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海岸線を走る

キコ・スウィーニー  /  2023年1月6日  /  カルチャー, スポーツ

ランニングとの関係性を探求する家族の物語

全ての写真:キコ・スウィーニー

私の家族は走る。

母、父、姉、私の家族4人全員共通の思い出。
私が子どもの頃、私たち家族は毎年ロサンゼルスからオレゴン州の沿岸都市マンザニータ(人口454人)へ出かけ、1950年代に祖父が建てた小屋に滞在していた。太平洋岸北西部の親戚も多くいたのでマンザニータへの夏の旅は、年に一度、いとこ、おば、おじ、祖父母と過ごす大切な時だった。マンザニータ滞在中のお決まりのアクティビティと言えば、一日中、砂浜で遊ぶことだった。オレゴン州の海岸で、干潮時の湿った細かい砂の上を素足で走り冷たい砂粒がつま先に入り込み、凍てつく波が押し寄せる。これが私の古い記憶の1つにある。

今でも浜の小屋に来ると、朝の日課がある。母と父は早起きし、父はコーヒーを淹れ、朝食を用意する。母はストレッチ。姉のカイラと私は、コーヒーを追加するが、大抵は父が挽いた粉を再利用する。地元のコミュニティ・ラジオを付ける。ミュートにしたとたんに、砕ける波の音が聞こえる。父と私は大きすぎる窓から太平洋に浮かぶ雲と海岸沿いの変幻自在の天気を眺める。

結局、前日の雨で濡れたままの砂っぽいランニングシューズを履き、玄関を出る。

小屋から砂浜に続く小道へ、母がカイラを誘導する。その終端、砂浜に出る手前に色褪せたオレンジ色の注意書きがある。カイラは目が見えない。光が網膜に届かない遺伝性疾患を持って生まれた。彼女にとって、ランニングは障がい者アスリートにありがちな、いわゆる「不屈の物語」ではない。弁護士としてキャリアをスタートさせる彼女が、プレッシャーを和らげるためにやっているだけだ。
家族の中で障がいというアイデンティティを共有するのはカイラだけではない。私にも、慢性片頭痛を抱えて生きるという点で、私自身に障がいがあり、私もカイラも同じだ。両親も古傷や痛みと何とか付き合いながら、現在の病気が癒えることを願っている。けれども彼らは、年齢を重ね身体的に不自由になることを受け入れ、異なる方法で大好きなことに取り組む方法を工夫している。
私たち家族は「障がい」について、それが何を意味し、どのように私たちを定義しているのか、いろいろと考えてきた。障がい者には、重要な支援制度を利用するに当たっての公式の定義がある。毎日を障がいと共に生きる現実、その結果としての適応もある。例えば、母と父は生来の習慣について考え直した。

ランナーであることは、自分の片頭痛を障がいととらえるようになり、その理解に役立っている。片頭痛があると、本来ならできているはずのことが、できなくなるという認識だ。頭が痛い日は走れない。代わりに、その日、その週、その月は痛みが悪化しないように走ることを止めて、その間は自分自身を労り休む。
カイラ自身の障がいとランニングの関係は進化し続けている。ランニングは彼女にとって、必ずしも心地良く、身近であったわけではない。子どもの頃、体育の授業で、誰も自分と一緒に走ってくれないのではないか、もしくは義務感から一緒に走っているだけではないかと心配になったこともあった。「大人になって、ランニングは社会的なものであることを知りました」とカイラは言う。「ランナーの家族を持てたことは、私にとって本当に幸いだった」

ボストンの自宅では、カイラはトレッドミルで走るか、あるいは障がい者が日常的に走れるよう支援するランニンググループの「アキレス・インターナショナル」を利用する。ガイドは彼女が障害物を避けられるよう支援し、互いをテザーでつないでペアで走る。うちの家族は、80~90年代に父が世界各地でクライミングをしていた頃の年代物のアルミニウム製カラビナ2個をブルーの短いバンジーコードの両端に付け、自家製テザーを作った。基本的には旧式のクイックドローである。

海岸では干潮の締まった砂の広場に着いたら、テザーは不用だ。「幼い頃、砂浜で走ることに自由を感じていた」とカイラは言う。「安全なことは分かっていたもの。ぶつかるものは、たぶん海水だけ。万が一キコと衝突しても、たぶんあの子は生きてる」

小道に沿って、年々高くなっている頭の高さまである砂丘を通り過ぎる。小道を覆う砂浜グラスは、朝風にわずかにそよいでいる。

私たちが子どもの頃、潮風の中で顔に風を受けて疾走していたことを父は覚えている。「そよ風、海、大きく開けた空。砂浜で過ごす美しさ、走ることの開放感。お前たちを見るのは喜びだった」

今、冬の波が打ち上げた流木を通り過ぎたところだ。北には、常緑樹に覆われたニーカーニー山が、厚い雲を背負い、マンザニータの広大な砂浜を縁取るようにヌッとそびえている。今日は寒く、湿気が多い。遠くの砕ける波から霧が立ち上っている。
南へ向きを変え、波打ち際に対して直角に列を展開する。でも私たちのフォーメーションはすぐに崩れる。カイラがテザーを手放しグループから離れ、引いていく波の方へ向かう。カイラにとって、浜辺は一人で走る希少なチャンスだからだ。「海沿いでは、音を頼りに真っすぐに走れるから」とカイラ。「海に向かって走っていると、その音が私のゴールよ」

母と父は、早歩きに変わった。私は欠けていないカシパンウニの殻を探すのを止め、一口水を飲む。

子供の頃から、母と父は、ストレスを解消し、健康を維持し、楽しむための方法としてランニングに取り組んできた。「ランニングは、私のアイデンティティにとって大きな部分…走れなくなったら世界は終わりだと思っていたわ」母は私に言った。でも、手術から回復するまでの間、走るのを止めなければならず、母は外へ出る別の方法を見つけた。今ではタイムキーパーとして、時おり私たちの周りを文字通りグルグルと走り回っている。
砂浜で走る楽しみの1つは、例えばカイラがガイド用テザーを使用することや、父母のランニングには軟らかい地面が必要なことなど、何らかの適応が必要とされても、さほど気にならないことだ。そこはただ、ランナーとして、家族として、自由に動けることを再認識できる場所なのだ。

およそ5km走ると砂浜の終わりを示す桟橋に出る。折り返し地点の合図だ。元々広大な砂浜が干潮でさらに広がり、家に着くまでに散策できる範囲が広がる。父は欠けのないカシパンウニの殻を見つける。カイラと私は波打ち際に向かって競争し、子供の頃のようにクスクス笑ったり、叫んだりしながら、潮だまりに漂流物を見つけ、凍てつく水にソックスやシューズを浸してバシャバシャと歩く。
ようやく、風雨にさらされた居心地の良い小屋の前にある砂丘にたどり着く。長年にわたって堆積と浸食を繰り返す砂丘の階段を、母はカイラを誘導して歩く。オレゴン沿岸の開放的な砂浜で、家族と走る時間に私は感謝し、それを阻むものがないことを祝福する。

著者あとがき:文中では、障がいを持つ人々を説明する際に「パーソンファーストランゲージ」を採用している。この広い社会の中で各個人が、時間と共に変遷し得る自分自身のアイデンティティを選択する行為主体性を持てることを誇らしく思う。愛する人はどのようなアイデンティティを望んでいるだろうか――持てる知識を動員して率直な気持ちで対話し、敬意をもってたずねてみてはどうだろう。

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