニカラグア、ノルウェー、フィジーなどをはじめ、あらゆる旅を断っていました。それで言いました。『じつは機会があればぜひ行ってみたい場所がひとつあるんだけど、そこに行くならいましかないと思う』と」

その1週間後、2人は荷造りをはじめた。

キミはほんの一瞬でもヘニョと一緒に海に入ることができればそれでよかった。ところが、2日間の仕事に誘われた。キミが数人のヘニョたちと親密に過ごしたこの旅の様子と体験から学んだことは、近日公開の短編映画『LessonsfromJeju(ヘニョからの教え)』に描かれている。

「ヘニョはよく取材依頼を受けたり、映画出演を頼まれたりするのですが、そういうことには興味がありません。仕事があるから」とキミは説明する。「でも私は妊婦だったので優しくしてくれて、私のことをハワイのヘニョと呼んでくれました」

初日がはじまったのは午前8時。ヘニョのブルトクでだった。ブルトクとは海辺にある石壁の建物で、ヘニョが道具を吊るし、入浴し、食事をし、仮眠を取る場所だ。より長い時間をともに過ごそうと、夜明け前にやって来るヘニョもいる。

「私の出身地では、妊娠中にダイビングするのは賢明ではないというのが定説なんです」英語から韓国語、そして韓国語からチェジュの方言へと2人の通訳を介して、キミはヘニョたちに伝えた。「私の言っていることがわかると、みんな笑いはじめて、『オッケー、オッケーよ!妊娠中の素潜りで大変なのはフィンを付けることだけよ』と言われました」

ブルトクから出て小舟に乗り、いよいよ5時間ノンストップの素潜りがはじまった。キミはかつて自分の英雄的人物に出会ったもののそれが期待外れに終わるという経験をしていたので、ヘニョが記事や論説どおりのダイビングをしなかったとしてもかまわないと覚悟していた。

「とにかくすごいんです、遅れずについていくことすらできませんでした」とキミは語る。「たとえ地面の上で足を引きずっているような人でも、海に入った瞬間、まるで海洋生物か海軍特殊部隊になったかのように変わるんです。離岸流のなかを水深12メートルまで潜り、1分間ものすごく精力的に動きつづけます。私には昆布棚の合間からフィンが見えるだけ。するとヘニョは両手いっぱいのサザエを網に入れて水面に浮上し、またすぐに潜ってそれを繰りかえします。魚が寄ってくるのを待ちながらゆっくり動くのが私のスタイルですが、ヘニョを見て、それがすばやい動きでもできることがわかりました」

海面に出るとイルカの群れのような音が聞こえた。キミはそれが「スンビソリ」という、笛のように響くヘニョの呼吸法だと気づいた。彼女は『The Island of Sea Women』という小説でこのことについて読み、その朝ヘニョたちにも質問していたのだった。

「上唇を出して口をすぼめて息を吸い、甲高い音を出しながら息を吐くのです。水のなかでこれをするヘニョの表情は安堵に満ち、まるで疲れを吐き出して次の潜りのために燃料を補給しているような感じ。大勢がそれぞれの音調と音高で同時にしているのを聞くと、ちょっと奇妙ながらも美しいコーラスに聞こえます」

ヘニョは船に戻るとすぐに、それぞれが30キロ近くも採取したサザエを販売用と自宅用に選り分ける。(ヘニョは種類ごとに収獲期を設定し、休漁中にそれらがまた増えるようにしている。この時期はサザエの収獲期だった。)そしてブルトクに戻り、大きな声で会話や笑いを絶やすことなく温かい食事を分かち合う。長年の素潜りは彼女たちの耳を傷め、聴力を低下させてきた。

誉れ高きヘニョ

熟練の先輩たち。ヤン・ヨンスク Photo:Nicole Gormley

「昔からヘニョを下層階級市民だと見下す人がいても、彼女たちは笑い飛ばします。ヘニョであることにプライドをもっているから。自分の手でお金を稼ぎ、自分と家族を養う強い女性、という自覚があるんです。そしていつでも支えてくれる仲間がいる。そこが私にとってはとくに魅力です。『そんなのなんでもない』という気質ですね。その態度をこれほど痛快に感じたことは、いままでありませんでした」

しかしキミが出会った女性たちは、ヘニョの最後の世代になると考えられている。1960年代には26,000人以上いたヘニョは、2015年の時点では4,000人余りに減った。存続に向けての努力もあり、2006年にはチェジュ島にヘニョ博物館が開館し、2007年には学校が設立され、2016年にはユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に加わった。しかしヘニョの伝統は10年以内に消えてしまう可能性があると研究者は予測する。産業規模の漁業に場所を追われ、子どもたちは都会での仕事を求めるようになり、気候変動は急速に捕獲高に影響を与えている。そして伝統を残したがらないヘニョもいる。

「『子どもたちはわざわざ苦しまなくていい。私たちは他に選択肢がなかったからヘニョになっただけ』と言う女性もいました。私はものごとを過度に美化しないようにしています。お米もなくコーヒーもなく、布おむつを洗うきれいな水もなく、必要な物資を求めて船で別の島に行ったという辛い日々の話も聞きました。厳しい現状です。でもそれは家族を養うためにやるべきことをやるという、彼女たちの強さの象徴でもあります。海がヘニョにこの力を与えるのです」

ヘニョの話から、キミは子どものころを思い出した。マウイ島の低所得階層の家庭で育ち、父親は食卓に食べ物を並べるためにスピアフィッシングに行った。だからキミが24歳でスピアフィッシングをはじめたとき、父親の最初の反応は落胆だったことを覚えている。だがそれもスピアフィッシングが彼女に与えた喜びと知名度を目にして変わった。「父は私が彼の才能を受け継ぎ、現代的なハイブリッドのスピアフィッシングを生み出したことを理解してくれたんです。雑誌に私の姿を見たのも嬉しかったみたい」とキミは笑う。

キミにとって、昔ながらのスピアフィッシングは、ハワイに古代から伝わる仕組みの「アフプアア」と一致する。土地を山から海へと縦に区分し、それぞれの区域がその地方の食べ物を分かち合いながら大きな共同体を支えるのだ。ヘニョとの体験と父親とのフィッシングの思い出は、その土地のものを必要な分だけ採取し、生態系の責任ある一部として生きることがいまもこの世界に存在することを、キミに気づかせてくれた。

「まったく昔のままというわけにはいかないけれど、この価値観はまだ繁栄する可能性があります。共同体が互いに助け合い、その資源とつながるようにして、自然は成り立っている、ということだと思います」

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