ビッグウェーブに対峙するように
すべての写真:U-SKE
生涯の記憶に残る波に乗ることができた朝。山と川に挟まれているために冷気が流れ込む家で、僕は薪ストーブに火をつけ、炎を見ながら身体と呼吸をしっかり整えた。普段飲んでいるコーヒーではなく、その日はハチミツジンジャーティーを片手に海に向かう。高台から波をチェックすると少しラフなコンディションのようにも見えたが、とりあえず入ってみようと仲間と3人でパドルアウト。複雑に岩が入ったボコボコの地形なので、一歩間違うと岩に打ち上げられてズタボロになってしまう。インサイドを慎重にメイクして、ようやく沖まで辿り着く。陸地で波をチェックしていた時とは異なり、面は綺麗に落ち着いて、波は美しく大きな空洞からスピッツがブシューと噴き上がっている。チューブの中に入れたらと想像して興奮する自分と、もしミスしてしまったら岩に打ち上がってしまうシチュエーションにビビっている自分がいた。
そういう時、僕は中村天風さんの本から学んだクンバハカという技法を取り入れている。息を吐きながらお尻の穴をしめ丹田に力を入れて、上半身はダラーと脱力する。クンバハカを数回繰り返してピークに近づいていった。急激に掘れ上がるその波は、躊躇したら命取りになりかねない。アウトサイドにある地形に沿って割れるために波に乗るポジションは決まっていそうだが、ほんの少しのうねりの角度の違いで割れる場所が変化して、良い波に乗るのは容易ではない。少し小振りな波に手を出したが、思ったようなチューブは巻いてくれない。やはり覚悟を決めてセットの波にいくしかない。
サーフボードは、自分で削った相棒だった。おそらく40数年前に製造された〈クラークフォーム〉のブランクスが使われた、今となってはとても貴重なサーフボードをリメイクしたもの。ロッカー、ボリュームバランスに一目惚れして購入した、とても黄ばんでいて見た目はボロボロなサーフボードは、プレーナーで皮を剥いていくと、どんどん綺麗なフォームが出てきた。鉛筆でアウトラインを引き直し、ノコギリで切り落としていく。先人たちの知恵が詰まったブランクスに息を吹き込んでいく。とても貴重なものなのに、シェイプ歴の浅い自分のノコギリが内側に入り込んでしまい、思った以上にノーズがとんがってしまった。アウトラインをカットしたブランクスを壁に立てかけて検討してみても、何かが変だ。数日考えてから、結局、テールを15センチほど短くした。せっかくのブランクスだったのに、失敗してしまったかもしれない。そう思っていたが、いざ海でテストをしてみると、尖ってしまったノーズと短くなってしまったテールのお陰で、小さなコブも引き裂くようになり、コントロール性能も上がって調子が良い。一度は失敗作と思いかけたボードが、マジックボードかもしれないと思うようになった。
自称マジックボードで、ようやくセットの波にテイクオフをする。サイズは、5フィートほどだろうか。ダンパー気味の早い波だったので、ボトムに降りる間もなく横に駆け抜けていく。そそり立ってくる壁に手をストールしてチューブを狙うと、まるで海が僕を導くように、波に包み込まれた。その瞬間、フッと時間が止まり、不思議と身体がリラックスしていた。そのままチューブを抜けると、写真家の友人U-skeさんが出口でカメラを構えてくれていた。 「時が止まったような感じでした!」と声をかけると、「俺も撮っていて、そう感じたよ」と返してくれる。海との調和を教えてくれた一本の波。一生、忘れたくない一瞬を共有できたこと、写真に残せたことを二人で喜び合った。
サーフィンはいつも、僕に大事なことを教えてくれる。
数年後の年末、妻に何度も勧められていたのに聞き流して受けていなかった健康診断へ行った。数日後に病院から電話があった。精密検査をして、年始に違う病院で内視鏡検査を受けてすぐ、先生からこう言われた。
「小森さん、ご家族を呼んで、今日中に一緒に話を聞いてください。詳しい検査をしてみないと分かりませんが、おそらくがんがあります」
僕は、クンバハカを思い出してお尻の穴をギュッと引き締め、上半身の力をすっと抜いた。今の現実に動じないように何度も繰り返した。ビッグウェーブを目の前にした時のように、冷静になるように自分に言い聞かせる。絶対に気持ちまで病んでしまうものか。
病院から子どもたちの待つ家に帰るなり、妻は「お寿司を食べに行こう」と言った。この時から、妻はずっと僕の気持ちが落ち込まないように配慮し続けてくれている。身体の調子はまったく悪くないので翌日も仕事へ向かった。その日は造園業の仲間が手がける現場で、子ども園に築山を作り、森を育てていくという仕事だった。未来に自分の取り組みが残っていく。体を動かしている間、全てを打ち込みたいと思った。
命に関わる大事な手術をしてくれる医師は、目を合わせて決めた。同年代だろうか? 柔らかい物腰の先生だったが手術の話になった瞬間の目力が半端ではなく、「この人は命がけで仕事してるな」と感じた。説明が終わる前に「先生、よろしくお願いします!」と手術を依頼した。最先端の医療を受けつつ、術後は自然療法の考えをベースに取り組むハイブリッド式の治療で僕の考えは固まった。身体の中にある大腸の約三分の一を切り取り、小腸とつなぎ合わせるという。最先端のロボットを用いた手術を行うらしい。入院当日、身の回りの整理を済ませ、バックに荷物を詰め込みながら、毎年この時期にはハワイ遠征のために同じようにパッキングしていたことを思い出す。また必ずあの波を滑りに行きたいと思いながらも、目の前に集中し、あまり波のことは考えないようにした。ビッグウェーブにおける恐怖心対策として始めた呼吸法やクンバハカ、いくら波が荒かったとしても自分の心はさざ波のように静けさを保つように心掛けてきた。そんな心のコントロール法が今回も役立ったような気がする。
手術後、9時間近くもロビーで待ち続けてくれた妻が側に寄ってきてくれた時、朦朧とした頭で自分ができる最大の笑顔を試みたのはうっすら覚えている。歩かないと腸が動き出さないと言われて、手術の翌日から歩こうと思っても、立ちくらみがして数歩しか歩くことができない。その日の夜中に味わった痛みは想像を絶するものだった。お腹の中にガスが溜まりパンパンになって破裂しそうな痛みで、何度もコールボタンを押してしまう。痛み止めを打ってもらうが全く効かず、夜中にもがきまわった。あまりの痛みに「救急車呼んでください!」と言ってしまう。すると看護師さんが「小森さん! ここ病院です」と言われて「確かに」と少し笑った。弱音を吐いてしまったとあとで後悔をしたが、今までに巻かれたどんなビッグウェーブよりも辛かった。
16日間の入院期間を終えて、家族4人に犬1匹、ニワトリ2羽がいるにぎやかな我が家の暖かい日常に戻れたことが本当に嬉しかった。キャンサーズ・ギフトという言葉があるらしい。がんは、当たり前の日常を特別なものに変える。
数日して、車に乗っている時に、ふと「米だ」と閃いた。ずっと無農薬無肥料で米を育ててみたいと思っていたので、今しかないと農家の友人に電話をした。数年放置された水田が空いているからと、すぐに持ち主を紹介してもらう。草刈りから始めて、水路の落ち葉掃除をしているだけでも、田んぼ初心者の自分には学びが多い。自然の川から水を引き、水田に流していくシステムに驚いてしまう。先人の仕事である石積みに風情を感じ、田んぼに立つだけで心地がいい。同時に、受け継がれてきた素晴らしいシステムが、高齢化によってほとんど活用されていないことにも驚いてしまった。がんによって、食べるものが大事だと学んだからには、僕らの世代が本気で米作りを始めなければいけない。本当に小さな一区画で始めた米作りから、また多くを学ぶことができそうだとワクワクしている。
生きていくための仕事である造園業では、環境再生型農業ならぬ環境再生型造園をやっていきたい。解体現場で出たコンクリガラや剪定枝木類も資材に再利用した造園。サーフボードデザインにおけるコンケーブのように、水と風の流れを読んで空間を設計していく。地中を含めた環境も良くなり、そして人も元気になれる。そんな空間を作っていくことが今後の目標となっている。
今、シェイピング中の新しいサーフボードがある。ヨーロッパを旅した際にデザインしたボードと、ハワイのビッグウェーブ用にデザインしたふたつのテンプレートをミックスしてみた。ノーズからテールまで何度も整えていく作業は、気持ちが整っていないと歪みが出てしまう。まるで刀を削り出すような繊細なものなのだと再認識している。祖先が刀作りをしていたと聞いたことがあるが、遺伝子の中にそういう要素が含まれているのかもしれない。
サーフィンが与えてくれたものの大きさは計り知れない。人生で一番大きなセットに巻かれながら、どうにかサバイブして前を向くことができたのは、僕がサーファーだったからだと思う。米作りに造園業、サーフボード作りのほかにも、海に入れない間に通い詰めたいと思っているテンカラ、数ヶ月前から夢中になっているフォイル、そして自宅の食べられる庭作り計画。やりたいことはまだまだあって、そう簡単に死ぬわけにはいかない。
この原稿の執筆締切日である今日、術後に初めて海に浸かる予定だ。暖かくなってきたのでビーチでゆっくりボディサーフィンや泳ぐことから始めてみよう。
海に入る前に「よろしくお願いします」の一礼を忘れないようにしなければ。またお世話になります。そんな謙虚な気持ちで海と向き合おう。