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ロング・トレックス in 中国:西寧から成都まで、スケートボードでチベットを駆け抜ける

アダム・コルトン  /  2013年3月21日  /  コミュニティ, カルチャー

僕の名前はアダム・リチャード・コルトン。2012年8月30日、僕はチベット近郊を訪れて、ソロのトレッキングに出発した。僕は中国語もチベット語も話せないが、身振り手振りのコミュニケーションにおいてはエキスパートだ。その旅の様子を簡単にまとめてみた。そうそう、ビデオもぜひ見てほしい。—エド

ロサンゼエルスから25時間のフライトを終え、標高2,133メートルの西寧に到着。まるで廃人同然の状態だった僕は(笑)、この旅がきついものになることを知った。それはひどい眠りから目を覚まし、トレーニングや準備運動をせずに、そのままマラソンを走るために急いで外に出てきたようだった。飛行機から降りてすぐスケートしはじめた僕は、初日から大きなトラック、ひどい排気ガス、そして超えなくてはいけない山々に、こてんぱんにやられていた。その日の終わりには疲れ果て、人びとの視線を避けるようにして道端の側溝に寝床を見つけた。疲れていると、側溝でさえ快適な寝床になる。

スケート in 中国(青海省・西寧から四川省・成都まで):エピソード1 ビデオ: アダム・コルトン

夜がやってくると、僕の自信はまた潰された。いやー、とにかく寒かった。わざと寝袋を忘れてくるなんて、なんて愚かだったんだろう。毎晩僕は、持参した服をすべて身につけた。そしてできるだけ体温を温存するために、横向きかうつ伏せでしか寝ることができなかった。上向きでは寒すぎたのだ。中途半端に賢い僕は少しは快適に、もしくは精神的に暖かく感じることができたのではないかと思い、ドライバッグやポーチなど、とにかくあるものすべてを自分の下にひいてみた。

毎朝つららが下がったテントで目を覚ました。凍ったテントが溶けるまで待つのは時間がかかりすぎるので、凍ったまま畳むことが、毎朝僕の手が嫌がる、日課となった。そして1日かけて、陽が落ちる前に戦略的にテントを乾かすのである。

山へ向かってどんどん進んでいくうちに、絶えず鳴りつづける車のクラクションにひどく苛立っていた。ここでの道路マナーは違うのだ。誰か(例えばスケーターなど)を追い越すときは、かならずクラクションを鳴らす。遺伝子にそう組み込まれているかのように、自分の存在を知らせるために鳴らさなくてはいけないのだ。ここでは人びとは狂ったように運転する。だから、そうしなければ轢かれてしまうのかもしれない。日によってはさらに酷く、鼓膜が破れる勢いでクラクションを鳴り響かせながら追い越していくので、「うわー、こいつ、怒ってるな」なんて思って見上げてみると、運転手がこっちを見ながら笑顔で手を振っていたりする。中型トラックのクラクションが耳のすぐわきで鳴ると、思わず喧嘩したくなったりする。すでに苛立っていればなおさらだ。

クラクションやさまざまな騒音のおかげで、僕はなかなか集中できずにいた。僕にとって長距離スケーティングのコツは、なんと長距離スケーティングをしていることを忘れること。効率の良くない木の破片を歩行速度で押しながら、バックパックを背負って山脈を乗り越え、すぐ脇で車に追い越されていくという事実に気づかないことが、精神的に楽になる秘訣なのだ。たとえば、ガールフレンドのことを考えたり、なんで自分は高校時代にクレイジーだったのかとか、想像上の家族について夢見て、子供をどう育てようかなんていう空想に気分を紛らわす方がよっぽどいいだろう。

問題は、長い間空想できる状況ではなかったこと。耳のそばでけたたましく鳴るクラクションがすぐに邪魔をするのだ。すると、しばらく怒りの心情へと変化する。そして、こう自分に言い聞かせるのだ。アダム、落ち着いてまた空想モードに入るんだ。でもまた耳の脇でクラクションを鳴らされる(笑)。いまから考えると、完璧に狂わなかったのが不思議に思えるようなことの繰りかえしだった。いや、もしかしたら狂っていたのかもしれない。

クラクションから少しのあいだ開放されることがあっても、状況は変わらなかった。不運にも、僕が旅をする214号線沿いに新しい道路が建設されていたのだ。想像どおり、建設作業員の目から見れば、鮮やかな紫のジャケットをまとったクレイジーな白人がおかしな乗り物に乗っている様子は不思議だっただろう。必然的に、率直な人たちは僕を止まらせようと口笛を吹いたり、叫んだりした。実際に止まることもあった。とくにこちらが何か聞きたいことがあるときは。たいていその答えを理解することのできない質問なのだが(笑)。ビデオシリーズには工事の様子やトラックの映像を含めるのは避け、僕が記憶に残したいような素敵な場面を映像に残すことにした。

スケート in 中国(青海省・西寧から四川省・成都まで):エピソード2 ビデオ: アダム・コルトン

旅のほとんどは高地で、そしていままでスケートしたなかでも最高標高地点を記録した。南アメリカのアンデス山脈で高地がどういうものかは経験したが、中国はまた別のレベルだった。中国には4,260メートルを超す峠がありすぎて、次から次へと容赦なく目の前に現れる。それでもいちばん大変だった峠をあげれば、それはペルーだろう。ポール、アーロン、そして僕は127キロの距離を海抜0メートル地点から標高4,260メートルまで、雨と濃霧のなかを蹴りつづけた。たしかあの峠を超えるのに4日かかったはずだ。

中国では、僕の人生で最高の標高を記録した。4,816メートルだ。アメリカ(アラスカを除く)の最高峰である標高4,421メートルのマウント・ウィットニーより高いのだから、これはちょっと凄いことだ。4,570メートル級の峠のほとんどは工事中で、スケートができるようなコンディションではなかったから、そのほとんどをヒッチハイクして通過したことも僕にとってはラッキーだった。舗装がきちんとしているときは、車を降りてスケートボードで道路を蹴りまくった。もちろん標高の高さをまともに感じる。体力がいるし、呼吸も辛い。こつはペースを乱さず、ゆっくり、そして着実に前に進むことだ。

峠を越えると僕の人生で最も危険で長いダウンヒルが待ち構えているのだろうと想像していたのだが、そういうわけではなかった。300メートルほど標高を下げると、その後は4,260メートルの高地を1週間程進む。通常は峠を越えていくのは好きな僕だが、中国は別の話だ。あの地形には勘弁してもらわないと(笑)。

道路工事の混沌に囲まれながら、それでもひとりきりであることを実感していた。救いようのない孤独感を感じながら、僕は考えた。もしひどいケガを負ったら、どこへ連れていかれて、どうやって治療されるのだろう。ひどい病気になったら、どうやってこの寒さから脱して温かい安らぎを求めればいいのだろう。現地の人たちと僕とのあいだにコミュニーケーションはない。人口の半分はチベット語を話し、中国語さえ通じない。彼らからみれば、僕は彼らの世界をただ通り抜ける奇妙な存在でしかない。運に頼るしかないのだ。とにかくGPS発信器は持っていたから、もし死にそうなことがあったら、この赤いボタンを押せばヘリコプターで救出してもらえる…とのことだ。しかし中国でそれが使えるのだろうか? アイディアとしては良さそうだったのだが。

店で色々な人たちと交流したり、ジャンクフードを棚から選んだり、しもやけで頬を真っ赤にしながら僕へ向かって走ってくる子供たちに挨拶したり、ドアをノックして出てきた人の手が床に広がっている肉の破片や裂かれた毛皮で血まみれになっていたり、3週間も同じカイラン菜の麺をすすっていたりすると、ロサンゼルスにある僕の家の近所の寿司屋や、15種類以上の健康的で美味しい料理が楽しめるレモネード・レストランのスイートポテト・ピスタチオや、ルッコラとブルーチーズなんかを恋しく思う自分に気づく。

だがそれ以上に気づいたことがある。アメリカは可能性と選択肢にあふれているということだ。アメリカではほとんどの人間が、大自然のなかでキャンプをしたり、寒さに身を震わせたり、そして温かい自分の家へ戻ることを選択することができる。インターネットを使えば、飛行機も宿泊も、フランスなどの遠い場所へも旅行全部を手配することができる。マウンテンバイクのトレイルなんて近所にいくらでもある。たくさんの不必要な道具や騒音に囲まれた複雑な時代のなかでも、自分の人生を選ぶことができる。中国で、彼らの住む苛酷な環境のなかで不自由な思いをしながらも、僕にはいつでもこの場を去るという選択肢があった。僕はいずれこの場所を去る。中国で出会った家族にはこの選択肢はない。これが彼らの人生で、家族一丸となって幸せに生き延びている。だが僕はたくさんの選択肢や機会にあふれている人生を送れることをとても幸運に思った。

僕の長距離旅行のなかで、3週間のこの旅がいちばん短かった。しかし言わせてもらえば、この3週間の試練はまるで6週間のように感じた。長距離移動をしているときは、時間が過ぎていくのが疑いなく遅くなる。時間の経過は出来事によって、またその出来事を自分がどのように捉えるかに依存する。長距離スケートでは、最初の2週間が1か月のように感じるのは当たり前だ。とても遅い。すべてのことが目新しく、感覚は研ぎすまされ、必要以上に刺激されて、何もスムーズに進まない。まだ小綺麗で、服はあまり汚れていないし、まだ爪も綺麗なままだ。邪魔をするようなインターネットもなければ、テレビの前でぼーっとすることもない。あるのは自分を囲む環境と、自分の思想、そして限りなくある時間。もちろん、空想に耽って少し旅から逃避することもできる。しかし、ずっと空想にふけることもできないし、それすら面倒くさくなってくる。

時が経つにつれて、通常は1週間半から2週間を過ぎたあたりで、何かが変わる。少し感覚が麻痺するのだ。過度に興奮しているわけでもなく、すべてが通常のことに見えてくる。テントをたてては、また片付けて、出発するという習慣が身につき、最初は不思議に思えた人びとの言動も、そんなにおかしく感じなくなってくる。鼻水が袖につき、体からはすえた臭いが漂い、ギアは打ちのめされ、そして鼻の皮はむけてくる。飛行機から降り立った小綺麗なカリフォルニアボーイが、野生の動物のような、ワイルドな強面のする旅行者へと変化するのだ(笑)。

そのうちに、環境との繋がりも深くなってくる。むしろ、環境を身にまとうと言ってもいい。物事が夢のように、リラックスした状態で過ぎ去っていく。するとすぐに1か月が過ぎ、時間の流れはどんどん速くなっていく。そして家に帰りたいと熱望するようになる。最初に逃げ出したいと思ったその場所へと戻りたくなるのだ。何もしないというアイディアにエキサイトする。冗談ではない。長いあいだ寒く疲れた状態でいたあとは、ただ快適に座っていることが最高の至福のように思える。その変化には目を見張るものがある。僕は快適さに深い尊敬の念を抱いて家に戻ってくることに満足を感じる。しかし、すぐに思い出や行動が頭を満たしはじめ、自分がどれだけ快適な環境にいるのかなんて忘れてしまう。人生とはそんなものだ。

家へ戻ってきてから3か月が経った。旅を終えた直後の精神状態は、「スケートボードなんてうんざりだ、もうゆっくりしよう」だった。この心境は薄れて、次の旅についてのロマンチックなアイディアがゆっくりと膨らんできている。物事とはおもしろいものだ。もしあの劣悪な環境のなかに戻されて、疲れ果てて、どうしようもなく寒い時間をふたたび繰りかえせと言われたら、また旅に心が傾くことはなかなかないかもしれない。しかし人生と同じで、たくさんの出来事が起き、新しいことが思い出を薄れさせていく。

人生は一瞬にして劇的に変化することがあるし、僕はそのことを知っていた。中国で本当に辛かったときは、自分を笑って過ごした。なぜなら、3週間後には彼女に寄り添いながら温かいベッドで横になり、この辛い瞬間を肩をくすめながら笑って話すことになるのだから。

僕が撮影したこのビデオシリーズは、僕にとっては思い出として、そしてできたら皆にとってはインスピレーションを与えるものになればと考えて、製作した。だってインスピレーションとは循環していくものだから。僕は皆からインスピレーションをもらって、こうやって外の世界に繰り出して何かをして、そしてお返しにビデオを投稿して僕の旅を分かち合うことで、できたら他の誰かが何かをして、そしてまたそれを分かち合うインスピレーションを与えて…と、果てしなくつづく最高の循環なんだ。

スケート in 中国(青海省・西寧から四川省・成都まで):エピソード3 ビデオ: アダム・コルトン

僕のとりとめのない話に付き合ってくれてありがとう。もちろん、これはただ僕の考えにすぎない。思考は変化し、言葉で表現するのはむずかしい。長距離旅行がどんなものなのか本当に知りたかったら、自分でやってみるしかない。言葉はたんに言葉に過ぎない。行動と実際に旅に出ることこそが、真の証なのだ。

あとがき

このアドベンチャーにまたパタゴニアのウェアを着ることができてとてもうれしい。2,500キロのモロッコ横断ロング・トレックスに参加したときにはじめてメリノ1・シルクウェイト・クルーを着たけど、その軽さには本当に感動した。オーストラリアでムレイ・リバーをパドルボードで1,930キロ下ったときは、ボード・ショーツを1か月間ぶっ通しで着つづけた。

ということで、2012年に車輪のついた木の破片でとぼとぼとヒマラヤ山脈を渡ると決めたときには、ふたたびパタゴニア・メリノ1・シルクウェイト・クルーを持参した。通気性の良さで快適なだけでなく、長袖が腕を紫外線やホコリから守り、身ぎれいでいることができた。シャワーになかなかめぐり会えないようなところでは重要な機能である。このシャツを3週間、荷物を背負って1,287キロにわたって毎日着つづけた。そのあいだずっと快適でいることができ、洗濯したときはいちばんに乾いた。モンベルとアークテリクスのジャケットのベースレイヤーとしても活躍した。過激な製品を作り、サポートしてくれたパタゴニアに感謝する。

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