魔法の国
ニューイングランドの夏空を独占してきた太陽が次第に低くなると、この地方にあるほぼすべての木は、日照時間が短くなるのに合わせて葉を落としはじめる。葉は栄養分を生成するのが負担になり、身勝手な木は、冷酷にも、夏じゅう緑一色に酔わせてくれていたクロロフィルの合成を断つ。まもなく落ち葉は森の地面を覆い、彼らを見放した樹幹の栄養となるべく謙虚に朽ちていく。
だがカバノキ、カエデ、オーク、アッシュ、ヒッコリーなどの葉が、大人しく冬の安眠に就くことを拒むひとときがある。いたずらに美しいこの瞬間、それぞれに反逆的なありとあらゆる色彩で、自己の存在を見せびらかそうとするのだ。
遠くからでは、こうした色のコントラストは視覚的なものでしかない。しかし地球の表面を二輪のタイヤで突き進むと、移りゆく季節は感覚の全ベクトルを刺激する。低下する気温と肌寒い湿気が、ふたたび土を潤す。木々は恵みを落としはじめ、カエデの赤やオレンジの葉が毛羽立った帯のように土を覆う。頭上に揺らめくさまざまな黄色や黄金の天井は、気候に負けるまでポプラやニレやシラカバにしがみつく。秋の青空は夏の青空よりも鋭く澄み、日没前の2時間は景観にさらなる活力を与え、琥珀の結晶のような光が黒い影を背景に浮き上がらせる。誰の目から見ても悲惨としかいいようのないびしょ濡れの日々でも、灰色の雨がパレットの色彩を刺激的に引き立てる。そして気まぐれな10月の雪が散らつけば、もはや考える余地はない。そこにあるのは骨の髄まで感じられる、本能と畏敬だけ。
タイヤは地面の変化をひとつひとつ事細かに伝える。雨のなかでさえ、カエデやカバノキの葉の絨毯は驚くほどのグリップ力を与えてくれる。薄い葉は地面とタイヤを密着させ、重い空気のなかに漂う腐葉土の匂いを嗅ぎながら、陽気な気分でのんびりと進むことができる。それが合間の晴れの日で一気に乾き上がると、今度はオレンジや黄色の川へと飛び込むことになる。見えなくなったトレイルを感じながら、タイヤの下でポップコーンが弾けるような音の交響曲に耳を傾ける。トレイルが黄金の池に沈んだかと思うと、カーン!と、前輪のリムが落ち葉に埋もれた花崗岩に激突する。その瞬間に体はハンドルバーの上を飛び、手と肩と胴が木の根の上に放り投げられるが、その衝撃はカバノキの落ち葉のクッションが和らげてくれる。
よくあるやっかい者はオークだけ。葉をつけたままでいる最後の種族であり、それがばらまく硬い葉やどんぐりの山は、ともに足場を妨害する歩兵隊だ。その手強さに、シーズンを早めにお開きにしてしまう者さえいる。しかしそれは、他の者にとってはたんに賭けを面白くする理由でもある。滑って尻をつく最初のコーナーはオークの葉が濡れて押し固められているのか、あるいは乾き切ってどんぐりだらけなのか。仲間は猛烈な歓声を上げて走りつづけるのか、自分と同じように尻を泥まみれにするのか。
しかしその賭けに勝てば……来たる冬を乗り越えるのに十分な楽しい思い出ができるだろう。お気に入りのトレイルの土埃を吹き飛ばす風。タイヤの跡を縁取る、明度を失いながらもまだ美しい秋の落葉。バイクが地面と戯れる音に満ちた、平和な11月の冷たい空気に包まれた穏やかな午後。いずれにしても雪は訪れ、春は何か月も先。無駄にする時間はない。
山でバイクライディング(あるいはクライミング、ランニング、自然観賞)をするとき、私たちはしばしば先住民族の土地へとつづく道をたどります。私たちが楽しみ愛する、このような場所の本来の守り主であった人びとに感謝を捧げます。そのような土地から彼らを追い出して排除するという不正を認識します。この物語に掲載している写真は、アベナキ族の人びとの未譲渡地で撮影されました。