粘土によって形づくられるもの
次の世代に受け継がれるプエブロの伝統。
全ての写真:Forest Woodward
母が亡くなる数週間前のこと。彼女は私を起こし、マドリッド・メサに行かなければと言った。心臓が弱っていた母は、これが最後の機会だと悟っていた。私たちは簡単な昼食を用意し、母の家の扉を閉めた。この小さくもかけがえのないアドベの家は、ニューメキシコ州北部のサンタクララ・プエブロに彼女が孫(私の息子)のベニトとオソと一緒に建てたものだ。
両親は長年を費やして、マドリッド・メサに広がる大空の下に2つの小さな小屋を建てた。父の小屋は木材、母の小屋は泥を使っていた。彼らにとって、四輪駆動車でないとたどり着けない険しい道の先にあるこのメサは、俗世間の多くの問題を忘れて自由になることのできる魔法の場所だった。
でこぼこした地面を通るたびに母の顔が苦痛にゆがむので、急勾配の坂を上る前に休憩を取ることにした。すると、1台のピックアップトラックがメサから降りてきた。トラックが私たちの横で止まると、母はその運転手が数週間前に出会ったばかりの、新しい隣人となるらしき土地所有者であることに気づいた。このときはパートナーと訪れ、彼らの本宅があるアメリカ東部に戻る前に、別荘を建てる場所の様子を見ていた。私たちは彼らに別れを告げ、メサの上へと車を走らせた。

起源の循環。「母が、母の曽祖母に聞いたことがあるそうです。大きな割れ目が入った家をなぜ直さないのか、と」とアテナは思い出す。「すると曽祖母は母の前で指を横に振って言ったそうです。『あなたは心配しなくていいことよ。この家は役目を果たしたの。長いあいだ手入れをしてもらって、愛されて、何度も直されてきた。だからいまは大地へ、それが生まれたところへ還るときなの』」
いつものように野ネズミやガラガラヘビや風による被害がないかを確認してから、太陽で温められたアドベの空間に入った。母は即座にベンチの上に横たわり、遠くにそびえる山を見つめて、深呼吸した。母は山が南向きの窓のちょうど真ん中にくるように設計していた。「中心を築く」ことの大切さは母がつねに気にしていたことで、私もそれを意識するよう教えられた。すべての古代プエブロ遺跡が世界の中心であることを意識して、選んで築かれていたように。
移動の疲れが癒えるにつれて、母の沈黙のなかに長く引っかかる不安を感じ取ることができた。彼女は新しい隣人がどういう人なのか、そして彼らの建物が作り出すかもしれない空間の不均衡さについて恐れていた。すると、ある啓示を受けた——ベニトならできると!そうだ、完璧だ。私の息子は彼らの家を建てることができる。彼なら何をどうすべきかを知っている。そして何よりも重要なのは、メサへの深い敬愛とつながりを基礎に建てることができる。ベニトには間違いなく「中心を築く」ことができる。
でもどうやって彼らと連絡を取ればいいのだろう。電話番号どころか名前すら知らず、次にいつ彼らが戻ってくるのかもわからない。すると、またしても素晴らしい解決策を思いつく。ボトルメールである!子どものように興奮した私たちは、手紙を書き、それを入れるのに適したボトルを探した。それから戸締りをして小屋をあとにすると、道の脇に積み上げられた石の上に手紙入りのボトルを残そうと向かった。
それから2週間後、母は息を引き取った。だが亡くなる前に、隣人から連絡があった。彼らはボトルを見つけたのだ。飛行機で母の葬儀に駆けつけてくれた彼らは、そのあとベニトと彼らの新しいアドベの家について話し合った。ベニトがメサで作業をはじめ、粘土を集めているのを見た私に、昔の思い出がよみがえった。それは8歳のベニトがここを訪れたときのこと。母はベニトにコテと粘土の漆喰が混ざったものを手渡すと、何もない壁に向かって言った。「やってごらん」
このストーリーは、パタゴニアのFall 2021 Journalに掲載されました。
これらの写真は、ニューメキシコ州にある19のプエブロのひとつ、ケワ(サントドミンゴ)プエブロ族の未譲渡地で撮影されました。さまざまな国から入植者が到来したにもかかわらず、そこで土地と水を守りつづけているプエブロの人びとからは、私たちが学ぶべきことがたくさんあります。
「8歳の私がメサを訪れたあるとき、祖母がコテを差し出して言ったんです。『やってごらん』って」と語るのはベニト・スティーン。「何かをするとき、まるで骨にしみ込んでいたかのように感じることはあるものです」起源の循環。「母が、母の曽祖母に聞いたことがあるそうです。大きな割れ目が入った家をなぜ直さないのか、と」とアテナは思い出す。「すると曽祖母は母の前で指を横に振って言ったそうです。『あなたは心配しなくていいことよ。この家は役目を果たしたの。長いあいだ手入れをしてもらって、愛されて、何度も直されてきた。だからいまは大地へ、それが生まれたところへ還るときなの』」起源の循環。「母が、母の曽祖母に聞いたことがあるそうです。大きな割れ目が入った家をなぜ直さないのか、と」とアテナは思い出す。「すると曽祖母は母の前で指を横に振って言ったそうです。『あなたは心配しなくていいことよ。この家は役目を果たしたの。長いあいだ手入れをしてもらって、愛されて、何度も直されてきた。だからいまは大地へ、それが生まれたところへ還るときなの』」
「私の先祖は代々、粘土とともに生きてきました。土を扱う彫刻家や建築家として」とベニトは言う。「母方の親戚のほとんどはサンタクララ・プエブロに住んでいて、何かしら粘土に関わっています」
「土台のために石を、屋根のために木を、壁のために土を集めます。そうやって土地と私たちをつなげるのです」とベニトは言う。
「私のルーツはニューメキシコ州サンタクララ・プエブロにあります。まばらな木々のあいだを縫って大地から建物が浮かび上がる場所です」と語るのはアテナ。「プエブロの起源説には、人も大地から浮かび上がってきたと伝えられています。私たちの言語、テワ語にある「ナン」という言葉には、土という意味も、私たち人間という意味もあります。ナンは壁、屋根、漆喰、床を構成します。すべての人びとが建造作業の一部を担うのです」
ジェナ・ポラードとベニトがはじめて会ったのは4年前、コスタリカでのティンバーフレームのプロジェクトに参加したときのこと。ベニトからこのプロジェクトへの誘いを受けた彼女は、ミネソタでのすべての仕事を中止して車で建造現場に駆けつけた。「アドベに関する道具のリストや手引きなどはもらいませんでした」と回想するのはジェナ。「その代わり、私も靴を脱いで、ベニトの真似をしてつま先で粘土と水と藁を練り混ぜ、一貫した粘度に仕上げるためにセイウチのように丸まった粘土の塊をシートの上に広げました。コテでアドベの壁に粘土の漆喰を流れるように塗る彼の手さばきも真似しました。彼が壁に水を足したり、漆喰の質感の滑らかさをコテで適度に押しながら説明するたびにメモを取りました」
「成長するにつれてわかるようになったことは、芸術と建造には違いがないということです」とベニトは振りかえる。「母が家に手を入れるのを見ていると、壁で失敗しても、それを滑らかに彫ったり、構造を曲線で包み込んだり、窓のまわりにシンプルなデザインを刻んだりして、内からも外からも美しく見えるようにしていたからです」
「ベニトは石、粘土、砂、藁を、自分の体と心の延長のような方法で扱います」とジェナは言う。「彼はそのような素材を住むことのできる空間に変える物質的な流れについて考えることには時間をかけず、そのなかにすでに存在するものに命を吹き込んでいるようです」
「アドベやティンバーフレームなどの自然な建造物の核心は、知識の伝承にあります。それが世代を越えて伝えられる場合もあれば、新たな友との共有によって伝えられる場合もあるでしょう」とジェナは語る。「ベニトと私は、夏から初秋にかけて比較的隔離された世界で過ごし、作業をしてきました。笑いや物語の伝承、あるいはただふざけて過ごした時間のエネルギーが、私たちの創った空間に貢献しているのです。そして粗大ゴミから見つけたソファに腰を下ろしては、毎日夕陽を眺めながらあらゆることについて語り合いました」