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ヒリシャンカ

ジョシュ・ワートン  /  2023年5月12日  /  読み終えるまで5分  /  クライミング

気候変動がルートを変えるなか健在するコルディエラ・ワイワッシュでのハードなアルピニズム。

全ての写真: Drew Smith

2022年7月、ヴィンス・アンダーソンと僕はペルーのヒリシャンカにある未完のイタリア・ルート「スエルテ」を山頂まで登った。2003年当初に稜線まで登られたこのルートは5.13a、M7やWI6といった難しさで、さらにはヴィンスの言うところの「サイケデリックな雪の登攀をたくさん」要求される。

はじめてヒリシャンカへと旅したのは2015年。新たに父親となった僕は、ヒマラヤに要されるような時間や経費やロジスティクスというハードルのない、挑戦しがいのあるテクニカルな登攀を秘めた大きな山を探していたからだ。ヒリシャンカにはありとあらゆる類まれな難しいフリー登攀があり、クライミング以外の危険度は低く、アメリカからは比較的短時間で費用もそれほどかからずに取り付ける。もちろん山は僕の惚れ込みには無頓着だから、かなりの反撃で迎えてくれた。2015年と2018年に悲惨な状況で敗退させられ、2019年にはなんとかあと少しというところまで到達。そしてついに昨年、条件と天候とチームの力すべてがひとつになった。

ヒリシャンカはコルディエラ・ワイワッシュにおける最後の未登の6,000m峰だった。トニー・エガー率いるオーストリアチームが1957年に初登を達成。(そう、例のセロ・トーレの論争で知られるトニー・エガーだ。)当時のクライミングの装備を考えると、彼らの登攀は並外れたものだ。クランポンはすべてストラップオン式の柔軟なもので、傾斜のきつい氷はカットステップで登らなければならなかった。

とはいえ、60年以上前のオーストリア人による初登時に撮影された写真から察するに、当時幅が広く傾斜のゆるい雪の尾根だったこの山の上部は、傾斜のきつい複雑な氷のルーフ、マッシュルーム形状の雪、小さな岩のギャップの数々へと変貌したようだった。

これは僕のやった登攀のうちで山への気候変動の劇的な影響が痛いほど明らかに見てとれた、最初のものだった。7年にわたる4度のヒリシャンカへの旅で、山の基部までに歩く氷河もルート上の鍵となる氷の量も減り、上部の氷のルーフは劇的に後退して脆い岩がより広範囲に露出していた。これはある部分では登攀を困難に、ある部分ではより容易にしたが、とても急速に変化が起きていることはつねに明白だった。2019年に山頂直下まで到達したこと、そして僕のペルーへの旅が山の溶解と密につながっているという事実から、そこに戻ることが正当化できるのかについて自問した。最終的にはこのプロジェクトが抗い難いことが判明したが、その経験で自分自身の行動に変化が起きた。僕はクライミングのために旅することを減らし、自宅により近い場所で刺激的な目標を探すことに決めた。また、再生可能な放牧地でかなりの時間をボランティアに費やした。それらは十分ではない。だが何らかの意味はある。

ヒリシャンカ

ヴィンスはことに山で耐え忍ぶことを含めた数々のことに卓越しているが、幅跳びもうまいことを証明した。アプローチでこの川をどうやって渡ろうかと僕らが思案しているとき、彼はどうすべきかを正確に知っていた。「俺の52歳の足でまだできるなんてすごいぞ!」と叫びながら。その一方、膝の手術を3度も経験していた僕は対岸にはおよばなかった。

ヒリシャンカ

ヴィンス(サングラス姿)と僕は、氷のルーフと上部の雪稜を通過するベストなルートを探るのに多くの時間を費やしたが、実際にそこに行くまではすべてが推測だ。けれども昨年、僕らははじめてドローンで頂上稜線を前もって調べることができた。山頂までの最後の部分は思ったよりも困難に見えたが、チームのビデオグラファーの一員だったクリス・アルストリンは「心配するな、ドローンで見る傾斜は10度増しだ」と言った。幸運なことに、彼は正しかった。

ヒリシャンカ

ギアを準備する僕。パッキングに大切なのは絶対に必要なものだけに削ることと、士気を高めるために肉体的な安らぎをもたらしてくれるものを1つか2つ忍び込ませることだ。極小の歯ブラシやチョコレートのひとかけらは不快なビバークやビレイでは特別なご褒美となる。僕とヴィンスの長年の経験を合わせたおかげでパッキングは比較的シンプルだったが、軽量化とそれにともなう苦痛のバランスをとるのはいつもややこしい。

ヒリシャンカ

嵐が到来しはじめた全39ピッチの3ピッチ目。この山の下部はステファノ・デルーカ、パオロ・ストッピーニ、アレッサンドロ・ピッチーニのイタリアチームが2003年に打ち込んだボルトのおかげで、フリークライミングには比較的安全だ。山岳地域でボルトを打つことは一考に値する倫理的問題をもたらすが、この場所における偉大なクライミングのいくつかを可能にしたことは疑いようがない。「この壁の下部におけるロッククライミングは格別のもので、世界のもっとアクセスしやすい場所にあったなら、それ自体がクラシックな登攀としての人気を容易に得ただろう」とヴィンスは言う。「多くのピッチで難解かつテクニカルな動きが求められる、鋼鉄のごとく硬い、手の切れるような石灰岩だった」

ヒリシャンカ

3ピッチ目を登ったあと、ヴィンスのところまで懸垂下降する。「あれが俺のマジ顔だ」とヴィンスは言う。「俺はいつも真剣な顔をしてると言う人が多いが、この写真を見るまでは信じなかった。息子の1人が最近、『マジ顔』の持ち主は9人に1人しかいないってどこかで読んだと教えてくれた。ってことは、俺はラッキーなんだろうな!」

ヒリシャンカ

南東壁を3分の1登った場所の簡単なトラバースをリードするヴィンス。このトラバースで、この山の最も危険な部分である険しい氷のガリーに到達。太陽が壁の上部に当たると、ガリーに落石を放つ。この朝、ソフトボール大の岩が僕の肩に当たった。幸運なことに、ここがこの山で重大な危険をもたらす可能性のある唯一の場所だった。

ヒリシャンカ

このレッジは垂れ下がる氷柱と頭上の巨大な氷のうねりによって非常に印象的だが、最初の氷のルーフ下にあるこのビバーク地は実際にはありがたい平らな地形だ。少し削っただけで快適な一夜の睡眠を取ることができ、上から落ちてくる氷塊などからも守られていた。これらのルーフは氷の後退によって作られ、何千年ものあいだ氷河に覆われていた脆い岩を剥き出しにしている。僕らが挑戦していた数年間でどれだけ氷河が後退したのかを考えると、ヴィンスはこれらの氷の「眉毛」ですら数十年で消えてしまうのではと想像する。ヒリシャンカは僕の生涯のあいだにロッククライミングのみの山になってしまうかもしれない。

ヒリシャンカ

気候変動はペルーの山々で氷と雪を急速に解かしている。わずか7年でルート上の最も簡単なセクションは大きく変わっていた。2015年の初のトライでは、僕らはこの写真に写っている最初の氷のルーフを巨大な氷柱経由で容易に回避し、2つ目の氷のルーフではスクリューを使って人工登攀した。2022年に成功した登攀では、最初のルーフを5mの脆い岩経由で登らされ、2つ目はこの短く険しい氷のルーフまで到達するのに2ピッチのロッククライミングを要した。トニー・エガーとシグフリード・ユングマイヤが1957年のギアでこれほどテクニカルな氷のルーフを登ることができたとは到底思えないが、歴史的な写真を見ると1950年代にはこのルートにこうしたルーフは存在せず、かつては堅固な氷河の一部だった。

ヒリシャンカ

稜線上部の雪の状態はとてもよかった。2015年はじめてのヒリシャンカへの旅では、この写真に写っている僕の約100m下で、胸まである不安定な雪に阻まれて敗退した。今回の僕は、ペルーの山々ではお決まりの悪名高きシュガースノーのホラーショーを恐る恐る待っていたが、それは訪れなかった。しかしこのセクションは比較的簡単に登ることができたものの、下降時のライン探しは困難だった。「登ったり降りたり、そして微妙なトラバースをたくさん繰りかえした」とヴィンスは回想する。「暗闇と登頂後の疲労のせいで登ったトレースを忠実に辿って降りるのは難しく、いくつかの氷のルーフと岩のバットレスを危うく間違った方角へと降りかけたこともあった」

ヒリシャンカ

偶然にもカナダのクライマー、アリク・バーグとクエンティン・ロバーツが東面の新ルートに挑むためにヒリシャンカに来ていた。ベースキャンプで彼らと過ごしたヴィンスと僕は、登攀の計画についての調整などはしていなかった。だから僕の数分後にアリクが尾根を越えて姿を現したときの驚きを想像してみてほしい。ヒリシャンカは20年も登頂されていなかったというのに。僕らの1時間以内に彼らが到達したとしても驚くべき偶然となったはずで、両チームにとって互いの1分以内に登頂したことは本当にすごいことに感じられた。僕らは満面の笑顔で挨拶を交わし、彼らが僕らのトレースと懸垂アンカーに沿って下山できる幸運に安堵した。

ヒリシャンカ

僕がアルピニズムで最も愛することのひとつは、それが生み出す絆だ。旅の道中で、ベースキャンプで、そして登る時間をともに過ごすことは、人生の他の場面ではなかなか見つけられない深い友情と関係を育ててくれる。アルピニズムは他のクライミングのジャンルと違い、個々の力を合わせることのみが最善につながる真のチームスポーツである、という点で特異な存在だ。

ヒリシャンカ

これまで毎回ヒリシャンカを去るときは、どうすれば山頂に到達できるのかというあれこれで頭がいっぱいだった。このときには、僕の心はやっと平穏になり、深い満足と感謝の念とともに歩くことができた。ヴィンスはうまく言ったものだ。「この山を登ることそのものの細かな部分や親密さだけにフォーカスしてきた。そうやってきたからこそ、ようやく山の他の面の光や美しさにより深く気づくことができるんだ――つまり僕が好きな、眼下に広がる山の影や谷に」僕らが山頂を去ったあと、下山には終わりがないように感じられた。ルートを読み間違え、ロープが絡まり、ベースキャンプから疲れ切った重い足を引きずり、バスまたバスを乗り継ぎ、飛行機、そして運転。それはまるで6日間連続で懸垂下降していたように感じられた。私道に車を入れ、妻と娘をがっしりと抱きしめたときにようやく、下山が真に終わったと感じた。

ジョシュ・ワートンは家族と、そして「ソー・ザ・デストロイヤー」という名前のマキャベリアンなレグホーンが率いる6羽のニワトリとともに、コロラド州エステス・パークに暮らす。

ヴィンス・アンダーソンは3人の男の子の「トラッドな父親」役を務め、ガイドサービスである〈スカイウォード・マウンテニアリング〉を自営しながらコロラド州グランド・ジャンクションに暮らす。

ドリュー・スミスはあらゆる場所、そしてどこでもない場所でカメラを手にしながら、泥にまみれて幸せに暮らす。

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