フィールドは、すでに変わっている。
玉井太朗はパタゴニアのスノーボード・アンバサダーだが、そのフィールドは雪山にとどまらない。冬はスノーボード、春から秋はフライフィッシング、そして一年を通じてサーフィンを続けている。その営みは、雪解け水が川となり、やがて海へ流れ込む、自然な水の流れのようだ。
玉井は1990年代初頭、東京からニセコへ移住した。スノーボードに適した雪と地形に恵まれ、原始の姿を残す小さな渓流も数多くある。波のコンディションに応じて、日本海と太平洋を選ぶこともできる。スノーボード、釣り、サーフィン。そのすべてに適した環境が揃うこの地を、玉井は意図して選んだ。
玉井の朝は早い。まだ暗いうちに起き、複数の気象関連サイトから基礎データを集め、自分の頭でその日の最適解を導く。コンディションの推移は常に頭に入っている。朝の確認は、いわば最後の答え合わせだ。春から秋は海か渓流へ、冬は海か雪山へ。その判断を夜明け前に下すことが、ニセコで30年以上続けてきた日課だ。
だからこそ、自然環境の変化には人一倍敏感だ。
「記録を取っているわけではないし、あくまで感覚でしかないけれど、以前とは違うと感じることが増えています。わかりやすいのは、スキー場のオープン時期。以前のニセコでは11月中旬にはオープンしていましたが、今では1カ月ほど後ろにずれ込んでいる。『12月の第2週にオープンだって。今年は早いね』という会話が当たり前になっているくらいです」
雪の降り始めが遅くても、その後に降雪が続き、シーズン全体では帳尻が合うこともある。また、暖冬で気温が高めだからといって、必ずしも降雪量が少なくなるとは限らない。日本海の水温が高くなると水蒸気の量が増え、強い寒気とぶつかり大雪になる場合もあるからだ。そうした予測の難しさも滑り手を悩ませる。さらに玉井は続ける。
「以前は、雪が降った翌朝に晴れると、放射冷却で冷え込んで、雪質がさらに良くなる日がありました。でも、ここ10年くらいは、そんな記憶がほとんどない。降っても、良いのは朝イチだけ。晴れたら終わり。それでも雪があれば楽しめちゃうんだけど、長く滑ってきた側からすると、雪質が変わった感覚はあります」
ここ数年、シーズン始めのバックカントリーでは、沢への転落事故も目立つ。例年なら雪に覆われる小さな沢が埋まりきらないためだ。とはいえ、来訪者が増え、準備や経験が不足したまま山に入る人も多く、事故を少雪だけに結びつけることはできないのも事実だ。
「これも体感ですが、風の吹き方が変わったことも大きいと思います。以前なら、この風向きなら、この沢がこう埋まっていくという季節風らしいパターンがあった。でも今は、風が弱くなったのか、風と降雪のタイミングが合わないのか、そのパターンが当てはまらない。寒さも暖かさも不安定で、ローカルでも読みづらくなっています」
春めいてくると、玉井の足は渓流へ向く。3月、山はまだ雪に覆われているが、入ることのできる沢を歩き始める。ニセコを含む後志管内では、4月から5月までヤマベの採捕が禁止される。それでも、川の様子を確かめずにはいられないのだ。
「川に入り、渓谷を遡りながら、水や魚、虫、河床の様子を見る。渓流を歩くことが好きなんです。釣れればもちろん楽しいけれど、それは二の次になったかな。6月になると、ほとんど毎朝、川へ行きます。水温は明らかに上がっていると思うし、以前よりアブが増えたようにも感じる。ミンミンゼミの鳴き声も、昔はこれほど耳にしなかった気がします。ただ、調査しているわけではなく、あくまで自分の感覚ですけどね」
海の変化も顕著だという。かつてインサイドに生えていた昆布が見られなくなったサーフポイントもある。昆布が減ればウニにも影響し、岩に付着する貝の種類も変わる。以前なら素足で歩けたリーフで足を切ることも多くなった。
「最もわかりやすいのは、ウェットスーツを着ずに入れる期間が長くなったことです。北海道で、トランクス一枚でサーフィンできるのは、せいぜい夏の1週間から10日ほどでした。それが今では海水温が上がり、2か月半くらいウェットスーツなしでサーフィンできる。これは大きな変化ですよ」
30年以上にわたって山、川、海に身を置き、そこで起きる変化を体で感じ取ってきた玉井は、自身のスノーボードブランド「GENTEMSTICK」を通じても環境の変化と向き合っている。その一つが、製品開発における環境負荷の軽減だ。トップシートにバンブー材を採用したシリーズも、その姿勢を表す一例だ。工業製品である以上、環境負荷をゼロにはできない。それでも、より負荷の少ない素材へ少しずつ置き換え、その選択を積み重ねることに意味があると考えている。
また、「1% for the Planet」のメンバーとして、一部製品の売り上げの1%を環境団体へ寄付している。支援先に選んだのは、山で活動する「Protect Our Winters Japan」、川の「流域の自然を考えるネットワーク」、海の「サーフライダーファウンデーションジャパン」だ。
「自分は研究者でも環境活動家でもありません。だからこそ、自分が頑張ってほしいと思える団体を選び、寄付を通じて支援してきました。支援先が何に取り組み、資金がどう使われるのかまで知ることが大切だと考えています」
玉井は支援先を自ら訪ね、活動の現場を確かめてきた。フィールドで起きていることを知り、共感できる活動を見極め、事業を通じて支える。それが玉井の環境問題との向き合い方だ。
山、川、海はつながっている。山に降った雪はやがて解け、川を下って海へ注ぐ。そして、海から立ち上った水蒸気が再び雨や雪となり、山に降る。玉井はその循環のなかで遊び、道具をつくり、仕事をしてきた。そこで感じ取った変化に、自分のできる形で応えていく。それもまた、自らの仕事なのだと考えている。
玉井太朗に続いて話を聞いたのは、トレイルランナーの石川弘樹だ。1990年代半ばから競技者として活動する一方、国内各地で大会やイベントを手がけ、日本でのトレイルランニングの普及に取り組んできた。
石川が気候変動に関心を抱いたのは、イベントを開催しながら全国を回っていた2000年代前半のことだ。
「イベント中に雷が鳴り、豪雨で中断することがたびたび起こりました。僕はイベントを安全に運営する立場にいたので、雷探知機を持つようになったほどです。自分がトレイルランニングを始めた頃は、雨の降り方ってこんなにひどかったかな、と疑問に思った。パタゴニアのアンバサダーとして環境問題について学んでいたこともあって、これも気候変動と関係あるのかもしれない。そう考えたのがきっかけでした」
それから20年以上が経った。石川が現在実感しているのは、フィールドの暑さが年々厳しくなっていること、そして激しい雨に見舞われる機会が増えていることだ。
「大会が年々暑くなっています。運営する側も選手も大変です。普段走るときでさえ、今は朝や夜など、涼しい時間帯でなければ快適に走れないと感じています。海外では、選手が体を冷やすためのプールをエイドステーションに用意する大会もあるほどです」
暑さと並んで、大会運営への影響が深刻になっているのが降雨の変化だ。石川がイベント中の雷や豪雨をきっかけに抱いた疑問は、全国的な観測データにも傾向として表れている。気象庁によると、年による変動はあるものの、短時間の激しい雨は長期的に増加傾向にある。全国のアメダスで「1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨」を記録した年平均発生回数は、1990年代の258回に対し、2016~2025年の10年間では340回に増えている。
「豪雨によってトレイルが崩れ、通行止めやコース変更を余儀なくされたり、大会そのものが中止になったりする例もあります。僕らが運営する『信越五岳トレイルランニングレース』でも、2018年の大雨で川底が大きく削られ、渡れなくなったためコースを迂回させました。レース中、局地的な豪雨が発生し、離れた地点のスタッフから『激しい雷と雨です』と危険を知らせる無線が入ったのに、僕のいるスタート地点は晴れていたこともあります。予測の難しさそのものが、運営上のリスクになっています」
石川の話で興味深いのは、暖冬がスズメバチの増加に影響しているのではないか、という現場からの仮説だ。7、8年ほど前から大会中の被害が目立ち、数十人が刺された例もあった。大会運営者として安全対策を講じるため、石川はスズメバチの生態を調べたという。
「スズメバチには女王蜂と働き蜂がいますが、冬を越すのは、秋に生まれた次の女王蜂候補だけです。寒さが厳しい冬には生き残る数が限られるけれど、暖冬になると、越冬する女王蜂が増え、その結果、翌年に巣や働き蜂が増加するのではないだろうかと。これはあくまで仮説です。でも実際のところ、春先の女王蜂を捕獲するために仕掛けているトラップでは、捕獲数が年々増えているんです」
イノシシが地面を掘り返した跡も増えているという。荒らされた場所には新たな水の流れが生まれ、トレイルの侵食につながる。また、農地に電気柵が設置され、農道沿いのコースを変更する例も出ている。妙高周辺でも、仙台周辺でも、同様の変化を感じているという。
「気候変動だけが原因ではないし、自分の仮説も含んでいるので、100%の確信があるわけではありません。それでも、裏付けを持って伝えたいから、駆除業者に話を聞き、自治体や気象庁のデータを調べてきました。現場で感じたこと、数字で確認できること、まだ仮説にすぎないこと。その三つを分けて考えるようにしています」
激しい雨や気温の上昇によって、トレイルを取り巻く環境は不安定さを増している。そこへ重なるのが、大会や利用者の増加によるフィールドへの負荷だ。
石川が普及に取り組み始めた頃、国内のレースは片手で数えられるほどだったが、現在では400を超えるという。雨でぬかるんだトレイルを大勢が走れば、傷んだ地面はさらにダメージを受ける。大会によって山が荒れ、地域から受け入れられなくなれば、そこで走ること自体ができなくなる。それが石川の恐れていることだ。
「本来、トレイルランニングの魅力は、静かな山を自分のペースで気持ちよく走ることだと思うんです」
その魅力を将来にわたって守るには、利用する側もフィールドの維持に責任を持つ必要があると石川は考えている。気候の変化によって天候や山の状態を予測することが難しくなるなか、自分たちが楽しむ場所の維持管理を、地域だけに委ねてよいのか。その問いが、トレイル整備に取り組む背景にある。
「大会が増えることによるネガティブな側面には、自責の念もあります。けれど、大勢が集まる大会には、環境や気候変動について伝える力もある。全国の主催者がそれぞれの地域でトレイルの整備や管理に関われば、レースの増加をフィールド保全の力へ変えられるはずです。400の大会があるなら、そこには400の可能性があると思います」
現在、石川は、信越五岳レースの開催地である妙高に古家を借り、神奈川の自宅と行き来しながら、変化を続けるフィールドを見つめている。レースを単なるイベントとして消費するのではなく、気候が変わっても人と山との関係を持続させるための入り口に変えていく。そのために、自分にできることを日々、淡々と積み重ねている。
3人目に話を聞いたのは、サーファーの武知実波だ。徳島県阿南市に生まれ、サーフショップを営む両親のもとで育った。幼い頃の写真は、海で撮られたものばかり。「ビーチで育った」という言葉が、その生い立ちをよく表している。
本格的にサーフィンを始めたのは9歳のとき。サーフボードシェイパーである父に自分から頼み込み、ショートボードを削ってもらった。やがて競技にも打ち込み、中学2年から4年連続でジュニア日本代表に選出され、世界大会に出場。高校3年でプロとなり、その後は世界各地のツアーを転戦した。
幼い頃から徳島の海に親しんできた武知が、最も直接的に感じている変化は、海水温の上昇だという。比較的温暖な徳島の海といえども、冬には厚手のウェットスーツやブーツが欠かせなかった。しかし近年、その様子が変わってきた。
「データにも表れていると思いますが、幼少期と比べて、海水温が確実に上がっているという感覚があります。子どもの頃、2月の海では必ずブーツを履いていました。でも最近は、『そういえば何年も履いていないね』と友人たちとよく話します。以前とは違って、3ミリのウェットスーツで冬を越せるようにもなりました。もっとも、ウェットスーツの性能も向上しているので、海水温の変化だけが理由だとは一概に言えませんけどね」
武知は現在、地域の子どもたちに、さまざまな形でサーフィンを教えている。そのなかで、特に気を配っているのが夏場の熱中症だ。海に入り、全身で波を浴びるサーフィンにも熱中症のリスクがあるというのは、少し意外な話だった。水の中にいれば、暑さを避けられるとは限らないのだ。
「外気より水温が低いとはいえ、動いている以上は汗をかきますし、子どもたちは自分ではなかなか気づきません。だから、20分に一度は海から上げて、水分を取らせています。私自身、熱中症になりやすい体質なので、以前から意識はしていました。それでも、ここ数年の暑さは厳しく、午後の時間帯にサーフィンすること自体、なかなかしんどくなってきています。子どもの頃は、両親がサーフィンをしている間、一日中ビーチで遊んでいましたが、今の暑さでは難しいでしょうね」
武知によれば、暑さや台風の影響を考慮し、それまで8月に開かれていたサーフィンの全日本選手権も、コロナ禍を境に10月開催へ移ったという。競技日程そのものにも、変化する気候への対応が表れている。
変化は気温だけではない。武知は、子どもの頃と比べて砂浜が狭くなったとも感じている。
「子どもだったこともあると思いますが、波打ち際まで走るのが大変なほど広く感じたビーチが、今では半分くらいになったように見えます。もちろん、砂浜の減少にはさまざまな原因があり、全国各地で起きている問題だと理解しています。それでも、波打ち際が少しずつ手前に近づいているように感じます」
武知の特徴は、フィールドで感じた変化を体感のまま終わらせず、異なる立場の人にも届く言葉へ置き換えようとしてきたことにある。その姿勢の原点は、高校1年生のとき、ジュニア日本代表として遠征したエクアドルで児童労働の現実を目の当たりにした経験にある。
「国や地域による格差や、国際社会が抱える問題については、知識としてわかっていたつもりでした。でも、それが自分の目の前で起きていることに衝撃を受けました。そのときから、私は問題を解決する側に立ちたいと思ったんです」
社会が抱える問題を知り、解決する側に立ちたい。その思いから、プロとして世界ツアーを転戦するかたわら徳島大学へ進学し、卒業後は大学院へ進んだ。問題を知り、自らの体験を他者と共有しようとする姿勢は、海で感じている変化を伝える現在の活動にもつながっている。
武知は現在、副理事長を務める日本サーフィン連盟で、新設された環境部会の活動に携わっている。全国の支部をつなぎ、海岸線の開発やビーチの環境変化について、各地で蓄積された知見や事例を共有する取り組みだ。さらに、講演や子どもたちとの活動を通じて、自らが海で感じてきた変化を伝えている。
さらに毎年夏には、地元の小中学生を対象にビーチスクールを開いている。テーマは、武知の活動を支える二つの軸、サーフィンと環境教育だ。
武知は、最初から「ごみを拾いましょう」と正解を教えることはしない。まずサーフィンを体験し、その後、グループで浜を歩く。魚やカニ、漁網、漂着物、ごみなど、海で見つけたものを自分の言葉で書き出す。海がどんな場所なのかを自ら発見し、そこにあるごみをどう処理するのか。そもそも、ごみを出さないためにはどのように暮らせばよいのか。それを子どもたち自身に考えてもらうのだ。
「体験と学びがつながったとき、初めて自分の生活に関わる問題として捉えられるのだと思います。日頃から関わっている子どもたちとは、毎年夏に一緒にサーフィンをしています。ある日、そのうちの一人とコンビニに立ち寄ったとき、店の前に落ちていたビニール袋が風で飛ばされていったんです。すると、その子が走って追いかけ、拾ってごみ箱へ捨てた。まだ小学校低学年の子ですよ。自分で気づき、行動に移した。その姿を見て、私のやっていることにも少しは意味があるのかもしれないと思えました」
環境問題や気候変動は、日々の生活と密接につながっている。それでも自分ごととして捉えられないのは、問題と日常との間に接点がないからだ。海を守る行動は、誰かが海と出会い、そこで起きている変化を身近な問題として考えることから始まる。だから武知は、人と海が出会う機会をつくり、現場の感覚を行政や教育へ伝え、子どもの学びを日常の行動へつなげようとしている。
玉井太朗、石川弘樹、武知実波。立つフィールドも、行動の形も異なる。だが、自然の変化を自らの体で感じ取り、それぞれの立場から、自分にできることを続けている点は同じだ。気候変動を遠い世界の問題にしないための一歩は、身近なフィールドで起きている変化に目を向けること。すべてはそこから始まる。