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勇敢で寛大な場所

リー・ハウス  /  2020年11月18日  /  読み終えるまで8分  /  スノー

遠方にシトカ、頭上に太陽、コオック(シルバー湾沿岸)からの地元ツアーグループがラッキーチャンス尾根を登る。アラスカ州にて。写真:リー・ハウス

「6月に雪!」山頂でザックとスノーボードを下ろし、息をはずませジェイソンに言った。そこからは僕らが地元と呼ぶ小さな島の町、アラスカ州シトカを見下ろせる。周囲をざっと見渡したが、本来であれば朝は厚い雲に覆われ、雪が吹きつけるところだ。ジェイソンがスマートフォンを確認しながら「空港の天気予報によれば下界は快晴」と報告する。「ここからちょっと南なだけだ。」

「これっていつもと違わない?」笑って尋ねた。ここでは「おおむね曇り」の予報でさえ、他地域の「晴れ」に等しい幸運だ。僕らがいるのはアラスカ州南東部の外海岸で、洋上の交通路であり、氷河と雄大な島々と広大な古代の温帯雨林のある多雨地域だ。

アラスカでのスキーやスノーボードといえば、ヘリを利用するエネルギッシュなシーンばかりを思い描いていたが、シトカでのそれはちょっと違っていた。スキーやスノーボードの仲間は、友達、家族、父母、消防士、捜索・救助ボランティア、教師、パイロット、沿岸警備員、森林管理者、漁師、科学者など。ここで生まれた人もいれば、仕事のために移住してきた人もいるし、さらには大海の片隅にたたずむ離島の集落で暮らすという揺るぎない覚悟を決めた人々もいる。

雪質は通常、さして良いというほどでもなく、滑走距離は短い。山に入るにはスキー板を担いで600メートルほど登る。正直、理想的ではないが、あの単純な喜びを求めて氷、雨、闇の中を重い足取りでうろつき、頑固に冬を過ごしていると、なぜだかこの土地が骨の髄までしみ込んでしまう。

勇敢で寛大な場所

シトカの伝統的なスキーエリア「ピクニック岩」を目指し、板を担いで樹林帯を登る。写真:リー・ハウス

滑ろうと狙う斜面をのぞき込んだ。急だがこれなら何とか行ける。視界が良くなるまでどれだけ待とうか思案していたところ、グループの他のメンバーから現況を伝える悲痛な声の無線が入った。「おい、たった今、クマに遭っちゃったよ。」ただちに合流することにし、ジェイソンと僕はボードを装着し、霧の中、春のベタ雪を不格好なターンで滑り降りた。ボードにスキンを付け、仲間がいるところまで行程をさかのぼる。はたして、ヒグマとの遭遇の痕跡は、雪の上に残された真新しい足跡だけだった。

下山はまず滑り、次に這って下り、その後は歩く。やがて雪がガレ場になり、低木が現れ、ついにはツガ、トウヒ、ヒマラヤスギの青々とした森になる。一対の手綱で急斜面を切り抜け、あと600メートルほど下りれば海抜だ。今日みたいな日、シトカの人々はたいてい釣りに出かけるが、僕らのように冬を愛する人間は、とにかく雪の残る高所に執着し続ける。

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「ソーツ」(ヒグマ)はシトカに春の訪れを知らせるが、できれば出会うのは足跡だけにしたい。写真:リー・ハウス

僕の場合、4年前にシトカに移住した時、かつて情熱を注いだスノーボードに再び火が付いた。10年ほど前にリフト券の法外な値段と新しいギアを次々手に入れたくなる衝動に直面して以来、止めたも同然だった。けれどシトカでの初めての冬、ハイキング中に遠くの尾根でスキーヤーのグループが有名な林間コースを周回するのを見た。その遠くの人影は、シトカトウヒやベイツガの間を静かに動いていた。その光景が忘れられなかった。

数年間そんな滑走を追い求めるうちに、アラスカ州南東部の冬とその移ろいへの親近感が生まれた。正式な雪崩予報がないため、雪を愛するここの仲間たちは当地の積雪状態についてとても過敏で、その日の雪の安全性をとりあえず把握するだけでなく、その知識は複雑であり、何が起きようとしているかをかなり詳しく予想する。

この島の氷河は、青い氷の露出箇所が年々広がっており、解けた後には僕と同い年くらいの湖がいくつか出現している。万年雪に覆われなくなった黄スギの根は無防備なままだ。雪塊が恵みをもたらすサーモンの小川は、夏になると水位が低すぎて魚が遡上できなかったり、棲むには水温が高すぎたりする。当地では冬日が少ないことが次第に普通になり、自然界のシステムの変化についても同様だ。山での滑降も、それに必要な雪も、そのすべてに関係しているようだ。地元について大いに心配するうちに冬は過ぎる。

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太平洋の片隅の島にある沿岸の集落「シートカクワーン」(シトカ)の背後で山々が呼ぶ。写真:リー・ハウス

ここシトカの尖峰で僕らはレクリエーションをする。この太平洋岸の島では、雨と雪を分けるわずかな気温差に冬の間ずっとヤキモキさせられる。ほとんどのスキーヤーやスノーボーダーと同じく、僕も冬のはかなさに直面したことで気象変動について懸念するようになったが、それもまだ最近になってのことだ。

実際のところ、この数シーズンを山で過ごして知り得たことはすべて、数千年前からこの地方に住むトリンギット、ハイダ、チムシアンに代々伝わる先住民族の深い知識として既にあったものだ。この集落の「生徒」である僕は、土地に関する理解を年々広げている。トリンギットの支配権との継続的で控えめな関係の中で、僕はここ「シートカクワーン」(シトカ)に暮らしている。彼らの支配が、数千年にわたって、今日「アメリカの肺」もしくはトンガス国有林と呼ばれる「リンギットアーニ」(トリンギット国)を守ってきた。

春はトリンギットが「ニシン日和」と呼ぶ天気と共に訪れる。ニシンの大群が産卵のために遡上する前触れとなる不安定な天候だ。日が差しているのに豪雨、雹、雪が降るかと思えば、数分後には明るい青空が広がる。地上では森がゆっくりと目覚め新芽を吹き、クマが巣穴から這い出す。この季節、この地に確固たるエネルギーがみなぎる。日の長さや身辺に感じる生命の芽生えを求めて僕らは春スキーをする。頂からはクジラや鳥が湾内のニシンの大群にありつく様子がうかがえる。産卵で海岸線が泡立ち、海がターコイズブルーに変わる。こうした生命や繁栄は、すべてニシンから派生している。伝統的にニシンの卵は越冬後の最初の食糧としてトリンギットによって収穫される。次にニシンで腹を満たしたサーモンが夏の訪れを知らせにやってくる。

7月はトリンギットの間では「サートディシ」(サーモンの月)という。残雪が急速に後退し、サーモンが産卵の旅をするあの小川に雪解け水がほとばしる。緑の風景にベリーや野花の明かりが点々と灯る。僕らは稜線を走り、周辺の海で釣りをし、森の空気を肺一杯に吸い込み、新鮮な海洋性タンパク質で腹を満たす。ほとんど沈まない夏の太陽の光がついに薄れると秋になる。

勇敢で寛大な場所

シトカサウンドを見下ろす絶好のキャンプ地。起きて、滑って、朝食。その後また滑る。写真:リー・ハウス

春スキーと夏山へのアクセスルートになる森で僕らは狩りもする。秋の間はそうしてゆっくりと静かに活動する。自分の影が次第に長くなり、日に日に寒くなるのを見つめながら、シトカにそびえる山々の頂から初雪がこっそり忍び寄るのを見守っている。

これらの季節に囲まれ、僕は自分自身とこの場所、この地域社会、この先祖伝来の土地との関係が何であるかを問うようになった。外出する機会のない隣人や友人と魚を分け合ったり、トンガス国有林における原生林伐採に反対する多くの人々に賛同したりする中で、その答えが見え始めた。ニシンの生息数に減少がみられるという先住民族の首長の声を聞けば、ニシンはシトカの輝きの大半を支えるまさに基盤であるから、僕も地元の草の根グループ「ニシンの保護者」に参加し、彼らの側に立つ。このグループはトリンギットの主権、女性リーダーの育成、ニシンの商業乱獲の規制を求めて活動している。あるいは、前述の答えは単に、土曜日に高齢者のいる友人宅を訪れ、裏庭にサウナを作る手伝いをすることに見いだせることもある。

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6月初旬、日没の午後10時までねばって何とかもうひと滑りする。アラスカ州シトカにて。写真:リー・ハウス

雪のためにここに来たのではないし、雪のために居ついてしまったのでもない。ここにとどまったのは、この地域社会のため、そしてこの土地とのつながりを学ぶためだ。スノーボードは僕とこの土地の関係の一端にすぎない。僕の心はここにあり、そして今のところ雪もまだここにある。

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