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「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

麻生 弘毅  /  2021年10月9日  /  読み終えるまで11分  /  サーフィン

日頃からともに漕ぎ、心を通わせ、その日を待つ。10年越しの「THE DAY」を迎え、大海原へと旅立った、ある家族の物語。

10年間、待ちわびた「THE DAY」の到来。心を合わせ、パドルに力をこめる。Photo:Sayoko Suzuki

2021年7月31日 AM3:00 八丈島

期待と不安が合い混じった眠れぬ夜を過ごす。星空の下に出てみると、想定していた以上に風が強かった。北東から風速7mの風が吹きつけ、湾内であるにもかかわらず波頭は白く砕けている。

「普段ならば海に出ないようなコンディション。向かい風に加えて3knotの向かい潮、それらに正面からぶつかるよう、西から北東にかけて黒潮が流れているんです」

それでもパドラーたちは旅立つことを選んだ。一見、荒れている目の前の海はこの海域においては待ち望んだ凪であり、その日は10年越しの「THE DAY」だった。太陽が昇りはじめると、いつものように東の空に向けてチャントを捧げる。「E ALA E」と呼ばれるハワイアンの祝詞には、次のような意味があるという。

カヌーピープルは、朝日が昇るたびに生まれ変わる。太陽に感謝して、さあ、立ち上がれ!

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

満天の星空に強い風が吹く。空を読み、風を占うカヌーピープルたち。Photo:Sayoko Suzuki

4:30。黎明の海にカヌーを浮かべ、波頭の彼方150kmに位置する新島を目指して舟を漕ぎ出した。

「普段、漕いでいる相模湾、葉山の海に比べると、海水の重さがまったく違う。生命の宿る黒潮のエネルギーが海全体を覆っているという感じです」

日常的に海に向き合い、アウトリガーカヌーを漕いでいるクルーたちは、普段6.5knot(時速12km)近い速度で舟を漕ぎすすめられる。ところがこの日はスタートから5.5knot。

「このスピードで、日没前に新島にたどり着けるのか……はじめはそんなふうに考えていたけれど、漕いでゆくうちに無心になっていました」

印象的だったのは、果てしなく広がる海に浮かぶ低い雲。陸上での雲は大地の起伏に沿って発生するため、海面すれすれに現れることはない。空と海の境に沸く雲は、そこが外洋のただなかであることを物語っていた。

「無限に広がる夜明けの海に、どこまで雲が連なっている。それはとても幻想的な景色でした。振りかえると、太平洋から見上げるようにそそり立つ火山の八丈島。その雄大な姿にただならぬエネルギーを感じたんです」

大海原にパドルを差し、その感触を味わいながら、ひと漕ぎに集中する。それは瞑想に近い営みだという。海に出て漕ぐことは、陸上の、日常の雑念を振り払い、心を整える作用がある。金子ケニーとその仲間—舟上の6人はもとより、伴走艇のサポートクルー、新島や南伊豆で到着を待ち、葉山や東京で航海の無事を信じる同志たちは、アウトリガーカヌーによって結ばれたohana(家族)であり、みなの10年分の思いを乗せ、葉山と八丈島を結ぶべく、北へ向かって舟は走りはじめた。

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

太陽が昇る頃、東の空に向けてチャントを捧げる。漕ぎ出す前に行なう、いつもの大切な儀式。Photo:Sayoko Suzuki

海との再会

南太平洋に生まれ、何万年にもわたって磨かれ、伝承されてきたアウトリガーカヌー文化。その継承者のひとりである、金子デュークを父に持つ、ケニー。海との出合いは幼稚園の頃、父親の手ほどきによるサーフィンだった。

「当時は嫌で嫌でしょうがなかった。8歳のときに南カリフォルニアに移住したのですが、向こうの子たちは小学生になるとスケートボードを始め、中学生になるとボディーボードを楽しむ。そして中3くらいになるとサーフィンをたしなむような文化がある。彼らのなかではうまくできるほうだったので、それからはサーフィンに夢中でした」

それとともに、小学生の頃からはじめたサッカーでは、アメリカ代表でキャプテンを務めるほどの腕前。14歳のときにはU-14の世界大会に出場、その後、前十字靱帯を怪我するものの、17歳のときに東京ヴェルディからのオファーを受けて帰国。ところがふたたび前十字靱帯を怪我してしまう。挫折を負い、波を求めて海に入るものの、日本のサーフカルチャーに馴染むことができなかった。

「そんなときに父に誘われたんです。アウトリガーカヌーを漕がないか、って」

いつも混み合う波打ち際を越えて、カヌーで沖へ。1kmほど漕いだ海原には気持ちのよいオンショアの風が吹き、うねりに乗っていると、あの頃のように純粋に海を楽しむことができた。

「その日のパドルをきっかけに、海の世界に戻ることができたんです」

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

オーシャンアスリートとして輝かしい実績を誇るケニー。競技で磨かれた技術、経験を元に、海のすばらしさを伝える。Photo:Sayoko Suzuki

競技から、より深い海の世界へ

そこからアウトリガーカヌーの世界へと踏み出したケニー。大学1年生のときに初めてハワイのコナで行なわれた世界大会に出場、以来、毎年春に行なわれる「Molokai 2 Oahu」で成績を残すことに人生の指針を定める。SUP(スタンド・アップ・パドル)競技が盛んになると、世界のトップを争う友人パドラーの多くがそちらへも参入、やがてプロスポーツへと成熟していった。そんななか、ケニーも2013年からSUP競技へ。翌年に全日本チャンプとなったことを皮切りに海外レースでも好成績を残し、2019年の「Molokai 2 Oahu」では3位に輝いている。

目標とする世界一へあとわずか―そんななか、世界はコロナ禍に飲まれてゆく。

大会が開催されなくとも、パドラーは海へ出る。競技を離れ、静かに海に触れていると、ふと、競うことの意味を考えるようになった。

「速い遅いを競うだけで、大会がなくなればなにもできない。そこに何の意味があるのか……」

そしてまた、ふたりの子宝に恵まれたことも、心境の変化をもたらした。この子たちが大きくなったとき、海を楽しめる環境が残されているのか―。そこには、サッカーという夢に破れたのち、海によって心の拠り所を得た経験が、深く根付いている。

「22歳の頃から、アウトリガーカヌーの魅力を伝たいと考えていた。当時よりも、SUP競技を頑張ってきた今のほうが、そのすばらしさを広く伝えられる……そう考えると、競技で世界一になることよりも、そちらのほうが魅力的に感じたんです」

そうして2019年、デュークが育ててきた葉山のアウトリガーカヌークラブ「Ocean Vaʻa」の代表を引き続くとともに、2020年には自身のショップ「PADDLER」をオープン、同時にオリジナルのSUPブランド「KOKUA」を立ち上げた。

「葉山と八丈島を漕いでつなぐという計画は、父が10年前から大切にしてきたアイデアでした。今まで実現しなかったのは技術不足だけではなく、海のコンディションや仲間の予定などが合わなかったから。通常通り大会が行なわれていたら、ぼくは海外にいる時期ですから……そういう意味でも、人生のタイミングなのでしょうね」

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

黒潮と向かい風がぶつかる荒れた外洋。うねりを越え、アウトリガーカヌーを漕ぎすすめる。Photo:Sayoko Suzuki

2021年7月31日 14:30 黒潮上

アウトリガーカヌーは北へと進んでいた。向かい風は弱まることはなく、力強く東へと流れる黒潮が行く手を阻み、海は荒れ続けた。クルーは1時間ごとに交代するなか、デュークは最後尾で舵を取り続けた。ケニーは先頭でパドルをふるってカヌーを漕ぎすすめる。伴走艇に戻ると休む間もなく、伊豆諸島を知り尽くした伴走艇の船長「オーシャンキング」こと浅沼幹雄さんと海況について言葉を交わす。それと同時に仲間の様子、表情の変化や水、食料補給のに過不足はないかなどに目を走らせながら、バランスのよいクルー編成を考えてゆく。パドルを握る仲間、それを支えるサポートクルーが全力で奮闘するものの、状況は厳しいままだった。

「そこで、10時間ほど漕いだところで、目的地を40kmほど手前の三宅島に変えたんです」

夕闇が迫る頃、100kmほどを漕いで三宅島の島影に入り、ようやく海は穏やかになった。三宅島に着いたのは18時前、13時間21分をかけて117kmの外洋を漕ぎきった。

当日の海の様子を表すおもしろいデータがGPSに残っている。それによると、この日の航海の累積標高差は3019m。いくつものうねりをやり過ごしたカヌーは、国内20位の標高を誇る大汝山(立山、3015m)を登るのに等しい高度を稼いでいた。

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

八丈島から漕ぐこと117.35km、13時間21分21秒をかけて三宅島へ。カヌーで昇り下りしたうねりの累積標高差は3019m。Photo:Sayoko Suzuki

2021年8月1日 4:30 三宅島

翌朝も風が吹いていた。風速4~5mと前日より落ち着いたものの、依然として向かい風であり、西からの黒潮により海原全体が東へ東へと動いていると同時に、南に向かってもわずかに動いていた。そんななか、カヌーは新島を経由して南伊豆の弓ヶ浜を目指して出発した。

「じつのところ、4年前に葉山から三宅島を漕いでいるので、前日の時点で葉山と八丈島をつなぐという目標は達成していた。でも、新島で来るはずのカヌーの到着を待ってくれていた仲間、また、弓ヶ浜にも家族が待機していたので、クルーで話し合い、カヌーを漕いでいこうということになりました」

このプロジェクトには20名を超える老若男女が関わっている。その多くは社会人であり、それぞれ仕事や生活を持つなかで、天がいつ与えてくれるか分からない「THE DAY」に備えていた。

「そういう意味でも、ひとりで気軽にはじめられるSUPに比べ、6人そろわないと動かすことすらできないアウトリガーカヌーはハードルが高いんです」

せわしない社会にあり、個人の都合を最大限活かせる方向にむかって、技術やシステムは進歩していく。

「そうした今の世にあって、6人で漕ぐカヌーは他人を思う気持ちや仲間との絆を核とする乗り物であり文化。ぼくらはよく“ohana ka wa’a”と言うんですが、ohanaは家族であり、wa’aはカヌー。血はつながっていなくとも、他者を念頭に行動するというのは、ひと昔前の社会では当たり前の行動様式だったはずなんです」

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

ビッグSUPに乗ってクルーのチェンジ。黒潮を渡った人間は少ないが、飛びこんだ人間はさらに稀!Photo:Sayoko Suzuki

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

八丈島から三宅島、新島を経て、南伊豆の弓ヶ浜まで、203.28kmのボヤージング。クルーチェンジは22回。Photo:Sayoko Suzuki

この日は新島で待機していた中学生のクルーもパドルを握り、黒潮の海を越えていった。ohanaを乗せたカヌーは、島と島、人と人とをつなぎ、世代を越え子どもたちへと思いをつないでゆく。

「今回のボヤージングでは、弓ヶ浜から伴走船に乗せて八丈島までカヌーを運んだけれど、葉山から南伊豆までは航海の1週間前に2日間かけて漕いでいったんです。いつもカヌーを置いてある大浜海岸からふたつ隣の森戸海岸までは小学校低学年生が、逗子海岸までは3~4年生が、茅ヶ崎までは5~6年生が、平塚までは中学生と子どもらのお母さんたちがというふうに……子どもたちがいつか海を離れたっていい。でもなにかのきっかけで海のことを思い出してくれたら、温かい気持ちになると思うんです」

360度を水平線に囲まれた外洋では、富士山の山頂だけが空に浮かぶ。そんな異空間を漕いでゆくと、地球の生命体として生かされていることを強く感じるという。力を振り絞って漕ぐことで、そうした世界を獲得した子どもたちは、どんな未来を描いてゆくのだろう。

Ke ala kai o kou mau kupuna

「先人が歩んだ海をたどる」と名付けられたアウトリガーカヌーは15時27分、85kmの海を渡り、多くの家族に見守られながら、無事に弓ヶ浜へとたどりついた。

「今回、改めて実感したのは、いくら海が荒れようとも漕ぎ続ければ目的地にたどりつくということ。次は八丈島から800km離れた小笠原までをつなぎたいと思います。800kmは夜通し漕いで3~4日の距離。とても大きな目標であり、実現するには海とぼくらの縁があればこそ。それが1年後になるのか10年後になるのか……でも今の仲間がいて、海の導きさえあれば、そう遠くない日にチャンスは訪れるような気がしています」

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

大海原に暮らすohana ka wa’a(カヌー家族)。航海は冒険ではなく、心の糧であり、日々の営み。Photo:Sayoko Suzuki

「家族」とともに海を渡る:カヌーピープルという美しい生き方

航海を終えたアウトリガーカヌー「Ke ala kai o kou mau kupuna」。次の目的地は小笠原諸島。Photo:Sayoko Suzuki

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