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様々な繋がりに支えられた4か月の家族クライミングトリップ

横山 勝丘  /  読み終えるまで10分  /  クライミング

川遊び、ときどき岩登り。より深く自然を感じるためか?体に身に付けるものを極力排除するのが彼らの流儀らしい。写真:横山勝丘

2010年5月7日。4日間をかけて標高差3000mにおよぶ未登の南東壁を登り切ったぼくは、パートナーの岡田康とともにカナダ最高峰ローガンの山頂に立った。それはまた、妻の千裕と一緒に回った北米のクライミングトリップの終わりを告げる瞬間でもあった。春のアラスカ登山から始まり、カナダ・アメリカ本土に南下して、あとはひたすら冬が来るまで様々な岩場で登り続けた。

様々な繋がりに支えられた4か月の家族クライミングトリップ

2010年5月4日、ローガン東峰山頂にて。写真:横山勝丘

冬が来たらカナディアン・ロッキーのキャンモアにベースを移し、それからは雪と氷と戯れる毎日。その勢いはローガンまでの14か月ものあいだ絶えることなく続いた。だけどそんな勢いを保つことができたのも、現地でぼくたちと合流した友人たちや、岩場の片隅で知り合ったクライマーたちのおかげだ。クライミングという行為がその距離を縮めてくれるのだろう、彼らの親切や励ましには本当に助けられた。

いつかまたあんな時間を過ごしたい。その願いは持ち続けていたが、帰国後は日々の暮らしに追われて時間だけが過ぎていった。家族を取り巻く状況も随分と変化した。2012年8月に長男が、2015年1月には次男が誕生した。2人の息子たちとの行動がドタバタになるのは目に見えているし、ポンと身一つで出かけられるような金銭的余裕など我が家にはない。それでも最終的にぼくたちを動かしたのは、「クライミングのことだけを考えて生活する」というシンプルな時間を求めていたからに他ならない。それをしたからと言って、なにを得られるわけでもなにが変わるわけでもない。単に、その空間に身を置きたかった。息子たちには、両親が心の底から愛しているものを一緒に行動して見て体験してほしいという思いもあった。とは言え、そのまっとうに思える理由も結局は、親のやりたいことをやるための言い訳かもしれない。

長男が小学校に入るまでにはと、話を少しずつ具体化させていった。「最低でも半年は行きたい」という当初思い描いていた壮大な夢は、日々のせわしない生活やぼく自身の身勝手なクライミングのプロジェクト、はたまた懐具合の寂しさなどからどんどん延期、縮小を余儀なくされた。最後の最後まで「本当にこの旅は始まるのだろうか?」と他人事のような目で懐疑的に進展を見ていたものだ。最終的に期間は4か月間、行き先はアルゼンチンのパタゴニア、フランスのフォンテーヌブローと落ち着いたが、この決定にはかなりの部分で妥協があることは否めない。

パタゴニアでは今回で6度目となるぼく自身のフィッツロイのプロジェクトに家族を巻き込むという魂胆がみえみえだし、我が家でフォンテーヌブローに出かけるのもこれで5度目。どちらも勝手知ったる場所で、快適そのものの家を借りての生活。新しい場所に出かけるワクワクやドキドキも、アドベンチャラスな匂いもほとんどない。それも結局のところ、ぼくと妻のクライミング欲を満たすためだった。旅と言えども、求めるのはあくまでもクライミングをベースとした旅。未知は旅を面白くする大切な要素だけど、それを求めすぎて結局ろくに登れないというのは何としても避けたかった。ともあれ2018年1月15日、ぼくと妻は5歳と3歳になる息子2人を引き連れて日本を発ったのであった。

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贅沢な景色のなかで、贅沢なクライミング。写真:佐藤正純

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家のすぐ裏にはたわわに実るサクランボが。写真:佐藤正純

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おもちゃがなくたって子どもたちは自然の中で勝手に遊びだす 。写真:佐藤正純

結局、ぼくにとってのもう一つのメインイベントであったフィッツロイ・トラバースはトライすることなくパタゴニア滞在を終えることになった。長時間山に入れるような好天周期は最後まで訪れず、街の裏で家族と一緒にボルダリングやスポートクライミングをして過ごす時間が多かった。だけど4か月の旅を終えて帰国したときに長男に聞いたら、フィッツロイのお膝元、エル・チャルテンで滞在した日々が一番楽しかったとのこと。家のそばにはたわわに実ったサクランボの木があって、それを摘んでジャムを作った時間と、街の裏手にある小さなルートの岩場でトップロープを張り、それを使って大ブランコ遊びをしたことが印象深いという。

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フォンテーヌブローにて、この場所でどうやら息子たちはクライミングに目覚めたようだ。写真:横山勝丘

フォンテーヌブローでは、アンバサダーのゾーイ・ハート一家と過ごした日々が忘れられない。ゾーイには、同じくアンバサダーのマキシム・タージョンとの間に我が家の2人の息子とほとんど同じ年齢の息子が2人いる。雨の日もカッパを着て岩場に出かけてミミズと戯れたり、晴れればそれぞれの長男同士が課題を見つけてセッションをしたりと、毎日騒がしく動き回っていた。

クライマーである親としてなにより嬉しいのは、息子たちが自分自身の目で自分の登るラインを見つけ、そこに散らばるホールドを探し出し、どうやって動くのか頭で考えようとしはじめたこと。そして失敗に対して癇癪を起こすことなくトライを続けるようになったこと。普段ぼくたちは彼らにクライミングを無理強いすることはないのだけど、同い年の友人がいるだけで、お互い切磋琢磨しはじめる。子どもは親の知らないうちに成長しているのだと思い知らされる。

4か月を通じて数多くの友人たちが入れ代わり立ち代わりで合流し、楽しく賑やかな毎日を送ることができた。出発当初はいったいどれだけクライミングができるのか懐疑的だったけれど、蓋を開けてみれば、息子たちと一緒に遊んでくれる人が増えたおかげで両親は比較的自由に、毎日ヘトヘトになるまで登ることができた。とは言え、ぼく自身のクライミングの成果はほとんどなかったに等しい。でも、なにが登れたなんていうのはクライミングのほんの一側面にすぎないわけで、毎日登り込み、パタゴニアとフォンテーヌブローをより深く知ることができたのだからそれでいい。

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妻が課題をトライするすぐそばで息子たちは勝手気ままに遊ぶ。スペイン・アルバラシンにて。写真:横山勝丘

旅の最後に、我が家はスペインに飛ぶことにした。期間はたったの2週間。短いのは明らかだったけれど、せっかくならば少しくらいはこれまで行ったことのない国に行ってみたかった。安くて大きなレンタカーを借りての車生活。大きいとは言え、キャンピングカーじゃないから寝るときだって足は常に曲がったまま。シャワーは週に一回に激減したし、ご飯だって限られたスペースで調理するだけだから、フランスで食べていたものと比べたらずいぶんと質素になった。だけど、本当に必要なものはそれほど多くはないということを知るのもまた大切な経験だと思う。

友人が教えてくれたマドリード近郊のペドリーサという岩場の桃源郷のような景色は、まさにぼくが求めていた夢の岩場そのものだった。針葉樹の森は思いのほか明るく、背後の山にはまだたくさんの雪が残っていた。そして山には花崗岩が無限に転がる。スペインと言えば、傾斜の強い石灰岩をグイグイ登るというイメージしかもっていなかったぼくにとって、世界は広い、というかぼくの知る世界はハサミで切り取られたほんの一部なんだということを改めて思い知らされた。

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無限に広がるペドリーサの花崗岩。写真:横山勝丘

ぼくはどちらかというと、色々な場所を移動するよりも一つの場所にとどまる方が性に合っている。だからこそ飽きもせずにパタゴニアやフォンテーヌブローを選んだのだけど、それらの場所を訪れたときに沸き起こってくるワクワク感が少ないのも事実だった。そういう意味では、たった二週間だけではあったけどスペインでの時間は強烈に印象に残っている。

ペドリーサの岩場で、ひょんなことから会話を始めた家族がいた。父親の名はタロと言って、聞けばペドリーサのボルダリング・トポの著者だった。会話を進めるうちに共通の友人が大勢いることが判明した。そんなことは狭いクライミングのコミュニティではしょっちゅうあることなので驚きはしなかったのだけれど、タロはすぐさまその一人パビに電話をかけてくれて、翌日一緒に登ることになった。パビは、2011年に千裕とアメリカツアーをしたときに偶然出会い、ヨセミテとビショップで一緒に過ごした男だ。彼はその頃、小さなクライミング・アパレル・ブランドを自分で立ち上げたばかりで、金はないけどクライミング愛に溢れたナイスガイだった。彼との再会はそれ以来だから7年ぶりだ。

あくる日、タロと一緒に岩場で登っていると、黄色いジャケットを着たパビが斜面を駆け上がってくるのが見えた。その瞬間、ぼくは文字どおり飛び上がりそうになった。なにを隠そう、彼の着ているそのジャケットは、ぼくがローガン南東壁を初登したときに着ていたまさにそれ。7年前、11月を過ぎたビショップは寒く、薄い防寒着しか持っていなかったパビはいつもガタガタ震えていた。見るに見かねたぼくは帰国の直前に、焚き火で穴の開いたそのジャケットを彼に渡したのだった。

なかば呆れながらタロが言う。

「こいつ、寒い日はいつだってこの小汚いジャケットを着てるんだぜ」

一アパレルブランドのボスが他ブランドのクタクタになったジャケットを丁寧に補修し、それを今でも大事に着ている。なんとも嬉しい話じゃないか。それから数日間、ぼくはかつて見知らぬ地で出会った旧知の友人や新しい友人たちと幸せな気分で岩と戯れた。

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パビと7年ぶりの再会を果たす。 彼は現在、Belmez Faceというアパレルブランドのボス。 Photo:Talo Martin

思えば、これまでの旅もこんな驚きの出会いに彩られた時間だった。それがとても心地よいものだったからこそ、再びクライミングに没頭する日々を送りたいと願っていたのだ。そして今回もまた、それは例外ではなかった。一緒に登り、食べ、生活した友人たち、現地で出会った親切なローカルたち。そんな繋がりに支えられて、4か月はあっという間に過ぎ去った。ケガもなく最後まで笑いの絶えなかった旅の思い出は、我が家の大切な宝物となるだろう。

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フィッツロイ山群の稜線を息子たちに見せてあげたい、それが今回の旅のきっかけでもあった。
写真:横山勝丘

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