高められる愛
内容についてのご注意
本作品には摂食障害、身体醜形障害、自傷行為、性的暴行、自殺等の内容が含まれています。パタゴニアでは最善を尽くし、こうした内容を誠実に検証しておりますが、本映画はあるひとりの人物の経験を通したものであることをご理解ください。ご自身の状態に留意して、ご鑑賞ください。
17歳のときに鎮静剤の過剰摂取から生き延びたとき、もう2度とどん底には落ちないと心に誓いました。母の顔に見えた苦悩、姉の目にあった怒り、慎重に選んだ言葉の陰にある友人の恐怖を理解したからです。愛する人びとに、再び同じ経験をさせることはできないことを悟り、この世界で自分が安全だと感じられる方法を見つける必要がありました。
ノンバイナリーの人間として、私は幼い頃に自分の性同一性を軽視することが一番安全でいられる方法だということを学びました。トランスジェンダーであることを話さなければ、特に自分の厄介な部分について言及しなければ、完全主義とお人好し、そしてタイミングの良いユーモアを織り交ぜて人をリラックスさせ、人間関係をくぐり抜けることができたからです。この生き残るための戦略は、私自身を疲弊させていき、そして孤独になっていきましたが、1日1日を大切にすることでうまくいくようになっていきました。
友人のブレイクから、トランスジェンダーとクライマーとしての私の経験を交差させたフィルムを作らないかと誘われたとき、そのチャンスに飛びついたわけではありませんでした。実際に、そのアイデアを提案したのが他の映像作家だったなら、おそらく断っていたでしょう。まだ多くの人にノンバイナリーであることを打ち明けておらず、その上、自分の体とスポーツの関係について、20年におよぶ闘いから立ち直っているところだったからです。
ブレイクはただの映像作家ではありません。彼は親しい友人で、私の味方であることを何度も示してくれる人です。彼と出会ったのは、アリゾナ州フラッグスタッフに引越した最初の週、クライミングへの情熱がついに初対面の人と知り合う恐怖心を克服した頃でした。ブレイクはジムのボルダリングエリアに座り、本を読んでいました。彼に向かって歩きはじめると私は緊張し、引き返し、再び彼に向かってなんとか歩き出しました。私を見上げた彼に「えっと…ビレイをする人が必要ですか?」とぎこちなく尋ねると、彼は「ノー」と答えました。私はとてもきまりが悪く、後退りしはじめたところに一言、彼は「でもぜひ少しの間、君と一緒に登りたいな」と付け加えました。
ブレイクは街で最強のクライマーの一人ですが、その日の夜、ルートの出だしで、もがいていた私に恥ずかしい思いをさせたり急かしたりすることはありませんでした。彼は自分の友人たちに私を紹介し、私が必ず仲間に入れるようにしてくれたのです。
それから数年間、ブレイクは、私が面白い話をためておいたり、悩んでいるときに愚痴を聞いてくれる人になりました。彼の寛大な笑顔と優しい好奇心のおかげで、伝えることが自然に感じられるようになりました。やがてブレイクは、私が性同一性について率直に話せる数少ない人のひとりとなりました。ブレイクの前では、それは危険なことと感じられなかったのです。
私はブレイクを信頼するようになっていましたが、フィルム制作というこの状況は、より重大なことだと感じていました。私はブレイクには自分の話をしますが、フィルムはもっと多くの人に伝えることになります。「どんなアイデアがあるの?」と私は不安げに尋ねました。
ブレイクは絵コンテや脚本だけでなく、ストーリーの大まかな枠組みすらも提示しませんでした。彼に隠された意図がないのは明らかでした。「それは君のストーリーさ」と彼は言いました。「僕は脚本を書くことには興味がない。ただ、君が語るのを手助けしたいだけなんだ」
私はブレイクに「考えてみる」と言い、家に帰り、フィルムに参加すべきではない理由を書き出していきました。
- 何年もの間、自分を麻痺させ、自分のアイデンティティから逃げてきた。それは必ずフィルムに現れるはず。
- 私には多くの特権がある。白人で中心よりも男性寄り。それらによって私が暴力を経験する可能性はLGBTQIA2S+コミュニティの多くの人よりも少ない。私とは異なる経験を持つ人のストーリーの扉を開くために、何かもっと努力したい。
- 私はプロのクライマーになろうとしているわけではない。スポーツの分野で自分を不死身にするだろうと思うことを達成するためにあまりにも多くを犠牲にしてきた。いまより自分らしく生きたいし、自分の居場所を守るために性表現を変えることを心配したくない。
- トランスジェンダーであることや、自分のアイデンティティの本当の意味について、私がすべての答えを持っているわけではない。
私はそのリストを見返してみると、知らず知らずのうちに「イエス」と答えるリストを書いていたのです。
恥ずかしかったことを口にすると、面白いことが起こります。私がブレイクに電話をかけてフィルムに参加することを伝えると、ブレイクは才能あるディレクター兼ストーリーテラーである友人のジャスティンをチームに招きました。撮影のはじめに、ジャスティンは私の代名詞を教えて欲しいと言ってきたので、私は申し訳なさそうに答えました。「they/themをより好んでいるけど、でも正直、何にでも返事はするよ。ストレスを感じないで。どうでもいいことだから」と静かに答えました。
ジャスティンは笑顔で、私の代名詞を教えてくれたことに感謝して「they」や「them」を喜んで使うと伝えてくれました。私は性別的に中立な代名詞を使うことは、自分の経験を心地よいものにしたとしても、他の人が管理するにはあまりにもうっとおしいことだと想像していました。ジャスティンのこのシンプルな行動は、彼らが私をサポートできる方法と、他の人を十分に信頼する力を垣間見せてくれました。次の話題に移ると、自分自身の恥ずかしさが消えていくのを感じていました。
それから数か月の間に、私は自分の代名詞をより自信を持って伝えられるよう試みました。ジャスティンとブレイクは、積極的に学ぼうとする姿勢を通して、他人の心地よさを優先するために自分のアイデンティティを軽視することは、私の責任ではないということを教えてくれました。
このフィルムのための最初のアイデアを話し合いながら、私は会話形式の自由なインタビューが楽しみになっていきました。ジャスティンとの最初の会話のひとつで、自分の自殺未遂についての話をしたとき、私は謝ることからはじめました。
「これはあまりにもキツいかも。メンタルヘルスで苦しんだまた一人のクィアの話をただ語ることはしたくない」と。
顔を上げるとジャスティンの目には涙が浮かんでいました。「ロー、それは人間であることのストーリーを語ることだ」と彼は真摯に語りました。
「このストーリーは多くの人が耳にすべき大切なものとなるだろう。単にクィアのコミュニティだけでなく」
ロッククライミングは自分の弱さを感じさせるスポーツです。リスクの高い環境で自らの肉体的限界を試すというストレスから、恐怖やフラストレーションなど平地では覆い隠すことのできる居心地の悪い感情から逃避することを不可能にさせるからです。これはルートが困難なときは特にそうで、このフィルムで登ることにしたルート「カズン・オブ・デス」は私にとって不可能な夢のようなルートでした。
ブレイクは、私がこのルートを初挑戦するときに撮影にきました。その日はずっと、露出感と傾斜の強さに体を慣らしながら、私は友人がすぐ隣にいてくれることに安心していました。最初は彼の前で失敗を繰り返すことに羞恥心がありました。自分が何をしているのかを分かっているように見せたかったのです。でもブレイクは私の成功を収めるためにそこにいるのではなく、彼は壁にいる私と時間を過ごすためにそこにいるということを最初から名言していました。
そのルートはコミットメントを要するため、トップロープによるソロで多くのピッチのムーブを探り、リードで繋げられると感じた特定の日のみにパートナーを探しました。ある意味、ブレイクはこのルートでの私のパートナーでした。怖いと感じたとき、彼を見渡しては二人でクスクス笑ったり、完璧なトライの最中に足がすべったとき、残念に感じながらも興奮していた私の感情に共感してくれました。このフィルムの中での会話の多くは、ハンギングビレイで私とブレイクが壁以外では触れられないような話題について話したということが率直な感想です。
ブレイクとジャスティンは、摂食障害やLGBTQIA2S+の人たちへの否定的なメッセージなど、「触れてはいけない」話題を会話の中で探求する味方になってくれました。ある日、ブレイクに自分の悩みを打ち明けました。「もっと物事をうまく解決できたらいいのに」と私は嘆きました。「こんなことを伝えることによって悪い例を作ってしまうのが気になる。私にはまだ不調の日があるのに」と。ブレイクは、私が未だにもがいていることがこのストーリーを語る理由であるという事実を思い出させてくれました。「ロー、僕らは人間のストーリーを語っているんだ」と彼は優しく言いました。「だから君が実際に人間でいられる場所がなければならない」
不完全でいられることの自由さを新たに発見したことで、私は自分の食事とエクササイズの関係に興味を持ちはじめました。「絶対にそれは食べられない」という考えは、ゆっくりと「どんな味なのだろう」へと変化し、休息日を取ることを試しはじめました。私の体は変わり、自分の体に批判的になることが減っていきました。それは、孤独な闘いではなくなっていたからです。
このひろがりは、自分のクライミングにおいても偏見のない粘り強さへとつながっていきました。これまで以上に私は未知のストレスの中にいても安全だと思えるようになりました。不可能だと思われるムーブをつなぐようになり、恐怖を感じたとき自分に対して批判的になることも減っていきました。私のこの不可能な課題は達成可能なものに思えるようになりました。
数ヶ月から数年にわたる撮影は、私に変化をもたらしました。私は癒されはじめると、それは自分のアイデンティティを確立しつつある人物のストーリーへと自然に展開していきました。恐怖や混乱が伴わないわけではありませんが、それは落ちたときに止めてくれるチームがあると知っている者、条件なしの愛をもって見守られている人の姿でした。もしこのフィルムに誘われていなかったら、自分が世界に何を伝えたのか考えるために、何度も無理だと言われてきた持続可能な人生を作る大胆さが自分にあったかどうかは確かではありません。
羞恥心は、「もし本当の自分が誰であり何をやってきたかについて知られてしまったら、彼らは私を愛することをやめるだろう」という考えに起因し、どうしても払拭できないように感じられます。ブレイクとジャスティンは、最初からその羞恥心を消し去る環境を作ってくれました。ブレイクもジャスティンもLGBTQIA2S+の人生を自ら生きた経験や、ジェンダー研究の学位を持ってこのフィルムを撮影しはじめたわけではありません。その代わりに彼らにあったのは、友達を傷つけることなく、人間味のある本物のストーリーを伝えることへのコミットメントでした。ブレイクが約束した通り、彼らはストーリーを書くことを試みず、耳をすまし、内省し、聞いたことを共有するためにそこにいてくれました。
私たちはよく、「アライシップ(抑圧を受けている人びとの味方となること)」とは、ルールを覚えたり、他の人の権利のために攻撃的になることだと考えてしまいます。体系的な抑圧に対処するためには、教育と提唱はもちろん不可欠ですが、私はこのプロジェクトを通じて、もうひとつの微妙な「アライシップ」があることを学びました。それは、大切な人が自身の身体で安全だと感じることのできる世界を作るための継続的な取り組みです。つまり、あなたが気にかけていることを知ってもらうために、相手の話に耳を傾け、適応し、確認するということを継続的に繰り返すことです。
地上からつなげてレッドポイントできたとき、私はそのシーズンのはじめとは違うクライマーになっていました。これまで、クライミングのコミュニティの一員に相応しいことを証明するために、私は大きなプロジェクトを完成させる必要を感じていました。アスリートとして達成することで、自分のアイデンティティである性別などの不利な部分を、運動能力が埋め合わせをしてくれるのだと思っていました。いまはそのシーズンに自分が費やした努力をただ祝いたい。私がそこで登った理由は、それがやりたかったからで、私にも喜びを感じる権利があるのだと心から思っていました。
この夏、私の友人がこう尋ねました。「もしあなたのストーリーを聞くすべての人があなたを愛していると本当に信じられたなら、あなたはそれをどのように語るの?」と。
私は一瞬ためらいました。彼女の質問は、私の存在権が議論されている世界で生きてきたトランスジェンダーとしての私の経験とはそぐわないように思えたからです。それは私がジャスティンとブレイにしたことと同じでした。
このフィルムと、そしてそれが鼓舞した変革には、学びと成長することに伴う混乱にコミットするチームが必要でした。
もちろん、私はまだ安全であることをが証明されていない世界とこのフィルムを共有することには恐れを感じていますが、より大きなコミュニティがこの会話に参加し、学びを得ることにワクワクしています。このような愛と学びへの願いが、より拡大しひろめられることに胸を躍らせています。
フィルム『They/Them』を鑑賞し、ノンバイナリー、ジェンダー・ノンコンフォーミング、トランスジェンダーの人たちの権利が脅かされています。差別と闘うためにあなたの時間、力、そして声を伝える方法については、patagonia.jp/they-themをご覧ください。
あなたやあなたの大切な人がメンタルヘルスの危機に直面している場合、支援してくれる団体があります。
渋谷男女平等・ダイバーシティセンター<アイリス>
QWRC(くぉーく/Queer and Women’s Resource Center)
札幌市LGBTホットライン
AGP(同性愛者医療・福祉・教育・カウンセリング専門家会議)
NPO法人アカー(動くゲイとレズビアンの会)
特定非営利活動法人 SHIP
FRENS(フレンズ)
一般社団法人 社会的包摂サポートセンター
特定非営利活動法人 PROUD LIFE
くにたち男女平等参画ステーション・パラソル
※特定非営利活動法人虹色ダイバーシティHPより抜粋