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スキーを履いたカヤッカー

柴田 丈広  /  読み終えるまで6分  /  スノー

出発して最初のキャンプ。高原に上がる前の湖畔

スキーを履いたカヤッカー

出発して最初のキャンプ。高原に上がる前の湖畔

これは2月の後半に行ったノルウェーでのスキー旅の話だが、パタゴニアのブログに原稿を書かせてもらうにあたって、気が引ける理由が2つあった。ひとつは、僕はカヤッカーであって、その分野のエキスパートではないということ。それともうひとつは、スキーの話ではあるが、カタログに載っているような急斜面の写真は1枚もないということだった。

僕ら4人はオスロからバスを乗り継いで、ほぼ1日をかけて移動した。スタート地点の湖は聞いていたとおり十分に凍っていた。当初の心配は無用だった。さっそく、重ねて運んできたそれぞれのソリに引き綱などの艤装をした。すでに日没が近く、この日は準備だけをしてここでキャンプした。

過去1年以上、頭にあったのはこの旅のことだけだった。社会情勢に目を向ける余裕はなくなり、疎遠になった人間関係もたくさんあった。そして、じつは本業であるカヤックの遠征までが休止状態になっていた。こう書くと、相当な準備をしてきたかのように思われるかもしれないが、やってきたのは机上での情報収集と装備のことだけ。肝心のスキーでソリを引く練習はほとんどできていない。普段の生活では雪が縁遠いという理由もあるが、「冬の旅」の経験はノルウェーでスタートしたいという気持ちがまずあった。僕のスキー経験はゲレンデスキーだけだ。それも結局10年以上もやっていなかった。登山では高校生の夏休みに行った北アルプスが最も高い山で、冬山の経験はまったくない。だから計画段階では、冬期のクライミングや山スキーの経験が豊富なメンバーのひとり油小路さんの意見を中心に進めてきた。とはいえ、何日もソリを引くのは油小路さんにとってもはじめてだ。この旅は、自分の実力に合わせて場所を選んだのではなく、まず先にあったのは目的だった。

ハルダンゲル高原はノルウェーの南部に位置する、ヨーロッパ最大の高原だ。山を除く台地の標高は1000メートルから1400メートルのあいだだが、高緯度のため森林限界の上にある。地形はほぼなだらか。だから僕はカヤックの経験と体力、それと注意深さがあればなんとかなると算段していた。ただ、気象の厳しさについてはどの資料にも書かれていた。いまから120年ほど前、かのロアール・アムンセンが探検家になる前の20代のはじめ、彼は経験を積むためにこの高原の冬期横断を2度試み、目的を果たせずに終わっている。一度は新聞に載る遭難騒ぎにまでなった。そして、「ハルダンゲルでの厳しい経験が後の極地探検の備えになった」とアムンセンは書いている。僕たちはこの逸話に非常な関心をもっていた。

僕は1994年に4か月をかけて、南のオスロから北のロシア国境までのノルウェー沿岸をカヤックで漕いだことがある。ノルウェーは自然も人びとも素晴らしい国だ。また行ってみたいとずっと思いつづけていた。しかし、カヤックを使うとすれば、現在の自分の生活環境では過去にやった旅と同じくらいの規模の大きなことはできない。だから他のテーマを模索していたのだと思う。スキーなら本業が暇な時期に行けるし、今度はまた別の面からノルウェーの文化が体験できる、と。僕らは、モーゲンとガーレンを結ぶ、アムンセンがたどったルートを行くことにこだわりをもっていた。それは、人並み以上のアムンセンのファンとしては巡礼の旅のようなものだ。とはいえ、彼が具体的にどこを通ったのかは今となってはわからないが。

スキーを履いたカヤッカー

高原に上がったところ。天候、視界、雪質すべて良好

距離はおよそ130キロ。ソリには15日間分の食糧を積んだ。はじめの2日間の40キロは平坦な湖の上を行くので、ウォームアップにもちょうどいい。その次には登りがあって、高原がはじまる。高原に上がると、木もはえていないなだらかな地形が待っていた。その後は「野を越え、山を越え、谷越えて」の連続だった。その楽しみはシーカヤックとまさに同じだ。遠くまで見渡せるところを行くあいだは、海での横断のようなもので、思考は単純になりペースは上がる。川を渡るときは、まるでロックガーデン(岩礁地帯)でルートを選びながら行くようで、慎重になる。そんなときは、「これ、おもしれぇ」という言葉がでた。登りがなければ下りのありがたみも実感できないだろう。それは海での向い風と同じだ。いずれにしても、疲れることは気持ちがいい。逆に、はじめのころは(僕は最後まで)、下り坂に戸惑った。ソリとの競争になり、うまくいかないと追い越されて転倒した。ひどい場合は、木の反対側にソリがまわり込み、激しく転んだ。その光景はカヤックでいうと、他人の沈を楽しむようなもので、いいシャッターチャンスだった。

当初のゴールであるガーレンには余裕をもって到着できたので、そのさらに40キロ先にある鉄道駅のフィンセまで行くことにした。フィンセには建てられたばかりのフラムハイム(アムンセンの南極基地)のレプリカがあると聞いていたからだ。僕たちにとって、ガーレンとは特別な意味をもつ場所だったが、道路が通っていて別荘が並んでいるだけで、アムンセンの記念碑はない。それは出発地点のモーゲンも同じ。予測していた通りだ。アムンセンの時代とは違い、現在のハルダンゲル高原は、ノルウェー人にとってはポピュラーなスキー旅の場だ。それでも、厳冬期に入る人は少ないようで、途中しばらく、僕らは他のスキーヤーに会うことがなかった。天候にはとにかく恵まれた。それを十分認識しておかないと、後に危険に陥りかねないくらいだ。数日間だけ風速が20数メートルを超える地吹雪の日があったが、僕らは薪ストーブのある無人のヒュッテで読書やトランプをしながらぬくぬくとやり過ごしていた。

スキーを履いたカヤッカー

数日間滞在した無人のヒュッテの前で

僕にとってははじめてづくしの旅だった。スキーでソリを引くのはもちろん、雪のキャンプ、新鮮な冷たい空気・・・。どれもがあらたな体験だった。フリチョフ・ナンセンがスキーについて「キングオブスポーツ」と表現した理由も、(おそらく)分かった。雪の風景は異質なものではなくなっていた。これからも冬の旅はつづけたい。プランはたくさんある。

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