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次に訪れるもの

ロランド・ガリボッティ  /  2020年5月29日  /  クライミング

2008年、パタゴニアのサマー・シーズンが終わりに近づくと、居ても立っても居られない状態になった。それは、ほんの数週間前に、僕はコリン・ヘイリーと長年の夢だったトーレ・トラバースを成し遂げたばかりであるにも関わらず、晴れ間が続くと、僕はコリンと共に、この20年以上自分を魅了し続ける山域へ戻ってきてしまった。フレディ・ウィルキンソンとダナ・ドラモンドがひと月前に完登したケアベア・トラバースに挑みたかったからだ。それらのトラバースは、セロ・フィッツロイのスカイライン最北端の3つのピーク、アグハ・ギヨメ、メルモス、そして主峰セロ・フィッツロイを結ぶ縦走だ。しかし最初のピークのベースに到着したとき、コリンの体調がすぐれず、キャンプも設営せず撤退した。1987年のパタゴニア初訪以来、この20年間に好天周期を逃したのはそれが2回目だった。

トーレ・トラバースに成功してから、自分のどこかがスローダウンを望んでいた。この山域で経験した緊張感に崩壊の気配が漂い始めていたのだ。38歳という年齢で、そろそろ潮時のようにも感じていた。次にくる虚無感の中で自己を見失うことや、明確な目標や目的がなくなりさびしさを感じることが怖かったからだ。1つのことだけに身を投じてきた人間が、スポーツの喪失を自己の喪失と同一視することはめずらしくない。けれど時には見過ごすことが出来ない時もあるのだ。

その次の12月に、コリンと僕は理想的なコンディションで再びフィッツロイのスカイライン北端に向けて出発した。今回はできればさらに足を伸ばし、セロ・フィッツロイ南側のアグハ・ポインセノット、ラファエル、サンテグジュペリ、デ・アイズの4ピークも含めた、セロ・フィッツロイ・スカイラインの完全縦走を計画していた。この計画では、軽さを重視してギアを慎重に選んだが、その過程で軽すぎるロープを選んでしまった。そのロープは、初日に表皮が破け、芯が露出した。アスレチック・テープで「手当て」したが、それ以降、表皮の破損でロープの強度が失われ、結局はセロ・フィッツロイ登頂後、撤退せざるを得なかった。

そのシーズンと次のシーズン、僕は5,000時間の作業を要する登山道修復プロジェクトのボランティアを組織した。グランド・ティトン国立公園のトレイル担当の協力を得て、この最も人気のあるトレイルが永く維持されることを願って、止水板、階段、橋などを設置した。来る日も来る日もあらゆる天候の中で岩や丸太を動かし、毎晩寝袋に潜り込み、身体は痛く重かったが、それでもみな笑顔だった。

2010年初め、コリンと僕は再びスカイラインの縦走を試みた。だが、またしても装備が甘かった。ロープはより太く頑丈なものにしたが、ビバーク用に600グラムの1人用寝袋を2人で使うことにし、テントもビビィサックも持たなかった。結果として、コンディションは前年より悪かった。僕らの移動は遅く、3度の極寒のビバークに耐えることになった。そして、再びセロ・フィッツロイ登頂後に断念することになった。

この撤退はこたえた。体力の衰えは十分に自覚していたし、まして山岳地形を機敏に動くとなると、僕はもう最盛期を過ぎていた。10年前に先天性の形成不全による股関節炎と診断され、慢性的疼痛がモチベーションを下げていたし、心の片隅には多発性硬化症の不安があった。これまでかなりの手を尽くし、運にも恵まれ、この持病に山行を邪魔されないように(友人にも内緒に)してきたのだ。

その2年後にヘイデン・ケネディとジェイソン・クラックが初めてフェアな手段でセロ・トーレ南東稜を登攀したとき、その戦略とスピードに驚嘆した。その時、こうした若い世代の果敢なビジョンが、もう自分にとっては遥か手の届かないところにあることが明らかになった。第一線から身を引くことは、長いこと抱えてきた葛藤だったが、ようやくそれを決心するときが訪れたのだった。

北半球に戻ると、その後の9か月間は10年越しのプロジェクトの完了に時間を費やした。それはこの山域に関する初めてのクライミング・ガイドブックの出版であり、その本は2012年の終わりごろに書店に並んだ。何日も黙々とコンピュータの前に座り続けることに、トレイルの修復ほどの充足感はなかったが、完成した400ページの本を見たとき、それはまるでわが子のように思えた。

こうした若い世代の果敢なビジョンが、もう自分にとっては遥か手の届かないところにあることが明らかになった。第一線から身を引くことは、長いこと抱えてきた葛藤だったが、ようやくそれを決心するときが訪れたのだった。

しかし物事はそう単純ではない。2014年初め、人口股関節置換手術の後に若返った気になった僕は、コリンを説き伏せ、もう一度スカイラインの縦走にトライすることにした。体力はかなり取り戻していると感じていたが、ギヨメに向かう途上で、重いパックを背負ってこの仕打ちを受けることは無理だと痛感した。アレックス・オノルドとトミー・コールドウェルが、僕らのすぐ後を同じ目標を目指し登ってきていた。そして、アレックスが持参していたクランポンは、彼が履いているアプローチ・シューズには不向きのブーツ用のものだと知った。そこでコリンは僕のクランポンを、後からやってくるアレックスに渡してはどうかと提案した。

難度5.10の地形をアプローチ・シューズで重いパックを背負い連続登攀する彼らを見ることは刺激的だった。ふたりはその後5日間をかけ、セロ・フィッツロイのスカイライン縦走を成し遂げた。

アレックスとトミーは、街に帰還した翌日、詳しい話をしに僕らの元へ立ち寄ってくれた。彼らの話を聞くのは嬉しく、その成功は純粋に喜ばしいことだった。それはまぎれもなく、僕がこのスポーツで踏破したいと願い続けてきた道のりだった。

全速力で強行突破できる、コリや痛みとは無縁の若い肉体に未練はある。セロ・フィッツロイのスカイライン縦走の夢を掴み損ねた2度の決定的なギアの選択ミスが時おり頭をかすめる。しかし、パタゴニアで過ごした数年間が与えてくれたあの平穏や内省を、若さと引き換えに手に入れることは、僕は望むことはないだろう。

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