最も明らかなライン
地平線から一筋の日の出の光が漏れるなか、僕はモンテ・クリストの麓へとできるかぎりの速度で進んだ。ルートで最も技術を要するセクションのひとつに差しかかると、千メートル以上眼下の道を車のヘッドライトがゆっくりとなぞっているのが見え、朝の風が吹きはじめた。腕時計のタイマーをセットしてファーガソン・キャニオンの暗闇へと足を踏み出したのは、ほんの4時間ほど前のことである。そしていま頭上数十メートルには、モンテ・クリストの垂直の壁がそびえ立っている。つい数週間前に偵察で走ったとき、数百メートル下を見て恐怖感に打ちのめされたのは、まさにこのセクションだ。衝上地塊の侵食、花崗岩の貫入、先カンブリアン紀の堆積岩によって形成された地形。けれども今回はそのときとは違って落ち着いていた。このラインは簡単そうで、吹きさらしの状態もさほど劇的には思えなかった。数分でなんとかこのセクションを切り抜け、山頂にたどり着くと、頂上にいた2人のハイカーをギョッとさせた。「どこから来たんだ?」と聞かれ、僕はガレ場を登り終えて走る体勢に移りながらふくみ笑いをした。
全長約58キロメートルの「ワサッチ・アルティメット・リッジ・リンクアップ(WURL)」は、ソルトレイク・シティ近郊にあるリトル・コットンウッド・キャニオンの稜線をたどるU字型のルートである。街の端にある区域がスタート地点となるこのルートは、細い帯のような岩だらけの稜線まで一気に1,830メートル以上も急上昇する。
これはトレイルランニングのコースではない。むき出しの崖錐を延々とよじ登ったり飛び跳ねたりしながら、少なくとも21の名前のついた峰と無名の数峰の頂という難関を含むものだ。地図上では明らかなラインに見えるこのルートは、数十年ものあいだ登山家やバックカントリースキーヤーを魅了してきた。これがランニングルートとして確立されたのは2004年、ジャレド・キャンベルがはじめて麓の街から一気にその完走を遂げたときだ。ジャレドがある午後の「ひと走り」でその北側の稜線で絶景が得られる、と教えてくれたことがある。僕もいつかこのルートを完走してみたいと思ったが、当時はまだ心構えができていなかった。
僕にとってこのルートは、長年山を走ってきた経験の集大成を意味した。距離的には完走できる自信があったが、10年以上前に起きたクライミングでの事故で、吹きさらしの場所で恐怖感を抱くようになった僕は、正直言ってガレ場登りをともなうセクションは怖かった。だから数年前に「WURL」に挑戦しようと決意したとき、このルートに備えるにはかなりの精神的トレーニングが必要だとわかっていた。先輩や友人たちとこうしたセクションでの訓練をたくさん重ねながら、恐怖心を抑えるのではなく、それとどう向き合うかを学んだ。次第に僕はルートの50パーセント以上を占める、風が直撃するその地形にも慣れていった。
「WURL」のようなルートは興味深い挑戦でもある。それは企画されたレースとはまったく異なり、スタート時間も設定されていなければ、順位を争う大勢のランナーもいない。むしろこうした山岳ルートは自分の規律にしたがって自分のスタイルで走るものであり、ランナー同士で共有する知識以外は自分自身で解き明かしていくものだ。走っている瞬間に存在するのはその地形と自分のみ。それは自分自身を探求する時間となり、肉体的な疲労困憊を迎え、精神的な挑戦が立ちはだかるときに何が起こるのかを目撃する。未知の世界に踏みこみ、可能性を再定義することもできる。もちろんそこには競走の要素は存在するし、自己または他者の記録を破ろうとするときは、とくに顕著となるだろう。しかし、そうした記録でさえ大した意味はない。僕が「WURL」の最速記録を出して1か月も経たないうちに、ジョーイ・カンパネリが20分近くも速い記録で打ち破ったからだ。
「WURL」を走った数週間後のグローバル気候ストライキ週間に、僕は全国から集まった若者たちと一緒に肩を並べ、国会で上院議員や下院議員、そして彼らのスタッフと会う機会を得た。移動中の飛行機で走ったルートについて振りかえり、どんな準備が必要だったかを考えた。「WURL」での経験は、このような他の闘いにも通用するように思えたからだ。
僕たちはつねに社会が解決不可能な挑戦の連続に直面しているような時代に生きている。地域的な紛争から世界的な大惨事まで、すべてが挑戦だ。前進する道を探すのは困難ということもあるだろう。けれどもこれらの挑戦は僕たちにとって袖をまくり上げ、必要な仕事をやり遂げる人間となるための素晴らしい機会ともなる。僕は「WURL」のために明確でハードルの高いゴールを設定し、断片的な要素をつなぎ合わせるように準備をしてきた。これはいま、まさに必要とされていることと同じである。情熱的なダートバッグから成る僕たちのコミュニティは、まさにこのような仕事に向いている。僕たちはつねに不可能な道に真っ向から挑戦しているからだ。核心のピッチを登ったり、身の毛もよだつようなラインを滑ったり、最大の波にパドルアウトするために何をすべきなのかを知っている。状況が変わっても僕たちが毎日していることは同じだ。恐怖に呑み込まれないようになるまで恐怖を乗り越える訓練を重ねる。同じ原理と情熱をアクティビズムや僕たちの生き様に当てはめれば、僕たちの目前に立ちはだかる問題への解決策を発見し、実践することができるはずだ。