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歩くことは、生きること

森山 伸也  /  2022年12月2日  /  読み終えるまで11分  /  ハイク

国内外のロングトレイルを歩いてきた筆者が足繁く通う黒部源流エリア。 衣食住を背負い、源流の一滴を追って歩いた山旅で見つけた真の”歩く意味”とは。

すべての写真: 武部 努龍

約20万年前、アフリカ大陸に出現したヒトは、長い年月をかけて世界各地へ散らばった。
もっと住みやすい気候、食料豊富な大地が、地平線の向こうにあるに違いない。
そんな希望を抱き、ヒトは今日まで歩き続けてきた。
この人類の大移動は、グローバル化の波のなかで止まっているように見えるが、現在進行形で続いているのだろう。
そう仮定すると、彼の、彼女の、僕の、放浪癖は、合点がいく。

ひとことで移動といってもさまざまなだ。
歩く、走る、自転車、車、列車、飛行機・・・。
もっともヒトの情報収集能力が高くなるスピードは、歩く速さだと言われている。
そりゃそうだ。ヒトが自転車や車に乗るようになってまだ100年そこそこしか経っていないのだから。
歩くスピードは、およそ時速4km。
これより速いと、視覚が得た情報を脳が処理できなくなる。
あ、木の実がある。あ、危ない崖だ。あ、美しい女性。
ちょっとでも速くなると、あらゆるモノを見逃してしまう。

二足歩行で長時間歩ける生き物は、地球上にヒトだけだ。なぜヒトは二足歩行を選んだのだろう? モノを手に持って歩くため。食べ物や燃料、食器、毛皮、子ども、テント・・・。ヒトは野営道具一式を持って歩くことで、アフリカ大陸から地球の隅々まで広がったのである。

なにが言いたいかというと、衣食住を背負って歩くこと、つまりバックパッキングはヒトにとって自然な行為であり、理性ではコントロールできない本能で、DNAに刻まれた営みなのである。だから、山ばっかり行って家族や会社に後ろめたさを感じているヒトは、胸を張ってこう言えばいい。
「よりよい暮らしを求めて、歩きに行っているのだよ。みんなのために」

歩くことは、生きること

妻の千歳とは、槍ヶ岳で出会った。15年前の夏、彼女もまたひとりで衣食住を背負って歩いていたのだ。彼女は自然に身を置き、その瞬間を写真に切り取ることが得意で、フォトグラファーとして活動している。

それでは、大好きな黒部源流の話をしよう。
北アルプスの北部、富山県側の最深部に流れる黒部川の源流を歩いてきた。黒部川は、日本百名山のひとつ標高2,924mの鷲羽岳に源を発し、山々を削り取りながら日本海へ流れ込む全長85kmの名川。その流れを遡り、一滴を求めるように歩く総延長50kmの周遊ルートである。
名付けて、黒部源流サーキットトレイル(勝手に命名)。

黒部源流環状縦走路とか、黒部周回トレイルなど、さまざまな呼び名があるが、ここでは上記で呼ぶことにする。
なぜこの山域が好きなのか?
この一周には、あらゆるランドスケープがつまっている。
広葉樹の原生林、3000m級の高地、イワナが遊ぶ源流、火山、氷食地形のカール、湿地、池塘、万年雪・・・。そして、源流にイワナが群れ、カモシカが岩山に棲み、ハイマツに雷鳥が遊び、ハヤブサが空を旋回する。一年を通して降水量が多い「裏」の高地は、スペクタクルな地形が豊かで、生命力が漲っているのだ。
外国に住む友達のハイカーに「今度日本へいくんだけど、おすすめのトレイルない?」と聞かれたら、真っ先に解答の上位に食い込んでくる名トレイルだ。

歩くことは、生きること

標高1,350mの富山市折立登山口がスタートでありゴールである。マイカーで気軽にアクセスできるうえに、北アルプスの最深部を周遊できるのがいい。そのうえ、人が少ない。ましてや10月中旬ともなれば、なおさらで静かな北アルプスを楽しめるのだ。

歩くことは、生きること

標高1,000〜1,500mの紅葉は見頃だった。紅葉から受ける印象は、「美しい」だけにとどまらず「この先は寒いぞ!」との警告でもある。太郎平までの登りだから薄着だが、立ち止まるとダウンを羽織りたくなる寒さ。だからか? 天気がいいのに誰もいない。

歩くことは、生きること

太郎平から枝沢を何本か渡って、黒部川へ下る。夏はイワナ釣りで沢に篭る僕らにとって、黒部源流は憧れのフィールドでもある。ついつい、産卵のために上ってきたイワナに見惚れ、足が進まない。

歩くことは、生きること

薬師沢小屋の吊り橋で黒部川を渡り、雲ノ平へ標高差約600mアップ。雲ノ平への登りは、苔むした岩がゴロゴロ転がる急登で、北アルプスでもっとも滑りやすい一般登山道ではなかろうか。踏み出した足を滑らせて、額から流血した山岳カメラマンを知っている。黒部川に年中貯まる湿気が、雲ノ平の牙城のごとくそうさせているのだろう。

歩くことは、生きること

雲ノ平山荘と夕日を背に、キャンプ指定地へ飛ぶように歩く。なぜ浮き足立っているかって? 売店で買ったビールが2本、背中にあるからだ。テントをしっかり張り綱まで張って、寝袋を引っ張り出して、マットに空気を入れて、お湯を沸かしている間に、行動食のナッツと一緒にビールをぐびぐびやっている時間が山中で一番ハッピーかもしれない。ビールをやっつけた後は、持ってきたウイスキーを湧水で割る。顔を赤らませて星空を見上げれば、「最高だな」を連発し、寝袋に包まると、もうなにもかもどうでもよくなってしまうのだ。

歩くことは、生きること

雲ノ平キャンプ場でビールを飲み始めると空が真っ赤に染まった。
「うわー、すげーや」
周りの登山者もテントから身を乗り出して、写真を撮ったり、ざわざわしている。そうなんだ、人生には狂気が必要なのだ。喜怒哀楽ないしは、感情の起伏が。だから、みんな山に出かけたり、酒を飲んだり、スポーツを観たりする。山には大きな感情の起伏がたくさん眠っている。

歩くことは、生きること

2日目は残念ながら陽が差さない高曇りだったが、視界があるだけありがたいというもの。天気が変われば景色はさま変わりし、季節が移ろえばまた変わる。波のように二度と同じ風景はない。毎度新たな発見に心が震える。だから、何度歩いても、いい道は、いい道なのだ。

歩くことは、生きること

日本百名山の水晶岳が目の前に迫るが、今回は登らない。
この黒部源流サーキットでは、日本百名山に登ろうと思えば4座(薬師岳、水晶岳、鷲羽岳、黒部五郎岳)も登れる。最低でも3泊4日は欲しいところだ。
サミットハントに固執する山行は、あまり好きではない。点と点とを繋ぐ縦走路に頂があるという自然な登頂が理想である。要は、山域を広く捉え、旅するように歩きたいのだ。

歩くことは、生きること

山頂にこだわらない代わりに、黒部川の一滴にはこだわった。鷲羽岳の山肌を流れる一筋を口に含み、重力に導かれるまま流れに沿って、三俣山荘へ下った。視線はずっと沢のよどみに釘付けだ。何度も転びそうになりながらも、観察を止めない。イワナは、標高2,500mあたりまで遡上していた。

歩くことは、生きること

昨日頑張ったので、今日はゆっくりでいい。山行にも人生にもペース配分って大事だ。三俣山荘でラーメンとサイホンコーヒーをいただいた。
基本的にはすべての装備を持って山に登ることが、美しい登山だと思っている。
食べるもの、嗜好品、燃料を持ってテントに寝る。そう、自分の中だけで完結したい。
しかしながら、登山道を整備したり、水場からパイプをひいたり、万が一のときに避難所になる山小屋の存在は無視できない。彼らに向けたリスペクトの意味合いを込めて、お金を落とす。ビールを買う。抱えられるだけいっぱいだ。

歩くことは、生きること

日本列島が大陸と繋がっていた氷河期の生き残りである高山植物が、足元で越冬の準備をはじめていた。高地のみに生き残っているチングルマがその代表例。約1万年前の地球に思いを馳せる。足元の地面と大陸とがチングルマで繋がっているなんて、なんてロマンチックだろう。

歩くことは、生きること

ときどき、好きな山ってどこですか? と野暮な質問を受ける。山域だったら飯豊連峰とか大雪十勝とかズバッと出てくるが、ひとつの山となると返答に困ってしまう。スキーか沢登りか、縦走か日帰りかという手段でも異なるし、厳冬期か紅葉時期か新緑かという季節でも違ってくる。それだけ山はさまざまな表情を持っている。無雪期の縦走でトップ5に入ってくるのが、この黒部五郎岳だ。
ご覧の通り、東に(正面に)巨大なカールを抱え、独立峰のごとく広大な裾野の上に鎮座し、山頂部が鋭く空をつんざく。山深いというのもいい。白山から槍穂、立山劔と、全部見えるのも素晴らしい。
ただ、黒部源流で岩がゴロゴロしているから黒部五郎岳という陳腐な名前だけはなんとかして欲しかった。

歩くことは、生きること

黒部五郎小舎のテント場で、昨晩と同じような真っ赤に燃える夕日を浴びた。小舎は数日前に営業をやめ、小屋のスタッフは冬支度をしていた。「テント場は開放しているから自由に使っていいよ。水はその辺の沢からとってくれ」まだ山小屋がなかった原生の北アルプスに投げ出されたような感じがして嬉しくなった。テントを張ると、沢水を探しに出かけ、用を足す場所を確認。僕の顔が赤いのは、夕日のせいではなく、すでにウイスキー沢水割りをキメているからである。

歩くことは、生きること

薬師岳が背負う空が刻一刻と色づいていく。日本海に沈んだ太陽の残光が、薄い雲を染めていく。空気が澄んでひときわ鮮やかな高地のマジックアワーは、ハイカーと小屋番の特権だ。
満身創痍で目的地に着いたら、ただ温かいものを食べて、ただ寝たい。しかし、そうは問屋が卸さない。やるべきことは山積みだ。テントを張る場所を定め、テントを張って、寝床を整え、水を汲みに行き、お湯を沸かして、食事をつくり、食器を拭いて、歯を磨いて、張り綱をもう一度確認してって、なかなか寝られない。体と頭をフルに使う山の生活が体に染み込むと、日常の都会生活が物足りなくなる。はやく山へ行きたい。登山は中毒性がある遊びだ。

歩くことは、生きること

穂高連峰を背に、スプーンでえぐられたような黒部五郎カールの底をゆく。氷河の侵食作用によって形成されたカールは圏谷とも呼ばれ、氷河期へ僕らをタイムスリップさせてくれる。かすかに雪が残り、カールに生き延びた植物たちを潤していた。

歩くことは、生きること

今回の山行で唯一の百名山、標高2,840mの黒部五郎岳山頂からクライムダウン。ね、岩がゴロゴロしているでしょ? 奥の雲に浮かんで見える山塊が霊峰、白山だ。

歩くことは、生きること

黒部五郎岳と太郎平の間に延びる稜線は、のっぺりとアップダウンが少なく、ウォーキングを心底楽しめる。残雪期にスキーで訪れたことがあるが、東面の谷という谷が雪にすっぽり埋まっていた。ここは日本屈指の豪雪地帯。高い樹木が見当たらず、水平線が遠くに見える。北欧やアラスカの荒野を思い起こさせる広大さだ。
そして、歩いたところを一望できるのが、周遊ルートのおもしろさでもある。

歩くことは、生きること

天然の水瓶ともいえるブナに出会うと、下界に帰ってきたという安堵感に包まれた。雪深い山域に生きるブナは、あらゆる生命の源。わが家もブナの森に囲まれている。

国内外のトレイルをあちこち歩いてきたぼくたちは、いま新潟の山奥に住んでいる。薪で暖をとり、流木で風呂を焚き、畑を耕し、山菜とキノコを収穫して、イワナを釣る。体をフルに動かし、自然に寄り添った生き方を選んだ。
トレイルでの人間らしい生活を日常生活でも渇望した結果かもしれない。
バックパッキングは、いつも僕に問いかける。
無駄なものは持っていないか?
暮らしのコアな部分を誰かに委ねていないか?
謙虚に自然と接しているか?
歩くことは、僕らにとって暮らしを見つめ直す行為、つまり人生の道標(みちしるべ)でもある。

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