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『The Aloha Shirt: Spirit of the Islands(アロハシャツ:島々の魂)』

デール・ホープ  /  2017年7月19日  /  コミュニティ, カルチャー

最も色鮮やかで完全な『The Aloha Shirt: Spirit of the Islands』は 、これまでに創られたなかでも最も永続的なハワイアンシャツの記念本。以下は第2章「Tailor Shops to Factory Pioneers:アロハシャツ創成期」からの抜粋です。

1920年代、ワイキキビーチのホテルでは宿泊客のほとんどが、日中に着用することが好ましいとされる“白い服”を着ていました。当時、男性の服は帆布か麻でできた白いスーツが、女性は白いドレスが流行していました。大きなホテルでは、観光客はわずか15セントでスーツをクリーニングに出すことができました。

1930年代初頭、中国から輸入されたポンジー(繭紬)の衣服が、これまでの白い服に取って代わるようになりました。ホノルルの仕立屋は、軽量で淡い色の絹の生糸を使った手織りのポンジーで、スーツやドレスを仕立てるようになりました。この無地のポンジーの服は実用的で人気があり、アメリカ本土でも着られるようになりました。

日本人や中国人の裁縫師、仕立屋、洋裁師、生地屋たちは、祖国の親戚から日本の柄染めの絹や綿の浴衣地、夏用の着物地といった上等な布地を輸入し、アジアの生地を使用してハワイの衣服を作るという伝統を形作っていきました。

1922年当時、ハワイの縫製工場は主に大農園の制服を製作していました。この時期、ハワイは農業からサービス業主体の経済へと変わる過渡期にあり、島のアパレル産業の中心はワークシャツの生産からスポーツウェアやカジュアルウェアの生産へと移行していくところでした。

最初のアロハシャツを「誰がどうやって作ったのか」ということについては、多くの説が伝わっています。ジャーナリストでテキスタイルデザイナーであったホープ・デニスは、1966年、ある雑誌の記事に次のように書いています。「35年前、あるひとりの目先の利くハワイ人衣服製造者が、最初のアロハシャツをデザインした(35年間語り継がれてきた通説を覆してしまうのを避けるために匿名)。彼は、1930年から50年代のアロハシャツの黄金期と呼ばれる時代を形成する製品を販売していた」

マーガレット・S・ヤングは、ホノルルスターブルティン紙の編集者に送った1984年9月26日付の手紙の中で、彼女が初めてアロハシャツを見た記憶を1926年とし、次のように書いています。「クラスメートであった故ゴードン・S・ヤング(姻戚関係はない)が、1920年代初頭、アロハシャツの原形といえるものを作ったのです。このシャツはハワイ大学の彼の友人の間で人気となりました。彼は母親が経営する店の洋裁師に頼んで、日本の浴衣用の綿布でシャツを作ってもらったのです。この幅の狭い布の多くは、白地に青や黒で竹や幾何学模様が描かれていました。ゴードンは体格がよかったため、幅の狭い布地を横に数回接いでシャツにし、シャツの裾をズボンの中に入れて着ていました。1926年にワシントン大学に入学したとき、彼は大学に新しいシャツを持っていき、これがキャンパス中の話題となったのです」

後にアパレル業界で働くことになるエラリー・チャンは、早い時期からカラフルなシャツを着る学生を目にしていました。1920年代にプナホウ・スクールの同級生が、花柄のプリントシャツを好んで着ていたのを覚えています。

ホノルルの地元新聞に、1920年代の終わり地元住民のボブ・ローリーと妻サリーは、サモア出身の同級生ジェームス・P・ニューブルが、ホノルルのマダム・レスター社交ダンス教室に、タパ布にみられる大胆な柄のシャツを着て現れたのをはっきりと覚えていたという記事があります。このシャツに刺激を受けたダンス教室のマダム・レスターは、ニューブルの両親がパゴパゴで経営する店から似たような柄の生地一反をホノルルまで送ってもらいました。この生地をハワイの実業家「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」のコウイチロウ・ミヤモトがダンス教室の生徒のためにシャツを作り、このタパ風の布で作ったシャツとパンツは高校生の間で人気を博すようになりました。

コウイチロウ・ミヤモトの妻で仕事上のパートナーであったドロレス・ミヤモトもまた、1930年代に著名なハリウッド俳優のジョン・バリモアが店に来て、着物の生地で色鮮やかなシャツを作る注文をしたことを記憶しています。

1930年代の初頭、まだ若い仕立屋だったハワイ島ホノカアのルース・ヒラタは、ホノカアのアルフレッド・ダンス・バンドのメンバーだったトニー・ラブラドールとチャールズ・ラブラドールに、カラフルな花柄のシャツを仕立てたことを覚えています。

ホノルルの伝説的な小売店ワットムルズ・イースト・インディア・ストアのバイヤーであったライラ・ワットムル・サーニーは次のように記憶しています。「ここのハオレ(白人)の男の子が着るようになってアロハシャツは流行り出したというか、ファッションアイテムとして注目されるようになったのです。あの子達はエラリー・チャンや、地元の仕立屋のリンズやヤット・ロイ、小売りのアウトレット、ムサシヤなどでシャツをオーダーしていました。そしてでき上がったシャツをルアウ(宴の意)に着て行ったのです」

学校の子供たち、ワイキキのビーチボーイ、仕立屋、休暇で訪れていた映画俳優、皆それぞれが、アロハシャツのはじまりについて信憑性の高い説を持っているのです。ハワイの衣服のスタイルは、島の若者の色彩豊かな服への情熱と、のびのびとしたハワイのお土産に持ち帰りたいと考える観光客の願望とが競うように刺激し合い、絶えず変化し続けていきました。

エラリー・チャンが家族で経営する生地屋、キング・スミスは、便利なことにオーダーメイドのシャツを作る仕立屋のすぐ隣に位置していました。1932年もしくは1933年(新聞によって違う年を記載)、チャンは、お客がいつでも購入できるように、夏用のシャツを作り置きすることを決めました。

1932年、ティー・ハウ・ホーが所有するサーフライダー・スポーツウェア・マニュファクチュアリング社が、最初の「ハワイアン」シャツを作り、販売したとされる記録が残っています。

しかし、1934年の夏、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が家族と共にハワイを訪れた時はまだ、スポーツウェアは珍しいものでした。この時、新聞に掲載されたルーズベルト大統領と友人たちが参加した大規模のルアウ(宴)の写真をみて、ハワイのアパレル産業の歴史的権威となっているエマ・ファンダーバークは「参加者が着ていたハワイアンの服は今ほど華やかではなかった。ルアウの客たちはレイをかけてはいたが、当時アメリカ本土で着ていたようなごく普通の街着や普段着を着ていた」と1965年に自身の論文に記しています。

1935年4月17日、パンアメリカン航空はアメリカの西海岸からホノルルへ巨大なチャイナ・クリッパーの就航を始めました。18時間の快適な飛行機の旅が、本土から大洋を6日間かけて渡る船の旅に取って代わり、ハワイは格段と近くなりました。

観光が盛んになり、アメリカ海軍の寄港が増加するのに従い、ハワイの土産物への需要が増大していきました。「アロハ」という言葉は、ショーウィンドウや新聞広告で多くの製品に使用されるようになっていきました。エマ・ファンダーバークは、「1935年と1936年は『アロハ』という言葉があらゆる種類の商品に使われた年で、シャツやスポーツウェアに使用されることも珍しくありませんでした」と、記しています。

1935年6月28日、ムサシヤ・ショーテンは、ホノルル・アドバタイザー紙に広告を掲載しました。「ホノルルの名高いシャツメーカー兼呉服店。仕立てがよくデザインが美しい、輝く色合いの『アロハ』シャツ。既製服または注文服・・・95セントから」観光客市場を直接ターゲットにし、「アロハシャツ」という言葉が活字となって登場したおそらく初めての広告と考えられます。

「1936年、チャンは自分が生み出した独特のスタイルを、よりエキゾチックに『アロハシャツ』と命名し、これを商標登録しました。アロハシャツを繰り返し宣伝したところ、シャツは人気を博し、同様に名前ももてはやされるようになりました。これがハワイのファッション業界にはずみを与えた流行の始まりでした」とアトランタ・ジャーナル紙は記しています。

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