クリーネストライン


マラ岩西面に眠るラインを探る。自然のキャンバスに魂を吹き込む時間。Photo : Takemi Suzuki
マラ岩西面に眠るラインを探る。自然のキャンバスに魂を吹き込む時間。Photo : Takemi Suzuki

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By 倉上 慶大   |   2021/02/02 2021年2月2日

小川山は奥秩父北西端に位置する日本を代表するクライミングエリアだ。
岩場としての歴史は長く、80年代の日本のフリークライミングの始まりと同時に発展していったエリアであり、見渡す限りの花崗岩峰に刻まれた膨大なラインの数々には、トラッドクライミング、ミニマムボルトといったフリークライミングの精神や倫理観が体現されたルートが数多く存在する、まさに国内のクライミングシーンの中心的存在といえる。

その小川山にあって、マラ岩はエリアを代表する全長70~80mほどの独立した岩塔だ。
岩自体は三角錐のような形状をしており、主にそのうちの東面と西面の二面が登られ、マラ岩には既に20本以上のルートが確立されているものの、西面には岩の頂上まで至るルートは存在しなかった。実際、1984年に吉川弘・室井由美子氏らによって壁の中腹までは解決されていたが、頂上までのラインは見出されることなく35年以上もの間、未登のラインとして残されていた。そのマラ岩西面に頂上まで抜けるラインを描くことは、過去から現在に至るまで小川山を訪れる多くの開拓クライマーたちの夢であったという。そして私もまた、そのラインに想いを馳せたクライマーの一人となった。

未登の岩壁、それらを登ることを「初登攀」という。長大な時を経て創造された自然の岩壁に眠る神秘を、人間という限られた尺度で解き明かし、その空間に自身の「道筋−ライン」を描き、登る。私は、その自由で創造的なクライミングに長年魅了されてきた。上昇するための手掛かりを探りながら、可能なラインを見出す。それは時に何年も掛かる作業となる。100mの壁中のたった1mでも解決できなかったら、壁の99%を解決できたとしても残り1%が解決できなかったら、ルートは完成しない。それは終わりなき旅路のようなもので、ゴールへの保証はない。真新な壁にルートを初登するということは、クライマーとしての全てが問われる行為といっても過言ではない。壁の困難度という絶対値は重要ではなく、そのクライマーにとってどれだけの壁であったか。その壁から与えられた課題を克服するためにどれだけの時間とエネルギーを注いだか。ロッククライミング、特に初登攀においては情熱こそが全てだ。

夏の日差しの中、独り岩壁に佇む。Photo : Takemi Suzuki
夏の日差しの中、独り岩壁に佇む。Photo : Takemi Suzuki

ルートがありのままの姿で存在し続ける限り、クライマーが岩壁に注いだ情熱は時を経ても冷めることなくそこに残り続ける。ルートは、それ自体がクライマーの精神を伝搬する媒体となり、後続者を待ち続ける。後続者は、ルートを介して時空を超えた対話を経て、自身の「スタイル」を育む。スタイルとは「その壁をどう登るか」という、そのクライマーの思想や倫理観といった精神を岩壁上で表現し、ルートに投影する手段そのものをいう。

岩を登るというシンプルな行為が、肉体的な困難度の追求だけでなく精神の鍛錬、成長という人間の内面にまで影響を及ぼすのは、スタイルの追求がある所以であると私は思う。そうして私もまた、マラ岩西面に想いを馳せたクライマーの一人として小川山の歴史と先人たちへの敬意を以って、その壁と向き合った。自身の「スタイル」を以って。

ボルトを手打ちで埋め込む。Photo : Takemi Suzuki
ボルトを手打ちで埋め込む。Photo : Takemi Suzuki

「ミニマムボルト」という考え方がある。簡単に言うと「打つボルトは控えめに」ということだが、なぜ安全のために使用するボルトをあえて制限するのか。せっかく打つならたくさん打って安全に、確実に登れば良いじゃないか、と思われるだろう。しかし、根本的に、ルート上のボルトは少なければ少ないほど、そのクライミングはより自由になる、という性質がロッククライミングにはある。

今回、私がマラ岩西面で開拓したルートはボルトルートだが、ボルトがクライミングにおいて何を意味するのか、それがクライミングの倫理や文化にどのような影響を及ぼすのか、といったように、私はボルトの取り扱いについては特にシビアに考え続けてきた。何もない真新しい壁を見上げた時に生じる感情、真っ白なキャンバスに自身のラインを描くという創造は限りなく自由な行為だ。それはある種、初登者の特権なのかもしれないが、そのキャンバスにボルトを打ち込みトレースを刻むということは、同時に次世代のクライマーたちからその「自由な体験」を初登者自らが奪う行為ということでもある。私にとって、ボルトをライン上に打ち込むということは、自らが“自由の略奪者”となることと同義だ。“略奪者”というと過激に聞こえるかもしれないが、もちろんボルトの存在そのものを否定しているわけではない。ボルトの使用によって登攀可能となった岩壁は無数にあるし、現に私もクライマーとしてボルトの恩恵を多く受けてきた者の一人だ。しかし、クライミングにおけるボルトというものは、その扱い方次第ではクライミングが持つ「自由」を奪い、クライミングの本質を揺るがす兵器となりえるのだ。

マラ岩西面の開拓を進め登攀可能なラインを探るうちに、見出したラインではその上部で2通りのライン取りができることを知った(画像のAラインとBライン)。結果として、その2ライン上のどちらにもボルトを打たないという選択をしたわけだが、もはやその理由を説明する必要はないだろう。
“ルート上に2つのラインの選択肢を残すこと”、それが私なりの「ミニマムボルト」という思想の表現となった。

Photo : keita kurakami
Photo : keita kurakami

ところで、実はもう1つ、開拓においてこだわったスタイルがある。それは「どのようにボルトを岩壁にセットするか」というものだ。

現代では、電動ドリルを用いれば誰でも容易に、そして短時間でボルトを打つことが可能だ。たとえ素人でもボルト1本を打ち込むのに5分も要しないだろう。その反面、機械に頼らない方法、すなわち「手打ち」は、はっきり言って非効率そのもので、硬質な岩なら少なくとも1本あたり2、30分は要する。素人ならその2倍は要するだろう。しかし今回、私は開拓における全てのボルトのセットを「手打ち」で行った。

“何故たかがボルト打ち程度にこだわりを持つ必要があるのか“と、首を傾げられても仕方ないのかもしれないが、この“ボルトを手打ちで行う”というアイデアのきっかけは、日本のフリークライミング史に多大な影響を与え、今なおクライミングのメッカであり続ける「ヨセミテ」での体験が起因している。

ヨセミテではルート開拓において「電動ドリル禁止」という厳しい戒律がある。長い歴史を持つヨセミテのクライミング文化においても、その規律は今なお守られ続けている。たとえボルトを使用するにしても、それら全てのボルトを手打ちで、しかも1000mの岩壁に打ち込むことは並大抵のエネルギーではないのは想像に容易いだろう。その戒律によって、ヨセミテ、特にエルキャピタンではルートを開拓し、克服することは必然的に困難になり、故にエルキャピタンに真摯に向かったクライマー達は自身のクライミング自体も、よりクリーンなスタイルへと帰結していくのではないかと思っている。

“良いルートが良いクライマーを生み、良いクライマーが良いルートを生む“という言葉を残したのは、あるヨセミテのレジェンドだ。そういった気風と精神が残るヨセミテの風を受け、今回ボルトを打つにあたって敢えて「手打ち」を実践した。実際、もし電動ドリルでボルトを打ち込んだとしても、結果としてボルトの打つ位置や数は変わらなかったかもしれない。しかし、間違いなく自身にとっては岩との対等な関係を考えるきっかけ、そして、不可能とも思えた壁への情熱の炎を絶やさないための原動力となったのは確かだ。

困難な壁に挑み、克服する度に思う。どんなに優れた技術や身体能力、最新の道具を持ち合わせたとしても、情熱に優るものは無い。何度でも言おう、クライミングでは情熱こそが全てだ。いままでも、そしてこれからも、そう信じて自らの壁と向き合い続けていく。

マラ岩西面の中腹、パタゴニア・アンバサダー横山勝丘と。ユーモアはどんな困難なトライ時でも重要な要素だ。Photo : Masazumi Sato
マラ岩西面の中腹、パタゴニア・アンバサダー横山勝丘と。ユーモアはどんな困難なトライ時でも重要な要素だ。Photo : Masazumi Sato

倉上は2020年秋、小川山マラ岩西面での初登攀により「Pass it on」(5.14+ R)を初登した。

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