チャルテン2015~2016年
昨年のパタゴニアの登攀シーズンでは、おもにマーク=アンドレ・ルクレアとアレックス・オノルドと登り、僕にとって最高のシーズンだった。トラヴェシア・デル・オソ・ブダの初登、エル・アルカ・デ・ロス・ヴィエントスの再登かつダイレクトのバリエーション、トーレ・トラバースのほぼワンデイを含む数々の登攀をした。僕の人生のなかで最も成功したクライミング遠征で、これ以上の登攀シーズンはないだろうとマジで思った。
その1年後、自分でも驚きなのだが、今季こそが自己最高のシーズンだと言える。もちろんそれは概して3つの大きな要因(好天、良好なコンディション、優れたパートナー)の結果ではあるが、今年はこれまでに比べてより精神的な強さを感じたとも言える。理由はともあれ、今シーズンは何かピンとくるものがあり、これまでよりずっと自信を感じたと思う。
12月31日、カリフォルニア・ルートの単独登攀
カリフォルニア・ルートの最難ピッチはスーパーカナレタと合流する前の最終ピッチで、それはまた幸いなことにロッククライミング用のシューズをはける唯一のドライなピッチでもある。登攀の全体を通して2本の短い懸垂/テンションを使ったトラバースと、多くのパートでデイジーチェーンを利用した以外は、セルフビレイを取らなかった。これは最も困難なムーブのすべてが良いクラックのある場所だからこそできたことだ。
カリフォルニア・ルートの単独登攀で最後に感じたのは、登攀全体および下降がいかにリラックスし、平静でコントロールされたものだったかということだ。チャルテンは2009年にスーパーカナレタ経由でソロしていた(今回でディーン・ポッターに加わりチャルテンを2度ソロした2人目となった)。スーパーカナレタをソロしたその日は、おそらく最も肉体的かつ精神的に消耗する日だったと、いまも思う。だからそこに戻って劇的に違う経験をしたのは楽しかった。
1月6日、スーパーカナレタを車から車まで
カリフォルニア・ルートのソロの数日後、次の好天の合間のわずか2日前、友人のアンディ・ワイアットが一緒に登ろうとシアトルからやって来た。アンディは僕のパタゴニアのクライミングパートナーに比べてアルパインクライミングの経験がはるかに浅いものの、良い友だちであり山では楽しい仲間だ。また全般的なフィットネスにおいてはかなりのレベルの彼は、フィットネスがカギとなる目標をやろうと示唆した。それは数年前にロロが言及した目標で、町からチャルテンを1日で往復するというものだ。チャルテンではオリジナルのフランス・ルートとそのバリエーションが一般的には最も早いルートだと思うが、雪を考慮してスーパーカナレタを選んだ。
山頂にはシュルントを超えた7時間半後の午前11:14に到着した。これは僕にとってチャルテンの第10登目で、アンディははじめて。アンディはもちろん興奮し、景色をたっぷり楽しんでいたが、僕らの目標が速攻の登攀であることを思い出させ、まもなく山頂に別れを告げた。
下山は素早いとは言えないながらもスムーズで、間もなく僕らはラグナ・デ・ロス・トレスの西側の端でソックスを絞り、ブーツを乾かしていた。40分というのんびりした休憩ののち、ブーツをランニングシューズに履き替え、道路までハイクしはじめた。アイスツールとロープをパックの外側に付け、上半身裸で下着のみを着て走っていたため、トレイルにいた旅行者からは多くの驚きのまなざしを受けた。オステリア・エル・ピラーの道路には出発から21時間8分経過した午後7時23分に到着した。
1月8日、セロ・ソロのエル・ドラゴン登攀
セロ・ソロの北稜には何年も僕が目をつけていたラインがあり、数度ほど試みていた。かなり中度のおそらく5.6くらいのルートだとずっと想像していた。ついに完璧な天候下でロックシューズを履いて登攀できたのはとても嬉しかった。予期に反してルートはずっと困難だった。
パフパフ・コル(弟ブースが発案したオツな名前は、いつか未登のコルにこの名前を付けると僕が約束したもの)からセロ・ソロの山頂までは350メートルの標高を稼ぎ、難易度は5.8Rだが、このグレードはルートの難しさと厳しさを表現しきれていない。それは一部には(しっかりした花崗岩に比べて)岩がもろいこと、僕がセロ・ソロをオンサイトで一切ロープを使わずに登攀したこともあるだろう。しかしとにかく、これは僕がやった最も大胆なフリーソロのように感じた。
1月10日、セロ・フエムル
セロ・ソロのあと、わずか1日の休息を取ったあとの1月10日、アンディとともにまた大きなワンデイ登攀に出た。アンディはあまりテクニカルな登攀をする気分ではなかったので、技術的にはそれほどではないが大きな冒険となるだろうとわかっていたセロ・フエムルへと向かった。それはチャルテン山塊の南端にある幾分孤立した巨大な山で、僕が何年も登りたいと思っていた目標だ。出発の前夜、ロロ・ガリボッティが真の山頂はおそらく未登であることを教えてくれた。興奮するぜ!セロ・フエムルは良いトレイルの長いアプローチを要する山で、僕の興味をそそっていた。トレイルランニングで僕をプッシュしてくれるアンディとやるには恰好の目標だ。
多大な努力を費やし、簡単なガレ場を登高したあとセロ・フエムルのノースサミットに到着した僕らはすぐに、真の山頂がもしかしたら未登であるかもしれないというロロの内ネタを理解した。ノースサミットよりもわずか10メートル高い真の山頂は険しいジャンダルムで、露出感のある脆い岩からなる尾根を200メートルほど縦走しなければならない。ロックシューズもクライミングギアもなく、アンディは真の山頂への縦走に興味が湧かず、僕も当初は同じ気分だった。しかし数分研究したあと、とりあえず試みてみることに決めた。山頂へのトラバースはランニングシューズではたしかにきわどく、僕は脆い岩を時間をかけて進んだが、幸いなことにノースサミットから見たときに思ったよりは容易だった。
1月19日、トーレ・エガーとプンタ・ヘロンの単独登攀
過去5年間トーレ・エガーをどうやって単独登攀するか構想を練ったり、空想にふけったりして多くの時間を過ごしてきた。そして結局ノーマル・ルートに落ち着いた。まずプンタ・ヘロンをスピゴロ・ディ・ビンビ経由で登り、トーレ・エガーの北側をフーバー/シュナーフで登る。トーレ・エガーは技術的に困難で、最初からかなりの部分でロープソロを強いられると理解していた。というわけで僕は2011年、スコーミッシュでロープソロの技術を磨くために北半球の夏期の多くの時間を過ごした。
2本のロープをバックパックに入れたままスタンダルトの東壁のランプ・システムを超え、最初の懸垂のアンカーにバックパックをクリップしているうちに、突然自分のやっていることの深刻さにはっとした。パックを落とすといった簡単なミスがほぼ確実に死に至る。素早くそして簡単にトボガンの最終ピッチを(アグハ・スタンダルトとプンタ・ヘロンのあいだにある)コル・デイ・ソグニのコルまで登ると、ふたたびロックシューズに履き替え、ロープソロを開始するためにラックを整理した。おそらく午前8時ごろだった。
トーレ・エガーの山頂にはノルエゴスを出発した16時間半後の午後5時18分に到達。僕はずぶ濡れになり、疲れ、空腹だったが、この目標のために計画を練った何年ものあいだ、これほど素早く簡単に成功するとは想像だにしていなかった。自分のパフォーマンスには大満足だったが、もちろん長居はしなかった。トーレ・エガーはチャルテン山塊で最も登攀が困難な山というだけではなく、その下降もまた困難なのだ。
コル・デ・ラ・メンティーラ(トーレ・エガーとセロ・トーレのあいだのコルに僕がつけた名前)まで降りる最後から2本目の懸垂下降でロープがひっかかった。それは不運にもこれまでで最悪のもので、完璧に垂直の60メートルの懸垂のあと細い懸垂用ロープを2メートル引っ張ると、動かなくなった。しばらくのあいだ、セロ・トーレの東壁下部を20メートルしかない5.5ミリのロープで下降しなければいけないのではという極度に恐ろしい事態を想像し、人生でももっとも恐ろしい瞬間の一つを経験するはめになった。強引にロープを引いて回収する中で(プリーシステムを設定する方がよかったが、上向きに引っ張るアンカーを設定する場所がなかった)、ロープはいくつかの部分でハデに外皮を失くしてしまったが、それでもついに回収できたときは本当にほっとした。これで比較的普通の方法で下降がつづけられる。
20日、僕はノルエゴスとニポニノのあいだの不安定なボルダーまで下降し、ラグナ・トーレまで長い氷河を下った。ラグナ・トーレの南側のトレイルで観光客を見るまでは、完全にリラックスして自分の達成感を味わうことはできなかった。僕の人生において最大あるいはそのうちのひとつを達成したことを知り、いつも通りiPodの助けを借りてハイクアウトした。