無敵の海賊アンディ
平和を乱す行為は、ビリップ家が得意とするところだ。それは農家、鍛冶屋、スケートボードメーカー、そしてハンターであるアンディ・ビリップが、パタゴニアの出版物にはじめて登場することになったいきさつでもある。1992年夏のキッズ・カタログに載ったその写真は、メイン州オークランド近郊でゴム長靴と大きすぎるバギーズをはいた5歳のアンディが、パチンコをいっぱいに引いて片目をつぶり、森の中へ狙いを定めているものである。
「その写真のことは覚えてないけど、あのパチンコを持ってたことと悪ガキだったことは覚えています」と、アンディは言う。
その悪ガキっぷりが、2001年夏のキッズ・カタログにふたたび掲載された理由でもあった。ナイフをベルトに差しこんでドア枠でボルダリングをする、しかめ面の8歳の「無敵の海賊アンディ」だ。パタゴニアのカタログは、一家にとっても大切なものらしい。どちらの写真も彼の父親ジムによって撮影されたもので、長年のあいだにパタゴニアが採用した5枚のビリップ家の写真のうちの2枚だ。3枚目は1994年秋のキッズ・カタログに登場したもので、アンディの姉ケーテが写っている。彼女がシンチラ・フリースの前に人形を押し込み、アイスフィッシングの道具でいっぱいのソリを引っぱっている。4枚目は1995年秋のキッズ・カタログで、同じシンチラ・フリースを身にまとったケーテがアンディとアイスホッケーをして遊んでいる写真だ。ジムはプロの映像作家兼写真家であり、この2枚も彼が撮影した。

アンディ・ビリップ。2001年夏のキッズ・カタログ。 Photo : Jim Billipp

姉のケーテ・ビリップ。1994年秋のキッズ・カタログ。Photo : Jim Billipp

アンディとケーテ。1995年秋のキッズ・カタログ。 Photo : Jim Billipp
「父がクライミングに行くのにいろいろと準備してくれたり、フライフィッシングをしにバックパッキングに連れて行ってくれることは、普通だと思っていました」とアンディ。「それが僕たちの日常だったんです。よく自宅のドア枠に指でぶら下がっていましたが、うちでは指懸垂は物心がつくころから奨励されていました」
最初にパタゴニアのカタログに登場したビリップ家の写真を見れば、それも納得できる。その写真とは、マンハッタン・ミュニシパル・ビルディングの高さ約150メートルのタワーにジムが違法に登っている姿。1982年に彼がWYNC-TVのテレビ局に勤めていたころに撮られた写真で、これは前年に登頂したブルックリン・ブリッジの約85メートルの鉄塔につづく課題だった。1981年のスタントではニューヨーク市のSWAT部隊に逮捕されるという結果を招いたが、ミュニシパル・ビルディングを登る模様は地元テレビ番組で放映されることになった。そしてニューヨークで開かれた〈アメリカン・アルパイン・クラブ〉の集会で、パタゴニア初代アートディレクター兼写真編集者だったジェニファー・リッジウェイがこのときのクライミングの写真を目にし、1985年の春カタログに掲載されることになったのである。
現在35歳になるアンディと妻のヘイリーは、コネチカット州ニューウィントンで4世代つづく、24ヘクタールの〈エディ・ファーム〉という農園を経営している。夫婦は無農薬の花や野菜、放し飼いの鶏や地豚を育て、ナイフや木製のキッチン用品も作っている。またアンディは熱心なハンターでもあり、家族が食す肉は、野生の獲物か自身の農園からのものだけだ。「僕たちは食が中心の生活をしています」とアンディは言う。
「いつも人にはこう言うんです。うちは『キッチン中心』の家族だって。キッチンが家族団欒の場で、来客があれば、そこでもてなします」
アンディとヘイリーは幼なじみだったが、友だち以上の関係になったのは2008年にアンディがコロラド州ボルダーに引っ越してからだ。マサチューセッツ大学を卒業したばかりの彼は、コロラド州には2人しか知人がいなかった。1人は彼のクライミング仲間、そしてもう1人はイェール大学卒業後にやはりコロラドへ移り住んだヘイリーだった。アンディと同じようにアウトドアと手作業が大好きなヘイリーは、スカンジナビア伝統の木工を学びにスウェーデンに1年滞在したこともあった。

この父にして、この子あり。家族の農園で平和を乱す5歳の息子カールを手伝う、現在36歳のアンディ。カールははじめてもらった弓を最近卒業し、2番目の弓を使うまでに成長。どちらの弓も父アンディの手作りである。コネチカット州ニューウィントンPhoto : JimBillipp
意気投合した2人がコロラドに構えた家は、リビング兼作業場兼キッチンとなった。アンディはリサイクル建材会社に勤めながら鍛冶の技術を学び、ヘイリーは地元の調理学校で働いた。アンディが弓とライフルを使ってハンティングをはじめたのもコロラドで、その過程で公有地の利用について関心をもつようになった。彼が〈バックカントリー・ハンターズ&アングラーズ〉という団体に参加したのはそのすぐあとのことである。
「東海岸にも公有地はあるんですが、西部に行くと、何百ヘクタールにもおよぶ国有林に囲まれている自分を発見します。そういう土地でこそ、真の自由を感じられます」とアンディは言う。
西部での生活は自由をもたらしたが、彼らを東へと呼び戻したのは家族、そして花だった。〈エディ・ファーム〉はヘイリーの祖父ロジャー・W・エディが第二次世界大戦から帰還してまもなく開業し、それ以来ずっと家族で経営している。州代議士、州上院議員、アメリカ合衆国上院議員候補であるとともに、〈オーデュボン〉のバード・コールの発明者、そして作家でもあったロジャーは2003年に他界。その後、農園はヘイリーの母によって経営されてきたが、2011年にヘイリーとアンディに譲渡され、彼らはその2年後に羊小屋の階段で結婚したのだった。農園の仕事のほかに、アンディは(独学で学んだ)伝統的な鍛冶技術と時代物の道具(そのほとんどは個人売買掲示板のクレイグズリストで入手したもの)を使って、高性能のシェフナイフを手作業で作っている。1本仕上げるのに5日間という製作日数がかかるナイフは数百ドルで売られる。現在〈バックカントリー・ハンターズ&アングラーズ〉のニューイングランド南部の委員会に所属する彼は、「LivinginPursuit(追求する生活)」という食・農・猟に関する独自のポッドキャストを製作したこともあった。それは10のエピソードの放送後、彼が友人と立ち上げた手作りのスケートボード会社と同じように中断されている。いまはヘイリーとともに最も労力のいる手作業、つまり5歳のカールと6歳のマリアンという2人の子育てに集中しているからだ。そして彼らの子どもたちは、公共の建物の壁は登らずとも、彼らなりに十分平和を乱す活動を家族の農園で実践している。だいたいは両親の助けを借りて弓を撃ち、岩を登り、アンディが庭に作ったターザンロープで「大ジャンプ」を楽しんでいる。
「僕たちは決して危険回避を重視する親ではないですね。怖いもの知らずの子どもを育てたかったということもあります。ちょっとやりすぎたかもしれませんが。他の親が見たら恐怖でしかないことをやったりしますから」とアンディは語る。「でも、学習と発達というのは、制御と混沌のちょうど真ん中で起こるものだと思います。そうやって何事も上達していくんです。そのせいで転んで歯が欠けたりして救急病院へ行くことにもなるんですが」
悪名高きあのパチンコの写真は?30年近くもナイフや弓矢、ビル登りやドア枠ボルダリングで遊んできた彼らにとって、それは今日も平和を乱すことがビリップ家の風習であることを思い出させてくれるものらしい。
「いまでは家族の伝承みたいなものですね」とアンディは言う。「額に入れて家の壁に掛けてあるので、帰宅すると必ずそれが目に入ります。過去の自分という存在を完璧にとらえていて、それはきっと現在の自分でもあると思います」