少年の目に映る海
ハワイのモロカイ島とオアフ島の間に広がるカイウィ海峡。「遺骨の海峡」とも呼ばれるこの荒海を横断するパドルボードレース Molokai 2 Oahu(M2O)は、渡る者の限界を試す究極の挑戦として知られている。2025年7月、阿出川龍ノ介は、この M2O を含む世界最高峰のダウンウインドフォイルレースシリーズ「トリプルクラウン」に最年少で挑み、全レース堂々と完走した。大人でも難関とされる過酷な海峡横断を、13歳にして成し遂げたのだ。
龍ノ介の祖父は、日本のサーフィン黎明期を支えたパイオニアであるテッド阿出川。父は千葉県九十九里でオーシャンスポーツの拠点 TED SURF を営む阿出川潤だ。龍ノ介にとって海は幼い頃から身近な存在だったが、本格的にオーシャンスポーツを始めたのは小学5年のときだった。TED SURF に集まる人たちと波に乗るのが楽しくて、SUPにのめり込んでいったという。
「SUPで初めて大会に出たとき、その緊張感に惹かれてもっと上手くなりたいと思ったんです。数ヶ月後に宮崎の大会に出場したときは勝てると思ったのに負けてしまい、悔しくて一日中泣きました。まだまだ足りないところだらけだと痛感して、それ以来どうしたら勝てるか考えながら練習しました。次の大会では優勝できて、努力すれば必ず成長できると分かり、練習が楽しくなったんです」
海と向き合う時間が増えるほど、楽しみ方も広がっていった。龍ノ介はSUPだけでなく、その日の風や波に合う道具を選び、さまざまなスタイルで波乗りを楽しむようになっていく。そして彼の好奇心は、初めて訪れたマウイでさらに大きく膨らんだ。マウイでは、フォイルサーフィンやウイングフォイルはSUPをしのぐ勢いで盛り上がり、多くのキッズが驚くほどのレベルでオーシャンスポーツを楽しんでいたのだ。
マウイのキッズたちと仲良くなればいい刺激になると思い、私は年齢の近いマーリー・フランコやキャッシュ・ベルゾラを紹介した。彼らはいつも龍ノ介を海に誘ってくれ、龍ノ介は一緒に波に乗れるだけで楽しそうだった。まだ同じトリックはできなかったが、必死に追いかけるように乗りながら、「来年は同じレベルでセッションできるようになる」と心に誓ったという。
翌年の冬も、龍ノ介は父の同行なしで1ヶ月マウイに滞在した。母のサポートはあったものの、道具の準備から出艇判断まで、すべて自分でやらなくてはならなかった。この期間の経験が、前年以上に彼を成長させたのは間違いない。
忘れ物をして海に出られず悔しい思いをすることもあったが、その度に準備を徹底するようになった。どの道具で出るか、波が大きい日にどう動くか、安全の確保やバックアッププラン、ギアブレイクへの対応まで、すべて自分で判断する必要があった。テクニック以上の力を身につけ、12歳の少年がここまで主体的に動けることに、私は敬意すら覚えた。
しかし、成長したつもりで戻ってきたマウイでは、仲間たちはさらに上のレベルへ進み、世界のトップに近づいていた。龍ノ介は「もっと頑張らなくては」と痛感し、それが大きな励みになったという。仲間たちの目標が自分の目標にもなっていった。そして、トーインでのダウンウインドを体験したことで、海峡横断レースへの情熱が一気に燃え上がる。まだ本格的なダウンウインド経験はなかったが「次の夏はマーリーたちと一緒にレースへ出る」と心に決めたのだった。
日本に戻ると、地元の千葉にはダウンウインドをする人は全くいなかった。
「YouTubeで動画を真似しながら、SUPフォイルボードで沖に出て、パンピングで河口まで戻る練習をしました。冬は寒くてつらい日もあったし、荒れた海に一人で出るのが怖いこともありました。でもサボったら後悔すると思って、決めたことは全部やり切りました」
この頃、彼の家族からM2Oに出場したいと相談を受けた。技術は十分でも、経験ゼロでの挑戦には、私は正直賛成できなかった。M2Oはスキル以上に、精神力と持久力が求められる。12歳が一人で海に出て、ペース配分や苦しい時のメンタルをコントロールできるのか不安があった。私はまず、マリコランやM2Mで経験を積み、1年かけて準備する方が良いのではと伝えた。準備の過程で身につく精神力こそM2Oの醍醐味でもある、とも。
しかし、龍ノ介の気持ちはすでに決まっていた。それなら、と私は、できるだけ早くマウイに入り、現地のダウンウインドを乗り込んで経験値を上げること、そして日本では工夫しながらできることをすべてやるように勧めた。
彼は以前よりもさらに練習を増やし、ランニングや階段ダッシュで心肺を鍛え、より小さなフォイルでも平水面で浮けるように練習を重ねた。思いつくことは全部やり、地道な努力を積み上げる日々。それでも、本当に完走できるのかという不安は残り、長距離の練習コースを探して試した。
「白里からいすみまでの30kmを2回トライしました。1回目はゴールできず、2回目は3時間もかかってしまって……。本来は1時間半でゴールしないといけないのに。今のままじゃダメだ!と落ち込みました」
挫折や悔しさを味わいながらも、そのたびに練習へ向かい、半年後には確実に力をつけていた。
6月、龍ノ介は母と妹とともにマウイへ渡り、初めてマリコランを経験した。最初の模擬レースではほぼ最下位。落ち込んだのも束の間、マウイは風が強い日が続き、1日に15kmのランを3本練習する日もあった。仲間のアドバイスを素直に吸収し、ギアを試しながら、海へ出て、また戻り、そしてまた乗る。仲間が誰もいない日でさえ、母にシャトルを頼んで一人でマリコベイへ向かった。積み重ねた練習の成果が表れ、数週間後にタイムは20分も縮まっていた。
「YouTubeで見ていたターン連発のスタイルと、現地の直線的に速さを求めるレースモードは全然違っていて……。焦って真似したら、フォイルを替えるだけで走りまで自然と変わり、スピードも出たんです」
その成長ぶりは驚くほどで、私は嬉しさと誇らしさと、少しの羨ましさが入り混じった複雑な思いで彼を見ていた。数週間で表情が大人びて、言葉の端々から覚悟と冷静さがにじんでいる。最初のレースが始まる頃には、彼はすべてのレースをやり遂げられると確信した。
レース月間と呼ばれる7月。まだ完成形には遠いものの、龍ノ介は少しずつ心と体をレース仕様へと整えつつあった。毎週末のレースを終えるたび、目に見えて逞しさが増していくのがわかる。初戦はオアフ島のVoyager Race(オアフ20km)。予想以上に荒れた海面に多くの選手が苦戦する中、龍ノ介はスピードよりも確実さを選び、61位でフィニッシュ。千葉のバックウォッシュ地獄で鍛えられたおかげで対応できたと彼は振り返る。
2戦目のPaddle Imua(マウイ15km)は43位。何度も練習したコースだったが、最後のパンピングは心臓が破れそうだったという。それでも落ちずに最後まで繋いで堂々とフィニッシュした。続く3戦目のMaui2Molokai(42km)は82位。初めての島から島へと渡る長距離だ。
「外洋の大うねりがダイナミックで、めちゃくちゃ楽しかった。でもフィニッシュした後に余力が残っていたから、もっと攻めればよかったと少し後悔しました」
モロカイ島に着き、長距離を走り切った興奮が冷めないまま、1日だけ休息を挟む。そしていよいよ最終戦——M2Oへ挑む日を迎えた。
屈強な大人のウォーターマンでも簡単には渡ることのできないカイウィ海峡で、龍ノ介は終始堂々としたライディングで最後まで乗り切った。
「スケールが半端じゃなかったです。サポートボートでスタート地点に向かうとき、YouTubeで見ていた世界が目の前に広がって感動しました」
荒れたバックウォッシュで、バランスを取るのも難しい。それでも、何度も繰り返したポップアップ練習が力になり、速いスタートを切ることができた。中盤は予想以上の大きなうねりで、安全に繋げることを優先して大きめのフォイルを選んだため、スピードは妥協。その選択を少し後悔しながらも、初挑戦の今年は「完走が最優先」と切り替えた。チャイナウォール付近では思い切ってインサイドラインを選び、最後まで落ちずにゴールまで突き進んだ。
「応援の声が聞こえて、みんなのためにも頑張らなきゃって思えました。ゴールしたとき感じたのは、最高に楽しかった、という喜びと、自分一人じゃ絶対に完走できなかった、という感謝でした」
大会最年少での挑戦。104人中64位、シリーズ総合58位。日本人では最高位。期待以上の大健闘だった。そしてゴールの余韻もそこそこに——疲れきって座り込む大人たちを横目に、龍ノ介はショートボードを抱えてアラモアナボウルズへ向かった。その回復力と、海への純粋で無邪気な欲求。13歳の身体に宿る底知れないエネルギーに、私は感動してしまった。
龍ノ介はレースを終えてマウイに戻ったあと、ボボ・ギャラガー(マウイ在住の16歳、ウイングフォイルのトリプルクラウン王者)に誘われ、ほとんど無風のなかでのダウンウインドに挑んだ。
こんな無風でやるの?と思いながらも、必死にうねりを繋いで走るその難しさが、逆に楽しかったという。そのとき、龍ノ介は気づいた。トップ選手は誰もやりたがらない条件で練習しているからこそ強くなる。ならば、完璧なコンディションじゃない千葉でも同じことができるじゃないか。彼はそう確信し、勇気をもらったと話した。あえて厳しい条件で練習することこそ上達への近道。それを13歳で理解したことに、思わず唸らされる。
「来年は30位以内を目指しています。今回の順位の半分に入りたい。待ちきれないくらい楽しみです。今すぐもう1回やりたいくらい」
サップフォイルでの海峡横断だけでなく、ありとあらゆる海のスポーツを楽しみながら、さらに上を目指したいと龍ノ介は目を輝かせた。次のトリプルクラウンまであと半年。限界を作らずにどんなことでも挑戦し進み続ける彼の前には、無限の可能性と果てしなく大きな海の世界が広がっている。