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白夜に波立つ大地

モーガン・ウィリアムソン  /  2023年1月24日  /  読み終えるまで18分  /  サーフィン, コミュニティ

アラスカ州南東部ヤクタット・サーフクラブに芽生えた興奮の中へ。

ヤクタット・サーフクラブのメンバー、ジャクソン・ウルフは、サーフィンの師匠カナーン・バウスラーと共に、彼にとって最初の面ツルの波に立つ。アラスカ州ヤクタット。写真:Chelsea Jolly

「あ、手を振らなきゃダメだよ」ヤクタット・サーフクラブの設立に携わったチェルシー・ジョリーは、赤いセダンを追い越す時、丁寧にそう言った。

「え!?」

「みんな振るんだよ」オレゴン出身の写真家兼映画作家で、環境活動家でもある彼女は言う。

無作法だと思われたくなければ、町にいる間は「ヤクタット・ウェーブ」が必要らしい。皆やっている。泥道のトラクター運転手、自転車に乗った子供、ベビーカーを押す親、バーやミニマートの店先の男たち、髪を赤と黒に染めて道端のサーモンベリーを摘む少女。みんな。こうしてフレンドリーに手をふる所作は、アラスカのヤークヮダート(ヤクタット)に特有のものではないが、少なくとも、よそ者が地域の天然資源を堪能するつもりならば、まずは同胞に謝意を示すところからはじめるのが無難だろう。

白夜に波立つ大地

サーフィンの前に、アメリカで2番目に高い山であるセントイライアスを望む。この山は別名をヤスエイトアーシャーといい、トリンギット語で「凍る湾の背後の山」という意味だ。写真: Chelsea Jolly

アラスカ州にはサーフィンのガイドプログラムがある。ボートをチャーターして沖や離島のポイントに連れて行ってくれるが、大半の人々にとってはアラスカでのサーフキャンプ自体が斬新すぎるアイデアだ。そして、唯一の子ども向けサーフキャンプであるヤクタット・サーフクラブは、アラスカ州南東部のこの田舎町にあり、船か飛行機でしかアクセスすることができない。

トリンギットの言葉で「カヌーが休む所」を意味するヤークヮダートの人口は700人ほどで、その半分を先住民のトリンギット族が占める。先住民の若者は若年層の4分の3を占め、ヤクタット・サーフクラブでは、キャンプにもよるが、90~100%を占めている。この子どもたちにとってサーフィンは特別なものだ。「遊ぶことは新しいことだ。私たちの夏はとにかく収穫が基本だから」ヤクタットサーフクラブのリーダーで、トリンギット出身のグロリア・ウルフは言う。「これはコミュニティの長老たちにとっては目新しいことなの。自分たちの頃はやらなければならないことがありすぎて、遊ぶ時間なんかなかったと言うでしょうね」

白夜に波立つ大地

ライアン・コルテスのヤクタット・サーフクラブへの貢献は、メンバーの肩車だけではない。写真:Bethany Sonsini Goodrich

ライアン・コルテスは、2018年に初めて非公式にヤクタット・サーフクラブを立ち上げた。プエルトリコ出身のライアンは、アラスカ州ジュノーでカレッジを修了し、そのままその土地にとどまった。写真家、映像作家、サーファー、そしてスノーボーダーである彼はキャンプを照らす炎だ。

ベテランのインストラクターたちによると、ヤクタット・サーフクラブの誕生秘話は少し異なっている。キャンプの後、ライアンと電話で話したところ、その始まりはライアンが町中をドライブし、窓から大声で呼び掛け、サーフィンをしたいすべての子どもを自分のバンに載せていった――というのが、当たらずしも遠からずのようだ。

「2年間、相棒であり、アラスカの親友の1人であるディラン・キグリーとあそこへ通ったよ」ライアンは言う。「僕らが通っていた頃はサーフィンをする子はいなくて、それでサーフキャンプを思い付いたんだ。そこで、ガールフレンドのカイラと出かけて行った。僕らはただ現地へ出向き、バンを借りて、サーフショップのIcy Wavesへ行き、(当時)オーナーのジャック(エンディコット)と話をした。『サーフィンをやりたがりそうな子を知らない?』するとジャックは息子で教師のネイトに電話をかけ、そして次の日、ショップに8人の子どもたちが来た。なぜサーフィンをしないのかと聞くと、必要なボードもウェットスーツも手に入らないからとか、いとこが釣りに出て不運な事故に遭ったので海が怖いとか話してくれたよ」

ジャックはライアンとカイラにいくつかギアを貸し出し、2人は全員をレンタカーに詰め込み出発した。「権利放棄書なし、免責同意書なし、何にもなしだよ、まったく!」ライアンは言う。「そんな難しいこと僕に分からないよ。僕らはただ種を蒔いたのさ」最初にサーフキャンプに行った子どもが、近所の子どもたちにそこでの出来事を語りかけた。すると突然、これまでずっと釣りや狩りをしながら海で育った子どもたちが、サーフィンに夢中になりだした。

結成に先立ち、ライアンはコリン・アリスマンという映像作家に出会った。「プロジェクトの初期段階で、彼は大きなカタリストだった。あっちに彼の会社があって(仲間の映像作家や写真家の)チェルシー(ジョリー)やサシュワ(ブリュズ)を連れてきてくれた。1年目のキャンプで、2人の存在は大きくなったよ。彼らはコネがあって、ウェットスーツを寄付してもらえるよう協力してくれた。そして次のキャンプの時、撮影班が来て、チェルシーがいっしょに書類や権利放棄書を用意してくれ、我々の物流エキスパートとなって、すべてを整えてくれたんだ」ライアンは言う。

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自信がない時は「おまじない」に砂でも擦り付けておこう。写真:Chelsea Jolly

今週末、ライアンは不在だが、サーフクラブのスタッフは彼のことを神話のように話す。ビーチでライアンを撮ったiPhoneの動画をスタッフから見せられた時、僕はこの興奮の核心がミスター・コルテスであることを理解した。動画の中で、ライアンは焚火のそばでウェットスーツを半分脱ぎ、ターザンのようにガッツポーズをし「僕はサーフィンを止められないのだ!」と唸り、子どもたちや仲間のインストラクターを喜ばせていた。

ライアンは、毎年夏に数日間一部の子どもをサーフィンに連れ出す以外に、ヤクタット・サーフクラブにおける将来のビジョンを持っていた。彼はこれらの子どもたちに地元のブレイクでサーフィンをするツール、スキル、知識を与えたかった。キャンプが軌道に乗り始めた時、ライアンはそれを引き継げる地元住民を探した。

「僕はこの地域で自殺防止の活動をしていた女性を見つけた。それがグロリアさ」彼は言う。

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グロリア・ウルフは、トリンギット出身の地元アーティスト、ギバーワム・ラクサ・デービッド・ボクスレーが、ヤクタットサーフクラブのために特注で制作したトーテム風デザインのボードを誇らしげに見せつけてラインナップに向かう。写真:Chelsea Jolly

現地へ行き、キャンプを手伝い、この原稿を執筆する件で、僕がライアンと最初に連絡を取った時、彼はグロリア(その人のことを彼は最初「お母さん熊」と呼んだ)と話すべきだと僕に言った。グロリアは非営利機関「First Alaskans Institute(アラスカ先住民協会)」のIndigenous Leadership Continuum(先住民指導者存続)ディレクターだ。彼女は自分の本業についてこう言った。「部族の主権やアラスカ先住民権益措置法の知識を身に着け、盾にできる若き先住民リーダーを育てるの。そして彼らが先住民としてのアイデンティティや、過去150年に経験した、基本的には意図のある虐殺に等しい闇の歴史を理解できるように助けるのよ」

現在は、彼女とその夫で、かつてヤクタット町長だったラルフ・ウルフがキャンプの運営に当たっている。夫婦にはジャクソン(11歳)とジェース(9歳)という2人の息子がいる。4人共、数年前にライアンのキャンプでサーフィンを始めてから、今では時間の許すかぎりサーフィンをしている。

グロリアはキャンプに文化的な意味合いを持ち込み、そしてヤクタットの子どもたちに地元の波の乗り方を教えたいというライアンの夢のカタリストになった。もしそれが上手くいき、現地社会のプラスになったら、トリンギット文化を前面に掲げることになるだろう。「私たちは水の民」とグロリアは言う。「私たちは海洋の民。潮の民。カヌーの民。ここはカヌーの休む所」

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カメラに向かってシャカサインを投げるラルフ・ウルフ。写真:Chelsea Jolly

グロリアは好意的で、洞察力に優れ、そして自身のコミュニティを深く愛している。伝染力のある大音量の笑い声の持ち主だ。海岸のあっちとこっちにいても、風速6mの風と厚さ4mmのフードを通して、耳に届くような声。世界のどこにいても、どの部屋にいるか分かる声。

「ここの子 どもたちはみんな家族」砂と雨の中に立って、50人近いグロムを見ながら、彼女は僕に言う。年齢は7~16歳、サーフィンをしたり、ブギーボードに乗ったり、水遊びをしたりしている。「みんな親戚みたいなものよ。血がつながっていなくても、部族としてつながっているの」

ただし、グロリアはキャンプや彼らの文化に対する外部の関心にやや懐疑的でもある。「訪問者やヤクタット以外からキャンプに参加する人がどんどん増えている。文化やアイデンティティを断固主張することがとても重要だと私が考える一因はそれよ。この子どもたちは、自分が何者であるかを知っているし、ここがトリンギットの土地であることを知っているから、それはいずれ、ここが誰の土地であるか、どのように神聖さを保っていくかを巡って、議論したり、戦ったりする際の拠り所になる」

彼女が懐疑的になるのも無理はなかった。北米の大半の地域で植民地主義は16~17世紀に始まったが、そうした歴史や記憶はここではまだ比較的新しい。1800年代にロシアがアラスカの植民地化を主導した時、ヤークヮダートに犠牲はなかった。「私たちは彼らをここから追い出した。語り部として残された人のみが、ロシアへ帰る船に停泊した」グロリアは僕に話した。「私たちの歴史ではそう言われているわ。その後、ロシアから米国へのあのアラスカの売却があった。米国人は(第二次世界大戦中に)ここへ来る前に、既に北米全土で植民地支配のあらゆる試行錯誤を終えていたから、機械のように無駄がなかった。それが1世代のうちに起きたのよ。」

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ソフトトップとウェットスーツに愛を込めて。写真:Chelsea Jolly

トリンギットの人々は、ほとんどの先住民族のように、保留地へ移住することはなかった。その代わり、第二次世界大戦中の子どもたちが宗教熱の犠牲になった。「ヤクタットはアリューシャン列島に向かう途中の補給基地になった。わずか600人の町に巨大な滑走路がある理由はそれよ。その後、寄宿学校での宗教的迫害もあった。先住民にとって本当につらい時代だった。子どもたちはみな(宗教的な寄宿学校へ送られるため)家を離れなければならなかったのだから」グロリアは説明する。

「祖母は8歳の時にWrangell Institute(ランゲルインスティチュート)に送られた。どのコミュニティからもすっかり子どもがいなくなるなんて、考えるととても奇妙ね。そのせいで知識の継承が難しくなった。それでも、あらゆる混沌を乗り越えて、伝えられたものはかなりあるわ。祖母は母にトリンギットの流儀を教え、母はそれを私に教えた。私たちの多くは、旧世代ほど恥や罪悪感を持たずに育ってしまった。私たちは寄宿学校の遺恨から立ち直るために、世代間のトラウマを抱えているの」

グロリアによると、ヤクタットの夏は伝統的にベリーや魚の収穫に当てられる。でもこの夏は、常勤の仕事、6回のサーフキャンプの開催、ライフガード資格の取得、機会を見つけてのサーフィンに忙しく、あまりたくさんのベリーを採れず、燻製小屋に魚を仕込んだのも2回だけだったらしい。それでもキャンプが始まる前のある日、ラルフはシタック川に釣りに出かけ、幅1mのクーラーボックスに溢れんばかりのソッカイ・サーモンを持って帰ってきた。そしてそのうち5匹を車の後部でさばき、いつまでも白んだままのアラスカの宵に、サーフクラブのスタッフに振舞った。

キャンプ前の数日間を散策に費やして、僕はここでサーフィンを習うことが容易ではないと知ることができた。土地勘がないと海岸に出るのさえままならない。波に行き着くには、ほとんどの場合、トンガス国有林に隠された泥道(素人目にはどれも同じに見える)の迷宮を走行するため、1つ曲がり角を間違うたびに何時間も帰り道を探すことになりかねない。ブレイクを見つけても、通常は水温10℃以下、大雨、突風、変動的なピークが特徴で、貨物列車級の潮流に捕まれば、わずか数分で沖か、1.6km先の浜まで流される。おまけにここはグリズリーの生息地なので、海岸と深い森の間にある丘まで歩く15~20分間、絶えず首を回し続けたほうがいい。

それでも誰かがここにサーフコミュニティを作るとしたら、それはあの子どもたちだ。キャンプ初日の昼食時、雨と風の冷たさにもかかわらず、ウェットスーツを着て、朝の荒波の中で笑っていたグループに、僕は恐れ入った。ライフガード兼インストラクターのジェニー・ジェンセンとバイオレット・センズメアーをはじめ、仲間の親たちや友人と一緒にいたグロリアの方を向いて、僕はこう言った。「ここの人達は只者じゃないよ」

全員があきれたような顔で笑って、ほぼ口をそろえて言った。「知ってる」

これまでに何度も僕はサーフキャンプで仕事をしてきたが、トリンギットの子どもたちには、そこで見たどんなものとも違う粘りと熱意がある。崩れる波に向かって僕が押し出すどの子どもにも躊躇がない。アラスカの厳しい冷水に打たれると分かっていても、彼らはなお、笑いながら反対側から抜け出して、「もっと大きいの!」とさらにひと押しをせがむ。

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スーツがピッタリであろうがなかろうが、ヤクタットの子どもはやって来る。写真:Chelsea Jolly

ここの子どもたちは、海や川や森で育ち、幼い頃に釣り、狩猟、採集を覚える。ラルフとグロリアの長男、ジャクソン・ウルフは「8~9歳になると、たいていはお父さんやおじさんが初めてのムース狩りに連れて行ってくれる。僕は2年前に行ったよ」と言った。砂浜や波打ち際に向かう道すがら、彼らはベリーやコケ類を見分け、カゴや手提げを編むのに適した根を掘り出す。彼らは大地に生かされ、大地と共に生きる。それが伝統であり、また一因として、ヤクタットで食料の入手が困難かつ高額という事情もある。犬でさえ散歩に出ると、毛にいっぱい種を付けて帰ってくる。犬が熊のふんに転がり込んだ時、匂いが抜けるのにどれぐらいかかったかを彼らは笑って話す。

キャンプ発足当初からのメンバー、ネリー・ヴェールは、止まない豪雨、風、水温にひるむことなく、3x2mmのウェットスーツを着て、コーヒーを片手にやって来た。ブーツもフードもないが、キャンプから支給された5mmのフード付きスーツは「温かすぎる」と言う。この子どもたちは北米最後の秘境の産物であり、1日中水の中にいる。砂の城を作ったり、浜で追いかけっこをしたりする子はいない。サーフィン、ボディサーフィン、ブギーボードをするか、泳ぐかだ。

キャンプ自体は、サーフィンを止められない人々や、この水、この海、ヤクタットの圧倒的な美を愛する人々によって運営されている。彼らは子どもたちのためにここに通い、そして教えると同時に学んでもいる。

夏、太陽は決して沈まないように思える。7月の夜は3時間の闇があり、その間に眠る人もいるが、そうでない人にとって、それはレクリエーションの時間になる。キャンプ初日の夜11時頃、子どもたちを8時間も波の中へ押し続け、ちょうどサーモンで満腹していた時、グロリアが叫んだ。「さて、誰かサーフィンに行かない?」

片付けをして、トラックとバンに飛び乗り、海岸へ向かう。スーツに着替えて、これが本物のミッドナイトブルーかと思うような色相の中へパドルアウトする。水の上でボードに座って、足跡のない砂浜と倒木の向こうのあの丘や谷に森が影を落とすのを見る。音のない静止した無心の領域。海から上がりトラックに戻る途中、海岸線の近くで現実的な熊の脅威に足が止まった。いざとなったら、海面から半分のぞく岩場の間をパドリングし、沖へ出よう――可能な逃げ道はそれだ。

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トラックは乗っ取られた。写真:Chelsea Jolly

キャンプが進行するにつれて、海の安全や緊急時の心肺蘇生のような医療措置を教えることが重要になる。ヤクタット・サーフクラブのスタッフは、ボランティアの沿岸警備隊を連れてきた。アラスカ州シトカに駐在するロブ・エミリー、ファン・エスピノーサ・ゴメス、タイラー・コナーズだ。午前中、水に入る前に、ビーチで安全班が荒潮、うねりの方向、高さ、1日を通じた潮流の変化を教える。潮が3.7m上昇すれば、状況が急変することを考えながら、子どもたちは熱心に聞いている。この子どもたちは海の威力を知っている。以前に話を聞くか、家族を海で亡くしている。

サーフィンは、成長期の子どもにとって、彼らの文化やその重要性にどうつながるのかを、グロリアにたずねた。「先住民である私達にとって、海は多くを意味する。キャンプの時、私は海のそばに立って、子どもたちに海の力や強さについて話すの。私たちにとって、海には魂がある。あらゆるものは、エネルギーという点で魂を持っている。海はこれほど強く、汚すことのできない神聖な場所。だからこそ、そうした尊敬と愛の心を持って入るのよ。海は祖先や愛する人々とコミュニケーションする良い方法よ。それは体内にあり、私たち自身でもある。私たちは母の胎内で水の中で育つけれど、その水は、この新しい場所へ生まれるために破られなければならない。サーフキャンプでこれらの理想を若者に伝えることは、我々がトリンギット人として、もうどんな場所でも自分自身をごまかす必要がないことを、彼らが、そして私自身も、思い出すことができる良い方法なの」

おそらく最も重要なのは、サーフクラブがヤクタットの若者の精神衛生を改善する方法であることだ。

「どこもそうだけど、ここでも『うつ』は問題よ。」グロリアは言う。「でも2月に毎日3時間しか日光がないのは厳しいわ」

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樹々の間に立つヤクタット・サーフクラブのメンバー、ゾーイ。写真:Chelsea Jolly

グロリア、ラルフ、ライアン、チェルシーは、非営利機関「Heen Foundation(ヒーン基金)」(ヒーンはトリンギット語で「水」)の設立に取り組んでいる。その目標は、地元のために、ヤクタット・サーフクラブをはじめ、カヌーや冬季のクロスカントリースキーなど、健康的なアウトドアレクリエーションを促進することだ。「世代間の数々のトラウマや、先住民の若者にとってのはけ口の不足のために、精神衛生の改善は、私達がやろうとすることの大きな柱よ」グロリアは言う。「すべては、互いに励まし合い、一緒に踏みとどまること」

ヤクタットでの最後の朝、雨が止んだ。太陽は輝かないが、次の大雨予報まで数時間ある。フライト前の海岸までの最後の散歩にうってつけだ。波を見に行く途中で、もう少しベリーも摘もう。グロリア、ジャクソン、ジェースが、チェルシーと僕に合流した。愛犬のロージーも、草むらや水たまりで足踏みし、浮かれてラブラドードルの白い巻き毛を泥だらけにしている。

子どもたちはベリーを摘む。グロリアが「ベリースマッシュ」をやってと頼むと、少しの説得の後、彼らは手にいっぱいのブルーベリーとサーモンベリーを口へ押し込んだ。笑った歯は、赤・紫・黒に染まっている。「ベリーはエネルギーをくれる。プロテインがいっぱい詰まってるんだ。サーフィンに最高のおやつだよ」ジャクソンがいつもの思慮深い計算された調子で話すと、ジェースが背後で「酸っぱい!」と笑う。

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ジャクソンと波待ち。写真:Ryan Cortes

僕はジャクソンに、この週末は君たちすごかったよと言った。「サーフクラブの子どもはみんなダンスをする。だからサーフィンが上手いんだ。僕らは腕と脚が強いから」ジャクソンによると、子どもたちはみんなマウントセントイライアス・ダンスグループの一員で、1万年以上前に作られた歌に合わせて踊るトリンギットの伝統舞踊をやっている。トリンギットであることで、一番気に入っているのはどんなところかと彼にたずねた。「必ずしも好きなところはないけど」と彼は言う。「トリンギットであること全部が好き。そうであることが、ただうれしい」

サーフィンの高揚感について彼にたずねた。自分にはそれがあると思うかと。

「うん、きっとみんな今はサーフィンに興奮してると思う。波に乗ることにかなうものは、この世にないもの」


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