海の自由を学ぶクラブ
全ての写真:三浦 安間
「海は自由な場所だから」と、〈黒門とびうおクラブ(以下、とびうお)〉の代表・永井巧さんは何度か繰り返した。空間的に広く、さまざまなアクティビティが行える場所であると同時に、より象徴的な存在として「海」を「自由」と捉えているのだと聞こえた。
2009年、永井さんが神奈川県の逗子海岸で〈とびうお〉を始めたのは、自身に子どもが生まれたからだった。
「地元の海だったり、暮らしている自然の中で遊ぶことが、かつてはごく当たり前にあったでしょ? 僕が住む逗子の周りには、まだ残っているけれども、それでも少しずつ動きづらくなっていて、子どもたちだけで勝手に何かをやることが少なくなっている。自分に何ができるかな?って考えた時に、クラブみたいなものを作って、場を作っておけば、うちの子どもも来るようになるだろうし、ほかの子どもたちだって、海で遊んでいる子どもを見たら、勝手に真似するだろうって思ったんです」
永井さんと友人たちでスタートしたクラブは、あっという間にメンバーが増えていった。現在は月曜から金曜まで1クラス各30〜35名、1年生から6年生まで一緒に活動し、160名近くが所属している。集合は、学校の終わった16時。必然、季節ごとに異なるサンセットを体感することになる。春から秋まではとにかく海をメインに活動を行なっているが、必ず海に入らなければいけないわけでもない。現在は永井さんと共に代表を務める上山葉さんの息子は、〈とびうお〉に入ってから半年間、まったく海に入らなかったという。
「ずっと砂で遊んでましたね。私が海に入りなよって言っても、絶対に入らない。頑固だったから。それでも半年後には少しずつ海に入るようになったんですね。今、二人の息子は中3、中1でたまにカヌーをする程度ですけど、〈とびうお〉にいたことはすごく誇りに思っているんです。サーフィンなんか滅多にしないくせに、できるって思ってる(笑)」
子どもたちの、その自信こそが、〈とびうお〉が培っているもっとも尊いものかもしれない。
活動の基本は、走る、泳ぐ、パドルする。とても穏やかな逗子海岸では、波は貴重だから、波があれば波乗りをする。あるいはテトラポットの脇で、シュノーケルをする日もある。釣りをしてもいいし、砂浜でサッカーをしていてもいい。永井さんは言う。
「湾の端にある浪子というポイントで少し泳ごうとなった時に、入って間もない子がライフジャケットを着たくないって言ったりするんですね。僕らは、その意見を尊重するんです。着たくない子に無理やり着せるようなことはしない。もちろん安全には気を配るけれど、海水を飲んだり、少し怖い思いをするってとても大事ですから。大人が先回りしたシナリオだと、どうしても命令ベースになってしまう。ただ言われたことを守るようになっちゃうんです。経験を重ねて、何が危ないのか知ることこそが大事だと思ってるんですね。ライフジャケットを着れば安全という発想では、得られないものがあるんです。海は、めちゃくちゃ楽しいし、ワクワクするけれど、溺れてしまう場所でもあるから」
安全を最優先に考えるならば、同じ格好で全員に同じアクティビティをさせた方が、統率も取れる。だが、それでは意味がない。〈とびうお〉は、単にスキルを習得しに来る教室ではなく、みんなで遊ぶための場所。
「ただし、自由が好きだからって、いきなり波乗りを自由にやらせてもできないわけで、するとパドリングができた方が自由になるよねって伝えます。練習っぽくて嫌かもしれないけど、みんなが好きな自由時間のために、パドリングしてみようと。あるいは釣りをして魚を捌くのが得意な子が、ナイフを持ってきて、ベラでもなんでも釣った魚を捌いて『うめえ』って言いながら食べたりする。それを見ていた低学年の子たちは、『かっこいい!』って憧れますよね。そういう子どもたち同士の関係性が豊かになることが大事。大人はもちろん見守っているけれど、できるだけ前に出ないようにしたいんです」
〈とびうお〉の決まりはほとんど一つだけ。よほどの危険がない限りは、雨が降っても風が吹いても活動すること。
取材当日は、雨だった。秋の始まりで北風が吹き、底冷えするような寒さだった。葉さんは、他数人の女性たちと一緒にアウトリガーカヌーの練習をするのだと沖へと漕ぎ出してしまった。子どもたちは小雨も気にせずに、すでに走り回っている。永井さんが声をかけて集合した後には、それぞれがしたい遊びに散らばっていった。ウェットスーツを着て、今日はSUPをすると決めていた兄妹は、さっそく海に向かう。いきなり漕ぎ出そうとする二人に永井さんが声をかけて「海に入るときに気をつけなきゃいけないことはなんだっけ?」と質問をする。二人は「あっ、風! 今日は北風吹いてる」と意識を向ける。このやり取りさえあれば、あとは大丈夫なのだろう。海に足をつけて、「ぬるいね」と感覚を共有し、二人はSUPに乗り始めて、北風に押されてしまう沖ではなく、湾を横切るように漕ぎ始めた。
永井さんやサポートの大人に混じって、高校生がいた。小学生の女の子が纏わりついている。少し歳上のお姉さんほど、一緒に遊びたい対象もいないのだろう。彼女もかつて〈とびうお〉に通い、卒業後にはそのままアルバイトとして手伝うようになったのだという。「私が好きなのは、自由な感じですかね。家も近所だし。気に入って、そのまま来ている感じ。〈とびうお〉があるから海にいるんです」。永井さんたちのように率先して遊びの手伝いをするよりも、あまり動きたくない子たちのフォローをしているように見えた。
海に入るでもなく、釣りするわけでもない男の子に、「海、好き?」と聞いてみる。すると「海は怖い、川も少し怖い、砂浜は好き。でも走るのは嫌い」という答えが返ってきた。アクティビティと呼ばれるようなものは好きではない。だから砂遊びをしたり、サッカーに少し参加したりするだけで十分のようだった。友達と戯れ合うために来ているのかもしれない。砂遊びをしている高学年の男の子たちもいて、その姿は子どもとしての時間を一生懸命に取り戻しているように見えた。想像していたよりも取り止めもない集団で、これこそが永井さんが話していた「自由」なのかと考え始める。永井さんは言う。
「〈とびうお〉を始めて13年経ちますが、ここ数年思うのは、子どもたちが忙しいんですよ。毎日、塾に行っていて、ここには自由の時間として安らぎを求めていたりもする。水泳の選手コースに通っていて毎日泳いでいるから、ここでは絶対に海に入らない、とかね。今年は、以前よりもオフを求めてくる子が多い印象はありますね」
それぞれの子どもたちには、当然ながらまったく違うバックグラウンドがあり、それらすべてを汲み取ることは難しい。けれど、「海」という場さえあれば、包み込むことはできるのだろう。
そこには、永井さんが海外での経験がベースにあるという。例えば旅したオーストラリアには、どのビーチにもライフセービングクラブがあり、海の基礎を学ぶための場所になっていた。あるいは、災害ボランティアとして派遣された内戦下のソマリアでは、誰も海でなど遊ばないと言われていたが、ボディサーフィンを始めると子どもたちが集まってきてすぐに仲良くなった。
海さえあれば、子どもも大人も自由に振る舞える。永井さんは経験上、そう信じている。
「本当は、ビーチにライフガードがいて、最低限の安全が保証されている状態がいいなと思ってる。社会全体で受け止めるような環境が理想ですよね。僕らはまだメンバー制だから。〈とびうお〉に来る子たちは、程度の差はあっても、大部分の子は自然を楽しむと思う。でも、中には合わずにやめる子もいます。それも当然だと思う。僕らが全てをサポートできるわけじゃないですから。ただ、その子にとっていい場所が見つかればいいなと思うんです。ほとんどみんな地元の子だし、街でもばったり会うわけで、『だからずっと応援しているよ、いつでも遊びにおいで』って。それだけは必ず伝えるようにしています」
〈とびうお〉で子どもたちが自由に遊ぶ姿を見て感化された親たちも、海で遊び始めている。葉さんのように、カヌーを始めて大会に出たり、素潜り部を作って毎週のようにあちこちの磯に潜ったり。あるいは、山を走るのが好きになった子どもたちがトレラン部を作ったりもしている。〈とびうお〉を支える仲間には、それぞれの種目のエキスパートが揃っていて、専門性高く運動にのめり込んでいくための、〈とびうお〉後の受け皿も出来つつある。あるいは、艇庫として使っていた建物は、「やってみたい」と手を挙げたメンバーによって、現在は保育園になっている。
「子どもたちがやりたいと思ったことができるようになるためには、大人もやりたいことをやらないと」。そう言って笑う永井さん。
〈とびうお〉は単なる放課後の遊び場ではなく、いわば運動体のようなもの。可変的に増殖しながら、街全体を面白い方向に導き始めている。「海の自由」から、そう学んでいるのだろう。
二週間後、再び逗子海岸を訪ねると、その日は薄曇りで遠くに雪を被ったばかりの富士山が見え、雲が次第に淡く染まっていった。〈とびうお〉は、定点で季節の変化を見続けている。水面は滑らかな質感でオレンジの光を反射し、その中で、ほとんど真っ暗になるまで海に潜っている子がいた。魚を探しながらテトラポット沿いを歩き、その少し後ろを永井さんがついていく。冬の始まりに夜の海を泳ぎ、シュノーケルで魚を探す小学5年生に頼もしさを感じた。