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21世紀のチャスキ

ルシア・フローレス  /  2022年11月2日

1人のトレイルランナーが、ペルーの聖なる古道を走り、インカの遺産を体現する。

全ての写真:Diego del Río

ペルーのクスコから1時間、インカの聖なる谷と呼ばれるサクレッドバレーの頂上に、ラッチアイリュはある。標高3,600m、白い雲に包まれ、ほかの街から隔絶されたこのアンデスの集落には、住民にとって欠かすことのできない先祖代々の遺産がある。それは古道だ。

この古道は、別名を「カパックニャン」(ケチュア語で「偉大なるインカの道」)と呼ばれ、先コロンブス期のどの文化よりも発達した通信網を確立し、インカ文明の柱として、その役割を果たした。この古道は徒歩で移動するための道として、さまざまな人々に利用され、アンデス山脈と太平洋沿岸を結び、多様な地域、生態系、生産物を結びつけた。当時、インカ帝国が、つながりを保ち、そのアイデンティティと権力を確固たるものとして維持できたのは、これらの道があったからだ。

そのアイデンティティは、伝統と精神性を通じて、今もなおアンデス文化に息づいている。アンデスの世界観では、神々や崇拝の対象は地上にあり、五感を通して体験することができる。それは太陽(インティ)であり、月(キラ)であり、そして人々がアプスと呼ぶ聖なる山々だ。ケチュア語で「アプ」は「主」を意味し、人々、動物、さらには穀物さえも見守る守護的な存在となる。四季を通して山々が変化する様子を眺め、時間をより周期的に捉え、アプスを崇拝している。過去に基づく他の信仰体系に対して、この信仰体系は現在に軸をおき、人々を現在につなぎ止めると言われている。アンデスの山々での暮らしには、このような違いがあるのです。

自然のバルコニーと雄大なアプスの間にある神秘的な集落であるラッチアイリュに、サトゥルニーノ・アイマ・ブラボ(62歳)は暮らしている。近所の仲間や同僚に「エル・チャスキ」として知られる彼は、数々のメダルと記録を保持するランナーだ。サトゥルニーノには、祖先と同じようにインカの古道を旅するための技術を備えている。そして、彼は走ることを通じてこの土地に暮らし、先祖の遺産を生かし続けている。

ケチュア語でチャスキは「与え、そして受け取る人」を意味する。この称号は、インカ時代に重要な情報をさまざまな町や要塞に伝える帝国の使者に対して使われてきた。これらのランナーは、古道をものすごい速さで駆け巡った。チャスキは文字通り、インカ帝国のソーシャルネットワークだったが、だれもがこの称号を獲得できたわけではない。

帝国内では、最も相応しい者が選ばれ、役割を与えられた。農民、牧場主、織物職人、そしてもちろんチャスキも。「インカ時代、チャスキはとても重要な存在でした」サトゥルニーノの息子ケネディは言う。「彼らはタンボスという戦略拠点に配置され、リレー方式で走ります。こうしてメッセージは目的地に迅速に届けられました」

帝国の正式な使者になるには、身体の健康以外に多くの条件があった。チャスキには、情報を伝達する優れた記憶力、土地勘の良さ、地理の知識も必要だった。アンデス山脈を歩いたことのある人なら分かると思うが、呼吸困難にならないように適切なリズムを保つことが必要なのだ。この地で、走ることは簡単なことではなく、サトゥルニーノはそれをよく理解している。

走ることで生計を立てられると思ってもみなかった。長距離を短時間で走ることは生活の一部だったが、40歳の頃に専念するようになった。ラッチアイリュで生まれ育った彼の集落には学校も舗装道路もなく、毎朝授業に出るためにサトゥルニーノや友達は、標高3,000m近いワイリャバンバの集落まで、古道を5kmも走らなければならなかった。これがアンデスに住む多くの人々の現実だ。通学に要した時間は10分と彼は記憶している。現在の多くのマウンテンバイカーが要する時間とほぼ同じ。「川で顔を洗い、サンダルを脱いで、教室に入る。私のランニングストーリーはたぶんそこから始まった」彼はそう振り返る。

時が経ち、サトゥルニーノの脚は仕事の原動力になった。田舎暮らしであるがゆえに、意図的でないにせよ、常に行っている農作業がトレーニング代わりとなった。「サトゥルニーノ、トウモロコシ畑まで行っこい」と言われては5kmほど走った。その後、「サトゥルニーノ、牛を集めろ」と言われると、さらに7km走った。インカの古道を走ることは日常生活の一部であり、祖先の知恵と技術を身体に刻み込んだ。大人になり、結婚し、4人の子供を授かり、集落のほかの住民と同じく農業に従事するようになったある日、友人たちとの賭けが彼に新たな扉を開いくこととなった。

「僕らは走らなければならないし、みんな走るんだよ」2001年1月、集落の恒例行事であるマラソン大会に参加するよう友人がサトゥルニーノを勧めた。皆より少し年上で、やや準備不足だった彼は、最初はためらっていたが、ついに降参した。そして見事に優勝した。この体験と、その時に感じたスポーツとのつながりが、彼の人生に充足をもたらした。それ以来、チャンスが次々と訪れるようになった。クルズパタ集落の10kmのレース、この地方で最も有名な長距離ランナーと一緒に走れるウルバンバのレース、ピサックからウルバンバまでを走るマラソン。彼は常に5位以内に入った。サトゥルニーノの潜在能力は輝きを増していった。そして彼の人生を変え、その称号を授かることになったのが、2003年の「インカトレイルマラソン」である。

当時、このレースはまだアンデスの象徴的なルートで開催されており、サトゥルニーノはこの挑戦に強く心を揺さぶられた。全長約38kmのコースは、標高4,000mを超え、通常なら徒歩で4日間かかるところを、10時間以内で走破することが期待されていた。この道は高地をアップダウンしながら、多様な生態系を走り抜けるのに加えて、ただでさえ高い標高差を克服しなければならず、世界で最も過酷なマラソンの一つになっている。そのレースに、世界中からのプロアスリートが集まり、多くのランナーがランニングシューズを履く中で、先祖から受け継いだこの土地で数世紀にわたる経験から得た自信を携えたサンダル履きのサトゥルニーノが登場した。

同名の聖なる遺跡があるマチュピチュ区のコリワイラチナで軽い朝食をとった後、レースは始まった。最初の区間で、サトゥルニーノは5番手だった。気にすることなく、彼は登りに差し掛かるまで安定したペースを維持した。インカの古道の最高地点であるワルミワニュスカ(ケチュア語で「死んだ女性」)に差し掛かると、レースは一転した。「私は1人、また1人とランナーを追い抜き始めた…最後の山頂に着いたのはたった5人」と彼は言う。パカイマユに到着したのは3人だけ、さらにレース中盤にはわずか2名しか残っていなかった。彼の前には1人のランナーしかおらず、勝利は近かった。しかし、彼にはまだ耐えなければならない核心部があった。

マチュピチュに向かう途中にある堂々たる遺跡、ウィニャイワイナに下る途中で、サトゥルニーノはリタイアを考えた。脚や胸が震え、息が切れた。携行しているのは、コカの葉だけ。先祖のチャスキたちは、これを飢え、渇き、集中力の欠如を解消するために使っていたものだ。最後まで走り続ける勇気が出ない。しかし、彼は持ちこたえた。サトゥルニーノ・アイマは42歳にして、4時間26分という驚愕のタイムで優勝を果たした。

「テープを切るまで、運が味方してくれた」彼は興奮気味に説明する。「優勝できたことは、人生ではじめてのことであり、私の誇りです」

このレースによって、サトゥルニーノはエル・チャスキの称号を授かった。彼はインカ帝国の使者ではないが、現代のチャスキは高山地帯を走るランナーで、トレーニングであれ、日々の活動であれ、移動にインカの古道を使い続けている。インカの有形遺産の大半は、現存する建築や技術的偉業を通じて受け継がれている。段々畑、灌漑用水路、もちろんトレイルネットワークも、先祖の遺産を運ぶ生きた文化の証だ。そして、これらの道を走ることも、同じ遺産の一部である。

エル・チャスキはインカの古道の伝説となった。レースの優勝をきっかけに、彼はこのルートのポーターとして働くようになった。ガイドや旅行者が写真を撮らせてくれと近づいてきたり、チャスキの起源について現代版チャスキの口から聞きたいと頼まれたことを、彼は誇らしげに思い出す。

現在も、サトゥルニーノは自身の小さな畑を目指して走っている。家族を養い、世話をすることが今の彼のモチベーションだ。毎日、トウモロコシ畑の手入れに行く時は古道を通りながら、彼は今も、このインカの古道の技術に、側壁の曲線や路面の敷石、祖先が野宿した洞穴にさえ、驚かされている。「これらの石は父親と同じように尊敬に値する」彼は熱く語る。

これらの古道は、敬意と崇拝の象徴だ。この道と共に生き、この道を使うことは、過去を蘇らせ、古代インカの人々がこの道に刻んだ足跡を称えることになる。この古道は、考察のための遺跡ではなく、過去を現代へもたらす入口であり、大地の精神性にしっかりと錨を下ろすものなのだ。これらの古道を残していくことは、インカの人々の肉体労働に敬意を表し続けることであり、後世の人々のために維持できるかどうかは、今の世代に委ねられている。「古道を歩くと、私は平和を感じる」サトゥルニーノは言う。

それでも、その荘厳な景観と古代技術のユニークさにもかかわらず、ラッチアイリュの現実は変わろうとしている。集落の近くではチンチェロ国際空港が建設され、さらに多くの観光客が聖なる谷とその主要な観光地であるマチュピチュへ訪れることになる。色鮮やかな丘陵は工事のために平らにならされ、長年続いてきたこの土地の生活様式を脅かしている。

アイマ一家は心配している。この空港の建設によって雇用が生まれるが、長期的な視点でみると、人々はこれまで支えてきた生活から切り離され、繁栄という幻想は崩れるのではないかと。

そのため、彼らは伝統を維持するための場を作ろうと必死になっている。ラッチアイリュ集落の記念日である、毎年1月4日、エル・チャスキの子供たち、甥、親族一同は、彼の走ることの原点である伝統的なマラソン大会に参加する。サトゥルニーノはコーチとして、コースや息切れしないためのヒントを与え、その一歩一歩が祖先の足跡をたどることを思い出させる。彼は自分の役割を、自ら模範となって、この古道を走ることの重要性を示すことだと考えているのだ。サトゥルニーノを通じて、インカの遺産は、次世代のランナーへ引き継がれている。

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