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エディは永遠に

モーガン・ウィリアムソン  /  読み終えるまで9分  /  サーフィン

プレートランチを食べにラモン・ナバロを波に乗せるワイメア。ラモンは必死に食らいつく。(2009年のエディにて。オアフ島ノースショア)。写真:スコット・ソーエンス

まさに「湾がその日を呼び寄せる」だ。「エディ」が決行される日は、潮気を含んだ靄がセブン・マイル・ミラクル立ちこめ、車がカメハメハ・ハイウェイに渋滞を作り、仕事は休み、学校も休校、ハワイのだれもが固唾をのんで見守る。

クライド・アイカウは呼ばれる側だ。血気と熱意にあふれる71歳。「ハロー」と言いかけた僕をさえぎり、いきなり前回の「イン・メモリー・オブ・エディ・アイカウ・インビテーショナル」の話を切り出した。それは、彼の兄、故エディ・アイカウ――オアフ島の悪名高きノースショアで最初のライフガードにして、ハワイのビッグウェーブ・サーフィンの英雄を称えて開催される、最も権威あるビッグウェーブ・サーフィン大会である。

「何はさておき(パタゴニアの)君たちが私の命を救ったことを話しておかないとな。2016年は、あわや私にとってエディで最後の、いや人生最後のサーフィンになりかけたんだよ。当時は66歳。ジョン・ジョン(フローレンス。2016年のエディの優勝者で、2度の世界王者に輝いている)に挑んだのさ。若い雄牛に立ち向かう老犬だね。まあ、私らにすれば祭りだよ。それでも自分に言い聞かせた。『何が起ころうと、とにかく最初のでかい波に乗る』とね。」

「そのとおりに101パーセントのフルチャージでテイクオフしたんだが、ドロップした瞬間、フィンが水面から抜けてしまった。立て直しても、また抜けて、そして真っ逆さまさ。」波は巨大な力でアイカウを吹き飛ばし、彼の肩の腱を引き裂いた。アイカウは怯まず、さがって再びパドルアウトした。

エディは永遠に

クライド・アイカウの勇敢なドロップ。だがこれが肩を叩き壊すことにつながる。写真:マット・カタラーノ

オアフ島ノースショアのワイメア湾で開催されるエディは、ほかのほとんどのサーフィン競技会と異なり、ワイメアの波高がハワイ式で6メートル(ハワイ以外では波前面の高さを測るため12メートルに相当)に達しなければ「決行」とはならない。そのため、この大会は1984年の初回以来9回しか開催されたことがない(初開催はサンセット・ビーチだったが、1986年から会場をワイメア湾に変更)。しかし、2016年のエディの朝、決行するにはむしろ波が高すぎるかもしれないという憶測があった。

クライドは続ける。「そのとき、その日(最大)のうねりが来た。モンスターだったよ。みんな一網打尽にされると分かっていた。波は立ち上がった。24メートル級に見えたね。一気に海底に引きずり込まれた。ベストをひっぱって、上昇しようともがいたよ。次に覚えているのは、文字どおり浮かんでいたこと。目を開けると一面真っ白だった。教会にいるみたいだった。私が消えたもんだから、みんながアンクル・クライドを探したよ。目覚めたときは、ライフガードやセーフティチームに捕まっていた。それから私に(パタゴニアPSI)ベストと、その使用許可をくれた(パタゴニアの)君たちとコール・クリステンセンには感謝したい。これがなければ、アンクル・クライドはここにいない。」

この大会を文化的に理解するには、エディ・アイカウがハワイにとってどのような人物であるかを知ることが重要だ。60~70年代のサーフィン全盛期、ノースショア屈指のビッグウェーブ・スポットであるワイメア湾で、彼はサーフィンのパイオニアだった。さらにワイメア湾だけでなく、ノースショア全域で最初のライフガードだった。ホクレア号との関りやその勇敢な死は、弟の言葉を借りるなら「ハワイの人々の堅いコアの樹に彼の遺産と価値を刻みこんだ」。

「1976年、ホクレア号はハワイの文化と伝統の復興だった」とアイカウは言う。「エディもそれに参加したくて、’78年の航海に加わったんだ。ホクレア号の一員になることは、ハワイアンであることの誇りだからね。そのころハワイアンは尊敬の対象ではなかった。私らはウクレレを弾く無学の酔っぱらいと見られていたよ。ホクレア号の取り組みは、ハワイアンであることを誇り、ハワイの伝統に立ち返ることだったのさ。」

1978年3月17日、双胴型航海カヌーのホクレア号は、太平洋を横断する4,020キロメートルの処女航海に出発し、そしてモロカイ沖わずか20キロメートルで転覆した。カヌーはみるみるうちに沈み、エディ・アイカウはサーフボードをつかんで、仲間の命を救おうと浜に向けて漕ぎだした。そしてその日、彼は海で消息を絶つが、それ以来「エディなら行く(Eddie would go)」というフレーズが、彼の人生そのものを語るようになった。それは死につながった無私の行為だけでなく、ライフガードとして、ビッグウェーブ・サーファーとして、友そして家族としての彼の気質を表している。「エディの存在は世界を覆いつくすくらい大きい」とクライドは言う。「日本、ヨーロッパ、カリフォルニア、ブラジル、タヒチ、フィジー、そしてポリネシアのすべての島々もね。ハワイの人々にとても尊敬されていて、だれもが子どもたちにエディの話を読み聞かせている。」

大会自体の起源はノースショアの伝統にある。血気盛んで命知らずな気風を象徴するイベントであり、この海岸一帯を、世界中のサーファーが力を試す舞台にした。ハワイの人々やサーフィン界にとっての大会の重要性や、決行に当たっての希少なコンディションゆえに、ビッグウェーブ・サーファーにとっては競技会というよりも通過儀礼である。過去の優勝者には、クライド・アイカウ、ケリー・スレーター、グレッグ・ロング、ジョン・フローレンス、ブルース・アイアンズが名を連ねている。

招待制というのも異例であるが、実質的に12月1日以降は大会の待機期間になり、競技者は2~3日前になるまで開催日を知らされない。出場者を世界各地からノースショアへ召喚する「イエロー」アラートが発せられたら、大抵わずか72時間で現地入りすることになる。それでも「湾がその日を呼ぶ」以上、着いた途端に中止ということもあり得る。

エディは永遠に

エディ・アイカウ・オープニング・セレモニーでパドルアウトを先導するクライド・アイカウ。オアフ島ワイメア湾 Photo: Matt Catalano

しかし昨年、アイカウ・ファミリーは、新型コロナウイルス感染拡大のため早々に大会を中止した。待機期間に先立ち開催される毎年恒例のエディ・アイカウ・オープニング・セレモニーが、ワイメア湾で見られなかったのは大会史上2度目である。1度目は2017年のことで、アイカウ・ファミリーと大会最大のスポンサーであるクイックシルバーに不和が生じたときだ。エディは先の見えない不穏な空気に包まれた。

クライドによれば、クイックシルバーは長いことエディ・アイカウの名で儲けてきたし、そろそろ潮時だったという。「(クイックシルバーとの)関係はまずまずだったが、結局のところ、彼らがやりたいことに私らは賛成できなかった。それは我々ハワイアンの価値、エディの遺産、エディに関するすべてに反しているように思われたんだ。お金しかり、商品しかり。彼らは私たち家族に数年にわたってわずかな金を支払ってはいたが、それは中級クラスのサーファーに支払われていた額と比べても程遠いものさ。それでも(2017年には)私が仲を取りもとうとしたんだが、向こうが終止符を打った。そういうことさ。そして時が流れた。」

クイックシルバーは31年間、大会を運営してきた。同社はこの決別について次のように公表している。「アイカウ・ファミリーと粘り強く交渉を続けてきましたが、競技会を適切に開催するには時間切れとなりました。両者の合意には至りませんでしたが、クイックシルバーは2018-19年およびそれ以降の大会に向けた協議の継続には前向きに応じたい考えです。」

クイックシルバーは、2018-19年の開催許可を与えられた際、(できるかぎり穏便な幕引きとして)アイカウ・ファミリーに権限を譲渡した。ホノルル市が発行する開催許可は、伝統的に譲渡不可であるが、当局はファミリーのために例外を認めた。サーフィン界のだれもエディの消滅を見たくはない。

クイックシルバーは次のような声明を出した。「ワイメア湾のライフガードで、ビッグウェーブ・サーファーの王者であるエディ・アイカウの人生を称えることができ、光栄でした。エディ・アイカウ、ハワイの人々、この地域全体に敬意を示す大会の伝統を誇りに思い、アイカウ・ファミリーの30年余りのパートナーシップに心より感謝いたします。」

エディは永遠に

海面が穏やかに透き通る日、世界最高のビッグウェーブ・サーファーたちが、エドワード・リヨン・マクアハナイ・アイカウの人生を称えるために集結する。オアフ島ワイメア湾 Photo: Matt Catalano

メイン・スポンサーが去った後、アイカウ・ファミリーは「エディ・アイカウ・ビッグウェーブ・インビテーショナル」という新たな名称で大会を継続するために支援者を探すと発表した。現在はハワイを本拠とする15以上のブランド(ハワイアン航空、コナ・ビールなど)が大会に出資している。

「優勝賞金75,000ドルとはいかないが、文化的なつながりや伝統は101パーセント継承されているよ。大会本来のハワイアン・ルーツにさかのぼり、ハワイの文化である讃歌を復活させ、大会のいたるところにハワイの言葉があり、子どもたちがいる。エディが遺したものは私らにとってすべてであり、ハワイ全土のためにそれを取り戻したんだ。ハワイという支えがあるから、前進できる。それにどのサーファーもきっと無償で来てくれるさ。だれもエディの大会に物足りなさを感じたりしないだろう。」

2019-20年の招待リストには、大会史上初、世界最高のビッグウェーブ・サーファーに名を連ねる9人の女性サーファーがいた。しかし例年どおり、その年もエディの高波は来なかった。さらに昨年はコロナによる中止もあったので、エディが再開されない可能性がこれまで頭をよぎったことはあるかとクライドにたずねてみた。彼は笑って、あの古風な口調で答えた。

「まさか!いいかね、仮に私がトロフィーのためにココナッツを売り歩き、サーディンやライスの缶詰を100個持ちこんで競技会のみんなを食わせなきゃならないとしても――もっとも昔はエディも私もやったもんさ、貧乏だったから。それでビッグウェーブ・サーファーが来なくなるとでも思うかい。すべては命よりも大きいんだ。大会の日には、マナや谷の精霊がよみがえる。君たちや私が死んでいなくなっても、エディの遺産は不滅だ。」

「おおっと、鳥肌が立ってきちゃったよ。」

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