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ウーリー、きみはもういない。

スティーブ・ハウス  /  2017年5月16日  /  クライミング, スポーツ

世界中のクライミングのコミュニティと同じように、パタゴニアも著名なスイスの登山家、ウーリー・ステックが2017年4月30日にネパールで逝去したニュースに深い悲しみを抱いています。アルピニストのスティーブ・ハウスが彼への思いを綴ってくれました。

「ある程度のリスクを冒す価値のある夢もある」
—ウーリー・ステック

ウーリーは僕にとってこれまで、そしてこれからもリーダーでありつづける。彼は改善し、鍛錬し、自分に試練を与え、再発見しつづけるための絶え間ない動機を内に秘めたビジョナリーだった。ウーリーは人生そして登攀についての偉大かつ深淵なストーリーを綴った。彼は自身の人間性、謙虚さ、誇り、そしてエゴをよく知るようになった人間で、この世界では稀な、ある種の体得した知恵をもっていた。彼は僕らに多くを教えてくれた。彼の物語の突然の終焉により、この世界は貧しいものとなった。人生の次の40年でアルピニズムを通して彼が学んだことを、僕らは聞く必要があったのだ。

僕らが山に行くとき、裕福になるためでも有名になるためでも、ましてや見た目の良さや車や大きな家を勝ち取るために行くのでもない。僕らは自分自身を変容させるために、違う人間となって帰還するために登る。そして僕らは未来の未知の自分を現在の自分よりも欲しなければならない。当然、僕らのほとんどは変化を恐れる。それが自分というものの変化であれば、とくに恐ろしいものだ。しかし一度それを実行し、その瞬間は空想的に思えるこれらの探求から帰還するとき、帰ってくるのは変わった僕らだ。それはまさに啓示なのだ。(多くの種の)素晴らしい旅は自分自身、そしてこの宇宙についての深淵な教訓を明かしてくれる。それは僕らが実際に、固まってしまっているのではなく、変わることができること、僕らは違う人間に、さらに良い人間になれるということだ。

アルピニズムの数多くの美学のひとつは大きな外的な動機がないという事実だ。競争もメダルも賞金もない。山を登るのは客観的には無益であるので、ときとして自分の命を含めて、僕らがこれほど献身するためには自己変革の規模が偉大なものでなければならない。

山に登ることは多くのことを教えてくれる。最高レベルのクライミングに挑むために自己を鍛える意欲をもつ稀な人間には、最後には例外なく語り、教え、共有することがたくさんある。

人びとはウーリーには才能があり、彼の能力は生得のもの、天賦のものであると言う。それは完全に間違っている。クライミングにおいてウーリー・ステック級のレベルに到達するには、ほとんどの人間にとって不可能な、一貫性を要する長期のコミットメントが必要だ。彼をそうさせたものは何か、それ自体を学ぶことに価値がある。

アルピニズムには僕らの内にある臆病者を暴露し、真の勇気とはどんなものかを示す力がある。そのお手本は自己啓発の種を保持し、それによって恐怖を克服して、より自由に生きる機会を有する。

人びとがウーリーについて、そしてしばしば自分自身の夢について理解していないと僕が思うのは次のようなことだ。ウーリーは日々、大きな山への彼のビジョンと彼の生き様の関係を理解する重要な一歩を踏んでいた。長期にわたって一貫して。それらの累積した日々の行為が、彼という明確なビジョンをもった人間を作った。わずか6週間前に交換したe-mailで彼はこう語った:「僕らは未だに完璧なアルピニストからはほど遠いと思う」

彼がしてきた一連の過程は英雄的なものであり、それが彼の死をより悲劇的なものにしている。彼は体力的にも技術的に卓越したクライマーによって達成可能なビジョンをもち、明確なリスクにも関わらず、自分自身をそのビジョンを達成させる人間に作り上げた。これは誉れ、尊敬されるべきことである。彼の死の悲劇を計り知れないほど大きくしているのは、彼のその過程がほぼ完成していたということだ。人生の甘い部分以外、彼に残されたものはほとんどなかった。

僕は「愛することをしながら死んでいった」というお決まりの文句の正当性を信じていない。死という事実は、死の状況よりも遥かに大きい。ウーリーが即死したことは幸運だったかもしれないが、その乱暴さは僕に悪夢をもたらす。僕らが記憶しなければならないことは、彼の人生の事実こそだ。

ウーリーのような著名な登山家が死ぬとき、それはつねに事後推測と批判をともなう。僕の意見ではウーリーは公平と言える量を超えた批判を受けている。そしてそのほとんどが人間の不安に根差していると思う。人びとは彼が達成したことが可能であるということを信じなかった。彼ら自身の恐怖があまりにも巨大なため、彼の卓越さと彼が達成したことが可能であることさえも否定するほどだった。または彼が受け入れたリスクが不当であると思った。しかし、この見解はその熟練さを無視し、しばしば何年にもわたる修業を無視したものだ。これらの批判は自分の見解を曲げること、信じることができない人びとによって下された。危険と巧みに冒されたリスクの中にある美を見いだせない人びとにこそ損失がある。

それに、明らかな機会をもった彼が自分自身をあれほどの登山家にしなかったら、それは間違ったことだと思えないだろうか。彼がその知識、そして直感を無視することはどうだろう。 安全という名の下に偉大さを棚で錆び付かせるのはどうだろうか。彼がそうしていたら僕らは皆、彼という恩恵を授からなかったことになる。

悲劇には終わりはない。どれほどの苦しみや悲しみも、願っても泣いても彼を取り戻すことはできない。だったら彼が冒したリスクは何なのか。彼の命を奪ったリスク自体は何なのか。リスクを冒すことは決断で、判断とはその名の通り決断を下すことであり、それはひんぱんに不完全な情報をともなった、生きるか死ぬかの決断である。それは数学ではなく、2+2=4ではない。完璧なものでもない。彼が滑落した理由が何であるかは解明されないだろうが、僕はそのことはどうでもいいと思う。つねに正しくあるというのは単純に不可能であり、人間というものはそうでないからだ。

アルピニストは皆それを知っている。ウーリーは絶対にそれを知り、上手く付き合った。彼はその知識とともに登り、死んだ。これはその正否、または利己的さ、あるいは善行を意味しない。それは単純に人生、そしてアルピニズムそのものなのだ。

「いつまでも頂上にとどまっていることはできず、また降りなければならない……。では、そんなことをして何になる? こうだ――高所は低所を知っていて、低所は高所を知らない。登りながら、いつも道の険しさをよくたしかめておけ。登っているかぎり、その険しさが見える。降りるときには、もう、それが見えないだろう。でも、君がすでによく観察していれば、そこに険しい道があることを知っているだろう」
—ルネ・ドーマル

僕らは毎日自分たちの周囲に偽りの安心感を作っている。僕らは世界を統制し、90歳まで生き、眠っているあいだに愛する者に囲まれて平和に死ぬと信じている。だが僕が知っている世界はつねにずっと予測不能で、冷酷で悲劇的なものだ。それはまた僕らがしばしば讃える美とひらめきをもたらす。しかし僕らは気に入らないものは押しのける。悲劇が現実のものとなると、そして自分のものとなると、それを嫌う。僕らは舞台や画面で見る偽の悲劇を好む。

では本質的に悲劇的な世界で現実をどう生き、どう向き合うのか。どうしてふたたび外へ出て登り、または生き、不完全でいずれは間違いとなる判断を下すのか。そしてその過ちは潜在的に大きな代償を課すときはどうかなのか。僕らはリスクが存在することを認める必要がある。そしてこの受け入れ難い酷い事実を僕らに教えるために命を失う人びとをもっと尊敬し、崇拝すらすべき必要がある。彼らについて考え、彼らの物語を語り、笑い、記憶する必要が。なぜなら彼らは僕らが存在するかぎり、存在しつづけるのだから。

僕はウーリーを知っていたことを幸運だと感じる。彼が彼なりの生き方をしたことで世界はより良い場所となった。彼の人生の活力は強烈で、そのビジョンは遠大だった。最近では僕は彼の人間性に惹かれていた。彼は人といるときに自分の弱みを隠さなかった。それは稀な強さと感受性を要することだ。僕らには彼のような人、生身の英雄が必要なのだ。僕らは偉大さにひらめきを受ける必要がある。自分の取るに足らない恐怖に対するためにウーリーの助力が必要なのだ。僕らは自分の夢にしたがって生きることは真に何を意味するかについて彼に示してもらう必要がある。

ウーリーは僕らの社会を成形し、そして人間として何が可能であるかをまず見い出し、それを体現することによってクライミングというスポーツをより良いものに成形したと思う。対立が絶えない世界において良い模範をともなう善意のあるリーダーシップは稀に感じられる。それはごくわずかの人間が達成できることだ。ウーリーはそんな種類のリーダーとして生き、死んだ。ウーリー、ありがとう。僕らは自分自身の偉大さを生きたきみに決してお返しすることはできない。

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