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「リサイクルの父」からあなたへのメッセージ

エリン・グレース・スコットバーグ  /  読み終えるまで8分  /  フットプリント

ニュージャージー州ウッドバリーの自宅の道路脇にリサイクル箱を出す「リサイクルの父」ことドナルド・サンダーソン。photo:Erin Scottberg

ドナルド・サンダーソンがニュージャージー州ウッドバリーで全国初の義務的な道路脇リサイクル・プログラムをはじめたのは1980年のことでした。リサイクルの状況はそれ以来変わりました。とても大きく。これはいまだに意義のあることなのでしょうか?

ドナルド・サンダーソンが、フィラデルフィア郊外のニュージャージー州ウッドバリーの市議会議員だった1970年代後半に、道路脇リサイクルを義務付けるという考え提案したとき、それは不評でした。

「僕の庭にゴミを捨てる人がいた」と、心地よいウッドバリーの平屋の自宅のリビングルームに座ったドンは、以前住んでいたすぐ近くの家について(家族は何年も前に引っ越しました)笑って回想します。もちろん、裏口には3つのリサイクル箱がきちんと並べられています。「彼らは怒っていた。『僕らのゴミについて指図する何の権利がお前にあるのか』とね。僕がどんな権利をもっているかって? ニュージャージー州では一旦道路脇にゴミを出したら、それはあなたの所有物ではなくなる。それは地方自治体に放棄されたものとなる。だから僕には指図する権限があった。そして僕が正しいことをしていることも分かっていた」

現在90歳になるドンは年齢を欺くというよりは、人に何かを説明してきた何十年もの経験を示す、快活ながら落ち着いたペースで話します。結局のところ、1972年に市議会議員としてスタートした彼は、1981年には市議会議長、最終的に1994年にウッドバリーの市長に当選して8年間勤め、政治には30年も関わってきました。白の綿のポロシャツと格子柄のショーツに身を包むドンは、市が1979年12月23日に道路脇のリサイクルのためにゴミを仕分けすることを義務付ける新しい条例を発表し、それが履行された翌2月までの数か月を、温かい笑顔で思い出します。「その6週の間、僕の名前が新聞に否定的に書かれなかった日は1日たりともなかったよ」

論理的で落ち着きのあるドンは、この不満を理解していました。ウッドバリーの住民にとってリサイクルが目新しいものだったからではありません。それは市議会議員だった彼が政府の仕事に就いた初期のころから少しずつ導入していたことでしたから。この条例の5年前、ドンの義理の妹で地元のガールスカウト団のリーダー、ジーン・ヘイガーマンがある要求を持ち込みました。彼女のスカウト団は地元のアクミ・マーケットにリサイクル品(新聞紙、段ボール、クリア/着色瓶、鋼鉄材と非鋼鉄材)を集める箱を設置しようと、彼に助けを求めたのです。市議会2年目の彼はこれを実現させました。そのプログラムはとても好評で、1978年に(これもドンの働きかけにより)自発的な道路脇の新聞紙と段ボールの回収導入へと発展しました。しかし義務的? そしてすべてのもの?というのは、まったく別の話でした。そのようなプログラムについては誰も聞いたことがありませんでした。おそらくアメリカのどこにもそんなことが存在しなかったからでしょう。玄関の芝生にそれほど多くの(目障りな)箱を出し、近所にすべてのゴミをさらけ出すことを要求されるなんて……。それは多くの人にとって魅力的な状況ではなかったのです。「多くの人はゴミになったアルコールの瓶すべてを近所の目にさらすのを嫌いました」と、ドンの高校時代の彼女で妻のジュディー・サンダーソンは言います。

しかしドンは道路脇の回収がひとつの解決策だと気づきました。ほぼ満杯のウッドバリーの埋立地は翌数年で閉鎖を余儀なくされる見通しで、その次の選択肢であるペンシルベニア中部まで市のゴミを持っていくのは多大な費用と時間がかかります。この市議会議員は住民を賛同させる方法を知っていたのです。「僕は高校の講堂で公聴会を開き、リサイクル計画のスライドショーを見せた。その最初のスライドはといえば、それは市の予算だった。住民が一旦埋立地にゴミを捨てる費用について、そしてリサイクルすることでどれだけ節約できるかについてわかると、彼らは納得したんだ」とドンは嬉しそうに思い起こします。「お金はモノを言うのさ」

こうしてアメリカ初の義務的な道路脇リサイクル・プログラムが生まれました。これはこの種のプログラムとしては、世界でなければ全国初のもので、生涯ウッドバリーに住んできたドンはよく「リサイクルの父」と呼ばれています。この肩書きについて彼は、「僕は賛美は趣味じゃない」と一笑に付します。「僕がやったことは天の神が判断するだろう」と。ジュディー・サンダーソンもこの高尚なニックネームを面白がります。「私たちは恐慌時代に大きくなったから、ずっとリサイクルしてきました。捨てるものはあまりありませんでした」と説明します。夫妻は彼らが中学生だった第二次世界大戦中に地元地域が金属のスクラップの回収運動をしたことを回想します。「ガムのアルミの包装紙すら集めたのを覚えています」とジュディーはガムを取り出し、包みをポケットに入れる動作をしながら語ります。「政府はそれを銃弾に使いました」

3か月もしないうちに、ウッドバリーのリサイクル・プログラムの遵守率は85%に達しました。4か月になるころには、それは新しいリサイクル・トラックを購入するのに十分なお金を生みだしました。ドンはそれにこう綴らせました。「このトラックは回収した材料の寄付によって購入しました」そうしてまもなくニュージャージーの他の市からこれについて学ぶための問い合わせがくるようになりました。ドンは1981年に市議会議長となり、スライドショーを手に出張しました。

ジュディー・サンダーソン、ヘイガーマン、そしてウッドバリーの公益事業本部長の助けを得て、元市議会議長は道路脇リサイクル・プログラムの運営方法を概要した書籍『The Woodbury Way』を執筆しました。これは興味のある人誰にでも郵送料35セントだけで無償提供されています。ドンは最初の2年間でニュージャージー州全土の360の地方自治体に助言をしました。まもなく他の州からも連絡が入り、さらにフランス、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、フィンランドの地方自治体からも電話がかかるようになりました。

今日のリサイクルの状況はかなり違います。それでもやる意義があるのでしょうか?

ウッドバリーがはじめてゴミの仕分けを住民に義務付けてからほぼ40年が過ぎたいま、リサイクルの状況はかなり変わっています。近年では道路脇での回収が普通ですが、最近のニュースではその効果について多くの人が疑問をもっています。現実は2015年にはリサイクルおよびコンポストされた地方自治体の固形ゴミはわずか34.7%で、残りは埋立地あるいは焼却炉行きとなっています。中国のような国にリサイクルを委託できなくなったいま、その数字は今日、さらに低いでしょう。

しかし「リサイクルの父」は見限ったわけではなく、我が国のリサイクル・プログラムをふたたび軌道に乗せる方法について、いくつかの考えをもっています。

「政府の介入がなければならない、皆が要求しなければならない」とドンは言います。彼が望んでいるのは、容易にリサイクルできる素材だけが製造されることを義務付ける法律です。「リサイクルできなければ製造できないようにすることだ」そしてその考えは定着しつつあります。長いあいだ持続可能慣行における先導者だと見なされてきたカリフォルニア州では、最近プラスチック製造における最悪の業者(例:使い捨ての食器と飲料の蓋)の一部に、製品をリサイクルあるいはコンポスト可能にさせるための2つの法案が提出されました。製造業者による反対やロビー活動もあり、政策立案者が投票を見送ることで立法議会は終了しましたが、カリフォルニアのリサイクルのインフラが新しい法案を支持できないという懸念も要因のひとつでした。これはドンの2つ目の意見へとつながります。彼はアメリカが国内の製造能力を強固にすることも望んでいるのです。「僕らはこれらの(プラスチック)素材の用途をもっと見つけなければならない。プラスチックを再製造できる工場を建設する政府からのインセンティブがなければならないんだ」

ドンの足跡をたどりウッドバリーの市議会議員になったドンの娘、ヘザー・ティラニーもこの点に同意します。「リサイクルは傾いていますが、壊れてはいません。私たちはシステム全体を見直さなければなりません。生産の削減、再利用の奨励、そしてリサイクルの向上まで」と父と同じ熱意で語ります。「私たちの社会の行動様式を変えることは簡単ではありません。私はこの目で見ています。ウッドバリーの最初のリサイクル義務条例がいかに人びとの最悪な側面をさらけ出したかを。でも、献身的な市民たちからなる小さな集団が、いかにして惑星をより良く変えるための全国運動をはじめたかも、見ました」

ドンにとって、ウッドバリーで機能的なリサイクル・プログラムを設定するためには、啓蒙活動は必須でした。市の予算の透明性から、正しいリサイクル方法を教えるために住民を動員することもしました。彼は今日、それをより望んでいます。「ただリサイクルについて教えるのではなく、彼らを説得して、習慣を変えさせるんだ」と彼は言います。「リサイクルにおいて最も困難なことは、習慣を変えること。最初はより難しく、より不便であっても、違うやり方を厭わないことが必要だ。しかしそれはずっと難しいままでありつづけることはない。何度もやっていれば、それが普通になっていく。自慢するわけじゃないが、僕らがウッドバリーで達成したのが何か分かっている。人びとを賛同させたこと。そして他の多くの場所でも。リサイクルをふたたび軌道に乗せる方法を見つけられると、僕は楽観しているよ」

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