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チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

コリン・ヘイリー  /  2018年6月22日  /  読み終えるまで11分  /  クライミング

チャルテン西面のアファナシエフ・リッジを登るコリン・ヘイリー。 Photo: Austin Siadak

パタゴニア・アンデスのアルゼンチン側、チャルテン山塊には険しい山々がひしめいている。特にセロ・トーレとチャルテン(フィッツ・ロイの現地名)が有名だ。僕は2003年から毎年この山塊に来て3カ月ほど滞在している。合計すれば3年もチャルテンで過ごし、人生におけるクライミングの実績の大部分をそこで積んだことになる。

以下は、昨年12月から今年2月のシーズンに書いたフォトエッセイである。今年はほとんどの山をオースティン・シアダックと登った。彼は僕と同じシアトル出身で、何歳か若い。そしてこの数年、チャルテン山塊にかなり熱を入れている。オースティンはやる気満々で優秀なクライマーであり、プロの写真家でもある。ここで紹介する素晴らしい写真は彼の作品だ。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

コンディションを確認するためトーレ渓谷に向かって歩くコリン。Photo: Austin Siadak

パタゴニアに行く前の数カ月、僕はロッククライミングに専念した。ロッククライミングに体をばっちり適応させるには、集中するのが一番。初めての5.13dも手中にした。ところがパタゴニアに着いてみると、これから始まる山での挑戦の日々を前にいつもどおりとは行かなかった。オースティンと僕はコンディションの確認と、いくつかの装備をデポするため、トーレ渓谷を1日かけて登った。山々はまだ雪に覆われていて、ハイキングの最後の部分は膝まで雪があった。理想的なコンディションとは程遠い。さらに悪いことに、町へ歩いて戻る途中、膝の腸脛靱帯炎が再発。使い過ぎによる障害で、ここ1年半ほど悩みの種になっているが、1日山を歩いたせいだろう。パタゴニアでのアプローチにはかなりの標高差がある。僕は突然、パタゴニアでワクワクするようなクライミングができる自信を失った。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・バル・ビオイスのコリン。Photo: Austin Siadak

オースティンと僕が最初に登ったのは、アグハ・バル・ビオイス。もしアメリカ合衆国本土にあれば大人気になること間違いなしの素敵な山々だが、この山を含むチャルテン山塊はほとんど知られていないし、過去に登った記録も少ない。嵐の晴れ間を狙って、僕たちは深い雪の中を アプローチし、山頂までアイゼンを履いて登った。大部分は、乾いた 状態であればロッククライミングに絶好の場所だろう。僕のやわな腸脛靱帯を気遣い、オースティンはハイキングの間、多めに荷物を背負ってくれた。本当に有り難かった。さらに炎症の危険を減らすため山頂に着いた後、山でもう1泊してから厳しい下山に臨むことにした。不運なことに、このタイミングで僕の母が1週間エル・チャルテンを訪れていた。僕らが町に戻るころ、母はもう少しで救急隊に連絡するところだった!

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・ギヨメ北面のコリン。Photo: Austin Siadak

オースティンと僕が2番目に登ったのは、再び穏やかに晴れた短い間のことだった。大きな山に挑戦する時間はなかったので、アグハ・ギヨメの北面に向かった。この山塊では最も取付き やすい山のひとつだ。僕はアルパインクライミングに厳しく、作為的ではない経験を求めている。大きなものに立ち向かい、シンプルにすばやくその頂上に達することにやりがいを感じるのだ。そして最大限に効率的なスタイルで登る。スピードアップできそうな箇所ではエイドも交えるが、ほとんどの部分ではフリークライミングする。今回は比較的簡単な山だったので、フリークライミングでトライする絶好の機会だと思った。オースティンと僕は、良さそうなラインを選び(後でそれが「カルロ」と呼ばれるルートのバリエーションだと知った)、ちょっと刺激的でハードな5.11のクライミングを楽しんだ。ところが、ノーマルルートとされる「エイミー」との合流点に達したころ、風が恐ろしく強くなり頂上に行かずに引き返すはめになった。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・デ・アイズ西面のコリン。Photo: Austin Siadak

1月20日もつかの間の好天に恵まれた。オースティンと僕は、アグハ・デ・アイズ西面のルート「ソーズ・ノット・ハウルディング・ライト」に向かった。このルートはエル・キャピタンと同じぐらい長大だが、好天の周期が短いため、町から長いアプローチのハイキングを含むワンプッシュで取り付くことにした。我々は今回もフリークライミングでトライしたが、この写真のように少し難しいセクションもあり、1本のハーフロープ(軽いが安全性は低いロープ)で登るという自分の決断を後悔した。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・デ・アイズの頂上近いオースティン。Photo: Colin Haley

これは、アグハ・デ・アイズ頂上の一歩手前のオースティン。「ソーズ・ノット・ハウルディング・ライト」のスピーディーで楽しいクライミングを終え、最後の残照を浴びている。この写真を撮ってしばらくして辺りは暗くなったが、高い崖の上の激流を渡渉するという難関を含む、長く過酷な夜中の下山を終えた時には明るくなっていた。町に着いたときはクタクタで足が痛かったが、まる1日、腸脛靱帯炎が悪化せずに過ごせてうれしかった。このクライミングを経てやっと、今回のパタゴニア滞在中は大丈夫だと確信することができた。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

コリン・ヘイリーとローランド・ガリボッティ。Photo: Austin Siadak

この写真は僕とローランド・ガリボッティ。山へ入る前にオースティンが撮影した。ローランドはトレイルの出発点までピックアップトラックに乗せてくれた。2008年1月の下旬にローランドと僕が初めてトーレ・トラバースに成功してからちょうど10年という記念写真だ。トーレ・トラバースは、まさに僕の人生を変えた。そしてローランドは、僕を導き、僕に最も影響を与えたクライミングの師と言える。ここ数年、僕たちのクライミングの目的は別々の方向に行ってしまったが、親友であることには変わりない。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

チャルテン西面のコリン。Photo: Austin Siadak

読者の方々は徐々に察しているかもしれないが、この夏のパタゴニアは天候が良くなかった。しかし、天候の良し悪しもクライミングの一環。そのことで落ち込んでも意味がない。得られたものを最大限に生かすだけだ。今季、パタゴニアにいる間に24時間以上晴れたのは2回だけだった。どちらもさんざんな嵐の後だったから、壁の状態は良くなかった。1月末、ついに2日間の晴れ間ができたとき、オースティンと僕はあえて最初の1日を見送り、コンディションが良くなったときに大きなクライミングをするという賭けにでた。そして好天2日目、チャルテン西面のアファナシエフ・リッジに向かった。アファナシエフは技術的にはそれほどむずかしくはないが、チャルテンでは最長のルートであり、ワンディで登られたことはなかった。この写真はルートの4分の1ほど行ったところ。岩がベルグラ(薄氷)に覆われはじめ滑りやすく、僕たちは大幅にペースを落とした。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

チャルテンの頂上に近づくオースティン。Photo: Colin Haley

これは、アファナシエフの最後のセクションを頂上に向かってゆっくりと進むオースティン。コンディションは良くなかったが、オースティンと僕はできるだけスピードを落とさずアファナシエフを登り、取り付いて約10時間半でチャルテンの山頂に到着した。写真の背景に見えるのはセロ・トーレ山群。その向こうは南パタゴニアの氷床。チャルテン山塊に来ていつも驚くのは、短い距離で気候が劇的に変化することだ。尖った頂のすぐ東にパンパ(基本的にはパタゴニア砂漠)が広がり、すぐ西には巨大な氷河があるのだ。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

引っかかったラペルロープを回収するオースティン。Photo: Colin Haley

世界のほとんどの山では、普通、険しく技術を要する面を登り、帰りはそれほど険しくない面を時にラペルを交えて下る。しかし、チャルテン山塊ではどの面も険しく、楽な下降路はほとんどないので、この山々でのクライミングはアルパインラペリングの上級クラスといったところだ。アファナシエフ・ルートを登った後、オースティンと僕は最も一般的な下りルートである「フレンチルート」を下った。3分の1ほど下ったとき、引っ張ったロープが引っかかってしまった。この写真ではオースティンが、誰もが嫌う作業、つまり引っかかったラペルロープの回収に向かっている(プロテクションをとりながら)。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

スポーツクライミングをするアリサ。Photo: Colin Haley

僕のアルパインクライマーとしての成功は、間違いなく人生の大半をそれだけに注ぎ込んできた結果だ。人生の他の側面、たとえば教育、安定した収入、家族との時間、友人や恋人との関係を犠牲にしなかったら、これほどの実績は作れなかっただろう。1年前、僕はこれまでで最も魅力的な女性に出会い、さらに人生がややこしくなった。今でもクライミングの目標を全力で追求したいことには変わりないが、人生を共有する誰かがいて、その誰かを失うリスクを冒すわけにはいかない。人生においては何事もバランス。今季は、そのバランスの一環としてアリサがパタゴニアに来てずっと一緒に過ごすことになった。アルパインクライミングにまったく関心のない彼女にしては思い切ったことだ。天候が悪くアルパインクライミングに出かけられないとき、僕たちはハイキングやスポーツクライミングに出かけた。この写真では、アリサがパタゴニアでスポーツクライミングを楽しんでいる。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・ポロネに友人たちと登る。Photo: Colin Haley

再びアルパインクライミングに適した晴れ間がのぞいたが、ビックルートに取り付くだけの時間はないので、オースティンと僕はアグハ・ポロネに出かけた。いつも眺めてはいたが、登ったことのない細い岩塔である。ちょうどシアトルから2人の友人、アンディ・ワイアットとネイサン・ハドリーが到着したので、パーティーを組んで登ることにした。アンディと僕が1本のロープ、オースティンとネイサンがもう1本のロープを使う。ラペリングは全員一緒。「ラ・グランハ」は絶好のルートで、みんな大いに楽しんだ。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・カキトにアプローチするオースティン。広大なパタゴニアの風景の中では小さな点にしか見えない。Photo: Colin Haley

シーズン終盤で成功したのが、アグハ・カキト。再びオースティンと麓の町からワンデイで登った。アグハ・バル・ビオイスと同様、アグハ・カキトもチャルテン山塊の一部だが、周りの有名な山に隠れてほとんど注目されていない。なんと僕たちの登頂が史上2回目!僕がこの写真を気に入っているのは、パタゴニアクライミングのスケールと複雑さを見事に伝えているからだ。近くから見ると花崗岩はどれも似ているが、パタゴニアのクライミングは、シエラ・ネバダなどとはまったく違う。早朝に出発したのは、この写真の背景に見える湖のさらに下。ラ・ブレチャまでの傾斜60度の氷の斜面があまりに広大なので、オースティンが小さな点に見える。しかも、これがまだクライミングのアプローチだなんて!

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

アグハ・カキトを横切るコリン。Photo: Austin Siadak

オースティンと僕は、アグハ・カキト山頂までの最も簡単で直接的なルートではなく、ラ・ブレチャからのびる尾根を登ることにした。トミー・コールドウェルとアレックス・オノルドが、フィッツ・トラバースを成功させたときのルートだ。大部分はむずかしくないクライミングだが、岩のクオリティが抜群。難しくないなどと文句は言わない。終日、冷たい風が吹き荒れ僕たちはダウンジャケットを2枚ずつ着て登った。

チャルテンのクライミング・シーズン・フォト・エッセイ

プンタ・ケロッグのオースティン。Photo: Colin Haley

これは、アグハ・カキトに行く途中、プンタ・ケロッグの山頂に向かって最後の岩を登っているオースティン。この小さな山の名前は、僕の友人で同じシアトル出身のクライマー、チャド・ケロッグに由来する。彼は数年前、チャルテンでクライミング中に亡くなった。友人の名前を持つ山に登れてよかった。悲しい思い出だが、山に登ることの危険は常に頭に置いておかなければならない。気を抜かず、できるだけ安全な決断をすることだ。

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