クロカンスキー王国・飯山で、いま、子どもたちと走るということ
クロスカントリースキー王国、飯山。
長野県北部に位置し、豪雪地帯として名高いこのエリアは、30km圏内に7つの常設クロカンスキーコースを有する日本でも珍しい場所だ。
そんな飯山で2019年、小学生の子どもたちを対象にした『ラントレイルクラブ』が誕生した。
クラブを率いる服部 正秋はトレイルランナーであり、クロスカントリースキー競技の選手でもある。「国際自然環境アウトドア専門学校」で教壇に立ちながら、冬になると地元の子どもたちや全国から集まるトレイルランナーたちにクロスカントリースキーを教え、さらには実家を改築したゲストハウス「KOKUTO iiyama home」の経営も行う。とにかく一年中いつも忙しい。
服部は、小中高校時代にクロスカントリースキーの世界にのめり込み、京都の同志社大学で競技を突き詰めた後、クロカンスキーの本場フィンランドへ2年間留学した。その留学で、強く心に残った言葉があったという。帰国間際に現地の仲間から投げかけられた言葉だ。
「僕が『日本だと競技を辞めたらスキーそのものを辞める選手が多いんだよ』と話したら、ものすごく不思議がられて。『正秋はスキーが好きじゃないのか?』と言われたんですね。日本では競技を辞めたらクロカンスキーを続ける人はとても少ないんですけれど、フィンランドでは生涯続けるスポーツだからです」
フィンランドではクロカンスキーや、そこから派生したノルディックウォーキングなどのノルディックスポーツに親しむ文化が根付いている。そのためのフィールドづくりも積極的に行われていて、冬も夏も、子どもからお年寄りまでが日常的に楽しみながら体を動かしていた。
かつてあったランニングクラブで
自分も育ててもらったから
ではなぜ、いま服部はランニングクラブを立ち上げたのだろう?
その理由は自身のルーツにある。
服部は小さな頃、体が弱かった。クロカンスキーの選手だった母親が心配して、半ば強引に地元のランニングクラブ『城山ランナーズ』に入部させる。小学4年生からランニングを始めた服部だったが、最初はまったく楽しくなかったという。
「ダチョウのイラストが入ったおそろいのTシャツを着てね(笑)。走ることが好きではなかったし、みんなについていけなくて、苦しい思い出しかないんです。でもこの課外活動によって、少しずつ体力が向上していったんですよ。冬にクロカンスキーの大会に出場するようになったら、だんだん成績も上がっていって。振り返ると僕自身が、このクラブにすごく育ててもらったなという想いがあります」

クロスカントリースキー競技に明け暮れていた学生時代。
そんな『城山ランナーズ』も継続が難しくなり、活動を休止してしまう。服部は、地元の子どもたちが学校の授業以外に体を動かす機会を失ってしまったことを憂いた。なにかできることはないか……。
これまでクラブの運営は、子どもたちの保護者が中心となって行っていたが、その方法だと個人の負担が大きくなりすぎることが課題だった。それなら「ランニング好きな大人や有志が主体となって運営する方がいいのではないか」と思い立ち、仲間を募って『ラントレイルクラブ』を設立する。
『城山ランナーズ』ではトラック練習がメインだったが、新しいクラブでは山も町もフィールドと捉えることにした。

小学校近くにある里山でトレーニング。休憩タイムのドリンクは運営の大人たちが用意する。写真:藤巻 翔
「当初は“トレイルランクラブ”という名称でもいいかなと思っていたんです。でも、子どもたちはロードのレースもトレイルランのレースも参加するので、間を取って“ラントレイルクラブ”にしました。小学校を拠点にしながらトレイルを走るクラブというのは全国でも珍しいらしくて、これからもっとトレイルの割合を増やしたいなとも思っています」
飯山小学校の校庭に集う
80名の子どもたち
金曜日、午後4時30分。
飯山市立飯山小学校の校舎から、緑色のTシャツを着た子どもたちが次々に飛び出し、校庭に集まってくる。部員は小学1年生から6年生まで80名にのぼる。
小学校の隣には児童館があり、授業が早く終わる低学年の子どもたちは、クラブが始まる時刻まで児童館で遊んで過ごす。そこに服部たちコーチ陣が迎えに行って一緒に学校まで歩き、クラブが始まる。活動時間は午後6時までの1時間半だ。
小学校の先生たちからも、保護者からもクラブの評判は上々だという。
「保護者の捉え方もさまざまで『スポーツ好きな子どもに育てたい』という方もいれば、『夕方まで子どもを預かってくれて安心』という保護者もいると思うんですよ。でもそれでいいと僕は思っています」

授業が終わると小学1年から6年までの生徒が集まってくる。写真:藤巻 翔
クラブの活動期間は4月から10月まで。11月に入ると雪が降り、飯山ではスキーシーズンが始まる。春から秋の間にクラブで体力をつけた子どもたちが、その流れでクロカンスキーにも取り組んでくれたら……。実は服部の胸中には、そんな願いもある。
「ここはクロカンスキー王国ですけれど、僕らが学生の頃よりもスキー人口は急速に減ってきています。日本でクロカンスキーというと、どうしても競技志向が強いことも理由のひとつかもしれませんね」
飯山市の小中学生たちは体育の授業でクロカンスキーを経験するが、課外活動でも取り組もうという子どもは少なくなっているという。ほぼボランティアで活動せざるを得ないコーチ役の担い手も、若い世代では減ってきている。スキー王国としての土台づくりについて、いまあらためて見直す時期に来ているのかもしれない。
ブナの森を走ったり、
寺町を駆け抜けたり
子ども時代、グラウンドを走るだけのトレーニングが心底辛かった服部は、ラントレイルクラブで子どもたちをいろんな場所へと連れていく。それこそが大人の役割だとさえ思っている。
小学校裏にある城山(飯山城址)や近くの丘、お寺(飯山には寺町文化もある)、仏壇店が軒を並べる仏壇通りなどを走り、週末にはブナの森が広がる斑尾高原まで足を伸ばす。夏休みには妙高市の笹ヶ峰や、木島平にあるカヤの平で合宿したり、菅平高原の根子岳を登山したり。

夏も冬も体を動かすフィールドに恵まれている飯山の子どもたち。写真:藤巻 翔
「あらためて地元近くを見回すと、実に魅力的なフィールドがたくさんあることに気づいたんです。そこを楽しく走ることで、情緒が豊かになって、知らず知らずに運動も好きになっていく。こんな素晴らしいことってないと思いませんか?」
子どもたちはとにかく自由だ。次々に新しい興味の対象を見つけ出していく。山に入れば木の実や虫を発見し、季節による自然の移り変わりを全身で受け止める。大人は漆の木を見つけると「これはかぶれるんだよ」と教えたり、一緒に蛇をつかまえてみたり、スズメバチの怖さを教えたりする。熊の糞を見つけては「秋だから冬眠のために木の実をいっぱい食べているね」と観察する。
そうこうしているうちに、「そんな長い距離は走れないんじゃないか?」と想像していた保護者の予想を見事に裏切り、子どもたちはあっという間に10キロほど走ってしまう。

毎年5月には木島平で開催される『たかやしろトレイルランニングレース』にみんなで出場。服部は大会運営も手がけている。写真:藤巻 翔
「コーチや運営陣はさまざまなバックグラウンドを持っています。駅伝の名門・佐久長聖高校で走っていた陸上選手もいれば、現役のクロカンスキー選手もいるし、お寺の住職もいるし、仏壇屋の主人もいるし。僕はこんなですしね(笑)」
現在、運営部が6名、コーチが4名。服部たちの最大の目標は、自発的に運動を楽しめる子どもたちを育てていくことだ。学年ごとにメニューを変えて練習する日もあれば、上級生が下級生の面倒を見るようなグループ分けをすることもある。そうした体験を経て、子どもたちは仲間とのコミュニケーションをより一層深めていく。
さらには「もっと向上したい」と意欲を見せる子どもたちために別プログラムを用意したり、登山に興味を示した子どもたちのために定期的に登山に行ったり。ラントレイルクラブそのものも、子どもたちと一緒に進化している。
僕のスキーの原点は “田んぼ” なんです
服部にとって忘れられないシーンがある。それは子どもの頃、母親と滑ったスキーの思い出だ。
「ある日、母から『今日はアルペンスキーに行くわよ』と言われたんです。家からスキー板を担いで歩いていたら、重くてスキー場まで辿りつけなくて。結局、スキー場まで行かずに、段々になっている棚田でスキーをしたんですね。それがものすごく楽しくて、僕はずっと滑っていました。ガタンガタンとスキーで下る感覚が、本当に面白かったんですよ」
そのときの喜びがいまも忘れられない、と服部は笑う。だからこそ、子どもたちにもいろいろなシチュエーションを経験させてあげたい。それが多様な体の動きを身につけることに繋がっていくから。

左:服部家はかつて「穀藤商店」としてロウソク製造を営んでいた。飯山にスキーが伝わった明治の終わり以降はスキーワックスの製造も。ゲストハウスのロゴに当時の名残が見られる。 右:昔のスキーワックス缶と「KOKUTO SKI WAX」のモノクロイラスト。写真:藤巻 翔
「クラブで森を走ったりお寺の遊歩道を駆け抜けたり、スキーのジャンプ台の急階段を登ったりするのも、そのためです」
クラブには、多彩な子どもたちが所属している。中には、学校には馴染めないけれどもラントレイルクラブなら参加できるという子や、団体行動が苦手な子もいるが、そうした子どもたちも学校では見せない表情をクラブでは見せてくれるという。その活き活きとした様子を学校の先生や家族と共有することで、大人たちの子どもに対する理解がさらに深まり、結果として子ども自身の自己肯定感が高まるところもある。
「そういう役割もこのクラブは担っているのかなと思っています。すべての子どもたちの自己肯定感を高めてあげるという役割がね。みんなと同じメニューができない場合にはコーチの手伝いをしてもらうとか、何か役割を見つけてあげるんです。僕はそういうアイデアを考えるのがすごく好きなんです」
フィンランドから帰国してしばらく、服部は市内の児童養護施設で指導員として働いていた。さまざまな事情を抱える子どもたちと触れ合った貴重な時間が、いまの服部の礎になっている。

飯山のパウダースノーは国内外のスキーヤーに人気。仏壇通りにあるゲストハウス「KOKUTO iiyama home」も冬はスキーヤーで賑わう。写真:藤巻 翔
いつか ”ヒーヒトマー“ をつくって
スキー場の雪原を遠足したい
服部にとって10年後の夢とはどんなものだろう?
「そうですね、いつまで自分がクラブに関われるかわからないのですが、しっかり継続できる体制をつくっていきたいですね。現状は飯山小学校のみで活動していますが、他の小学校からも入部したいという声をいただいているんです。いずれは、学校の枠を超えて活動できるスタイルにしたいなと思っています」
そして、こう続けた。
「飯山をノルディックの聖地にしたいんですよ。子どもから大人まで、ノルディックウォーキングからクロスカントリースキーまで楽しめる聖地に。そのためのフィールドがここには揃っています。競技だけでなく生涯スポーツとして『飯山にくればノルディックスポーツが楽しめる』、そう思ってもらえるような場所に育てていきたい」
フィンランド国内のクロスカントリーエリアには必ず “ Hihitomma”(ヒーヒトマー)という場所がある。フィンランド語で「クロスカントリー広場」という意味を持つその広場には、ウェーブやバンクがつくられていて、子どもも大人も自由にそのカーブでスキーを滑らせることができた。
「楽しみながら、自然に体の使い方が身についてしまう広場です。そのヒーヒトマーを日本でもつくりたいですね」
服部が仲間たちと想い描く近未来。そこでは、クロカンスキーを楽しむ子どもたちもいれば、圧雪した雪の上を歩きながら遠足する子どもたちもいる。クロスカントリースキーコースを滑るだけの場所にしておくのはもったいないからだ。子どもたちは木々や動物の足跡を観察して、お昼になると雪の上でお弁当を食べ、ときには下りの斜面でソリ遊びをする。

『ラントレイルクラブ』の子どもたち。それぞれ、どんな未来を描いていくのだろう。写真:藤巻 翔
「夜の雪原も美しいんです。本当に明るくて月明かりだけで歩ける、ヘッデンなしでね。そんな体験を子どもたちにもさせてあげたいな」