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土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

村岡 俊也  /  2022年7月25日  /  読み終えるまで10分  /  ワークウェア

盛岡に伝わる在来種を復活させ、農薬や肥料を不使用で育てている。 田村種農場の農業は、自然の文脈をつなぐような試みだった。

さやに入った小岩井蕪の種を採っていく。

全ての写真:平野 太呂

南部甘藍、小岩井蕪、盛岡葱。稲は、岩手亀ノ尾1号で、大豆なら山白玉。田村種農場の田村和大さんが手がける作物は、ほぼすべてが岩手県の在来種。10年前まではほとんど作られていなかった作物を、自家採種によって、少しずつ増やしている。6月とは思えないほど暑い日に訪れた、盛岡駅から30分ほど車を走らせた場所にある田村さんの畑では、葱と蕪が咲き終わり、種をつけ始めていた。なぜ、廃れかけていた在来種の復活にこだわるのですか? と尋ねると、「在来種には、その土地の記憶が刻まれているから」と答えた。

兼業農家の次男である田村さんが、東京でシステム・エンジニアとして働く生活をやめ、地元・盛岡に帰ってきたのは2011年のこと。多忙によって体調を崩し、あらためて自分の生活を見つめ直したときに、いかに食べ物が美味しく、大切かを思い出した。慣行農法や有機栽培などさまざまな現場を見学し、自分に合っているのは「何も施さず、土地の力を最大限活かす農業」だと、就農の準備をしていた。ハウスのための支柱やビニール類などの農業資材を発注し、いよいよスタートというタイミングで、東日本大地震が起こった。

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

葱坊主をカットした盛岡葱は一度掘り上げて乾かす。そうしてから植え付けると再び成長が旺盛になるという。

「道は食料を運ぶための車で大渋滞。当然、農業資材は届かない。遠くから何かを持って来なければ成立しない現代農業に疑問を抱いたんです。だけど、うちの祖母は、薪でご飯炊いて、風呂炊いて、淡々と日々のことをこなしていたんですね。土室に入れていた大根と牛蒡、それから自家製の味噌で味噌汁作ってて。祖母の暮らしを見てたら、あれ、おかしいぞ、なんで俺たちはこんなにバタバタしているんだろうって。もうすぐ葱坊主がつくから、種を採るって言うんです。農家にはビニールは作れないけど、種取りならできるじゃないかと思ったんです」
栽培方法からどんな野菜を作るのかを考えるのではなく、地元に根付いた野菜を起点にして、土地づくり、環境づくりをしていく方が理に適っているのではないかと、田村さんは考えた。

もう何年も使われていなかった田畑を借り、農薬や肥料を不使用の稲づくりをしている農家に月に一回通って教えてもらっていたが、それ以外はほぼ独学で農業を始めた。畝ごとに一つずつ違う品種を植え、同じ野菜のどの品種が土地に合うのか、テストしながら栽培をしていく。
ただし、初年度は岩手の在来野菜は見つかっていない。畑仕事の合間に、県の農林課や直売所などに出向いて、在来野菜がないかと尋ねる日々を送る。岩手県庁に問い合わせると、野菜の調査は1999年を最後に打ち切っていたという。それまでに持っていた在来野菜の種は、県外の種苗センターに寄付されており、田村さんはすぐに連絡を取って少しずつ分けてもらう。

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

岩手亀ノ尾一号の苗。育苗も、自分で採った種から。

「5年間の期間限定で、在来野菜を市民活動として育てようという任意団体を立ち上げました。それで南部甘藍というキャベツやネギ、水稲、小麦なんかも栽培して。その期間が終わって、現在でも採種を続けているという感じです。なぜ在来種なのか、という話につながるんですが、2012年頃から世界的に食糧生産に対する危機感が高まってくるんですね。干魃があったり、天候不順が続いて、今までの改良種では生産できなくなってくる。それで海外の種苗メーカーが、日本に原種を探しに来たりもしていたんです。なぜ原種がいいのかと言えば、適応能力があるから。種としての多様な経験があるっていうことなんです。冷害でも実った稲とか、干魃でもできた大豆とか、そういう歴史を生き延びている種。僕が在来種にこだわる理由は、一つには岩手の在来野菜を作っている生産者がほぼいないので、残していきたいから。もう一つは、種の資源として、岩手だけでなく世界中で必要とされるかもしれないからなんです」

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

在来フルツと呼ばれる、在来種の小麦畑で、実り具合をチェックする。

田村さんは、そう言って、稲や小麦の家系図を見せてくれた。世代が分岐している時代には、例えば冷害による飢饉があり、その対策のために「山を越えたら違う品種を植える」というような実験がなされていたことがわかる。単に収量の多い品種だけでなく、寒さに強い、干魃に強いなど、それぞれ特徴の異なる品種があり、何年かの実験を経た後に、土地に合ったものが奨励品種として登録されている。およそ100年前には当たり前に行われていた農業の“システム”が、今ではほぼ失われている。
「この岩手亀ノ尾1号という稲の品種は、盛岡地区に合うだろうと育てられて、大正8年に奨励品種に登録されたものです。資料を探して、その種を辿っていき、どうにか分けてもらって育てている。あるいは盛岡葱という在来葱の種は、最初に研究機関から分けていただいた数はわずか50粒。葱坊主が咲いても、株の数自体が少ないときちんと受粉していなかったりもするので最初は苦労しましたね。8年かかって、ようやく今年はたくさん採れたから本当に嬉しい(笑)」

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

盛岡葱の葱坊主。乾燥させてからふるいにかける。黒い粒の種が見えるだろうか。

この8年の間に、田村さんが食べた盛岡葱は、たった1本だけ。それ以外のすべての株を採種のために残し、育ててきた。
「この盛岡葱は、越冬した後にすごく伸びるので、春野菜としてもすごく重宝するんですね。まだ1本しか食べてませんけど(笑)。この葱の栽培をしながら思うのは、人間の主観でダメだと思う株を排除していくと、遺伝子を退化させてしまうんだろうなっていうこと。つい中がスカスカだったり、細いものだったりを種取りの株から間引いてしまうんですよね。でも、そうすると、株が増えていかないんです。太くて元気な株だけ残して、種取りしたらいいと思ってしまう。それが普通の育種の考え方ですよね。でも違うんです。できるだけ多様性を残すことによって、集団で花粉を増やして、受粉している。細くて弱い株にも役割はあって、今は受粉のためだけど、もしかしたら冷害に強いとか、もっと違う特性が出てくる可能性もある。人間の思い通りにしないってことが、採種のために必要だと自分は考えています」
その言葉から、田村さんが営んでいる、「自然と共にある農業」の本質が理解できた。
葱坊主を天日で乾かし、篩にかける。黒く小さな種を集めて、今度は唐箕と呼ばれる木製の古い農具で葱坊主の殻を飛ばしていく。田村さんの作業は、かつてその作物が育てられていた時代と同じ道具を使って行われる。「歴史をつないで、一本の線にしたかったんです」と田村さんは言う。

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

唐箕のハンドルを回して風を起こし、重さで葱坊主の殻を飛ばす。およそ100年前の農具。

現在、手がけている在来種は、盛岡葱を含めておよそ30種類。それぞれの作物に、同じだけの育種のストーリーがあり、手間がある。その過程を面白いと思えるかどうか。田村さんは「大変です」と汗をかきつつ、楽しんでいるようにも見える。研究者肌でなければ、できない挑戦かもしれない。借りている田畑は一箇所にまとまっているわけでなく、あちこちに点在している。日照、気温、少しずつ環境の異なるそれらの田畑に、どの作物、どの品種が合っているのかを考えながら、試行錯誤を繰り返す。

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

種が弾けた後の小岩井蕪。蕪の花後の姿を見たのは初めてだった。

点在する畑の一つ、小岩井蕪を育てている畑を見せてもらった。緑の草に覆われていて、どれが小岩井蕪なのかがわからない。これですよと、田村さんが引き上げた草の根元には、確かにカブがあり、初めてカブが種をつけているところを見たことに気づく。穂先についた小さな“さや”の中には、20粒ほどの小さく黄色い種が並んでいる。田村さんは、しごくようにして種を採っていくが、当然、その種は地面にも落ちている。もう少し季節が進むと、田村さんは土を覆っている小岩井蕪を含めた草を細かくして土にすき込み、畝を立てる。するとそのこぼれ種によって、再び小岩井蕪が育って、一面、緑になると言った。

それから、岩手亀ノ尾一号を育てている田んぼで、草取りの作業を見せてもらった。周囲の田んぼが水をいっぱいに張っているのに、田村さんの田んぼには水がない。それは根を張りやすくするためという。一般的な稲よりも背が高くなるために、根の活着が重要だからだ。表面をわずか数cm耕すだけにとどめ、稲が自力で根を張っていく。足を踏み入れてみると、一般的な水田よりも、固い。田村さんはその田を歩きながら、稲の状態をチェックしつつ、草取りをしていく。

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

稲が欠けてしまった箇所に苗を植えていく。と、同時に草取りをする。

県のシンボルである岩手山が遠くに見える。すぐ近くには、赤林山。標高855mのその山が、一帯の水源になっている。
「山頂付近はブナの広葉樹の森なんですが、中腹には数十年前にスギを植林して、それで水質が変わってきているんですね。松枯れ病にかかっていたり、そろそろ切る段階に来ている。なので、山頂の広葉樹のどんぐりに植え替えて、元の姿に帰していこうと思ってます。農業は、いい水が何より大事ですから。もちろん自分一人ではできないですから、山菜採りや狩猟の免許を持っている仲間と一緒に植え替える計画を練っています。この山には熊や狸なんかの獣がたくさんいるんですが、彼らの食料となるものを山に増やして、できるだけ里に降りてこないようにしたいんです。山際の農家さんは作物に狙われて、やっぱり大変ですからね。野菜を育てて、種採って、お米、麦、大豆をやれば味噌もできる。あとは、いい水を保てれば、祖母がやっていた暮らしがそのまんま続けられるんです」

土地の記憶が刻まれた在来種は、100年後の誰かのために

近くの山の中腹にある幣掛の滝。水の豊富さの証。

広葉樹が繁り、森が復活するためには、おそらく数十年かかるだろう。自分の生きているうちには結果が見られないかもしれない。それでも田村さんは、「水とか山は、取っ掛かりだけ作って、あとはお任せして(笑)」と未来へ託す。100年前の過去と繋がる在来種の栽培と同じように、想定しているスパンが自分の人生1回分よりも長い。もしかしたら子孫たちが、盛岡葱や岩手亀ノ尾1号のおかげで、飢えを凌ぐことだってあり得るだろう。持続可能な農業とはつまり、100年後の誰かに、喜ばれる農業のことかもしれない。

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赤林山からの水が、田んぼの農業用水。

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