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ボスニアの勇敢な女性たち

モーリー・ベイカー  /  2018年10月25日  /  アクティビズム, 環境

アクティビズムと女性の気迫が一体となってヨーロッパ最後の原生河川を救う。

ボスニア・ヘルツェゴビナのフォイニツァの朝、フランシスコ会修道院の鐘の音とファジュル(夜明けの礼拝)の放送が村に調和をもたらします。谷は薪の煙と霧に覆われ、やがて霧が晴れると、谷間の川や小川へとなだらかに広がる、黄に色づきはじめた丘が姿を現します。

スンブルカ・ミリチェヴィッチ、通称スンビは、フォイニツァ近くのジェリェズニツァ川沿いの家で33 年間暮らしてきました。フォイニツァはサラエヴォから北西に1時間、スンビが育った村からは数キロメートルの場所にあります。彼女は結婚してここに引っ越してきました。「ボスニアでは善良な女性は自分の村の男と結婚すると言うがね」と地元の河川保護に取り組むボスニアのNGO、〈Center for theEnvironment(環境保護センター)〉の創設者ヴィクトル・ビエリッチは言います。スンビは笑いながら頭を横に振ります。「そう思う人もいるかもしれないけど、多くの女性は下流の都市に嫁ぐわ。私は上流に来たの。善良な、強い魚のようにね」

バルカン地方ではヨーロッパに残された最後の原生河川に3,000 以上もの水力発電用ダム建設案が提出され、なかにはすでに着工されているものもあります

ここはジェリェズニツァ川の岸にあるスンビの家の裏庭。慎ましく髪をまとめて唇には紅筆を入れ、花柄のスカーフをまとった彼女は、年輩のご婦人らしい装いで白いソックスとハイヒールのサンダルを履き、チキンとライスとキャベツサラダを準備しながら台所を颯爽と動きまわっては、庭にいる私たちをもてなします。厳しい顔を濃いあごひげに隠したヴィクトルは静かにタバコを吸いつづけ、スンビはフォイニツァでの暮らしを快く語ってくれます。

「必要なものはほとんど庭で採れるのよ。とくに子供のころは野菜や果物を買ったことはなかったわ」とスンビは言います。家の前にあるリンゴの木は、シャキッとした歯ごたえの赤い実をつけます。彼女の友人はトルコ式コーヒーを飲みながら手巻きタバコをふかし、落ちたリンゴを美味しそうに食べています。「川に水がなかったら」とスンビはつづけます。「果樹の水やりもできないわ」

サラエヴォからフォイニツァへ向かう車中で見た家々の多くは、整然とした緑の畑と誇らしげに積まれた干草の山で区切られ、その大半の壁にボスニア紛争時の迫撃砲と銃弾の痕が残っていました。地元のローマ・カトリック教の神父とイスラム教のイマームが承認した合意により、当初は地域的な平和が保たれましたが、1993 年にボスニア軍が侵攻するやいなや、フォイニツァの大部分で紛争が勃発しました。身体的/知的障害のある200人あまりの子供たちがここの病院に3日間置き去りにされたという、ひどい話を読んだことがあります(残された子供たちはその後、国連を代表するカナダの中隊に救助されたそうです)。

そしていま、新たな対立が静かに高まっています。ボスニア・ヘルツェゴビナの豊かな淡水源が攻撃を受けています。バルカン地方ではヨーロッパに残された最後の原生河川に3,000 以上もの水力発電用ダム建設案が提出され、なかにはすでに着工されているものもあります。こうしたダムは河川や野生生物や地元の共同体に、取り返しのつかない損害を与えます。

バルカン地方の水力発電事業の多くは、世界銀行や欧州復興開発銀行などの大型国際機関から、間接的に資金援助を受けています。ボスニア・ヘルツェゴビナの水力発電事業の大半は往々にして違法、あるいは地元政府が私企業に与えた特権によるもので、どれも発電能力が10メガワット以下という小規模の企画であるために、環境アセスメントが義務づけられていないというのが現状です。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは300の新たな水力発電用ダムの建設が企てられ、国内の224河川のほぼすべての流れの妨げとなり、また数十もの破壊的なダムによって損なわれる水域があります。上流のダム建設が実現すれば、スンビの家の裏を流れるジェリェズニツァ川の水は近隣の複数の大きな自治体に分水されて枯渇し、村の全家庭が農業用、そして飲料用の淡水源を失います。

2012年8月から2013年6月にかけて、スンビは他のフォイニツァ住民とともに、ジェリェズニツァ川に提案されていた2つのダム建設の阻止を目指して325 日間の抗議運動を展開しました。毎日24 時間、1,200人の男女が交代で川辺に陣取って道路を塞ぎ、ジェリェズニツァ川渓谷に忍び込もうとする水力発電工事作業員の足を止めたのです。住民は勝利を収めました。

「私たちが本当に自分のものだと実感できるのは、川とその周辺の土地だけなのよ」とスンビは言います。「これまでも、いつも誰かが私たちのものを奪おうとしてきたから」

ボスニア・ヘルツェゴビナは歴史上つねに多様な民族から構成される地域です。東と西が出会う場所であり、川と文化が融合する場所であり、そして大量の血が流されてきた場所でもあります。

1991年3月、現在のボスニア・ヘルツェゴビナの北にあるクロアチアがユーゴスラビアからの独立を宣言し、セルビアが新たにユーゴスラビア連邦共和国を作ると、ボスニア紛争が勃発しました。それから1年以内に大多数がイスラム教徒であるボシュニャク人の「民族浄化」をボスニアのセルビア人が命じ、1992年4月6日にセルビア軍はサラエヴォへの砲撃を開始。ドリナ川を渡った国境にあるイスラム主流の村々を攻撃しました。

私はヴィクトルにセルビア人によるサラエヴォ侵略について尋ねました。「それは話のほんの一部でしかない」と言うヴィクトルが生まれたのは、スルプスカ共和国(通称「セルビア人共和国」:ボスニア・ヘルツェゴビナの2つの立憲構成体のうちの1つ)の首都バニャ・ルカでした。「紛争中に誰が誰に対して何をしたかというような細かなことは重要じゃないんだ」と、彼は強調します。

1995年8月には北大西洋条約機構の介入により停戦、和平交渉が進み、最終的には1995年12月14日にパリでデイトン和平合意が調印されました。それまでに推定20万人が殺害されるか、あるいは行方不明となり、現在でも国内に残留する8万の地雷のため、デイトン合意以来2,000人近くの一般人が命を落としつづけています。

ボスニア・ヘルツェゴビナの河川は宗教、政治、国境に関係なく、万人に恵みを与えます。川は共同遺産です。紛争を生き抜いたフォイニツァの人びとはちょっとやそっとではもはや動じることはない、とスンビは言います。

2012〜2013年の抗議運動の場所を訪れると、スンビは茶色の革のジャケットを着た女性を見て、「彼女はひどく殴られたのよ」と言います。バリケードを破壊するためにダム投資家が雇った警備員に痛めつけられたのだそうです。そして「彼女も」と、赤いロングコートを着て膝までのブーツを履いた女性を指して言います。「彼女は腕を折られたわ」

「日中は男性が、夜は女性が見張ることにしたの。警備員は女性には暴力を振るわないだろうから、夜は女性の方が安全だと思って」と、スンビは話します。残念ながら実際は、意識を失うまで首を絞められた女性がいたほどでした。

そんな絶え間ない身体的な危険にもかかわらず、私が出会った女性たちは当時の懐かしい思い出も語ってくれました。トランプをしたり持ち寄ったクッキーを食べたり、クリスマス休暇を抗議場所で過ごしたり。ある女性は妊娠中の大半を、地元の人たちが24時間体制の監視のために建てた差掛け小屋で過ごしました(彼女は抗議運動が終わるころに病院に駆け込み、無事に男児を出産しました)。

女性たちは腕を組んで、笑いながらストーリーを語ります。そして自分たちが守るために闘った川、攻撃されても守りつづけようとした川へと、私を連れて行ってくれます。

クルシュチツァ川に企てられた小規模ダム建設案について語るネリナ・アフミツの目には、刺すような青い悲しみがあります。フォイニツァの女性たちにならって、ネリナは地元住民とともに、フォイニツァの北西約50キロメートルにあるクルシュチツァ川上流へとつづく小さな橋の監視をしています。彼女らはジェリェズニツァ川、ウナ川、ネレトヴァ川、サナ川など、ボスニア・ヘルツェゴビナの他の川での抗議運動について知り、自分たちの川も守ろうと決断して、毎日24 時間体制の見張りを実践しています。

クルシュチツァ川沿いを歩くと、似たような果樹やポプラやヤナギ、そして住民の食料となる小さな畑がいくつも見えます。クルシュチツァ川はすでに約80パーセントが近隣のゼニツァとヴィテズの飲料水として分水されています。これ以上ダムが建設されれば、彼らに残される水はなくなります。

サラエヴォの電力会社ヒグラコンが、地方当局からダム建設の許可を与えられた2017年8月3日以来住民が抗議運動をつづけている橋の近くに、私たちは座ります。涙を抑えようと頬を引きつらせ、小刻みに震えながらネリナは、紛争前のクルシュチツァ川での夏を思い出します。観光客、川で泳ぐ子供たち、夕暮れに焚き火で焼いたラム肉のご馳走。ネリナが川に歩み寄り、手のひらで水をすくって飲むと、ほとんど表情を変えない彼女の顔がほころびます。地元住民もオオヤマネコもクマも、まだこの川から直接おいしい水が飲めるということを私たちに示しながら。

「私たちは負けません。攻撃されても、村が爆弾を落とされ、撃たれても」と、ネリナは言います。「そしていま、水と自然、子供たちの遊び場が奪われようとしているこのときにも」

2017年8月24日午前4時30 分、地元の女性54人が見張りをしている場所に特殊警察部隊がやって来ました。警察はヒグラコンのトラックと掘削機が橋を渡れるよう、立ち退きを強要し、ついには暴行を加えはじめました。数人の女性が逮捕され、200 ユーロ以上の罰金を課せられたのち、地方裁判所に召喚されました。それ以来、橋は「クルシュチツァ川の勇敢な女性たちの橋」と呼ばれるようになりました。殴られても、裁判所に召喚されても、罰金を課せられても、女性たちはいまも橋を見張りつづけています。

ネリナは紛争で亡くした姉のことを話します。また別の女性は、アフミチの虐殺でクロアチア兵によって夫が殺される様子を見ることを強いられたそうです。こうした残虐行為の爪痕はあらゆるところに認められます。彼女たちの目にも、周辺の建物にも、生命の源を守ろうとする彼女たちの猛々しさにも。この国のすべての川の名前は、現代のボスニア語で女性名詞を表す「a」で終わります。ボスニア・ヘルツェゴビナの大半の河川が脅威にさらされるいま、紛争を生き延びた女性たちがその最大の擁護者となっているのは、意義深い事実といえるでしょう。

数日後、バスツィツァ川で、〈Center for the Environment〉の代表ナターシャ・クルンコヴィッチに会いました。この川では操業不能のイドバル・ダムがゆっくりと崩壊をつづけています。豊かな黒い巻毛に覆われた天使のような丸顔のナターシャは、やはりタバコをふかしながら、もし娘が生まれたら大好きなサナ川にちなんで、「健康」を意味するこの「サナ」という名を与えると宣言します。「サナ川はボスニア全体を象徴するともいえます。生命にあふれる自然のままのこの川は、ボスニア・ヘルツェゴビナのすべての地方と民族をつないでいるのですから」

ナターシャはサナ川のダム建設反対キャンペーンの運営に携わり、9件の訴訟と数十件の控訴、そしてその他の法的手続き、マスコミ発表、地元の討論会、嘆願書に加えて、建設現場で数百人を率いての抗議運動を繰り広げました。「ボスニアの水力発電反対運動は、オフィスから現場へと移りました。抗議者は警察の蛮行にも政府の姑息な策略にも屈しません」とナターシャは語ります。

狭い土手を下りて行くと、ダムに空いた人間の大きさほどの穴から、水がチョロチョロと流れ出ているのが見えます。クロアチアの写真家ルカ・トマツと数人の仲間たちは、ダムの壁に描かれた15メートルの壁画を手直しするためにダムの底へとハシゴを設置し、壁の中腹から懸垂下降する準備を進めています。壁画は実物の穴に向かってハンマーを振りかざす女性の姿で、穴の隣には「Sloboda Rijekama!(川に自由を!)」と書かれています。

ボスニア・ヘルツェゴビナのコニツに近いプレンニ山麓の谷に、1959年に建設されたイドバル・ダムは、完成後まもなくひび割れました。バスツィツァ川の威力を侮るべきではないという地元住民の度重なる警告を、投資家も工事作業員も無視したからです。ダムは建設後すぐに廃止され、それ以来ゆっくりと崩壊の道をたどっています。

壁画の修復作業を見守りながら、「女性は地域社会につながり、村を取り囲む自然につながっています」と、ナターシャはつづけます。「女性は自分たちの国と地元資源について、長期的な考えをもっているのです」

水力発電は短期的な思考です。種を絶滅に追い込み、住民を立ち退かせ、気候変動に加担する唯一の「再生可能な」エネルギー源です。バルカン地方の80パーセントの河川は、中央ヨーロッパの大半の流域とは正反対にとても健康な状態であり、バルカン地方に提案されている水力発電用ダムの91パーセントは、ごくわずかのエネルギーしか生み出しません。永続的な生命の源を破壊してまで、そのエネルギーを得る価値があるのでしょうか。

ジェリェズニツァ川では2012年に地元住民がダム建設反対を訴える1,200の署名を集め、投資家が取得した環境上の許可に対する訴訟を起こしました。またダム事業管理会社の脱税問題が発覚し、すべての機材が押収されて競売に掛けられ、さらに事業の継続に必要な環境許可証も最終的に却下されて、ようやく事業主はあきらめました。

クルシュチツァでは、2018年6月に環境許可に対して法廷による無効判決が下されたにもかかわらず、工事作業員が違法に川を渡ってダム建設予定地に入ることを阻止するために、いまも地元の女性たちが橋を見張りつづけています。女性たちの闘いの次なる段階は、サルカン・メルジャニッチ大臣を説得して同川における2 基のダム建設許可を破棄し、いかなる企業や個人投資家の手からも将来的な水力発電事業の進行を防ぐことにあります。

このストーリーの初出はパタゴニアの2018年September Journalです。

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