森と海をつなぐ人
すべての写真:松永勉
森から川へ、川から海へ。水の旅路そのものを生きる人は、世界にどれほどいるだろうか。そんな稀有な流域人に、私は富士川で会った。林業家であり、由比の漁師であり、富士川のラフティングガイドでもある佐野文洋さん。皆、親しみをこめて「文さん」と呼ぶ。林業を生業とする家庭に生まれ育ち、二十代はマウイを拠点にプロのウィンドサーファーとして活動した。帰国後は家業を継ぎ、海と森をつなぐ川でラフティングガイドを行いながら、その先の海で桜えび漁にも携わっている。
私が文さんに惚れ込んでいるのは、森と海をつなぐために、自分の命を生かし続ける、その姿勢に打たれるからだ。自ら伐った木を海に還し、海の再生に20年以上も取り組み続けている。文さんは言う。
「10年前までは4カ月ほどの漁で1年食べていけるくらい桜えびが捕れた。海の生き物が毎年減り続けていることに危機感があったんだよね」
どうしたら海を再生できるのか。由比漁港で専門家を招いた勉強会を重ねるうちに、森とのつながりが見えてきたという。
「海を元気にするには、海だけ見ていてもダメだと分かった。森の落ち葉や生きもののフンや死がいが分解されて、豊かな土になる」
海の豊かさは森からやってきていた。雨は、森のフルボ酸鉄や栄養塩を川へ、そして海へと運ぶ。フルボ酸鉄とは、森の落ち葉などが分解される過程で生まれる有機酸(フルボ酸)と鉄が結びついたもの。川を通じて海へ運ばれ、海藻やプランクトンの成長を支える重要な役割を果たすと考えられている。森の栄養は植物プランクトンや海藻を育み、海の生態系を支えていた。
「海の問題を解決するために、森を大事にする。林業もやっている自分だからこそ、できることがあるんじゃないか」。そう考え、2003年、文さんは漁師仲間とともに、20歳の時に植えた山武杉の間伐材で漁礁を作り、海へ沈めた。
「すぐに魚や生き物が集まってきてさ。〝海の森〟みたいだったよ」。そう言いながら見せてくれた写真には、数え切れない魚たちが群れていた。人は自然を壊すだけでなく、再生にも関わることができる。そのことを教えてくれる光景だった。
試みはそこで終わらない。近年、全国的にも藻場の海藻が減少する「磯焼け」が深刻化している。そんな中、由比の漁師たちが最も手応えを感じているのが、木屑と鉄粉を麻袋に詰めて海へ沈める方法だ。長年、海の生態系回復を研究してきた高崎みつる教授によれば、「麻袋が分解されてもフルボ酸鉄は残り、海藻が戻ってくる」という。
私は神奈川県逗子市で子どもの自然活動を行っている。〝海の森〟の写真に心を奪われ、自分たちの地域でも海の再生に関われないかと考えていた。「今年も150袋くらい沈めたよ。見に行くかい?」と、文さんに誘われて、2026年5月、由比にある倉沢漁港を訪ねた。
「ここはさ、半年前は海藻なんて全然なかった。アワビも痩せちゃったしね」という組合長の言葉を聞きながら海へ入る。表層2メートルは川の濁りで、ほとんど前が見えない。さらに3メートル潜ると、そこには驚くほど透明な海が広がっていた。沈めた麻袋はほとんど姿を消していた。それでも海底にはカジメなどが群生し、アワビやサザエが育っていた。海藻の森には小さな生き物が集まり、それを追って魚が来る。隠れ家となり、産卵の場となる。海藻が戻ることは、生態系そのものが強くなることなのだと、目の前の景色が教えてくれた。
「春が来て、海藻が森になったな!」「こんなに変わるなら、やっぱり続けなあかんね」。漁師たちが口々に言う。小さくても、変化はすでに目の前に現れていた。今回の実験場は広い海の中のほんの一点にすぎない。それでも、こんな実践が各地に広がれば、海は少しずつ再生していくのかもしれない。
製材所で木屑と鉄粉を麻袋に詰める。2026年3月はこれを150袋、藻場再生の現場に沈めた。
海を育てているのは、森だ。今度はその森を見に行くことにした。着替えるために立ち寄らせていただいた文さんのご自宅は、お祖父さんが植えた木をお父さんとともに間伐した木材を使って、自ら建てた家。すっかり林業家の格好に変身した文さんの相棒は、ウィンドサーフィンのボードを二艇積んだままの、お洒落な軽トラ。どこまでも、スタイルのある人なのだ。
「この森は、間伐を何回も繰り返している、人の手が入った森。ちゃんと間伐をしてる森には、紅葉とか山桜とか、広葉樹が勝手に入ってくる。だんだん、針葉樹と広葉樹が混ざった針広混交林という森になる。それが理想だな」
そう言って、実際に間伐の作業も見せてくれた。20メートルほどあるだろうか。見上げる高さの桧を寝かすのは、大変な労力だ。山師は木を倒すとは言わず、寝かすという言葉を使う。寝かしたい側に直径の5分の1ほどの受け口を作り、反対側にまわって、チェンソーを入れていく。ヒンジとなる一部を残しておき、最後はクサビを斧の背で打ち込んで、寝かす。大きな音を立てて倒れた木は、密に育った木々に受け止められて止まった。文さんは慣れた様子で幹をゴロッ、ゴロッと回転させながら寝かせて、林の外に出していく。これをさらに、山から下ろさなければならない。
間伐を行う日の仕事量を聞くと、「これよりもっと大きな直径の木を、1日に50本はやるよ。そうしないと生きているうちに村の森を明るくできないからね」と言う。1本でも重労働だ。それを1日に50本。林業の厳しさを思う。
戦後すぐ、今から70年ほど前にお祖父さんが植えた杉や桧は、今が伐り時だ。この時のために、文さんのお父さんがずっと、枝打ちや間伐を繰り返してきた。
「4メートルの梯子をかけて、そこから枝を登って、6メートルまでの枝を打つ。そんな作業を、親父がずっとやってた。そうすると、柱にした時に節が出ないんだよ。でも、最近は和室とか作る人も少ないから、美しい無節の柱材も流行ってなくて」
日本の山々は急峻で、山の道は狭く、重機が入りにくい。木は真っ直ぐに育つように密植するため、寝かす作業も簡単ではない。やっと切り出した大事な木材を販売しても、大陸で育った海外材との価格競争にさらされ、丸太では1本数千円の価格しかつかない。そんな厳しさがゆえ、林業家の仕事が親から子へと受け継がれず、放置された山々が日本各地に増えている。
それでも文さんは林業を継ぎ、森林整備を続けている。廃業した製材所を譲り受け、木の価値を創造し続ける。漁師もやり、川のガイドもしながら、森に関わり続けるのはなぜだろう。
「今、左手にあるのは植えっぱなしの森。右手にあるのは、8年前に間伐した森。違いがわかる?」
その違いは、一目瞭然だった。放置された森には光が届かず、下草も育たない。一方、間伐された森には風と光が入り、多様な植物が育っていた。
「森があるから、きれいな水が川に行き、川があるから、栄養が海に届く。海の生き物たちは、そのおかげで生きている。真剣に考えたら、家族が続けてきた林業の意味がわかった気がした。森は、木材を生産するだけじゃなく、水をきれいにして、空気をつくる場所なんだ」
間伐で出た木も無駄にはしない。間伐材は、建築材としてだけでなく、船の材料に、家具に、薪に、写真立てに、そして海の肥やしに。そんな文さんを見て、息子さんも今、大学で林業を学んでいるという。
「息子が5歳のとき、『オズの魔法使い』のブリキの木こりに憧れててさ。誕生日に小さな斧をプレゼントしたんだよね。これでクリスマスツリーを伐りに行こう!ってこの森に来て、俺が二十代に植えた小さな桧を伐ったの。この前、大学生になった息子と一緒にここに来たら、当時直径5センチだった木が、25センチはある木に育ってた。それを息子が寝かせた。昔、俺が親父から聞いたような話を息子にしながらね。なんか、嬉しいよね」祖父が植えた木を父が手入れし、文さんが守り、息子が受け継ごうとしている。守っているのは森や海だけではなく、時間の流れそのものなのかもしれない。
文さんは、山に入る。お客さんが多い日は川へも行き、春と秋には桜えび漁に出る。大変じゃないですか、と聞くと、笑って言った。
「全部パッションだから。楽しいしかないよ」
『Oceans Journal 2026』より転載
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