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宝島のママ

森山 憲一  /  2022年10月12日  /  読み終えるまで9分  /  クライミング

東日本大震災の震源地にいちばん近い陸地だった宮城県・金華山。大きな被害を受けたこの島を、人をつなぐ力とクライミングの力で復興させようとしている女性がいる。

”宝島”こと金華山の岩場を登るむらかみさん。2016年までは手つかずだった岩だ。

全ての写真:森山 憲一

宮城県牡鹿半島の沖に、クライマーの間で「宝島」と呼ばれている島がある。島の ”本名” は金華山。「山」という名が付いているが、これはれっきとした島の名前。島の中央に標高444mの山がそびえ、そこを中心に全島がひとつの山のような地形をしている。だから島イコール山なのだ。島の全周は17kmほどと、さほど大きくはなく、住人はわずか数人。神社がひとつあるほかは集落は皆無で、全島が自然の森に覆われている。

その島がなぜ 「宝」 なのか。それはクライマーなら、そして一度でも写真を見てもらえたなら、理由はすぐに理解できる。そこには、日本離れした景観の素晴らしい岩があるからだ。

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金華山までは、牡鹿半島鮎川港もしくは女川港から船で約20分。ただし定期便の運行は今でも週末だけだ。

「2004年くらいだったかな、地元のクライマー仲間が『すごい岩があるから行こう』と誘ってくれたことがきっかけです。来てみたら、白くて綺麗で手つかずの岩が海岸沿いにゴロゴロあるんです。『これはすごい!』と興奮して、以来、島に合宿して、みんなで登りこむようになったんです」

金華山のクライミング開拓者のひとり、むらかみみちこさんはそう語る。むらかみさんは、仙台市に住むいわゆるローカルクライマー。今でこそ、東北にも無数のクライマーがいるが、むらかみさんがクライミングを始めた30年前は仙台周辺のクライミングコミュニティは小さなもので、あの広い東北エリア全体でも、主だったクライマーはみんな顔見知りという時代。そんなときに仲間からもたらされた、新しい岩場の情報。金華山までは、仙台から車と船で3時間ほど。この島にある黄金山神社は、1300年近いといわれる歴史をもち、山形の出羽三山、青森の恐山と並んで東奥三大霊場のひとつとされている。全島が神域という歴史から開発はほとんどなされず、太古の自然がそのまま残されている。

金華山のこうした特殊な立地条件から、岩場があるところならどんな山奥にでも入りこんでいくクライマーたちにもその存在は知られることなく、手つかずの岩はまるでエアポケットのように現代に取り残されていたのである。岩場がそれほど多くない東北で、意外なところに良質な岩があると知ったむらかみさんたちは、そこを宝島と呼び、自分たちだけの静かな遊び場として大切にしていた。

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1300年近い歴史をもつ金華山黄金山神社。島全体がこの神社の境内というべき環境。

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小さな島にもかかわらず、山中には巨木が目立つ。開発が行なわれてこなかった証だ。

そんなむらかみさんたちと金華山の静かで平和な日々が一変したのは2011年3月11日。

東北地方を襲った東日本大震災。その震源地は牡鹿半島沖であり、最も近い陸地が金華山だった。つまり、超巨大地震のおそるべきパワーを最前線で受け止めたのがこの島だったのである。海岸から切り立った地形で海岸沿いに集落がないため、人的被害こそなかった金華山だが、それでも津波の高さは50mほどにも及び、地盤沈下で陸地は1mも沈んだ。むらかみさんたちが岩場へのアプローチに使っていた道はズタズタになり、拠点としていた民宿は跡形もなく流れ去った。むらかみさんたちクライマーも、自分たちの生活の立て直しが最優先となり、もはやクライミングどころではない。ましてや金華山に行く余裕などあるわけもない。宝島はすっかり遠い存在となってしまった。

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全島が鹿の楽園。神社周辺から山の中まで、どこでもその姿を見ることができる。

震災から2年ほどたったある日、むらかみさんは再び金華山のことを思い出す。

「報道では復興が進んでいるようなことも言われていましたけど、実際にはそんなことは全然なくて、震災後そのままのようなところもたくさんあったんです。なかなか進まない復興を前にして、なにかできないかと思ったんですが、私はクライミング漬けの人生を送ってきたので、クライミングしかできることがない。でもね、ふと気づいたんです。クライミングを復興に生かすような活動をすればいいんじゃないかと」

金華山はまさに復興から取り残されていた場所だった。島に渡る船は運休が続いている。なんとか復旧が進んでいたのは神社の周辺だけで、船着き場や道路は荒れ果てたまま。震災前は神社の参拝やハイキングなどで年間60万人が訪れていたという島に、かつての面影はまったくなくなっていた。

「ここをクライミングの聖地としてアピールできれば、クライマーだけでも来てくれるかもしれない」

そう考えたむらかみさんは、数年ぶりに金華山に渡り、再び岩場に通い始めた。以前は、地元との交流はなく、言ってみれば「こっそり」登っているに等しかった。神域という立地上、雑誌やネットに岩場の情報を公開することも控えてきた。しかし事情は変わった。

「島に来てくれるだけでもありがたいです」

神社の宮司からはそう声をかけられた。震災から2年たっても、島では神社の復旧をするのに手一杯で、全島に広がる山のなかがどうなっているかはいまだにわからないという。それこそ私たちクライマーの得意分野ではないのか……!

「クライマーができること」を見出したむらかみさんたちは、島全体をくまなく歩きまわり、道の荒れ具合をチェックし、再整備に向けての活動を始める。そのためにNPO団体「ファーストアッセントジャパン」も設立。クライミングが復興の力になる具体的な筋道が見えてきて、むらかみさんたちの活動は加速していく。

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ここに車が通る道があったとは思えないほど、海岸線は無残にえぐられている。

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岩場は海岸沿いにあるにもかかわらず、ほぼ震災前の姿を保っていた。

そのひとつの結実が2016年。日本のトップクライマー、平山ユージと中嶋徹、そしてヨーロッパのこれまたトップクライマーであるジェームズ・ピアソンとキャロライン・シャバルディーニが来島。手つかずだった新しい岩場も含めて金華山を登りまくり、その映像を世界に発信したのである。

「ヨーロッパにはもうどこにもこれほど手つかずの岩はないし、これほど新しいルートをいくつも作れるチャンスなんてなかなかない」(キャロライン・シャバルディーニ)

「その秘められた可能性と汚れなき岩は、世界中の冒険心あるクライマーの眼には輝く宝石と映るはずだ」(ジェームズ・ピアソン)

彼らのクライミング映像は、日本のクライマーにも衝撃を与えた。「こんなところが日本にあったなんて!」以降、むらかみさんたちは、金華山でのクライミングイベントを定期的に開催。トップクライマーだけでなく、キッズも含めて、それまで金華山の存在すら知らなかった人たちが数多く現地を訪れることになった。

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金華山の岩場の特徴は、この白く明るい花崗岩。ボルダリングやトラッドクライミングには最高の岩質である。

「ママ、先に行ってるよ~」

大西良治さんがそう声をかけて岩場に向かって歩き出していった。「ママ」というのはむらかみさんのこと。大西さんは、むらかみさんの20年来のクライミング仲間。かつてはともに宝島で登り、今では国内屈指の実力者としてその名を知られるクライマーだ。

「なんでママなんですか?」と聞くと、「なんででしょうね。昔からそう呼ばれているんです。それこそ20代のときから」とむらかみさんは笑う。最初はお母さんという意味かとも思ったが、10歳くらいしか年齢が違わない大西さんがそう呼ぶのも違和感がある。おそらくお母さんではなく、イメージはスナックのママさんなのだろう。いつでも明るく、だれにでも分け隔てなく話しかけ、気がつくといつも話の中心にいる。むらかみさんはそんな人なのだ。クライミングを復興に活用するといっても、言うは易く行なうは難し。首都圏近郊の人気の岩場ならともかくも、東北の、しかも離島にある岩場となれば、協力してくれる人の数も限られる。それでも、金華山の名は全国のクライマーに知られ、岩場の質の高さは世界のクライマーにも届き、ここで登ったキッズがいまや日本代表としてワールドカップにも出場している。むらかみさんがいなかったら、こういう状況は現実のものになっていただろうか。コアなクライマーから初心者まで、誰にも壁をつくらず、いつの間にか親しくなってしまう。むらかみさんのそんな人柄あってこそだったはずである。

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2016年にヨーロッパのクライマーたちが初登したルートを登るむらかみさん。

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仙台をベースに、現在は日本を代表するクライマーのひとりとなった大西良治さん。

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20年来の同志、大西さんとむらかみさん。

むらかみさんの活動は、今、クライミングの枠を超えて広がってきている。金華山はその特殊な立地と歴史から、自然環境の本格的な調査はほとんど行なわれたことがなかった。そこに関心を抱いた東北大学の研究者が、環境DNAという新しい調査手法を金華山を舞台に試みようとしている。しかし研究者には金華山の土地勘もなければ、山中を自由に歩きまわれるノウハウもない。

そこでファーストアッセントジャパンが調査に協力。環境DNAとは、自然環境中に存在するDNAのことで、水や土壌を分析することで、その環境に生息する生物の生態を知ることができる。すでに海洋では研究が進んでいるが、山を舞台にした調査はまだほとんど行なわれていない。分析はもちろん専門家でないとできないことなのだが、水などのサンプルの採取はだれにでもできる。島内を知り尽くし、山歩きならお手の物のむらかみさんたちの力がここで生きるわけだ。

金華山は今、鹿が増えすぎて食害が進んでいるという。幼木が鹿に食べ尽くされ、荒れ地のようになってしまったところもある。これをなんとかできないかと、むらかみさんは考えている。1000年以上も開発の手から守られ、その自然環境が保たれてきた金華山。むらかみさんの興味と関心は、今、この宝のような島を次世代に引き継いでいくことに向けられている。

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環境DNA研究の第一人者、東北大学の近藤倫生教授(右)と。畑違いの大学研究員に囲まれても、いつの間にかむらかみさんが中心になっている。

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研究室のみんなも見よう見まねでボルダリング。異分野の人たちを自然につなげる力がむらかみさんにはある。

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