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イヴォンの手紙を読む

ヒマラヤにて

新谷 暁生  /  2013年10月24日  /  クライミング, カルチャー, コミュニティ, スポーツ

今年の春、私は23年ぶりにネパールを訪れ、エベレスト登頂を目指す三浦雄一郎さんのベースキャンプに3週間滞在した。体のあちこちが壊れ、歩くことさえままならない私にとっては大変辛い旅だったが、意義深い体験ができた。80歳を越えて3度目のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎は偉大な人だ。

ルクラからナムチェへ、更にそこからベースキャンプへと歩くうちに様々な記憶がよみがえってきた。1969年から70年にかけてヤクの種牛であるシュクシュクゾランを探して放牧地を尋ね歩いたこと、8mm/40mロープ1本で越えたアンブラプチャ、1986年のチャムラン遠征の思い出やシェルパたちのこと、そしてライ族のシカリ。

1986年秋、私は仲間と共にホングー谷のチャムラン(7319メートル)を目指した。この山は1962年に北大隊が初登頂した山だ。私たちは同じ北海道の岳人として先人に敬意を表し、この山を目標に選んだ。雨季のネパールを横断する18日間のキャラバンは、降り続く雨と川の増水、泥道やヒルに悩まされる旅だった。漁師合羽が役に立った。アルン川上流のチェスカムで街道を離れ、標高差2000メートルの険しい谷に続く獣道を辿り、ホングー谷上部の草原にベースキャンプを設けた。ヒマラヤはモンスーンが去り秋になっていた。眼前には私たちが目指す未踏のチャムラン西稜が横たわっている。初登ルートは南稜に突き上げる氷河だ。韓国隊がここを目指していた。前年の偵察で見通しは立っていたが、1953年にエベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーが52年に途中で諦めたルートだ。経験が少ない私たちには手強い目標だった。しかし何とか登頂に成功した。

この隊にはキッチンボーイを含めて6人のシェルパ族の若者がいた。荷揚げを終えてベースキャンプに下りてきた時にラインホルト・メスナーの話を聞いた。二人の若者が雪男の真似をしてメスナーのキャラバンを驚かせたという。メスナーはマカルー(8463メートル)に登頂し、ローツェを目指してホングー谷からアンブラプチャを越えようとしていた。ローツェ(8516メートル)はメスナーの8000メートル峰14座無酸素登頂の最後の目標だった。シェルパは陽気で冗談好きだ。そして外国人が雪男に興味を持っていることを知っている。しかし時にいたずらが過ぎる。メスナーはホングー谷で雪男を見たと書いている。それは私たちのベースキャンプの近くだ。彼は本当に見たのだろうか。それともシェルパのいたずらに引っ掛かったのだろうか。

エベレストの東、カンシュン氷河からバルン氷河を経てアルン川に至るインドへの道は、標高5000メートルの氷河に続く太古からの交易路のひとつだ。アンブラプチャはその途中から西に外れてシェルパ族の故郷であるナムチェバザールへと向かうルート上の険しい峠だ。この道が知られるようになったのはエベレスト初登頂前後のことだ。1952年にエドモンド・ヒラリーがこのギャップを越えて以降、登山家たちがよく通るようになった。パタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナードも1980年代はじめにここを通ったという。86年2月にニセコを訪れたイヴォンは、私がヒマラヤに行くことを知ると目標の山を尋ねた。ホングー谷の山だと答えると、チャムランか?と聞いた。そしてバルン氷河からホングー谷に至り、アンブラプチャを越えた時のことを話してくれた。私は驚いた。チャムランを知る人は少ない。ヨセミテの開拓者として有名なイヴォン・シュイナードが探検精神の旺盛な人であることを知り、嬉しかった。

今日大勢のトレッカーで賑わうエベレスト街道のディンボチェからイムジャ谷の奥にマカルーを遠望できる。その右下にアンブラプチャがある。かつてその東の広大な氷河地帯を、チベット人はヤクとともに自由に行き来していた。敬虔なチベット仏教徒(ラマ教徒)の彼らは経を唱え、希薄な空気に喘ぎながら氷河を歩き続けた。雪男はそんな時に現れた。交易の旅を繰り返すチベット人にとって雪男は実在する真理だ。メスナーがホングー谷で見たのはそんな雪男だったのかもしれない。

ヒマラヤの森林には人も住んでいる。1985年の偵察で、私はライ族のパラク・バハドール・ライをホングー谷の道案内に雇った。仕事を聞くと自らを「シカリ」と名乗った。一瞬、耳を疑った。猟師だ。シカリとは東北のマタギの言葉ではないのか。何故、同じ言葉が5千キロもの長い距離を隔てて使われているのだろうか。シェルパ族と生活圏を接するライ族は日本人にとても良く似ている。彼らはチベット人でもインド系アーリア人でもない。表むきはヒンズー教徒だが、信じているものは精霊信仰(アニミズム)のように思えた。ライ族は南アジアの亜熱帯モンスーン地帯に東西に続く古い文化圏に属する人たちだ。人類学者中尾佐助はこれを照葉樹林文化と名付けた。この文化の指標的食べ物としては納豆がある。たき火の方法も特徴的だ。野外では石でかまどを作らずに太い木を並行に並べて火を燃やす。これは雨の多い土地での理にかなったたき火の仕方だ。私も長くこの方法で火を焚いてきた。

パラク・バハドールは谷の奥の洞窟で、油紙に包んだ古い火縄銃を取り出して見せてくれた。ネパールでは国民の銃の所持が禁じられている。だから猟師という職業は存在しない。シカリは雪男のようなものだ。実在するが存在しない。彼らの猟は主にワナ猟だ。ヒマラヤグマ(ツキノワグマ)を獲る罠を見た時、私は思わず笑った。巨大なスズメ捕りの罠だ。板を繋ぎ合わせた頑丈な天井を斜めに差しかけ、柱で支えてそこに餌を置く。上に重い石を載せ、獲物が入ったら紐を引き天井を落とす。彼らは何日も物陰に隠れて獲物が来るのを待ち続ける。ライのシカリはヤクが襲われたという話を聞くと谷を上がってくる。家畜はよくクマに襲われる。クマはその習性通りに斃した獲物に土や石を載せて隠す。1970年に私はそんな殺されたヤクを見た。死体は冷たい川に横たわり、石で隠されていた。村人はそれを雪男のせいだと言った。

シカリにとって雪男は狩猟の対象ではない。具体的な存在ではないからだ。しかし獲物を精霊的な存在と見る彼らは、同じく精霊的、神秘的なものとして雪男を捉えているのかもしれない。雪男が謎の霊長類として実在するか否かは別として、その存在は仏教上の真理だ。そしてそれを信じるチベット民族が晒されてきた運命は余りにも過酷だ。1950年、農奴制解体と封建制の打破を目指す中国共産党のチベット解放により、数多くの難民が生まれた。この頃、人がいるはずもない氷河の上の足跡が雪男のものだと騒がれた。エリック・シプトンが撮影した写真は、その証拠として有名だ。しかしこの時チベットで起きていたことを世界の多くは知らず、また知ってはいても放置した。チベット人は危険を冒してヒマラヤを越え続けた。雪男の足跡とされた中には数多くの亡命者の足跡も混じっていた。

私は1969年にナク・ゴテと呼ばれるヤクの群れを世話する貧しい家族と暮らした。家族はチベットから逃げてきた人たちだ。ナク(雌ヤク)はラマ教寺院が所有し、家族は寺に保護されていた。私も家族と共にナクやその子供のゾムを追い、バターやチーズを作った。彼らはゾップキョという役牛で時々それを麓の寺に下した。しかし自分たちが食べることはなかった。私は牛糞と枯れ枝を燃やす煙が立ちこめる粗末な石小屋で、途切れることのない念仏を聴きながら家族とともに寝起きした。モンスーンの放牧地は美しい。子牛が走り回り、青々とした草地でナクが草を食む。ひもじかったが忘れられない思い出だ。彼らは後にダライラマの許へと旅立った。

私は雪男の議論を有害だと思っている。チベット民族が置かれている状況から目を逸らす原因にもなっているからだ。雪男は存在する。それは敬虔なチベット仏教徒の心の中にある。孫悟空は神の化身だ。時にそれは雪男になぞらえられる。雪男はイエティと呼ばれる。猿は日本ではエテという。元は同じと思う。ヒマラヤには多くの動物が棲んでいる。私は死体をついばむハゲワシに襲われそうになり、オオトカゲに肝を冷やしたこともある。レッサーパンダも見た。確かに笹を食べていて妙に納得した。ネパールの南ではコブラやサソリ、そしてトラに怯えた。

自然や野生は人間にとって大事なものだ。しかし人の命はもっと大切だ。それに気付く智慧はどこへ行ったのだろうか。14世ダライラマは、私たちが手抜きせずに生きることがチベットを救うことにつながると話した。私は目の前の仕事を続けてきた。しかし未だ道は見えてこない。

シーカヤックガイド、登山家、ニセコ雪崩調査所所長、「ロッジ・ウッドペッカーズ」経営、新谷暁生

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新谷暁生氏が『岳人』に29回にわたって連載した山と海と人の物語『北の山河抄』が一冊の本になりました。全国のパタゴニア直営店でもお買い求めいただけます(サーフ東京、サーフ千葉、各アウトレットストアでのお取り扱いはありません)。

その他の著書に、『アリュート・ヘブン』、『バトル・オブ・アリューシャン』、『73回目の知床』など多数。

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