狩場山のヒマラヤ襞
全ての写真:國見 祐介
部屋から眺めていた山々を全部滑ってみたい。そう思い起こしはじめたのは、いつのころだったのだろうか? 部屋の窓からはメップ岳、カスべ岳、狩場山と3つの山が並んで見え、冬になると真っ白になるこの山々を眺めながら過ごした。
18歳まで過ごしたせたな町は、渡島半島の最高峰狩場山(1520m)の南側に位置し、ブナの北限域にも近く、裾野は日本一広いブナの原生林が広がる。日本海側に面しているものの、町の北西に狩場山があるため町の降雪量は日本海側としては少なめだ。町の南側には何度も清流日本一になった後志利別川が流れ、日本海と太平洋に挟まれた本当に自然の豊かな土地で育った。
日本海から太平洋までの直線距離が100kmに満たない屈曲部になっていて、この地形が風の通り道を作り出している。二つの海に挟まれた狭小地のためか夏はヤマセといわれる東風が吹き、冬はタバ風という北西風が吹く。せたな町の一年間の平均風速は7,9mになり、この風を利用する風力発電の風車がここ2〜3年で16基建設され、まちの景観は変容した。
子供の頃に狩場山を滑ったのは1度だけ。小学6年生のゴールデンウィークに行われていたヘリスキーだった。東狩場山にヘリコプターで1本だけ上げてもらい滑り降りてくるものだったが、小学生の自分にはスキーの記憶よりもヘリコプターに乗れた喜びのほうが強く印象に残った。これが、最初のバックカントリー体験だったのだろう。スキー場のないこの山はバックカントリーでしか滑ることができない。近くに大きなスキー場がないこのエリアで、こんなに滑れる場所があることかと驚いた。
4〜5年前からは時間を見つけては、日帰り圏内にあるカスべ岳やメップ岳で厳冬期に滑れるラインを探しに通い始め、何度か通ううちに狙っていた斜面にどうにかラインを引くことができた。しかし、そこは自分が求めていた雪質と地形ではなかった。道南で標高1000mほどしかないこの2つの山は、気温と日射が他の北海道のバックカントリーエリアと比較してより影響を受けやすい。雪の安定と天候を狙っていくといつも雪が重くなっていて思うような滑りができなかった。
次に狙ったのは狩場山の北側の斜面。標高も高く日射の影響を受けにくい。そして、町からも周辺の道路からも望むことができないエリアだ。地形図を眺めてルートとライン取りを想像する。狩場山はアプローチが遠く、林道を10キロ以上歩かないと斜面にはたどり着くことはできない。林道の雪が解ける5月頃に滑るのが一般的で、厳冬期に行くならば、スノーモービルか雪上車がないと一日でのアプローチは難しい。そんな理由から、行きたいと思う気持ちがありながらも挑戦できずにいた。
もう一つ狩場山に行きたいと思う理由があった。それは高校生の頃、地学の先生の「狩場山の北側の斜面には、多量の降雪と急峻な地形がヒマラヤ襞(ひだ)を作り出しているかもしれない」という言葉がずっと頭の片隅に残っていたからだ。地元の滑ったことのない斜面にヒマラヤ襞があるかもしれない。そのヒマラヤ襞に対する情熱がずっとありつづけていた。
その情熱を温めつづけていたものの時間だけが過ぎていった。しかし、その情熱を察するように狩場山に行きたいと望む人が現れた。古瀬和哉さんと加藤直之さんだ。以前から北海道で滑りたいと言っていた古瀬さん、北海道に拠点はあるものの道南の経験がない加藤さん。この2人と一緒に狩場山のヒマラヤ襞を目指すことができたら・・・。そんな想いを2人にぶつけてみたら快諾してくれた。
3人の都合がついたのが3月下旬、良い雪を狙うには少し遅い時期だった。とはいえ、行かないことには、どんな斜面が待ち受けているかもわからないので山中雪洞2泊の行程を計画した。
ルートは自分が以前から行きたかった狩場山山頂から北西側に馬蹄型に広がる5つのピークをつないで縦走するルート(オコツナイ、前山、狩場山、東狩場山、フモンナイ)だ。これらのピークをつないでいく予定だったが南西の強風予報の為、風をかわせる逆ルートを選択した。
1日目の朝は晴天。前日の夕方までの雨が嘘のように晴れ渡っていた。午後から強風になる予報だ。強風を警戒してフモンナイ手前の斜面に雪洞を掘ることにした。掘り始めてしばらくすると風が強くなってきた。2時間かけて掘った雪洞は快適に寝れるほど広くなったが、入口は強風で運ばれてくる雪によってすぐに埋まってしまう。夜中には、入口の隙間から聞こえていた風の音が聞こえなくなり完全に塞がれてしまった。窒息しないように全員で入口の雪を掻きだした。体感風速は25mほどだ。明日の朝には風は止む予報だが、この状況からはやみそうにはない。
雪洞を掘った場所から、フモンナイ岳の山頂を目指す。この山を越えれば狙っている狩場山の北側斜面が目に飛び込んでくるはずだ。期待に胸を膨らませ険しい山頂直下を登る。荷物の重さに苦しみながらも、その先にどんな斜面が現れるのかを想像し興奮している自分がいた。山に登り、その先にある見たことのない景色を想像するその時間の経過が心地よく最高なのだ。
フモンナイ岳の山頂から見下ろした斜面は広く、標高差500mの中でたくさんのラインを取ることができる素晴らしいものだった。しかしながら、これまでずっと求めていたヒマラヤ襞は、その斜面にはなかった。残念な気持ちとは裏腹に、素晴らしい斜面を前に3人でどこのラインが良さそうだと時間がないにもかかわらず話しが弾んでしまう。前夜の強風の影響で斜面は磨かれ硬くなり、今回はこの斜面は滑れないと判断した。先も長いので次のピークである東狩場を目指すことにした。そして、ここでもう一度雪洞を掘り一泊した。
翌日、硬くなった稜線を歩いて狩場山の山頂を踏んで茂津多方面へ降りた。下山途中、前山を過ぎた雪の緩んだ南斜面で1本どうにか滑ることができた。結局、3日間の山行でまともに滑れたのはこの1本だけ。普段ならなんてことないただの斜面だが、滑ることを求めていた狩場山の奥のエリアに足跡を残せた満足感はこれまでにはないかけがえのないものであった。
この3日間でヒマラヤ襞を見ることはできなかった。しかし、狩場山の北面には素晴らしい斜面が広がっていて、3人で見ることができたということは大きな収穫だった。斜面を前にしてラインの話している間は子どもの頃にもどったような感覚だった。
そんな感覚を思い出させてくれる狩場山。このエリアで滑り続ける為には守るべきものがたくさんある。
このエリアは、北海道の南側に位置し標高が低く気温上昇の影響を受けやすい。この数十年の間に1〜2℃、年平均気温が上昇しているようだ。このままだと、あと数年するとこのエリアで満足できるパウダーを滑れる期間は1ヶ月もないかもしれない。
滑りたい斜面をやっと見つけて、これから何度も挑戦したいのに、パウダーのある期間が短いのでは、いつまでたっても目的は達成できない。この縦走を通じて、こんなにも身近に気候危機が迫ってきているのかと気づかされた。
これまでは、ゾクゾクするような斜面を旬なタイミングで滑り続けることだけを考え続けてきた。しかし、その旬が短くなった現在、どうすればこれ以上失わずに済むのかを考えなければならない。そして、行動を起こしていかなければならない。
地元の山を滑ったことが、地球規模で起こっている気候危機について考えることにつながった。個人で考え行動しているだけでは間に合わない。いい雪が狩場山に降り続けるよう、行動していきたい。