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ミニマル農家

曽田 夕紀子  /  2023年3月24日  /  読み終えるまで15分  /  ワークウェア

自然界の摂理のなか、ミニマルな道具だけで野菜を育てたい。そう願った農家は、耕さないという道を選んだ。

クワの用途は、耕すためではなく、主に表土を削るため。大体20~30cm幅に表土を削り、そこに野菜を植え付けていく。

全ての写真:松永 勉

季節をすこし先取りしたかのように、その畑は、明るい春の兆しであふれていた。梅どころとして知られる、神奈川県小田原市は曽我地区。その一角にある畑に訪れたのは、可憐な梅の蕾がほころびはじめた2月初めのことだ。みかん畑の間を縫うように車を走らせて、急峻な坂をのぼりきると、海と山と街並みを見晴らす絶景のなかに、その畑はあった。こぢんまりとはしているが、畑全体を地を這うように緑が覆っていて、その合間には、多彩な冬野菜がいきいきと葉を伸ばしている。季節的には、端境期が迫る頃。道中、ところどころで目にした耕作地が、一面ひたすら土の剥きだし状態だったのとは対照的に、草で覆われたこの畑には、確かに生き物の息吹があった。ひと足早い春を感じたのは、相模湾に面した西湘の地らしい長閑な陽気ばかりでなく、そのせいも大きいだろう。農家・久保寺智さんが営む、久保寺農園の一区画である。

ミニマル農家

神奈川県の沿岸部西に広がる、温暖な西湘エリア。相模湾を見渡す曽我丘陵の一角に久保寺さんの畑がある。

畑一面を、息吹が覆う理由。それは、久保寺さんが実践している「不耕起栽培」の恩恵によるものだ。不耕起栽培とは、文字通り、“耕さない農業”のこと。土壌は、炭素の巨大貯蔵庫である。土を耕さないことで、農地の土壌中に炭素をより貯留できる可能性があることから、気候変動問題の解決策のひとつとしても、近年、世界的に期待されている農法だ。

温室効果ガスの削減のほかにも、土壌環境の改善や、土壌侵食抑制など、主に環境負荷という観点から、その効果について注目されることの多い農法だが、就農と同時に久保寺さんが不耕起栽培を始めたのが10年前。実践者が少なく、技術の体系化も十分ではなかった農法をわざわざ選択した動機は、そんな環境問題への意識とはまた違う文脈にあるという。自身が思い描く農を実現するためという、極めて個人的でシンプルな理由だ。

ピュアな情熱とともに。ひたむきに畑と向き合い、手探りで栽培技術を体得して10年。いまでは長期不耕起栽培の希少な実践例として、現役農家、就農希望者、研究者、専門誌の記者など、数多くの見学者たちがこの農園を訪ねてくるほどになった。

ミニマル農家

DJをしていた経験もあるという久保寺さん。いつしか、再現性のない自然の音楽に惹かれていった。

長身で精悍な体つきからして、どことなくアスリート然とした久保寺さんだが、実際、彼にとっての農業とは、いわば、アウトドアスポーツの延長線上にあるといえるかもしれない。音楽業界出身で、プライベートではアルパインクライミングやボルダリング、トレイルランニングに傾倒。音楽然り、アウトドアスポーツ然り。いわば、身体性を伴う感動体験を追い求めてきた結果、そのさらなる追究のフィールドとして選んだのが、農業だったという。興味の対象をとことん掘り下げて追究する、久保寺さんはそんな没頭体質の人だ。

「もともと自然の中で遊ぶのが好きで。クラブミュージック、インプロ、ミニマルテクノと変遷を経た音楽の好みも、いつしか自然音を録るためにフィールドレコーディングをするようになったり、自然の魅力にどっぷりとのめり込んでいきました。そんな中で考えたのが、どうやったら自然ともっと謙虚に向き合いながら、自分自身を高められるのか、ということ。あるとき、農業を体験する機会があって、農にはすべてが詰まっていると感じたんです。自然の理を学び、身体と手を動かし、作ったものを食べてそれが身体をつくっていく。自然とのかかわり合いが深く、人間が生きていくために必要な根源的な要素が詰まっているなって」。

そして、突き動かされるように、全国の農家を訪ねる旅へ出た。期間は、約1年半。有機農業、慣行農業、自然農などジャンルにとらわれず、あらゆる農家のもとへ足を運び、手を動かし、対話を重ねる日々を過ごした。農家の数だけ、農のスタイルがある。それを知ることで、目指すべき農の輪郭が、徐々に鮮明になっていったという。最終的に、訪ねた農家は実に30軒ちかくにもおよんだ。旅を終え、神奈川県藤沢市にある有機農家「相原農場」で研修を積んだのちに、生まれ育った二宮町へ帰郷。小田原市と二宮町で畑を借り、晴れて農家としてスタートしたのが、10年前のことだ。

ミニマル農家

緑の絨毯が広がる畑。空気が澄んだ日は、相模湾、足柄平野を一望する好立地だ。このほかに、小田原市、二宮町に点在する約10か所の畑を久保寺農園では管理している。

就農当時から久保寺さんが目指したのは、「自然の力を生かしたミニマルな農業」であった。大型機械を用いずとも、人力と最低限の道具で完結できるようなシンプルな農業のことだ。

いわば、アウトドアスポーツや音楽体験と地続きにあるものとして、つまり、情熱を傾けられる“アクティビティ”としても、農の魅力に大いなる可能性を見出していた久保寺さんが大切にしたもの。それは、独特な自然観を前提とした農の在り方だった。

「人間は食物連鎖の頂点にいると考えられているけれど、地球全体で見た時に、植物、虫、菌の量は、体積的に考えても人間よりも多い。要するに、植物や虫、菌がいなかったら人間の社会は成り立たない訳です。そう考えると、人間はネットワークの最下層にいるな、と。生き物の壮大なネットワークや循環のなかで、僕らは生かされている。そんな感覚を、畑での手作業を通じて体感することができて、震えるくらいの魅力を感じたんですよね。ネットワークの最下層にいる人間が、自然の力をどれだけ利用させてもらって生きていくか。そのコミュニケーションの最適解を探ることに、僕はすごく興味があって。自然に生まれゆく生物のネットワークの連鎖の中で、野菜ができるのなら最高だな、と」。

ミニマル農家

久保寺さんの7つ道具。多くの作業はこれらの道具で完結する。いわく、クライミングでたとえるなら、ギアを駆使する人工登攀ではなく、自身の体力と技術で岩を登るフリークライミングのような感覚だ。

自然界の摂理のなかで、野菜を育てたい。そんな動機から結びついたのが、耕さない農業であった。本来、畑の土壌には、細菌、糸状菌、原生動物などの微生物や、ミミズやクモなどの生き物まで多種多様な土壌生物が生息。それぞれが複雑に絡み合って、土中の生態系ネットワークを紡いでいる。しかし、そうした土中の微生物やネットワークのバランスは、耕耘するたびに崩れてしまう。一方、不耕起ではどうなるか。ネットワークが維持されるだけでなく、不耕起を継続することで、多種多様な土壌生物がさらに増えていく。そして、ネットワークが成熟すると、土壌の団粒化が進み、作物に栄養塩を供給してくれるようになるなど、経年で作物が育ちやすい環境になっていくと考えられている。自然の力で紡がれる、そんな理想的なシナリオこそが、久保寺さんが不耕起栽培に感じた大きな魅力だった。では、そんな不耕起栽培は、どのように実現していけばいいのだろうか。

今でこそ、世界的な注目を集める不耕起栽培だが、アメリカを筆頭にその大半が大規模農業を前提としており、除草剤の散布がセットになった慣行農業であることがほとんどだ。一方で日本には、すでに何十年も前からオーガニックな手法を駆使した不耕起栽培の実践事例があった。久保寺さんがまず参考にしたのが、こうした先人達の智恵だった。とりわけ、考え方のベースになったのが、「耕さず、農薬・肥料を用いず、草や虫を敵としない」を三原則とする自然農の哲学だ。そこにある資源だけで完結できる、自然に則した農業を目指したもので、畑で採れた野菜屑や、周囲の草を刈り取ったものをその場に敷き、土の表面に有機物を堆積させていく。虫の死骸などとともにそれらが微生物に分解されることで、栄養塩が循環し、土壌が豊かになっていく。そうした自然の仕組みを活かすことで、耕さず、肥料を与えずとも野菜が育っていくという美しい農法に、心惹かれたのだ。

ただ、畑で手を動かしてみると、自然農の哲学上では正しいとされている方法でも、実際の農業に当てはめようとすると、現実的には難しい場合もあるということに久保寺さんは度々、気づかされたという。

たとえば、自然農では、なるべく外から栄養素を持ち込まないという考え方がある。久保寺さんの基本姿勢も同じだが、畑の土質によっては野菜がまるで育たないため、野菜屑で作った自家製植物性堆肥を必要に応じて畑に入れるようにした。また、自然農ではビニール資材や支柱などの石油由来製品は使わないのが基本だが、竹などの天然素材を試した上で、管理や作付け計画のしやすさから、久保寺さんは規格が揃った既製品の資材を採用している。

ミニマル農家
ミニマル農家

支柱や、虫防除のためのネットなども既製品資材を使用。野菜の外葉や、収穫後の茎は、畝の隣に敷き重ねていく。土の分解力が高いため、オクラのような太い茎でも半年以内できれいに分解される。

そして、「身体性から得られる情報のやりとりを重視している」と話す久保寺さんは、自然農の考え方同様、カマ、クワなど昔ながらの最低限の農具を用いて作業をしているが、草管理だけは例外。オオガマやクワを必死に振り回してみた末に、現在は刈払機や小さな管理機の力にも頼るようにしているそうだ。すべてが、実践と検証を経たうえで、自分なりに導き出した、理想と現実の最適な落としどころ、である。

「農業をなりわいとして成立させるにはどうするかを考えたとき、今の社会の経済性を踏まえて、自然農と有機農業のハイブリッドをしよう、と。単一の農法ではなく、自然農の概念やアプローチに、生産型の有機農業の利点をうまく融合させることで、農業経営的に十分成り立つモデルを目指したんです」。

自然農の概念として象徴的なもののひとつが、雑草との共存だ。草の種類が増えれば、地上部はもちろん、土壌においても虫や菌などが増え、生物多様性が育まれる。そして、伸びた草を刈れば、その刈り草が土壌を豊かにする有機物になっていく。

さらに、刈り草の恩恵は、そうした栄養塩の循環だけに留まらない。敷きつめられた草マルチによって夏草の繁茂が抑制されたり、高温期の乾燥や地温の上昇を防いだりと、さまざまな効果があるという。久保寺さんの視点で捉えれば、雑草は畑にとって邪魔者どころか、野菜づくりに欠かせない栄養源であり、資材でもあり、ある意味、財産だともいえるだろう。

ミニマル農家

自然の仕組みを活かした不耕起栽培は、観察、考察、実験の積み重ねだ。土、虫、草、野菜からさまざまな情報を常にサンプリングしている。

ちなみに、こうした同様の効果を期待して、有機農業での不耕起栽培では、緑肥やカバークロップが用いられるケースが多い。一方、久保寺さんの場合は、ごく限られたケースにおいて、稀に緑肥を使用することがあるそうだ。

たとえば、新しく畑を借りたものの、除草剤や化学肥料など過去の蓄積によって、草がまったく生えてこないという時。緑肥を播き、伸びた草を刈り取って、有機物を堆積させていく。するとまもなく、命が蠢き始めるのだという。いってみれば、久保寺さんにとっての緑肥とは、畑の循環を再起動させるためのスイッチのようなものだ。

「緑肥を播くのは、最初の1度だけ。あとは自然に任せるんですが、刈り草を堆積させていった結果、目に見えて変化があるんですよ。虫や菌が湧いたり、鳥が草の種を運んで、新しい草がどんどん生えてきたり。その変化が、すごくおもしろくて。人が有機物を積むことによって、その他の有機物や生物を呼び込むサイクルができて、それが結果的に人間の糧を作っていく。肥料を撒けば早く作物はできるかもしれない。でも、時間はかかっても、こういう面白味を感じるところに、僕の農の醍醐味はあるんですよね」。

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適度に湿度があり、さらさらで良質な黒土。畑によっては、このような土の状態にするまでに何年もかかった。

まるで、自然観察を楽しむかのように。久保寺さんの口ぶりはいかにも好奇心に満ちているが、日々時間に追われる農家が聞けば、そんな悠長ではいられない、と思うかもしれない。確かに、不耕起栽培は時間がかかる。久保寺さん自身も、就農して3年間ほどは、「作物も満足に採れず、時給に換算すると200円程度だった」という、苦しい時代を過ごしている。

しかし、「僕が考える不耕起栽培の最大のメリットとは、長期的に考えた時、野菜が育ちやすくなる環境が整うこと」というその言葉通り、この10年で畑は驚くほど変わったのだと、久保寺さんは胸を張った。

たとえば、植生の偏りが大きかった雑草は、年々と種類が増え、今ではバラエティーに富んだ植生に変化した。虫による食害に悩まされた時期もあったが、テントウムシやクモなど栽培を助けてくれる虫たちが、畑での存在感を強めるようにもなった。そして、多種多様なキノコが畑に出現。これは、土中での菌糸ネットワークが発達している証拠だ。

さらに、植物の根や菌の力によって団粒構造が発達したせいか、排水性や土の扱いやすさも格段に向上。そして、病原菌と戦う有用な微生物が増えたおかげだろう、野菜の病気も目に見えて減っていったという。こうした畑の地力向上によって、追肥や病害虫対策などの手間が徐々に減り、かかる労力も確実に軽減。まさしく時間の経過とともに、野菜が育ちやすく、人の管理が少なくて済む理想的な畑へと着実に変貌しつつあるという。

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形も大きさもさまざまな旬の野菜。その味に惚れこみ、サイズ問わずとにかく買いたいというリピーターも多いそうだ。

それに、じっくりと野菜が育つことのメリットだって、ある。自然の仕組みの中で、時間をかけて育てていくオーガニックな不耕起栽培では、野菜がより複雑で深い味わいになると言われているのだ。実際、久保寺農園の野菜は、顧客からの評価が高く、需要に対して供給が間に合わないほど。ちなみに、年間約60種類の野菜を栽培する久保寺農園では、レストランや個人への直販と、定期野菜便のネット販売という形ですべての野菜を完売。定期便については、キャンセル待ちの人々でバーチャル行列状態だというから、その人気ぶりたるや凄まじい。

現実問題として、自然農の哲学に惹かれて挑戦したものの、途中で諦めて離脱してしまったという人は、きっと少なくない。そんななか、自然農と有機農業のハイブリッド式のアプローチで、「日本のサラリーマン平均年収の中央値程度の所得は、得られている」という久保寺さんは、自然の摂理に沿った農業を目指す人々にとって、新たなロールモデルといっても過言ではないだろう。

「この10年で、面積単位の収量は、就農当初とは比べものにならない程に上げることができています。手作業がメインのため、どうしても管理できる面積は少ないですが、肥料も使わず、機械を使わず燃料費も少なくて済むので、利益率は割と高い。年々、管理が楽になってきたことで、今後はもっと省力化できる可能性もあります。野菜はたっぷりあるから食べるものには困らないし、家族3人が暮らす分には今の収入で十分。やり方次第では、社会性、経済性というのを十分担保できるということを、手応えとして実感しています」。

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不耕起栽培では、耕された土に比べて表層の土が硬い。それでも、力強く根が活着し、ニンジンのような根菜もしっかり育つ。

とはいえ、不耕起栽培の技術は、まだまだ発展途上だ。土のこと、草のこと、生態系のことなどなど。自らの知識や経験にくわえ、専門書を紐解くだけではクリアにできない疑問が生じた時などは、持ち前の探究心から、研究者や専門家たちとも積極的に接触を図っているという久保寺さん。その動機は、土の世界のことを科学的にも理解したいという、個人的な知識欲だけにとどまらない。土壌の生態系のメカニズム、野菜との関係性などが、今後、学術的に解明され、不耕起栽培の技術を体系化させることができれば、より再現性の高い農業として、普及の後押しになるのでは、とも考えているからだ。

「農業には様々な側面があるから、不耕起栽培こそがベストの農法という解釈は短絡的だと思うし、農業が全面的に不耕起栽培に切り替わった方が良いと思っているわけではないんです。だからこそ冷静に、非現実的な側面やデメリットについても、並行して考えていきたい。ただ、不耕起栽培が、農業のひとつの選択肢として世の中にもっとナチュラルに転がっていたらいいな、とは思っていて。たとえば、実践者同士が得られた知見をシェアしながら、農業としてひとつの新しい形や未来をみんなで創造できたなら、それはとても豊かなことだなと思うんですよね」。

先日は、土壌生態学をベースに、不耕起栽培の研究を続ける福島大学の金子信博教授が、畑を視察。会話が多方面に弾むなか、食べていける農業として、不耕起栽培の普及を目指すうえでは、作業をある程度省力化できる専用の自動機が必要だ、という話におよんだそうだ。たとえば、表土を削るクワに代わる管理機など、省力化に繋がる機械があれば、もっと間口が広がるはずだ、と。もし、専用機が開発されたとしたら畑に取り入れますか?と尋ねると、絶対とは言い切れないけれど、というわずかな逡巡のあとに、「たぶん、僕は使わないかな」と、まっすぐに久保寺さんは答えた。

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農園を訪れる人に、思い描く農の哲学や技術を伝えてきた久保寺さん。自らの経験を踏まえたアドバイスにより、あらたに不耕起栽培に取り組むひとでも、久保寺さんが辿ってきた道をショートカットできているのだそうだ。

「物を使わないという制約の中で、土に触れる瞬間とか、クワで土を削る感覚とか、そういうアクションの一つ一つに僕は気持ちよさを感じていて。これを機械化してしまったら、そうした身体性の楽しみも、そこから得られる情報量も大きく失われてしまうと思うんです。僕の原動力は、楽しいという気持ち。ある意味、野菜を作ることが目的ではなくて、クライミングで岩を触っているときと同じような感覚で畑に立ちながら、自然ってこんなに複雑でおもしろいんだ、ということにダイレクトに触れていたいんですよね。根気強いですねって言われるけど、それも違う。ただ、楽しくてしょうがないんです。だって、自然とは何なのか、古今東西、まだ誰にも解明できていない。この旅に、きっと終わりはないんだから」。

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