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石を積む人

村岡 俊也  /  読み終えるまで11分  /  ワークウェア

開かれた技術として〈石積み学校〉を運営する真田純子さんは、自分達で石を積むことは、その土地を把握し、自らの手に取り戻すような行為だと言った。

全ての写真:平野 太呂

数十年前に積まれた石垣を崩していく。苔むし、あるいは脆く崩れそうな石を地面に落としていく。大きな石と斜面との隙間からはグリ石と呼ばれる、比較的小さな石が土と同化するようにして詰まっている。土を掘っていると、時折、蝉の幼虫が出てきて困ったようにジタバタと足を動かし、私は「起こしてゴメン」と言いながら草の方へと逃す。掘り出した大きな石とグリ石は、もう一度積むために、できるだけ分けて置いておく。数十年前にこの石を積んだ人たちも、おそらくほとんど同じ作業をしたはずだ。

〈石積み学校〉のワークショップは、二日間かけて行われる。初日には、古い石積みを崩して、土を慣らし、およそ三段目まで積んだところで終わった。空石積みとは、いわば接着剤となるモルタルやコンクリートを使わずに、ただ石を積み上げた擁壁のこと。

石を積む人

積み終えた後の石垣。

〈石積み学校〉を営む真田純子さんによれば、空石積みは「段々畑の農地はもちろん、お城の城壁、もっと古くは古墳の内部とか、はるか昔から使われてきた」という。その連綿と続いてきた技術が、今、途絶えそうな危機にある。真田さんが石積みを覚えた徳島県を中心に調査を始めたほんの十数年前までは、どの地域に行っても名人と呼ばれる古老がいて、現役で石を積んでいる人たちに出会えたと言う。だが、その知恵と技術が失われつつある。

「例えば農地が耕作放棄地になると草が生えて、すぐに分かるじゃないですか。でも石積みは、うまく積めば300年保つとも言われていて、素人が積んだようなものでも30〜40年は平気で保つんですね。つまり技術が失われてからみんなが気づくまでにタイムラグがあるんです。誰もやらなくなって、あらゆるところが崩れてきて、これはヤバいんじゃない? と気づいた時には、もう誰も積めない事態が起こり得るなと思ったんです。それに気づいてしまったからには、やらなければと」

石を積む人

昨年積んだ石垣の前で、真田さんと金子さん。

景観工学の専門家である真田さんが石積みに出合ったのは、「いい風景を守るためには、そこでどんな生活が営まれているか、実際に知らなければいけない」と思ったからだ。徳島大学に赴任していた際に、蕎麦撒き体験をしに行った先がたまたま石積みの里だった。

大きな重機が入らないために棚田での作業は大変で、そのために若者が離農してしまうという知識はあったが、実際に歩いてみると数メートル登っただけで息が切れたという。小さな耕運機をまっすぐに動かすことさえままならなかった。翌年には、肥料となる萱を刈る作業も手伝った。段々畑で化学肥料を入れてしまうと土が流れてしまうため、萱を発酵させた繊維質の多い有機肥料を使うことも知った。さらに翌年の2009年には、全国から景観工学の研究室の学生たちを集めて、石積み合宿を行う。将来、景観計画を立てるような人材には、自分が体感したのと同じように、きちんとその現場を知ってもらいたかったからだ。石積み、萱刈、そして谷側に偏ってしまった土を元に戻す、土上げというもっとも大変な作業を体験してもらった。その初めての合宿に参加した学生の中には、現在、真田さんと共に〈石積み学校〉を運営する金子玲大さんがいる。

その後、数年間の合宿を経て、2013年に徳島県で初めて〈石積み学校〉を開いた際には、すぐに多くの応募があり、「これほど切実な人たちがいることにびっくり」することになる。

石を積む人

大きな石、グリ石、削った土とそれぞれ分けておく。真田さんは現在も月に一度か二度、石積みの現場で汗をかいている。

空石積みは、コンクリートなどで固める擁壁と比べ、どんな利点があるのだろう。

基本的には元々積まれていた石を崩し、もう一度積み直すだけなので、材料費はかからない。自然の石を使うために廃棄されるものもなく、人力で運搬すれば環境負荷も限りなくゼロに近い。また、もしも壊れたとしても石が自然に帰るだけ。コンクリートのように密閉しないために、地面と石積みの外部を空気や微生物が行き来できる。そのために様々な生き物が住み着きやすい。私は、石積みの隙間に潜り込んでいくアオダイショウを見たことがある。

真田さんは、もっとも大きな価値は、土地の記憶を引き継ぐことにあると言う。

「私が石積みを習った師匠の高開文雄さんは、その地域のことを本当によく知っていたんです。あそこは水が出るとか、あそこは岩盤が近いとか。自分達で石を積むという行為は、その土地に対して意識を馳せることであり、その土地を体で把握することでもある。それは防災にも繋がるはずで、単純に技術が残る以上の良さがあると思っているんです。一度、大きな公共事業が入ってしまったら、何かあったら役場に言えばいいと他人事になってしまう。でも、自分の手で石を積んでいたら、『雨が降るぞ』となった時に、きちんと水がはけるかどうか気になるでしょうし、ちょっと緩んできたなと思ったら、崩れる前に直しておこうと思うはず。その土地に対する意識に及ぼす変化が、実は石積みのもっとも大きな効果なんじゃないかなと思うんです」

自分達で石を積むことは、その土地を自分達の手に取り戻すような行為だと真田さんは言う。過去の技術を復活させるという懐古主義的な考え方ではなく、むしろDIYの精神によって既存の世界を捉え直すような、意志の強いパンクな思想のように聞こえた。

石を積む人

昨年積まれた石垣の上には草が生え、すでに土地に馴染んでいた。

石積み文化の濃厚な関西以西を中心に全国を巡り、受講者からの声を直接聞いている金子さんは、石積みの技術をできるだけ簡単なものとして残す必要を感じている。

「以前に話を聞きに行った石工さんは、『農地の石垣をやった』とは、あまり言いたがらなかったんですね。なぜなら、石積みは誰でもできる仕事だと思ってるから。石工が誇るような仕事ではないんです。どんな仕事をしましたか? と尋ねたら、お寺の石垣などのビシッとしたものを答える。ところが、今では石垣と聞いて思い浮かべるのは、それら石工が誇る仕事であるお城や寺の立派なものばかりで、ほとんどの人は自分にはできない、すごく遠い世界の技術と思ってしまってる。いやいや、そうじゃないですよと。石積みは、実は誰でもできる庶民の技術。そう広めていくことが、めちゃめちゃ重要やと思ってます」

だからこそ、真田さんと金子さんは、〈石積み学校〉という開かれた場を設定し、誰もが参加できるようにワークショップを開催している。技術を囲い込まずにオープンソースとすることで、再び各地に根付いていくことを願っている。

石を積む人

できるだけ面を揃えるため、角には大きめの石を積む。

「僕は柑橘農家さん向けの講習をやったりもするんですが、一番大事なのは、とにかく早く積むことなんです。多少、粗があっても崩れなければオーケー。わざわざグリ石を持ってくる手間もかけられないし、玄能で叩いて大きな石を整形する時間もかけられない。本業である農業の一部として石積みに取り組むのであれば、一日で一人でもできるような技術にしておかないと普及できないと思うんです。本当はもうちょっとキレイに積んだ方がいいけど、グリも入ってるから、もうオーケー(笑)。適当に積んでも、すぐに崩れることはないんですよ。だから技術的にきちんと会得しているかどうかよりも、自分でやってみること。それで『案外できるな』っていう思いを得られるかどうかが大事だと思います」

石積みにおいて重要なポイントは、山側に重心を傾けて石を置いているか、それからグリ石をたくさん入れているか。基本的にはこの二つを守っていれば大丈夫という。もちろん、“本当は気にして欲しいポイント”が他にもいくつもあるが、それらはすべて忘れてもいい。何より自分の手を動かして石を積めば、少しずつコツがわかってくる。

金子さんは、師匠である高開さんから「100点満点の石積みはない」と言われたという。どれだけ上達しても、スピードを勘案すると、理想的な形に石を削っている時間はない。目的は石を積むことではなく、あくまで石積みで農地を守りつつ作物を育てること。金子さんは、「妥協の連続」と笑うが、自然と向き合うとは、思い通りに世界を改変していくことではなく、自然といかにして折り合いをつけながら暮らしていくかを学んでいるようなもの。金子さん自身も、折れない柔らかさのような、飄々とした雰囲気を纏っている。

石を積む人

次の一手を考える金子さん。石積みは、天然のパズルのようで、面白い。

石を積む人

時間が許せば、石の脆い部分は叩いて落とし、形を整える。

真田さんは、石積みの実践者であり、同時に研究者でもある。日本の景観工学の祖である中村良夫の最後の生徒であり、その後を担って東京工業大学環境・社会理工学院で准教授を務めている。

「かつてトリノ工科大学のアンドレア・ボッコという著名な先生が、『石が、技術を選ぶ』と言っていたんですね。土木工学は、材料を統一してコンクリートの基準を作り、標準化していくプロセスを歩んでいった。でも石積みは、そこに既にあるものをどうするか。考え方が真逆なんです。今、土木の世界でも“グリーン・インフラ”という言葉が流行っていますが、自然ありきという考え方にもう一度転換しないと、真の意味でのグリーンインフラは達成できないと思うんです。材料を集めてきて、自分達の思い通りのものを造る方法では、ただ自然を支配するだけ。石積みには、考えを転換するヒントがたくさん詰まっているんです」

すでに数十年経た石積みを積み直すことはできるが、現在、日本の公共事業では新たに空石積みを施工することはとても難しい。石積みは異なる環境で、多様な材料を使って行われるために規格化が難しく施行基準が整えられていないからだ。〈石積み学校〉による技術の継承を行いながら、同時に法整備のための学術的アプローチを行っている。

真田さんは、「もしも河川の護岸にも石積みが採用されたら、鰻が住み着いて、絶滅を防ぐことだってできるかもしれないのに」と言った。

石を積む人

〈石積み学校〉のワークショップには、ちらほら子どもも参加していた。重い石は運べないが、グリ石を懸命に届けていて、きっと面白かったのだと思う。

〈石積み学校〉のワークショップ二日目。

真田さんに教わりながら、大きめの石をできるだけ左右どちらかに傾くように積んでいく。隙間が空かないように石を選び、山側に重心が掛かるように積む。簡単なルールなのに、慣れるまでが難しい。岩盤が剥き出しになっている周りは、その岩盤を生かして石垣を造っていく。ほぼ完成かというタイミングで真田さんにチェックしてもらうと、「この辺、おかしくない?」と、またやり直し。もう一度、崩して、積み直す。

「どうして積んでいる時に言ってくれないのか」とため息をつきつつも、もう一度積む時には、どちらが表に来るべき「石の顔」なのかがわかるようになってくる。確かに先ほどよりも隙間も少なく、しっかりと積まれているのがわかる。吹き出す汗、泥まみれの手袋、痛み始める腰。それでも少しずつ積み重なった石に、充実感を覚える。

石を積むだけの作業なのだが、不思議とゲーム性が高く、新たに体得した技術を再び活かしたいと思ってしまう。誰か石積みが必要な人がいなかったか、農家の友人にでも聞いてみよう。確かに、土地と新たな約束を結んだような気持ちになった。

石を積む人

2日間かけてじっくりと積んだ石垣。あと何十年、この姿を保つのだろう。

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