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サード・レッジの物語

ショーン・ドハーティ  /  2018年9月7日  /  サーフィン, スポーツ

6年前のことだ。かの有名な波がクラウドブレイクのサード・レッジでブレイクした。珊瑚礁を引き剥がしながら一気に駆け抜け、その威風堂々ぶりにサーファーたちは誰も乗れずに命からがら逃げ散った。その後、ひとつの問いが海霧のように周囲に漂った。最後の波がラグーンを洗って海へ引き返し、水が泡立つような音を立て、珊瑚の欠片は海底へと押し戻されていき、心拍数が安全なレベルへと落ち着いた頃、その波を見ていた誰もが抱いたひとつの思い。もしまたクラウドブレイクで同じ波が起きたら、それに乗ることはできるのだろうか?

6年前、コール・クリステンセンはその波に向かってパドルしていた。

そいつがリーフから抜け始めても、僕は振り返ってラモンを見ることすらできなかった。後ろにいないか、必死にしがみついているかのどちらかだと思っていたから

「あの頃の僕は、あの波を捕まえられなかったことに腹を立てていたと思う」とコールは振り返る。「チャンスはあったと本当に思っていた」しかし実際は、誰にもチャンスなどなかった。その波はクラウドブレイクの神秘的な場所、サード・レッジでブレイクした。コールや他のサーファーたちがいた場所に達した時には、リーフの海水すべてを巻き上げ、スウェルというよりもむしろ津波のような勢いで、しかも完璧な形は維持したまま動いていた。うっとりするような波。まるで異次元に繋がるワームホールだった。誰も捕まえようとせず、捕まえることもできなかった。コールも、他の誰も。ケリー・スレーターはこの波がヒットした時、ボートの上でワックスを塗っていたが、ボードを下に降ろし、代わりにビールを手に取った。それは、乗り得る波ではなかった。

コールは過去10年間で何度もフィジーに行き、クラウドブレイクの名だたるスウェルはすべて乗ってきた。しかし、後悔と安堵の間でこのハワイ人に眠れぬ夜を過ごさせているのは、捕まえられなかったあの波だけだ。「波は巻いていたけれど、実際の波はさらに数百ヤード深かった。そのウォール全体がリーフの湾曲に沿って広がっていったんだ。僕はちょうどリーフの湾曲している場所にいて、テイクオフするには最悪な場所だった。でも、どうにかしてあのリーフの上でテイクオフできていたら…」私と話している時でもコールはあの波のことを考えている。コールは開拓者で、サード・レッジは広大な未開拓地なのだ。

「僕は未来を心に決めていた。あそこでどんな波なら乗れるか、誰にも分からないから。ただあの場所では、エントリーポイントを見つけられなかった。もし、またあの波が起きたら、パドルインしてみるつもりだ。でも、条件が悪くて、パドルインできないと思えば、トウインしてもいい。あの波に乗れたら最高だろうな」

2018年5月、コールはチリへ向かった。友人のラモン・ナバロやグレッグ・ロングと共に、プンタ・デ・ロボスでビッグ・ウェーブ・リスク・アセスメント・グループのトレーニングコースを開催し、新世代となるチリのビッグウェーブサーファーたちと活動するためだ。しかし、チリに着いた5日後に、フィジーの波の予報が出てきた。

「ずっと、それが起きればいいと願い続けてきた」とコールは言う。「でも、同時に起こらないことを願ってもいた」コールはチリにいたし、トレーニングコースの運営もあった。その上、彼には妻と14カ月の子どもがいるのだ。「予報が更新されるたびに僕たちはチェックした。その内容に問題を探して、あの波が起こらない理由を何かしら見つけ出そうと必死であら探しをした。なぜなら僕たちには予定があったからだ。でも、結局何も問題は見つけられなかった。しかも2つのスウェルが予想されていた。金曜日のスウェルと、さらに大きな日曜日のスウェルだ。」

最終的にはグレッグが「チームのために苦労を引き受ける役」になってコースを1人で運営し、コールとラモンを解放することになった。2人は何年もの間、一緒にいくつものスウェルを追ってきた。ラモンは6年前にフィジーのあの場所にいて、あの日一番の波のひとつを捕まえていたから、フィジーに戻ろうと説得するまでもなかった。コールのボードはハワイの自宅に置いてあったが、それらを飛行機でフィジーに送る手配をした。ラモンのボードを荷造りしながら、ラモンのトウインボードを持って行くべきかを話し合った。

「それまで長い間パドルしかしていなかった」とコールは言う。「でも、僕たちは話し合った。もし波の状態が大きくて普通じゃなかったら、トウボードを使おう。ああいう波に乗れないなんて、もう二度とごめんだ。あの波の上でパドルしているだけの僕たち。そんな光景をもう一度見るのは耐えられなかった。僕は何年も、その光景に苦しみ続けてきたんだ」

金曜日のスウェルは肩慣らしだった。スウェルは徐々に大きくなっていき、オーストラリア人のダン・ロスやローリー・タウナーと共に波に乗った。日が暮れる直前には15フィート(4.6メートル)のセットが南太平洋から打ち寄せ始めていた。チャートが正しければ、日曜日のスウェルはさらに10フィート(3メートル)大きくなる可能性があった。そうなれば、過去クラウドブレイクで誰も見たことのない、最大の波になる。スウェルが非常に大きかったため、地元のサーファー、ユリ・クロップは安全策をまとめた。3台の専用レスキュースキー、3人の経験豊富なドライバー、チャンネル内に待機する医者、そして避難プロトコル。「安全性の面で言えば、最高レベルが設定されていた」とコールは話す。

日曜の朝は大きな波と共に明けた。しかしスウェルは、吹きすさぶ風と雨も連れて来ていた。誰も波に乗っていなかった。パドルするには荒れすぎていて、サーフィンが可能かどうかを見極める唯一の方法は、ジェットスキーで沖に出てトウインすることだった。「僕はラモンに言ったんだ。今から沖に出て、何本かトウボードで乗ってみよう、とね。僕にはそれが正しいことに思えた。というのも、僕はまだ、あの日逃した波のことを常に考え続けていたからだ。トウインするしかなかった。他の方法は考えられなかった。自分が乗りたい波のことをよく分かっていたからね」

しかし、午前中の半ば頃にはスウェルが最大に達したように見え、風も収まり、日が差し始めた。インサイドでは、最初の数人がパドルアウトし始めた。そうしている間にコールとラモン以外にはアウトサイドでトウを続ける人はいなくなり、時間を浪費しているのではないかと2人は不安になり始めていた。

僕たちはアウトサイドで1時間待ち、やがて2時間になった。ラモンは海中で寒さに震えていた。僕は無線でテビタにインサイドの状況を尋ねた。パドルインで何本かいい波に乗っている、と彼は言った。僕たちは正しい選択をしているのか、と考えていると、ラモンが「戻ってパドルにしよう」と言った。「落ち着けよ、ラモン」と返した。待ち始めてから数時間が経ち、何セットか来ていたけれど、僕たちが望む波はまだ来ていなかったからだ。

ようやくその波がやって来たが、本当にその波なのかどうか、判断が難しかった。「トウインサーフィンの経験はあまりない。でもカイトサーフィンの経験は豊富だ。カイトする時には水深の深い場所から始める。その時、自分の下で深い水のうねりを感じるんだ。45分間隔でくる大きい波をいくつか見たのを覚えている。でも、あの波には特別な何かを感じた。僕たちは100ヤード(90メートル)ほどリーフから離れていた。あの波はそこで膨れあがった。直観的に、引っかかる何かがあった。他の波よりもずっと長い壁になっていた。特別な何かがあり、これだ、と感じた。その波がやって来た時、僕はラモンと話している途中だったが、「行くぞ!」と叫んだ」

スウェルはすごい速さで進んでいて、海面は荒れていた。風向きが急に変わり、ジェットスキーから落ちないようにしっかりと押さえつけたのを覚えている。そいつがリーフから抜け始めても、僕は振り返ってラモンを見ることすらできなかった。すでに後ろにいないか、必死にしがみついているかのどちらかだと思っていたから。近づくにつれて、リーフの方に多くの人がいるのが見えた。そして波が盛り上がり始めるのが見えた。僕がラモンに最後の合図を送ると、ラモンはロープを離し、波の中に消えて行った。彼の姿が見えたのは、そこまでだった。

僕がサーファーたちの方に戻る途中、叫び声を聞いたのを覚えている。それはマイク・ピーチだった。リーフの湾曲を迂回している時に彼の声を聞いた。それから突然、全員が熱狂し始めた。その時、僕は奇跡のようなことが起きたのだと知った。ラモンの所へ行くと、彼は感情を爆発させていた。大興奮だった。僕が見つけた時には、ケリー・スレーターとハグしていた。それから僕にハグすると、笑いながら言った。「ありがとう!俺たち、やったぜ!成功だ!」僕は文字通り、感極まり、体力的にも疲れ切って、限界に達していた。僕も冷静さを失った。それ以上は堪えられなかった。僕はボートに戻ると、何本かのビールを開けた。

「ちょっとした結末を迎えたと思う。最近では、僕よりももっとハングリーな若い子たちが大勢いる。あの波を捕まえた後では、こう思っているんだ。世界には他にもたくさん波があるし、次のスウェルでは、どこか別の場所へ行くこともできる、と。でも、そうは言っても、僕は多分戻って来るだろう。僕たちはトウインしたけれど、パドルインできたらクールだろうからね」

コールはすでに考えに耽り、頭の中であの波に乗り始めていた。彼は今でもあの波に取り組んでいる。「でも、波がリーフから遠く離れた場所でブレイクして、しかもブレイクと同時に曲がるんだ。あそこで入ることができるかもしれないが、あのコーナーを回って行くのはなかなか難しいだろう。でも、世の中に「絶対」はないからね。不可能だとは言いたくない。でも今は、誰かを乗せてあの波が巻いている写真を見ることができて、ただただ嬉しい。しかもそれが僕のバディで、僕たちはそれを成功させる使命を持ってチリから来たのだから」

海での安全確保に努めてくれたユリ・クロップとテビタ・グキラウ、およびフィジーの人々のホスピタリティに感謝をこめて。

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