ガンバルゾム5峰初登頂:未知のものを明らかにする喜び
パキスタンのヒンドゥーラジ山脈、ガンバルゾム5峰を初登頂した鈴木雄大、成田啓、西田由宇。未踏の山で彼らが感じたものとは……。
2023年9月、クライマー鈴木雄大、成田啓、西田由宇の3人がパキスタンのヒンドゥーラジ山脈にあるガンバルゾム5峰(6,400m)に初登頂した。麓のダルコット村から見える北面はすべて未踏で、5つあるピークのうち1峰のみ、1973年にイタリア隊が南西から登頂していたが、ほかはどれも完全な未踏峰。北面には荒れた氷河が広がり、稜線や壁には巨大なセラックが垂れ下がっている。
3人は唯一トライできそうな北西リッジを選んだ。100mクラスのミックス壁、ギザギザの複雑なリッジが冒険心をかき立てる。2回目のトライ、登りでは核心部を超えてからもなおシビアな雪稜クライミングが待ち受け、下りでは長い青氷のクライムダウンが続いた。体力と集中力を削がれ、懸垂下降中に落下やロープ切断のアクシデントに見舞われる。普段は無口な3人だが、厳しい局面では意識的に声をかけ合った。
無事帰還したからこそわかる、成否を隔てたであろう分岐点の連なり。彼らはどんな世界を見てきたのだろう。
選んだ北西リッジには挑戦的な要素があった
ーー旅の始まりはどんな様子でしたか?
鈴木:深夜0時、イスラマバード空港に着いてからの滑り出しは好調でした。過去のパキスタン遠征ではトラブルで町への移動に1週間もかかりましたけど、今回は翌朝5時の国内線でギルギットの町に飛ぶことができました。そこからハイエースで悪路を走り、日本を出発してから5日目には目的地のダルコット村に入りました。
西田:高所順応をどこでするかは、ほぼ現地判断でしたね。歩いて登れる山があればベストだったんですけど、尖った山ばかりで適当な山がなくて。
鈴木:結局、本命の山のベースキャンプに行って、後は出たとこ勝負で何とかしようということになりました。
成田:村から見た北面は氷河のクレバスがあり、ビルぐらいの大きさのセラックが今にも落ちてきそうで、かなり危ない印象でした。まずは屏風のように広がった山の隅から隅まで4〜5時間ほど空身で歩いて、どこが登れそうかを探りました。危険度から判断して5峰しかないということになり、麓にベースキャンプを張りました。
鈴木:5峰目のリッジが目に飛び込んできたんです。ギザギザで100mを越える壁もあり、クライミング的要素も含まれていて挑戦的。見れば見るほど格好よく見えてきて、気持ちが高まっていきました。
ーーどんな経緯で遠征先をガンバルゾムに決めたのでしょう?
鈴木:僕がアイデアを出し、二人を誘いました。ガンバルゾムの存在を知ったのは約3年前で、遠征を決定づけたのは、2022年パキスタンの7,000m峰ガッシャーブルム6峰に挑戦したときです。6,000mで敗退し、悔しさが残ったのですが、現地でイギリス人クライマーのトム・リングストンと出会いました。そして彼から、コヨゾムから見たというこのエリア一帯の山の雰囲気について聞きました。調べてみるとガンバルゾム北面はすべて未踏峰で、5つのピークのうち登頂されているのは1峰のみ。一気に遠征候補として浮上しました。
ーーこれまでも3人での登山はよく行っていたのですか。
鈴木:僕は成田、西田それぞれと山に登っていましたが、2人は今回の遠征をきっかけに知り合いました。成田とは北海道で4年ほど一緒に山行をしていて、この遠征が決まってからもペルーに行くなど多くの時間を共にしています。西田とは2022年にハンター北壁へ一緒に行き、とても濃い経験を共有していました。
成田:この遠征が決まってからは3人で一緒にトレーニングをして、お互いのセンスをすり合わせました。
西田:冬の富士山に登ったり、錫杖岳や瑞牆山で連続登攀したり。
鈴木:トータルで30時間くらいトレーニングをしたかな。僕と成田が住む北海道まで西田に来てもらい、雷電山での継続登攀など海外遠征を意識したトレーニングを繰り返し行いました。ほかにも重い荷物を背負ったり、雪中にテントを張って水をつくったりしながらチームワークを高めました。
1回目のトライでは西田が高山病に
成田:標高3,380mに張ったベースキャンプから、まずは下見と高所順応を兼ねて4,700mまで登ってみました。
鈴木:天気予報ではこの後まとまった降雪があるとのことで、このチャンスを逃すと12日間くらい待たなければならない。それで翌日パッキングして、2日後には1回目のアタックを行いました。様子見の気持ちもありつつ、行けたら行ってしまおうと考えていたんです。ただ高所順応が十分でなかったので、高山病の症状が出たら、無理せずに下りようと話し合っていました。
西田:実は自分はベースキャンプに着いてすぐの偵察で体調が悪くなってしまい、1回目のトライはひどい下痢の状態で登りました。下から見たとき核心部に見えた岩のセクションを越えて、あとは雪のセクションを残すだけのところまで登ったんですけど、雪のセクション手前で立っていられないほど高山病の症状が出てしまい、3人で一旦降りることにしました。
成田:そこまでの3日間がかなり難しいクライミングだったので、下りるのも大変で、懸垂下降では降りられずトラバースも多くて。
西田:もう1回ここを登るのか、嫌だなという気持ちは3人ともありました。
鈴木:リッジなので、体力がゼロになってしまうと降りられないんです。懸垂下降の場合、3人のうち2人が元気なら降ろしてあげることができるんですけど。それで余力があるうちに降りることにしました。焦ってファーストトライをしたこともあり、日程には余裕があったので、再トライに懸けようという気持ちで。
成田:次は行くぞ、という気分でしたね。
鈴木:ただ厳しい登山では、一度ベースに下りてしまうと気持ちが途切れて帰りたくなったりします。それを少し心配していたんですが、杞憂でしたね。みんな燃えていたので。
2回目のトライでは、ひとつ予想と大きく異なることがありました。1回目のトライで登った岩場の先は、歩ける稜線だと思っていたのですが、実はアイスクライミングが続く場所だったんです。下りも懸垂できず、クライムダウンしなければいけない状態でした。むしろここが核心と言ってもいいくらいで、1度目のトライでそのまま進んでいたとしても厳しかったと思います。振り返ってみれば、一度下りたのはいい判断でした。
ーー1回目と2回目のトライの間はどのように過ごしたのですか。
鈴木:ちゃんとした食事を摂ろうと村まで下りました。ところが宿がなくて、ホームステイみたいな形で滞在させてもらった場所でお願いした食事が脂っこくて。1食目から3人ともひどい下痢になってしまい、ずっと寝ていました。
すると、いつもは連絡をしてこない代理店から「近くの村でテロがあったから、1週間以内で遠征を切り上げくれ」というメッセージが届いたんです。これはゆっくりしていられないと思い、体調不良のまま押し出されるように2回目のトライに向かいました。
高所順応し、2度目は1度目よりペースアップ
成田:2回目の岩場のセクションでは、1回目と同じ人がトップを登り、スピーディに進みました。3人とも体調が回復し、身体が高所に慣れてきたこともあって、3日かかった岩場を2日で抜けることができました。
鈴木:岩場のセクションを越えてからは、青氷に蹴り込みながら進みました。技術的な難しさはないものの、スクリューなどを6本程度しか持っていなかったので、ひとつミスをすればかなり下まで落ちてしまう。集中力を切らさないようにしながら、1,5kmほどあるリッジを登りました。
ロープが60mしかなかったのでビレーはできず、3人で数珠繋ぎに同時登攀します。一人が落ちたら全員が巻き込まれてしまう状況でしたが、お互いを信じて進みました。
成田:雪のリッジセクションはトータルで14時間くらいかかったかな。朝6時頃に動き始めて、山頂に到達して戻ってきたのが20時半でした。
鈴木:雪のリッジに入る前、テントでしっかり横になって寝ることができたのがよかったですね。傾斜のある氷上に2時間かけて机くらいのスペースを切り出しました。
成田:今回はすべてのテン場で横になって眠れたので、夜が明けると体力が回復していたんです。
頂上手前300mで下した決断
鈴木:昼12時半、山頂が見える6,100m地点に到達したとき、このまま行くかどうか迷いました。翌日は風が強くなりそうだったので、次の日のピークはシビアになるだろう。日没は17時過ぎ、頂上まであと300mだけれど、この先は横の歩きが長いので時間がかかる。
しばらく考えた末、思い切ってここで荷物を置き、最低限の装備でプッシュすることを決めました。1回目に下りる判断をしたときもそうでしたけど、これもいい判断だったと思います。
成田:4,500mのアドバンスベース以降はじめての平らな場所だったので、立ち止まって話し合いました。
鈴木:時間がかかりそうな登攀に備え、新たに雪を溶かしてお湯をつくりながら会話しました。そこから頂上を目指したわけですが、実はひとつ偽ピークがあったんです。3人とも限界に近い状態で、やっと着いたと思ったら先にもうひとつピークが見えて……。そのときのショックといったらなかったですね。若干焦りを感じました。
成田:これは暗闇のなか行動することになるな、と覚悟した瞬間です。
西田:でも登る以外の選択肢はなかったと思います。ここで引き返したら次はないという感じでしたから。
ーーそこから、どんな気持ちでピークへ向かったのでしょうか。
鈴木:偽ピークから頂上まで2時間弱かかりました。複雑な雪の稜線で、果たしてスムーズに進めるのか、切れ落ちて人間が歩けないような場所が出てくるんじゃないか……そんな不安が頭をよぎりました。もうすぐピークに辿り着けるという高揚感と、未知の要素に対する不安とのせめぎ合いです。
これは日本の山とは明らかに違うスケールだからこそ経験できる感情でもありました。だから、この冒険的な登山を楽しもうという心の余裕もどこかにあったと思います。
成田:トップで登っていた雄大さんから「あれがピークであってくれ!」という声が聞こえてきましたよ。
山頂からしか見えない景色
鈴木:山頂に立ったときは、とにかくほっとしました。もうこれ以上登らなくていいんだって。すでに日が暮れ始めていて、これからの下降が長くなるのは明らかだったので、集中力を切らさないようすぐ気持ちを切り替えました。もちろん嬉しさもありましたけど、早く降りなければという気持ちの方が強かったですね。未踏峰の頂上に立つと、さらに奥にいろんな山が見えてくるんです。あの山々に行ってみたいと思いました。
成田:平出和也さんと中島健郎さんが2023年に登ったヒンドゥークシュ山脈も見えて、夕日がちょうどそのあたりに沈んで、振り返ったらブロッケン現象が見えて……。なかなかいいピークでしたね。
鈴木:すごく狭くて、なんていうか、格好いいピークなんです。僕が最初に着いて二人を引き上げたので、いちばん長く山頂を楽しみました。さらにその上に本当のてっぺんがあって、一人分のスペースしかなかったので、交代で立ちました。
西田:山頂に立った途端にそれまで見えなかったもう片側の風景が見えてきて、そのインパクトは本当にすごかったです。
10mの落下、ロープ切断のアクシデント
成田:下りはスノーバーやスクリューなどの支点がちゃんと決まる状況ではなかったので、ノープロテクションでお互いを信じて下降しました。もう焦っても仕方がないので、確実に下りようと。
鈴木:下降して10分程度で完全に日が沈んで真っ暗になりました。その頃はまだ上りの足跡が残っていたので、どこか安心感がありつつ、デポした地点まで下りました。山頂を目指す登りではどんどん安全圏から遠ざかっていくわけですけど、デポした地点にだんだん近づいていく下りはまた別の感覚で……。
西田:少しずつ緊張感から解放されていく感じというか。
鈴木:そうだね。風がどんどん強くなってきて、とにかく寒かった。日が沈むと体感ではマイナス20度以下まで冷え込みます。手をずっと振っていないと痺れてくるほどで、集中力を切らさないよう注意していました。
ーー下りでいくつかアクシデントがあったとか。
西田:山頂からデポ地点までは順調でしたが、その後、2回ほどアクシデントがありました。翌日、岩のセクションに入ったところで、ロープで懸垂下降するピッチがあったんです。逆くの字みたいに屈曲する場所で、雪の屈曲点を崩さないように手足を突っ張りながら斜めに下りていたんですけど、疲れていたのもあって屈曲点を崩してしまい、思いきり振られて壁にたたきつけられました。10mくらい落ちて、目の周りと脛を怪我しました。
鈴木:西田は3人のうち真ん中で降りていたんですけど、突然、視界から消えたんです。
成田:やばいと思いましたね。声をかけても反応がないし、意識を失っているのかなと思いました。
西田:しばらく痛みで返事ができなくて。骨折はしてなかったんですけど、すぐには動き出せず、落ち着いてから2人に無事を伝えました。幸い、手足を使ってトラバースできる状態だったので、なんとか元の地点に復帰しました。脛は切れて肉が見えている状態だったので、鎮痛剤を飲んでしのぎました。
鈴木:そこからは2人で西田の荷物を分担しました。翌日も自力で歩きとクライムダウンしなければならないので、なんとか今日のテン場まで降ろさなければと思ったんです。一晩寝れば少しは回復してくれるんじゃないかと。このあたりからは積極的に声をかけ合うようにしたよね。
成田:そうだね。氷のリッジでのクライムダウンがすべてアックスやアイゼンを叩き込んで降りなければならない状況で、かなり体力を消耗したんです。それがミスに繋がってしまったのかなと思います。
ーーそれ以降はどうでしたか。
鈴木:翌日も100mほどの壁を懸垂下降する場所が何カ所かあって、雪が溶けて岩が緩んでいたせいか、今度は自分が落石を引き起こしてしまいました。その拍子にロープが岩に当たって、切れてしまったんです。初めてのことで動揺してしまい、大きく振られて壁に膝を強打しました。そこからは僕も西田と同じく、鎮痛剤を飲みながら下りました。
その後は同時にクライムダウンするセクションで、誰か1人が落ちたら全員が引きずり込まれてしまうので、積極的に声をかけ合いながら下りました。
成田:普段はみんなあまりしゃべらないんですけど。
鈴木:西田がいちばん重傷だったので心配になり、凡ミスを防ぐために、懸垂下降を始める直前に一緒に確認したりしました。
西田:会話することで、2人に励ましてもらっていた気がします。
3人の意見が大きく食い違うことはない
ーー全体を振り返って、常にチーム内の合意形成はスムーズでしたか。
西田:1回目のアタックは迷いつつも、行くしかないという感じでしたね。
成田: 2回目のアタックでの登頂では、若干話し合いました。でもこれまで3人で山に行って、意見が大きく食い違ったことはないんです。
鈴木:確かにないね。トレーニングで30日くらい登り合わせたのも大きかったかもしれません。
ーーお互いをどんなクライマーだと感じていますか。
成田:雄大さんは行動力があってリーダー気質、いざというときに引っ張ってくれる人です。西田さんは忍耐力がすごいですね。
鈴木:この2人の忍耐力はほんとにすごいんです。成田の忍耐力は荷物の重さやラッセルなどに対してだけでなく、過酷な状況下における食についても言えます。一ヶ月間、白米だけでも大丈夫なんじゃないかな。西田は危ないところはちゃんと抑制してくれる。まあ、みんなそんなに突っ込む方ではないですけど。
西田:雄大さんは間違いなくいちばん行動力があります。面倒な許可申請なども引き受けてくれるし。忍耐力に関しては、自分より成田の方があると思っています。
鈴木:それぞれが異なる得意分野を持っていて、いいチームだと思います。
未知のルートでは、より山の深部に触れられる
ーーそれぞれ挑戦を続ける原動力はどこから生まれてくるのでしょう。
西田:ほかにやりたいと思えることがないんです。山の楽しさに勝るものがないからやっているというのが、表現としては適切かなと思います。自分は中学の山岳部で山を始めたんですけど、その頃から少しずつ「山で頑張ること」が生活のベースになっていました。逆に「他のことは何も頑張らない」というスタンスが染みついてしまっていますね。
成田:僕も同じような感じで、山が一番夢中になれることなので続けています。
鈴木:僕が山を始めたのは大学の山岳部で、当時のメンバーにやる気のある人がいて、大学2年のときに海外遠征に連れていってもらいました。自分とは別世界だと思っていた雑誌やネットで見ていた山も、難易度に合わせてトライすれば登れることがわかって、どんどんエスカレートしていった感じです。
ーーとくに山のどこに強く惹かれていますか。
鈴木:自分にとって未知のものを、一歩一歩クライミングしながら明らかにしていく感覚が、僕はとにかく好きです。知らない土地や人や文化を知ることができる旅も好きなので、山は旅の延長みたいな感覚もあります。今回のように、山頂からまた別の山が見える面白さもありますね。
成田:僕は山梨県北杜市生まれで、小学校の頃から両親と山歩きをしていました。北海道大学に入学して、本格的なクライミングや冬山など山行の幅が広がるなかで、決められたルートではないバリエーションルート、未踏ルートなどに入るようになりました。
すると、より山と仲良くなれたような気がしたんです。そういう感覚が好きで未踏の山や壁に登っています。最初に「さあ、どのラインから上ろうか」と山と対話する時間がとくに好きです。
難しい山を終えた後に広がる余韻
ーー次に見据えているものは?
成田:今回、山頂から見た山は行くと思いますね。
鈴木:3人でもその話をしました。せっかくチームを組み、ひとつの山を成功させることができたのだから、山頂から見えた山にまた3人で行きたいねと。一生かかってもいけないくらいの数がありますけど。
西田:今回、山頂に立てたことはもちろんですけど、個人負担の費用が抑えられたことも僕にとっては意味がありました。現実的にこれからも海外登山が継続できるとわかったからです。
ーー最後にこの遠征を振り返って。
西田:登山に対するやる気は間違いなく上がりました。自分は忘れっぽいので、過去の登山の記憶は薄れがちなんですけど、それでも今回の山は自分のなかで最高の部類に入ると思います。
成田:今まで南米やアラスカに行っていて、なんとなくヒマラヤはハードルが高いイメージでしたが、初遠征で成果が出せたことで、ヒマラヤに対する解像度が自分の中で上がった気がします。通ってみたくなりましたね。
鈴木:情報がほとんどないなか飛び込んで、現地で判断してルートを見つけるところから始めて、それを成功に繋げたというのは大きな経験になりました。ヒマラヤには何度か行ってますが、これほどクライミング要素のあるリッジ、未知のリッジを登るのは初めてでした。
難しい山に登って降りてきた後は、余韻が残るんです。その余韻は山に登るプロセスだけじゃなくて、空港でパキスタンに入ったときから出国するまでの旅の一連の流れというか。そういう余韻がすごくいいなと思っています。同世代のメンバーで誰が引っ張るでもなく、チームとして登れたこともよかった。人生は短いので、いくつもこういう山に行けたらと思います。
■プロフィール
鈴木 雄大
1994年東京生まれ、北海道在住。早稲田大学山岳部OB、ヘッドコーチ。4年間会社員を経験したのちにau FGに所属。クライミング、山岳滑降、高所登山など幅広く山を楽しむ。
西田 由宇
1995年東京生まれ、東京在住。東海大学山岳部時代にヒマラヤ6,000級の未踏峰に登頂。高層ビルの窓拭きをしながら、アラスカ・ハンター北壁などに登る。
成田 啓
1996年山梨県生まれ、北海道在住。北海道大学・北大山の会(山岳ブOB会)所属。2023年鈴木とペルーに遠征。山とクライミング中心の生活をしながら、歩荷や地質調査などの仕事に携わる。